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懐古的資料

青年の党派たれ! 戦旗派86年年間総括

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四.武装せる革命党としてのわが同盟の共同主観

 これまで述べてきたことをつうじてわれわれが、1986年、組織開設以来ともいうべき新たな政治的位相の下に入り込むことに勝利したこと、かつてないメジャー性を発揮する前進をとげたことが、はっきりしたと思う。

 それでは大きくみずからを高めあげた各政治攻防の連なりを、如何なる基本理念、思想的ガイストに裏打ちされてわれわれは闘いぬいたのか、これをつぎに明らかにしておきたい。
 すなわちわが同盟におけるレーニン主義の適用=『何をなすべきか』的党建設は如何なる思想性に基づき具体化されようとしてきたのかを、ここで再度確認しておこう。

 第一にはそれは、わが同盟が地域主義、学閥主義を徹底的に克服しようとし、人種、性別、身分、出身階層などのすべてを止揚する自由と平等性に裏打ちされた前衛党建設をおしすすめ、革命的団結の形成を基軸として今日まで闘いぬいてきた点である。

 前衛党がその構成員の出身階層、性別、身分、人種などのすべてを問わず、綱領と規律の下に団結するのは全く自明のことであるが、しかし実際には第二次ブントにあっては関西ブントだとか中大ブント、明大ブント等という全くマイナーなサークル集団が跋扈し、それが党の政治の在り様を規定することによって、レーニン主義党としての組織的構えを構築することができなかった。同郷とか出身大学の同一性という自然発生的関係に、党主体そのものが意識性において拝跪してしまい、左翼サークル主義を存在的にこえていこうとする高度の目的意識性を共同主観として構築することができなかったのである。

 わが同盟戦旗・共産同は、70年春の出発当初は余りにも理念的でありすぎたかもしれないが、しかしながらこの現実の克服をかけ、政治局は政治局に対してのみ責任を負い、下級に依拠したり規定されないという意識性の喚起につとめ、その内容性をもってみずからを第二次ブントの異端と位置づける党建設をおしすすめてきたのである。

 73年春のアダチ分派問題は、政治局は政治局に対してのみ責任を負うという掟を破リ、みずからの自己保身からの泣き事を下級にタレ流す左翼サークル集団としての城山、大下、両川などとのわれわれの訣別の闘いであり、政治局員としての存在性、意識性を保ちえず、戦闘的活動家に毛のはえたような実在から解党主義におちこんでいく傾向との最後的分離をなす闘いであった。この分裂をつうじわが同盟は学生共産主義者的な実存、小ブルジョア性を克服することに勝利し、労働者革命家の信頼に足るレーニン主義者への脱皮をとげることができたのである。

 現状にそくしていえば、第4インターやプロ青が地域主義的に分裂し、やれ東北インターだの関西派だのと矮小な抗争にあけくれ、党勢を弱めつづけるのに対し、わが同盟がまさに単一の分派として常に人民大衆の前に登場しつづけることができるのは、この思想性の存在に依っている。

 第二には、小ブル能力主義をこえでた高卒現場労働者の革命組織としてみずからを定立しようとし、党への帰属性と献身性を価値判断の尺度とした組織-人事政策をとりつづけてきた点である。

 はっきりいってわれわれは、みずからの自己実現だけを追い求め、能力をはなにかけ、自分が世界で一番偉いと思っているような存在に対しでははなはだ冷淡な党派である。献身的、自己犠牲的に責任をとりつづけようとする労働者的主体に対してのみ心をひらく、そういう価値観に抜本的に規定された革命組織である。
 自我の海におぼれて死ぬだけでしかない小ブルは勝手に消滅せよ! われわれは日々生産点で働く現場労働者と手をたずさえ、かれらがみずからを解放できる条件を形成するために苦闘するであろうと心に誓って、何十年間も闘いつづけてきたのだ。

 その共同主観は今や定着化した。男性であれ女性であれ、高卒現場労働者が地区党の中軸にすわる関係性は今や構造化され、われわれはみずからのヴィジョンを物質化するに至ったのである。

 闘う労働者の党として革命組織をつくるということは決定的に重要なことだ。73年アダチ分派問題は未だ労働者的主体に依拠できず、学生あがりの小ブル・ルンプロの不安、動揺、情緒不安定、観念の肥大化の錯綜する世界に位置しただけのわれわれが生み出した、武装闘争からの逃亡劇である。79問題中の「いなば問題」などというのも、党が小ブルに拝跪した結果生み出された混乱である。

 こんにちわが同盟が「やるといったことは必ずやる」と人民大衆に対し提起できるようになったのも、すベて労働者地区党の確立に依っている。
 今後ともわが同盟は、高卒現場労働者の党として前進をつづけるだろう。党への帰属性と献身性を価値観の尺度とし、不器用であったとしてもひたむきに闘いつづけようとする労働者的存在を尊敬する共同主観を、一層高めあげて闘い抜くのである。

 第三には青年の党としてみずからを定立しようとし、保守主義におち入らず激動に生きる党風-作風の確立をおしはかってきたこと、戦闘的であり革命的であることを評価し、言葉ではなく実践を重んじる共同主観を作りあげてきたことである。

