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懐古的資料

小説】あめの国のものがたり 第一章「あめの国旅行体験記」/武峪真樹

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ジャンル:SF・ファンタジー・異世界・ジュブナイル(児童文学)
対象年齢:小学校高学年くらいから全年齢
作  者:武峪真樹 @ ジグザグ会
初  出:赤色土竜新聞第8号 2003.12.22

第一章 あめの国旅行体験記

プロローグ

 人知れぬ密林の奥、険しい山の中腹に、一年中雨が降る森があった。平原(へいげん)に住む民びとはその森を「あめの森」と呼び、敬(うやま)いおそれて近づかなかった。

 雨の森に降りそそぐあめは森林の木々をうるおし、こずえの虫たちを養(やしな)い、動物を守り育てた。また雨は地面にしみこみ、地下の深い地層に広がった。それはふもとの平原に涌(わ)きいだし、川の流れとなって草木をうるおし、魚獣を養い、平原の民びとのくらしをはぐぐんだ。あめの森からもたらされた恵みによって人々の生活はいとなまれた。そうして雨の森は伝説となって人々のこころに残った。

 やがて何千年の時が過ぎ、海の向こうの「獅子(しし)の国」から人びとがやってきた。獅子の国のひとびとはそこに住み着き、平原を農地に変えていった。また彼らは町を建設し、この土地に新しい文明をもたらした。そしてひとびとはこの土地を平原の民びとの伝説にならって「あめの国」と名付けた。

第一章1『ふしぎな旅行会社』

 今日はなんだかへんてこな日だった。ぼくは学校からの帰り道、いつものようにパン屋の横の細(ほそ)い路地にはいった。それは空き地に通じていて、そこをとおると家までの近道なのだ。空き地には古ぼけたレンガ造りの小屋が建っていて、以前はパン屋の倉庫に使われていたそうだが、いまは空き家になっている。
 ところが、今日はその小屋に明かりが灯(とも)っていたのだ。そして入り口には大きな看板がかかげてあった。看板には「りゅねーる旅行社」と書いてあった。

「へー。こんな裏通りに旅行会社なんてめずらしいな…」そう思って小屋の前を通り過ぎようとしたら、中から声をかけられた。「ちょっと、ぼうや。こちらへおいでなさいな。」
 なんだよ、ぼうやなんて呼ぶなよ、と思いながら、「ぼくですか?」と条件反射的に返事をしてしまった。
「そう、あなたよ。ちょっとこちらへ来て。」めんどくさいなあと思う反面、新しくオープンしたヘンな店に興味もわいたので、店の中へはいっていった。

 正面のカウンターの向こうで小柄(こがら)な老婆(ろうば)がいすにかけていた。
「ようこそ、りゅねーる旅行社へ。あなた、旅行に興味ない? とってもすばらしい旅行のクーポン券があるのよ。」その婆さん、どこか人間ばなれした顔をしていた。服装もなんだか変わっていた。
「ほかの旅行社じゃ絶対行けない特別なトラベルサービスよ。ぼうや。あなた、外国に行ったことある?」
「いえ、ありません。パスポートだって、まだ持ってないし…」
「パスポートなんか無くてもだいじょうぶよ。あなた、今日が何の日か知ってる?」
「え? 今日は祝日でもないし…?」
「おーほっほっほ!街角のあちこちにカボチャがかざってあるのを見たでしょ?」
「ああ、アメリカから来たおまつりだね。友達の中にもヘンな格好して近所にお菓子もらいに行くヤツいるよ。」
「そうよ。でも、あの祭りはねえ、本当はアメリカが建国されるよりももっともっとずーっと古い時代、『向こうの世界』からやって来た人たちを歓迎して始めたお祭りなのよ。」
「へー。『向こうの世界』? それって、ぼくに、『向こうの世界』への旅行を誘っているわけ? まさかね。」
「ほっほっほ!クーポン券をあげるわ。当店のお客様第一号のあなたには、開店特別サービスとしてタダにしとくわ。元気でいってらっしゃい。」
「え? でも冬休みはまだ先だし、渡航手続きとか、やり方わからないし、だいたい、どこ行きの切符なの?」
「それは日帰り旅行よ。出発は今日限り。一年に一度しか通用しないの。そのチケットさえあれば何も心配ないわよ。じゃ楽しい旅をね。」

