アンパンマンと共産主義社会 – 『共産主義』ってどんなもの?

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ひとりがみんなのためにみんながひとりのために

 今日は「共産主義とは何か?」というお話です。その最適の見本が、漫画家のやなせたかしさんが描く「それいけ!アンパンマン」の世界です。これは私が活動家時代に抱いていた共産主義社会のイメージそのものでした。

 たとえば、ジャムおじさんはパンを作り、カレーパンマンはカレーを作り、ラーメン天使はラーメンを作るのですが、それは「商売」として行っているのではなく、みんなに喜んでもらうために作っているのです。

 つまり利潤を得るための【疎外された労働】ではなく、自己実現のための労働です。そしてそれらを作る原料は、それぞれの農作物を作っている人がやはり無償で提供しています。つまりジャムおじさんは「美味しいパンを作る人」ではあっても、決して「パン屋さん」ではないのです。

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 人間としての向上心のベクトルは「もっと儲けよう」という利己的な方向ではなくて「もっと美味しいパンをもっと沢山の人に食べてもらおう」という社会的な方向に向いています。そこではジャムおじさんのパンがどんなに絶賛されても、それで本人が喜びと生き甲斐を感じてまた頑張ろうと思うだけであって、これで儲けようとか、ましてや他人を雇ってその労働を搾取し、パン工場を大きくしてやろうとか思うことはありません。

 もしこれが資本主義社会のお話であったなら、ジャムおじさんの優しい顔はたちまちにして眉間にしわをよせた資本家の顔になり、電卓をたたいてため息をつき、原料費を削減したり、一生懸命に働く労働者のバタ子さんに、それでもまだ怠けているかのような罵声を浴びせるようになったに違いありません。あるいはとっくの昔に倒産していたでしょうか。そんな良心的なジャムおじさんに、原料を売ってくれる人もいないでしょうから。

 食パンマンにいたっては、毎日食パンを無償で学校に運んでいますが、おそらくは学校教育もすべて無償でしょう。物語りには小学校と思われる場所しか登場しませんが、おそらく「もっと勉強して人々の役に立ちたい」と言う人には、しかるべき教育手段が無償で用意されていることでしょう。おそらくは土地も共有制(所有権はなく利用権のみがある)であろうと思われます。

 時にはきれいな絵を描いたり、美しいカレンダーを作ったりしてみんなに喜ばれている芸術家や、だいこん役者などの俳優も登場しますが、それとてお金や名声や自己満足のための「芸術」ではなく、一般の人々を喜ばせるために頑張っている民衆芸術家として描かれています。また、宗教はコンニャク和尚などが出てきたことがあるので残っているようですが、高圧的・支配的なものではなく、人々の生活に根ざした素朴なもののようです。魔王が攻めてきた時には、アンパンマンが「前衛」となり、バイキンマンドキンちゃんまで協力して「民衆蜂起」で撃退していますから、軍隊も存在していないということがわかります。

 つまり一言で言って、「貨幣」と「他人の労働の搾取」という資本主義を資本主義たらしめている二つのものが存在していないのです。ゆえに「資本家」のような「支配階級」もいませんから、人々は平等で差別もなく、貧困も戦争も政府すら存在する必要がないのです。私が見ている限りでは、アンパンマンに「お金」という概念が出てきたことはありません(←これ重要)

 これらのことの帰結として、生産物には「使用価値」のみで「交換価値(=商品価値)」というものが存在しないことになります

 そこでこの世界の悪者であるバイキンマンには「世界を征服する」(=支配階級になる=他人を搾取する)という発想がありません。いつも美味しい食べ物を一人占めするのですが、それは自分とドキンちゃんが食べるだけであって、よそで売って儲けるという発想にはなりません。自分一人だけで全部食べようとすること、つまり「使用価値を盗む」のが悪いのであって、「交換価値を盗む」資本主義社会における泥棒とはちょっとニュアンスが違うのです。

 資本主義社会で生まれた私達は生まれながらに資本主義者であって、この世界で共産主義者でいつづけることは困難が伴うように、共産主義社会に生きるバイキンマンやアンパンマンは生まれながらに共産主義者であって、資本主義社会の常識(イデオロギー)は理解の外にあるわけです。

