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懐古的資料

青年の党派たれ! 戦旗派86年年間総括

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六.組織建設が低迷する場合の根拠

 次に、以上述べた組織ブラ下がリ主義の克服や、牧歌的概念の否定を、組織建設が低迷する場合の根拠にそくして論じていきたい。
 つまりわが同盟は1986年階級攻防をつうじ政治的にも大きく進展し、かつ組織動員力も伸長させつづけてきたのであるが、しかしこれは一様にすべての地区党なり、戦線がそうであったとはいえない現実下にあった。

 12・14労学総決起集会に見られるように、ABC地区とGHI地区が300名動員の線でしのぎをけずるというような肯定面がある反面、ここ数年来250名突破の線で四苦ハ苦している地区もあれば、BCDのようにここ数年来落ち込んでしまい、160名台の動員に低迷をつづけている部分も存在するのである。
 その根拠をえぐり出し、是正をはかること、それがここでの課題である。

 その場合まず第一にはっきりさせておきたいことは、われわれは日々プロレタリア革命運動を推進し、大衆的諸課題に取り組み、課題の実現をはかりつつ闘い抜いているわけだが、もちろんただそのためにのみ闘っているのではないということである。
 われわれは政治的課題を実現しつつ革命情勢を切り拓き、日本階級闘争の戦略的前進を克ちとり、なおかつその過程においてプロレタリア日本革命の主体的条件を、前衛党組織建設とその担い手の育成として形成し、しかも蜂起の機関としてのソヴィエトおよび軍建設を展望しつつ闘いを推進させているのである。

 ゆえに地区党における日常活動の革命的推進を語る場合にも、ただ政治的課題を後追いしたというだけであってはならず、それは綱領的諸内容に導びかれた高度の目的意識性に支えられた持続的推進であらねばならず、闘いをつうじ自らを打ち鍛え、イデオロギー性を高め、思想性をつちかう連なりがそこに内包されていなければならないのである。
 全くの大衆運動団体(サークル)と革命党の質的差異は、両者の目的意識性の差異性が闘いの遂行をつうじ、物質化し具体化していくものの現実的差異として刻印されることの中にあり、「党のための闘い」の内包による前衛党組織の実体的形成とその担い手の発展=革命的共産主義者(=普遍的人間)への自己実現の闘いの進展度こそそのメルクマールをなすものである。

 別の言い方をすれば、あらゆる組織体においては一年間の闘争遂行をつうじ、その担い手はそれまで不可能であったことを可能としていくような存在にのし上がっていかねばならないし、単に大衆動員をおこなったというだけでなく、大衆を階級へと組織化し、前衛党の構成員へと高め上げていく闘いを、そこに絶対に内包させていなければならないのである。
 つまり革命党の構成団体であるならば革命的意識の高まりを物質化し、実体化させて発展していかねばならず、同じところをグルグル回るのではなく、ラセンを描いて上向する党建設の連なりを、常に目的意識的に作り上げていくことが、問われるのである。

 ところがこうした観点に対し全く無自覚である場合には、その当該組織はただの大衆運動の後追い団体と化してしまい、闘争遂行をつうじ革命党の構成員となるべきカードルを作り上げることができず、ゆえにその組織の再生産構造を形成しえずに、必然的に低迷してしまうのである。
 それはまさに組織活動の遂行における自然発生性への拝跪であり、目的意識性の喪失ということだ。

 第二には組織活動が停滞を続ける場合には、組織の拡大を物質化していく実体的根拠が、その組織を構成する個々のメンバーの政治の主体化の度合いにすべてかかっていることを対象化できず、革命的な意識性の喚起に失敗している場合が多いということである。

 具体的な例でいえば、わが同盟は1986年階級攻防において××××名動員を実現することを課題としたのであるが、6度の全国結集によるチャレンジにもかかわらず、今一歩のところでそれを物質化することができなかった。その主要な根拠は、1984年わが同盟がはじめて××××名動員を突破したさい、既にあと11名で200名に至るというような発展をとげていたBCDが以降低迷し、85年9・29戦闘での大量逮捕をのりこえて前進をとげていくことができず、前述したように86年の12・14に至るまで160名台の動員にとどまり続けていること、つまり地区党の発展と共同歩調をとれなかったことにある。その原因となることは小ブル的生活形態を排した組織生活の励行、ありていにいえばアジト生活を基礎とした革命運動への献身を指導部それ自体が実現できず、全くもって戦旗・共産同の政治性を主体化しようとしてこなかった点にある。

 革命党としてのわが同盟の政治的、組織的諸内容、対象化レベルの在り方において××××名を動員する力量性が86年に備わっていなかったというのではない。だがその実体的担い手として最も自己犠牲的実存を作り上げてしかるべき位置にあるBCDの指導者が、自らの存在の形態において、或いは主体の実在的位置において、党の在り方と位相を異ならせてきたというのでは、下級に対し革命的な意識性を喚起できず、ましてや政治の主体化をおしつけることなどできようもないことはひとつの必然というほかないであろう。
 だからこそ武骨ではあっても、熱き心意気に燃えた若々しいカードルなど全く輩出できず、三十歳どころか、二十代の老人の集団と化してしまったのである。