 これは指導者こそ先頭に出て闘いを牽引する作風、現場に対して責任を負う党風を形成してきたということだ。
 別の言い方をすればわが同盟の組織指導者になるためには、みずからの肉体の動員をもって最前線で闘いぬける条件を形成しつづけていることが絶対に必要であリ、そういう「青年性」をわれわれは重んじているのである。
 もちろんそれは「見かけ」の問題でいっているのではない。その精神の在り方の問題として論じているのである。

 これについてはレーニンの次のような提起の引用をもって、説明にかえたい。

 「例えばラーリンはわが党内では青年労働者が優勢であリ、われわれのあいだでは家族もちの労働者が少なく、そういう労働者は党から去っていくことに苦情を言っている。このロシアの日和見主義者の嘆きは、エンゲルスの著書のある箇所をわたしに思い出させた」
 「ある俗流ブルジョア教授、ドイツのカデットに反駁して、エンゲルスはこう書いている。 『われわれ革命党内に青年が優勢を示していることは、はたして自然なことではなかろうか? われわれは未来の党であり、未来は青年のものである。われわれは革新者の党であり、いつでも革新者に喜んでついていくものは青年である。われわれは古い腐敗したものにたいして献身的にたたかう党であるが、献身的な闘争にはいつでも青年がまっ先にはせ参ずる』、と」
 「いや、三十歳のつかれきった老人と、分別くさくなった革命家と、社会民主主義の背教者とをひろいあげることは、カデットにまかせたほうがよい。われわれは、つねに先進的な階級の青年の党となるであろう!」  
 「闘争でつかれきった家族もちの人々がラーリンにとってなぜそんなに惜しいかについて、ラーリン自身もうちあけた告白をふともらしている。このようなつかれた人々をなるたけ多く党にあつめれば、それは『党を鈍重にし、政治的冒険の地盤を掘りくずす』であろう、と。それでけっこう、善良なラーリンよ! なんのためにごまかして、自分自身をあざむく必要があろうか。君に必要なのは前衛党ではなくて、なるたけ鈍重にするための後衛党なのだ。こう率直にかたるべきである」

(全集第11巻、P364~365)

 わが同盟が闘う青年の党、青雲の志をもった戦闘的な若者の党でありつづけようとしてきたことは、全くレーニン主義の命題にそっている! われわれは党を鈍重にし、政治的冒険の地盤を掘りくずすことをいましめ、常に極限的な、本当に背水の陣としかいえないような政治攻防をつづけ、今日の地歩を築きあげてきたのである。
 それを支えたのは、わが同盟の「青年性」であり、苦節をいとわない根性だ。青年期の党派であるからこそ自己変革することができ、事態に対応しきるフレキシビリティを持ちつづけてこれたのである。

 われわれが革共同に伍し、日本のボリシェヴィキにのし上がっていくためには、ゆえに「闘う青年の党」で在り続けようとすることである。絶対に「三十歳のつかれきった老人」や「分別くさくなった革命家」の集団と化してはならない。それは第4インターやプロ青などにまかそうではないか。協商懇が「社会主義フォーラム」だ何だのと言って、闘う気もないインテリの自慰行為を組織化せんとするのとはうらはらに、本当に闘う気のある青年、若者をひろいあつめ、いつまでも革新者の組織として機能しつづけようではないか!

 第四には革命運動の大義性は、人間主義、人道主義を忘却したところには成立しないことを明らかにし、革命的ヒューマニズムの立場にたって闘いつづけてきたことである。

 これはわが同盟がテロリズムヘの傾斜をいましめ、ゲリラ・パルチザン戦闘の実現に対しても厳格な政治目的の達成という枠をもうけ、権力機関に対する攻撃を主軸として打ちぬいてきたことでも明らかだ。 アダチ分派問題に対しても、われわれは政治的、組織的、思想的にこえでることを獲得目標にし、テロリズムで問題が解決できるとは考えてこなかった(中核派との違い)のである。
 これに対して革共同は、70年代における対カクマル戦争の極限化のなかで、マルクス主義の規範をとっぱらってしまい、人民の支特を失ったのである。三里塚反対同盟の分裂をひきおこしたのは、その結果だ。85年11月の浅草橋戦闘において、多量の組織離反者を生み出したのも、大義性の喪失にその根拠をおいている。

 われわれは今後ともこの規範を守りぬき、独自の思想性に立脚した、言葉の真の意味で革命運動のスターリン主義的歪曲を克服した党派として、みずからを定立せしめるであろう。
 革命運動の担い手は、ただ強ければよいというのではない。強さの中にブルジョア社会を止揚しうる思想性が貫徹されていなければならない。一見まだるっこしくても、人民の解放にそくした大義の旗を守りぬかねばならないのだ。
 今日までのわが同盟はその道を歩んでくることができた。ゆえにわが同盟は83年三・八分裂時の屈辱にち耐えぬき、党勢をもリかえし、逆に発展しぬいてきたのである。

 まさしく以上の四つの命題を、全党全軍の同志諸君が守りぬかんとし、又体現しうる主体へと高まりつづけることを課題として闘いぬくことを、是非とも要請する。ただの大衆運動主義者に成り下がらず、背骨ある、思想性をもった革命的共産主義者に、共に成長しぬき、わが戦旗・共産同を日本のボリシェヴィキへと高めあげようではないか。

⇒ 革命運動における牧歌的概念の克服

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