第一章2『ルーン文字とケルト文字』

 家に帰ってから、ぼくはさっきもらったチケットを取り出して詳しく見てみた。これ、本物なのかな? なんだか得体の知れない変な文字がびっしり書いてある。英語じゃないし、アルファベットでもない。象形文字みたいだ。それから大きな渦巻き模様に小さな線がいっぱい書いてあるのは何だろう? すこしだけ日本語が書いてあるな。「りゅねーる旅行社。発行人:ピエロ・リュネール。旅行区域:あめの国、ひつじの国、獅子の国、砂の国、その他どこにでも行けます。ただし北ムクゲの国だけは行けません。」

 ぼくは考え込んでしまった。どこだか知らないけど「外国旅行」らしい。しかも日帰りの。…ありえない! そんなのあり得ないよ! 一番近い外国にだって、飛行機で2時間くらいはかかるはずだろ? それに、いまからどんなに急いでも空港まで2時間や3時間はかかる。そのうえ搭乗手続きとかなんとか、いろいろあって、日帰りで行って帰ってくるなんてできっこない。だいたい、今何時だと思ってるんだよ。 ぼくは時計を見た。あと30分くらいで7時になる。日帰りならあと5時間しかない。たった5時間じゃ、となり町に買い物にいくのが精一杯じゃないか! それにパスポートも無いのに外国に行けるわけないよ。あの婆さんにからかわれたのかな?

 お父さんが帰っていたので、聞いてみることにした。
「お父さん。『ぴえろ・りゅねーる』って人知ってる?」
「そりゃ人の名前じゃないよ。音楽の題名だ。『月に憑かれたピエロ』。ほう! すすむ。お前もそういうものに興味を持つようになったのか。」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね」ぼくはチケットをお父さんに見せて、わけを話した。
 お父さんはしばらく眺めてから考え込んで、そして、こう言った「うーん。変わった文字が使われているなあ。それ、たぶんルーン文字というやつだぞ。古代ゲルマン人の文字だ。ケルト文字らしいものも書かれている。うん。これはおもしろいな。お父さんには読めないが、アルファベットに翻訳できるはずだ。あした図書館で調べてみろ。なにか分かるかもしれんよ。しかし、いたずらにしても、ずいぶん手の込んだいたずらだなあ。」

ケルト文字

 ぼくは自分の部屋に引き返して、寝ころがったままチケットを眺めまわしていた。もうすぐ夕食の時間だ。おかあさんは時間に正確で、いつも7時きっかりになると大声で食事のしたくができたことを知らせるんだ。ぼくはチケットを眺めているうちに、下の方につぎのように書かれているのを発見した。「このチケットをひたいに当てたまま、ウシトラの方角に向かって、行きたい国や場所の名前を念じてください。」

第一章3『冒険へのたびだち』

 「ウシトラの方角」ってどっちだろう? 東とか西じゃなくウシトラの方角? まてよ、ウシとトラは両方とも十二支の動物だな。十二支って、年の事だけじゃなく、時間や方位にも使われるって聞いたことがある。これが方位に関係あるなら、実際の方角だってことじゃないか。それなら……よしっ!
 ちょっと考えてから、ぼくはとてもいいことを思いついた。そして立ちあがった。額にチケットをあててまわってみようと思ったのだ。そうすればウシトラの方角にだって向くことがあるにちがいない。
 ぼくはまず部屋から出て庭におりた。そしてそこで目をつぶってゆっくりぐるぐるとまわりながらチケットの最初の国のなまえをつぶやいてみた。「あめの国・あめの国・あめの国・あめの国・あめの……」その時、ふいにお母さんの声が聞こえた。「ご飯よー」。その声はだんだん遠く、小さくなっていった。……

 あたりが静かになった。やがてかすかに人の声が聞こえてきた。それはひとりじゃなく、あちこちからたくさん聞こえる。ぼくは回るのを止めた。そっと目を開けると、ぼくは濃い霧の中に立っていた。霧は濃かったけれど夜ではないようだ。うっすらとした人影がまわりにたくさん見えている。ぼそぼそと何か話しているようだ。