 「バタ子さんはどうなんだ。パン工場で働いてるじゃないか」と思うかもしれませんが、彼女はジャムおじさんを尊敬して、自分もあんな人になりたいという人間的な向上心から自発的に修行させてもらっているのです。「給料」をもらうため、生きるための必要から労働しているのではありません。
 貨幣がないので給料もなく、ゆえにジャムおじさんとバタ子さんは「資本家と労働者」のような疎外された関係ではありません。人間として社会的にも対等な関係にあるのです。

ここまで見てくればわかる通り

「アンパンマン」の世界観
●一人が万人のために、万人が一人のために
●能力に応じて労働し必要に応じて受け取る
●労働は疎外された苦痛なものから人間的な欲求を満たす喜びとなる
●朝に魚を取り、昼に畑を耕し、夕べに絵を描くが、漁師にも農民にも絵描きにもなる必要がない

という「高次の段階の共産主義」そのものではありませんか。

 共産主義社会というのは、人間がその頭で設計した社会システムとして最も美しく理想に満ちたものです。そのことは「現実の共産主義運動」に反対する人でも認めます。童話やおとぎ話の中でさえ、これほど美しい世界を聞いたことはありません。それもそのはず、童話の作家もまた資本主義社会の人間です。それを超える社会を描くためには現在の社会の科学的研究が必要なのです。

 私達のような資本主義社会の人間は、自分でもそれと知らず資本主義イデオロギーに凝り固まっています。そこから自由な発想ができないのです。共産主義者になる必要はなくとも、私達はもっと「空想家」になってもいいと思います。

 しかしなぜやなせさんは「アンパンマン」を描くことができたのでしょうか。
 やなせさんがかつて社会主義者であったという話は聞いたことがありません。若干のエッセイなどを読むとむしろなんとなく仏教徒の雰囲気さえただよいます。ただ、やなせさんには人間に対する果てしない優しさと、商業主義に対する強烈なアンチがあるようです。

 徹底したヒューマニズムと強烈な反商業主義
 これは共産主義と共通するものです。これを老境に達するまで暖め続け、小さな子供達に読んでもらう夢のあるお話を描こうとした時、はからずも共産主義と同じ理想を描いたということかもしれません。

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8件のコメント

 大変面白く拝読しました。

しかし、草加氏はアンパンマンの良い面のみに目を向け過ぎていると思います。それは、
ナチスドイツ第三帝国が、ごく一部の人間
(具体的に言えば異性愛者で
精神異常を持たぬアーリア人)にとってのみ、
理想的であったが、大多数の者にとっては
地獄であったような現実を直視すべきでは
ないか、という疑問につながります。

 あれは、教育や食料を無償で得る事のできる選民にはいい国でしょうが、私たちはアーリア人でもなければ、石油利権を持つアラブ人でもありません。ぶっちゃけ私たちは所詮カビルンルンであり、教育も食料も支給されないという事実を隠蔽して、夢絵空を描く姿勢に疑問を覚えなくもありません。

 北京政府が六四天安門事件の再発を防ぐために、愛国教育と称し史実をゆがめた喧伝に終始し、日本への憎悪を掻き立て中共への不満を誤魔化すのですから、情報とは鵜呑みにすることが危険な代物です。 アンパンマンの物語もジャム側に偏った視点で描写されています。
 端的には、なぜ、カビルンルンが熱烈に黴菌男を支持し活動するのか?は私の知る限り、描かれていません。都合の悪い情報は隠蔽されているのかもしれません。
 ともすれば、反革命、人民の敵、という烙印を押された姿が、カビルンルンである可能性もありえます。
さような共産主義社会に賛辞を送る事が出来ましょうか?

 黴菌呼ばわりされながらも、偽りの調和の破壊を試みる男が黒く示されているのは、それがアナキストだという描写なのかもしれません…

 ちなみに、黴菌という菌が在るわけではなく、それが有象無象の菌を雑多に扱う呼称である以上、ジャムは恐らくイースト菌至上主義者である事が推測されます。そして、アンパン男は誕生秘話を見れば自明ですが、恐らく頭部の糖や炭水化物を分解して活動する宇宙粘菌です。つまり、彼は自分が粘菌であるにも関わらず、イースト菌至上主義者ジャム(←しかも自分の顔のデザインのパンを焼くナルシスト野郎)の走狗として(マルチカルチュアルな勢力を実力行使で破壊するための)暴力機関として使役させられているのです!