 これはそもそも組織生活を骨格とし、党生活そのものに自らのスタンスをおいた革命家としての実存の形成という命題を、BCD指導部がネグレクトしてきた結果だ。
 もちろんBCDのそれより下部の活動家は戦闘的、献身的、自己犠牲的に闘い、本部社防の任務や現行隊活動を担い続け、わが同盟の闘いを下支えし、学生共産主義者の任務をまっとうせんと頑張り抜いてきた。
 だがそうであったとしても、やはりBCDの低迷の根拠は、とくにその指導部における党の政治の主体化の低劣さにあり、又そうであるからこそ下部活動家の革命的な意識性の喚起に失敗してきたのだということは、否めない事実と言う以外ないであろう。

 第三には組織活動の持続的発展のためには組織活動や組織生活の遂行それ自体において、絶えざる緊張関係が維持・持続されることが前提をなし、これを喪失したなれ合い主義におち入った場合には、組織はその発展をとどめてしまうという問題である。
 とどこおりなく遂行されているようで、結果的には地区党、部局活動などが低迷する場合には、組織生活の中に革命党としての緊張関係を持ち込むことができず、日常生活に理没している場合が多いということだ。

 例えば政治討論などにおいては、言いたいことがあったとしてもそれを言わず、又革命党における目的意識性の貫徹、プロレタリア日本革命を実現する手段として、お互いがアジト生活を貫徹しているのだということをすっかり忘却してしまって、今晩のおかずは何にしようかだとか、今度の休みのときには何処に遊びにいこう等ということばかりが主要な問題意識になってしまう場合がそれだ。

 そもそも恋愛関係に根ざすのでもなければ、友人として一緒に暮らしているのでもない同性・異性が、共にアジト生活を送る根拠はどこにあるのか。それはまさにわれわれが一日24時間のすべてを革命運動の勝利の条件をつくり出すために費やすことができるためであり、家庭生活に理没する小ブルジョア性を排し、政治警察との攻防に打ち克ち、そのために必要な技術に習熟し、革命的共産主義者としての能力性を高めあげていくためなのである。

 ところがかかる目的意識性を喪失したところで、その生活の在り方に慣れてしまうと、いつの間にか起居を共にしているというその一点だけに意識が規定されるようになり、政治討論の在り方においても緊張関係を喪失し結局サークル主義に理没していってしまうのである。はなはだしき場合には、主体そのものがストレスを生じるような関係性には関与しないことが主体性だ等と、全くネジ曲がった把握におち入り、結局相互批判の道を閉ざし、ますますサークル的主体におち込んでいくのである。
 こうした陥穽への落ち込みは、絶対に克服しなければならない。

 又、以上述べたような陥穽のいずれも当てはまらないのに、全く組織が伸びないというのであれば、それは組織活動の絶対量そのものが全く足りないということだ。オルグの絶対量、街頭情宣にたつ時間の絶対量、つまり組織活動における時間の絶対量を問題とし、その是正をはかることのなかから、組織の伸展を克ちとっていくベきなのである。

 以上をまとめるならば、第一に発展性を内包した革命組織の内部討論を保障しつづけるためには、そこでの政治討論の在り方において、常に革命運動の担い手の意識性の形成、革命性の喚起と政治の主体化がおしはかられていかねばならず、それは抗戦意志をつちかい、党への帰属性を強める内容性において保障されるべきだということ。第二には組織活動の円滑な推進のためにはしかるべき行政が存在しなければならず、それは労働者活動家が闘える条件をつくるということを内容とし、日常生活に理没せず、組織活動や組織生活における緊張関係を保つ行政でなければならないということ。第三にはそのためには指導部はしかるべき生活的実存と、技量を常につちかい続けることが問われるのであり、アマチュアリズムを排し、専門家として機能できるような内実を形成するために努力することが核心をなすのである。要するに常に高次の目的意識性から現在を逆規定することによって、その任務を遂行しなければならないということだ。

 いずれにしても地区党活動、組織建設が低迷する場合に想起されるべきことは、戦旗・共産同を構成する同一の内容にもとづく他の組織体は発展をとげているのに、何故自分達の組織は伸展していかないのかを問うことであり、結局それは党が提起している諸内容を自分達が充分に主体化していないということや、技術的緻密化を克ちとっていくことができず、古いそれこそ牧歌的な時代の経験にだけ依拠して、お茶をにごしている場合が、その大半をしめるのである。

 今やそうしたサークル性に安住したまま、ごまかしだけで革命運動を推道できる時代は本当に去ったのであり、しかるべき内実をつちかってきたからわが同盟は発展を遂げてきたのだということに本気になって向きあい、すべての内実を徹底的に主体化することを訴えたい。

⇒ 専門化とマニュアルの推進に対する考え方

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