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千の風になって 活動家Sさんの遺書に思う

 bund.org に、3年も前に亡くなられた活動家Sさんの遺書が突然に掲載されました(ここのページ再下段に記事があります)。

 Sさんは僕とほぼ同時期に社学同(社会主義学生同盟)で共に活動していた方です。また「皇居糞尿ゲリラ」の戦士としても有名でした。これは90年に明仁氏の即位儀式を控えたまさにその前日、厳戒の皇居前に汚物を満載したバキュームカーで乗りつけ、警備の警官達が呆然とする中を大量の糞尿とビラを一気にぶちまけたという「ゲリラ事件」です。

 この闘争は「ゲリラ」と言えば普段はあまりいい顔をしない人々の間でさえ好意的な大爆笑をもって迎えられ、「ふん激戦士を支える会」まで結成されたといいます。実はこの時、私はすでに組織から離脱していましたが、戒厳令的にやりたい放題し放題だった警備・公安警察のあり方には腹立たしい思いをしていましたので、この快挙には一気に溜飲を下げました。まさに、「だれ一人として傷つける可能性は全くなく、それでいて警備・公安警察に与える打撃は甚大である」という点において画期的でした。

 今回の唐突な「遺書公開」に何の説明もありませんが、2ちゃんねるでSさんが亡くなったこと、死因が自殺であることなどが今さらのように大々的に取り上げられ、私を含めてそのことを知らなかった元活動家の間ではショックが走っていました。
 そして、Sさんのことを知りもしない、ただただ荒さんを揶揄したいだけの心無い人達などは、Sさんが荒さんの側近であり、遺書が非公開であることなどを取り上げ、揶揄の材料に使われたりしていました。ですから、そういった2ちゃんねる上の「噂」を受けての措置であることは明白です。

 Sさんのお名前についてはその組織名から戸籍名にいたるまで、同記事で公開されていますので、いまさら私が伏せても意味がありません。しかし、私はSさんとは所属地区が地理的に遠く離れていたこともあり、ほとんど交流もなく、断片的な思い出しかありません。つまり私はSさんについて語るべき何の資格もなく、語るべき何物も持ちません。ですから、なれなれしく「○○君について」などと表記することはためらわれます。

 にもかかわらす、私はこの記事を読んで、二つのことを感じました。
 一つはSさんの心情も、私や、その他多くの組織を去っていった元同志達と、何も変わることがなかったという点です。
 組織に対する感謝を述べ、「迷惑ばかりかけました」と侘びる。うまく言えませんが、短い言葉でそこに吐露された心情は、まさしく組織や運動から離脱した直後の私の心情そのままでした。その時の胸をかきむしるような悲しみや苦しみ、組織に対する愛憎ないまぜになった気持ちがどっとよみがえってきて、Sさんも同じだったのだと思い、遺書を読みながら少し泣きました。

 「愛憎ないまぜ」と言いつつも、基本的には組織を否定することなんてできない。もし否定すればそれまでの自分の人生そのものを否定するような気がする。それは死ぬより辛いことです。ですが肯定すれば肯定するほど、今度は逆にそこから離脱した自分の存在をどんどん否定することになるのです。まさに出口がありません。ましてSさんの場合は、亡くなる直前まで、党首である荒さんの側近的な位置にいたようで、「組織(=荒さんと言っていいと思いますが)」とも書いておられます。そこには個人的にいろいろな事情や思いもあったことでしょう。ですが、そのへんはいい加減な推測を書くことはできません。

 これは組織に残った人には決して理解ができない心情だと思います。「だったら自分の弱さを克服して組織に戻り、分裂した自分を再統合すればいいではないか」と単純至極、能天気に考えるものです。私も組織にいたころは「コケた」人に対してそう思っていましたから。だから現役の活動家には「分析」はできても「共有」や「共感」することができない。まあそれはそれでいいでしょう。いちいちそんなものに共感する人ばかりだと組織がもたないでしょうから。

 実はもっといろいろ書くつもりでしたが、これ以上はどんどん「憶測」の領域に入ってしまいます。それはSさん本人にも、ご遺族の方にも、彼の死の直前まで一緒に活動されていた方にも失礼になると思いますのでやめておきます。

 ただ、これだけは言いたい。「死ぬことはなかったんだ」と。
 今回の遺書を読んで、活動家の自殺とは、すなわち究極的なコケ方なのだという思いを深くしました。転向とコケるのとは違うのです。私もコケましたが、そのことで10年以上も苦しみ続けました。もしそこになんらかの「罪」があるとしても、もう充分に償いはすませたと思います。そしてまたネットなどでの交流を通じて、「左派社会人」としての自分なりの人生を考え直すこともできるようになりました。

 だから、本当の本当の本当に、死ぬことはないのです!人生の可能性は本当にもっといろいろあるのです。それは時間がたたないとわからない。

 これを読んでいる現役活動家のみなさん。あなたが今は何の悩みもなく活動しておられるのなら、私からつべこべ言うことはありません。頑張ってください。心からそう思います。ですがもし、万が一、何かの理由で主体が耐えられなくなっても、あるいは人生を賭けた組織や運動がなくなってしまうようなことがあったとしても、それでも死ぬことはないのです。いったんはそこから逃げればいいです。