 こういった認識を踏まえて見えるアンパンマンの世界は、所詮欺瞞に支えられた虚構の繁栄に過ぎず、それが共産主義社会と部分的に重なったとしても、どちらかと言うとやっぱバイキンマンにこそ、声援を送りたい(かも。)とか、私は強くそう思いました…いや、その、憶測ですがw

ではでは。

わはは、とても興味深いコメントありがとうございます。
別にアンパンマン至上主義でもないんで、共産主義思想の(もちろん良い面だけかもしれませんが)の説明として使わせていただきました。しかし考えて見れば私らは資本主義社会のカビルンルンかもしれませんね(笑)

アンパンマンに戻りますと、バイキンマンは自己の利益のために、いきあたりばったりに他人を道具のごとく使うという、非常に資本主義的な行為をしておりますので、支持できません。しかも時には非常に非人道的です。ドキンちゃんのわがままも、自己の欲求の追及という点で資本主義的です。反面、その目的が「お菓子の独り占め」とか非常に他愛のないものであり、本当の悪人でもないような描かれ方をしていますね。

まあ、基本的には政治とは畢竟、「利害の対立」をどうさばくかということに帰着すると思うのですが、やはり左翼は終局的には「どちらの味方」というのを超えて、「政治そのもの」をなくして(不必要にして)しまいたいと思っているということですね。

一方、さくらももこさんの「コジコジ」の世界は、メルヘンの国などと言いながら、実態は貨幣経済や搾取が支配する資本主義世界であり、かなりの貧富の差もあるようです。出世だの物価だの相場だの投資だのいう言葉がポンポン出てきます。ゆえにこの世界の悪者であるスージーとブヒブヒはかなり凶悪で、お金のために営利誘拐とか泥棒とか平気でしたりします。

ところがなんと、この世界には「政府」が存在する気配がない。ゆえに警察や監獄などの暴力装置も存在しないし、国境線もないので誰でもメルヘンの国には出入り自由なんであります。
これは何なんだ!ひょっとして無政府主義社会なのでありましょうか?

横浜アンパンマンミュージアム内にあるかわいいパン屋さん「ジャムおじさんのパン工場」

先日、横浜アンパンマンミュージアムの中にあるパン屋さん「ジャムおじさんのパン工場」に行ってきました。
以前、横浜アンパンマンミュージアムへ行った際にはあまりの混雑で、整理券がないと入れなかったので諦めたのですが、ぼちぼちほとぼりも冷めた頃だろうというこ…

私も全く同じことを考えていまして、パソコンで「アンパンマン・社会主義」と引いたらここがでてきてびっくりしました。
アンパンマンの世界が法律も貨幣もなく成り立っている所以は映画「アンパンマンと命の星のドーリィ」を見るとよく解ります。ぜひ見ていただきたいです。
ここから先は、僕の主観で、正しいとは限りませんが、アンパンマンの世界のような理想的社会主義を支えているのはカントの道徳だと思います。あとばい菌マンは欲望のままに生きている点、しかし人間的な情も持つ点(赤ちゃんマンを助けるなど)などで資本主義の光と闇を表していると思われます。ちなみにカビルンルンも資本主義型でしょう。ばい菌マンの雇用条件が悪く、家出する話もあります。かといってばい菌マンとの絆が無いというと嘘になるでしょう、現実の資本主義に絆や愛がないという事が嘘であるのと同じように。ここでもう一人面白いキャラクターがロールパンナです。彼女は資本主義と社会主義、善と悪に挟まれ苦しんでいます。また彼女は立場としてどちらの側にもつこうとはしません。そのことがさらに苦しみを大きくします。まるでポストモダンの現代人のようです。彼女が平安を感じるときが二つあります。一つはイデオロギー抜きで感性で世界を感じるとき(花を愛でるなど)もう一つは愛しい人と一人ひとりの関係として触れ合い善悪とは関係なく愛を感じるとき(メロンパンナとあってるときなど)です。価値観の崩壊を愛や感性で乗り切る。本当にポストモダンっぽいですwwあと映画に出てくるドーリィはまだ社会主義にも資本主義にもなじまない未秩序、つまり本当の子供だと考えられます。
すいません暴走しすぎました話に筋がありませんでしたがお許しを。

RT @dongisyoun: ブログ旗旗 » » アンパンマンと共産主義社会 – 旗旗 http://t.co/c79JCv7twW
これは面白いwww 最後にはアンパンマン達が仲間同士でパンをめぐって殺し合いになることが容易に想像できてしまう。

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