 逃げることが「楽」とは限らないのですから、決して自分を責めてはいけない。二度でも三度でも逃げてください。あなたの思いと正義感を貫く道は、決して一つではありません。今いる組織だけがそのすべてではないのです。いくらでも道はあります。一つしか道がないとは思わないで。たまたま今いる場所から逃げることと、変節とは絶対に違います。

 たとえばそれが結果的に政治とは全く無縁の人生になったとしても、私は必ずしもその人が変節したことになるとは思いません。とりわけ現在のネット上の左派の活動やサイトは、実はそういう政治とは無縁の生活を送っている人達によって支えられている面が非常に強いと思います。それは素晴らしいことです。私がいろんなところで、じたばたあがいている姿が、そういう人達の参考になればいいなあと心から願います。

 もう一つは公開された遺書にそえられていた荒さんの「追悼文」に対する違和感です。

 どうも居心地が悪い。座りが良くない。はっきり言うと気色悪いです。
内容自体はSさんの生前の思い出がつづられたものです。もし、これがSさんの友人の手によるものだったら特に違和感はありません。ごく一般的な追悼文集に載っているような、ありがちなものだと思います。ですが荒さんが書くものとしては違和感が残ります。それはたとえば、昭和天皇が「戦没者へのお悔やみ」を他人事のように、客観的に述べた時の違和感や嫌悪感に匹敵するものです。

 もし、天皇が何かの理由で一般市民の師弟と幼馴染だったとします。彼が「大日本帝国万歳!天皇陛下万歳!」という遺書を残して敵艦に体当たり(自殺)して果てたとします。だが、今はもう「大日本帝国」は無い。法的にはまったく連続していない「日本国」がある。そして他ならぬ「大日本帝国」の最高責任者であった天皇が、なにより道義的にも法的にも戦争の最終責任をおうべき人物が、自分の言葉を信じて「あなたのために死にます」と言って死んでいった人にむかって、「彼は相撲が強かった」だの「一緒に荷物を運んだこともあった」だの並べて「ご冥福をお祈りします」とお悔やみを述べたとしたら、果たしてそれでいいんだろうか?

 ですが実際に、こういう遺書を奉って「彼は国のために死んだ(国に殺されたではなく!)立派な人だ」と言い、天皇の客観的で他人事のような「お悔やみ」にも「ありがたいことだ」と涙を流す人がいる。これは普通に考えれば異常なことです。それに違和感を感じないほど、私たちは飼いならされ、洗脳されているのです。そして荒さんのまるでただの友達のごとき追悼文・・・。

 Sさんの遺書には「戦旗・共産同と出会えたことは、戦旗派=荒さんといっていいと思いますが、大変すばらしいことだったと思います」とあります。「戦旗・共産同」という組織はもうありません。同組織が左翼であることをやめて「ブント」と改称したのは97年です。

 もう何もいいますまい。これきりこの話題にはいっさい口をつぐむことにします。

 千の風になって 

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています

 心優しきニコラヰさんのブログ「わかめのくのう」に掲載された詩です。ニャンケさんのブログに、Sさんによせて紹介されておられたもので、ナチスの危機の中で作られたものだそうです。多くのサイトにも引用されているそうですが、ここにニコラヰさんに敬意を表しつつ、私も謹んで引用させていただきます。

参考リンク

追悼「3年前のある晴れた朝突然に」(Bund web site)
S君を悼む(どこからどこへ)
遺書について(ニャンケのブログ)
H君との討論(どこからどこへ)
S君の遺書(わかめのくのう)
野菊のごとく君なりき(わかめのくのう)

皇居と糞尿と大嘗祭(サブカル雑食手帳)
 ※管理人の下等遊民さんより、Sさんへの心のこもった追悼をいただきました。上記記事のコメント欄をごらん下さい。
『ぱるちざん戦記』(糞尿戦士としてSさんの手記を収録)

千の風になって(わかめのくのう)
マンダーランド通信(「千の風になって」訳者の新井満さんのページ)
  -「千の風になって」 関連ページ一覧
「千の風になって」の詩の原作者について(オーママミア)
千の風になって(バーチャル歌声喫茶のび)
《天声人語》15年8月28日付よりの抜粋(矢切の里案内人の部屋)

コメントを見る

  • こんにちは。ご無沙汰しています。集会の時にはお世話になりました。
    草加さんはすごく文章力があり、いつも心を動かされる文章をお書きになりますが、今回は特に感動しました。
    ワタクシは自分の立場は左翼的だとは思いますが、草加さんのように組織に入ったり活動したりした経験はありません。だから、そういった経験の苦しさ、辛さは全く分かりません。
    けれども、死ぬことはなかったんだ、二度でも三度でも逃げればいいんだ、道は一つではないんだ、という文章に触れたとき、もうほとんど泣きそうになってました。
    この文章は、組織の人や活動している人だけではなく、全ての人に対してとても温かい文章になっていると思います。
    実は今ワタクシも少々落ち込んでいたりしたのですが、助けられた感じがします。ありがとうこざいました。