「お客さん、どうしました? 何かお困りの事でも?」帽子と制服を着た船員風の人がそこに立っていた。
「あのー、ここはどこですか?」
「え?お客さんがお乗りになられた船の上ですよ。迷子になったのですか? 目的地はどちらですか?」
 ぼくはチケットをその船員に見せた。「ああ、やはり『あちらの世界』からの旅行者のかたでしたね。驚かれたでしょう。あなたは『あちらの世界』からこちらの世界の『あめの国』行きの船上にワープしたんですよ。もうすぐあめの国に到着しますから、どうぞよい旅行をなさってください。」

 どうやら、ぼくはほんとうに「向こうの世界」に来てしまったらしい。そしてこちらでは、ぼくらの世界のことを「あちらの世界」と呼ぶらしい。チケットは本物だったんだ。でもどうしよう。これからどうしたらいいんだろう。どこへ行こうか。ぼくはここの世界のことを何も知らない。それに、何も考えないで来てしまったけど、どうやったら帰れるんだろう。たくさんの不安と心配で息が詰まりそうになった。

「あ、あのー、ぼく、この国にくるの初めてで、お金も何も持ってこなかったんですが、どうしたらいいんでしょう?」
「ああ、それは心配いりません。『あちらの世界』からのお客様はどこの国でも歓迎されますよ。公共施設や住居、食事、交通機関なども何も心配することはありません。ご心配なら市役所でお聞きになってください。」

第一章4『あめの国のひとびと』

あめの国マップ

 船員は行ってしまった。床が木の板ばりになっている事に気づいた。波の音がしていた。ここは船のデッキなのか。霧がだんだん晴れてきた。

「君。『あちらの世界』の人のようだね。よかったらうちへ来ないかね。歓迎するよ。」後ろから声をかけてきた人がいた。デッキチェアに座っている身なりのいい紳士風の人だった。その紳士は山羊みたいなあごヒゲが生えていた。

「あ、ありがとうございます。ぼく、ニッポンから来た、すすむといいます。ここの事なんにも知らないから困っていました。」
「そのようだねえ。私はフォーマルハウト。あめの国ケンタウロス市立大学の教授だ。文化獣類学と歴史を教えている。日中は大学の講義があるから、夕方になったら家へいらっしゃい。こちらの事をいろいろ教えてあげよう。それからうちに泊まっていくといい。その代わり私にも『あちらの世界』のことを教えてくれないか? 交換条件だ。いいだろ?」
 やぎヒゲの紳士は住所を書いた名刺をくれた。チケットと同じ渦巻き模様に細かい線が入った文字だったけど、読むことができた。名刺にはこう書いてあった…「ケンタウロス市みなみのうお地区6丁目66尾っぽ」。

 なぜだろう? なぜぼくは読めるんだろう? 港に到着すると、ぼくは何となく他のひとたちの後についていった。まず広い建物に案内されて、入国手続きの順番を待つ列に並んだ。その行列にはたくさんの人たちがあとからあとから加わってきた。ぼくの番になった時、係りの人にチケットを見せると、すんなりと通してくれた。こうして入国手続きが終わって外へ出た。そこに大きな看板があった。「あめの国の首都ケンタウロス市へようこそ!」看板の下にバスが待っていた。ぼくはそれに乗って市の中心街へ向かった。

 ここの世界の人たちは、どこか違っている。耳の大きな人、とびきり毛深い人、ネコみたいなヒゲのひと…。ファッションも変わっている。それで、ぼくが『あちらの世界』から来た人間であることはすぐ分かるらしい。だからバスに乗る時はチケットを見せなくてもよかった。これがほんとうの「顔パス」だな。

 街の中心地までの途中、郊外には大きな工場がたくさん建っているのが見えた。バスは自動車専用の道路を快適に走った。そして着いたところは高い建物がたくさんならんでいるビル街の真ん中だった。街の中にはたくさんのオフィスがあって、たくさんの人々が電車や車に乗って通勤しているのが見えた。バスの停留所や地下鉄の出口から、たくさんの人びとが吐き出され、その人びとは各々の職場に向かって足早に歩いていった。
 街にはいろいろな店があっていろいろな職業の人たちが働いていた。ぼくは高いビルにはいっていった。ここの人たちはぼくを見てどんな反応を見せるんだろう? 入り口を入ると受付があった。

第一章5『アルデバラン自動車工場』

 受付の人がにこやかに言った。「ようこそ『あちらの世界』のお客様。」「どうぞ自由にビル内を見学なさってください。」それでぼくは、エレベータに乗って上の階に行き、ビルの中をいろいろ見学してまわった。あるオフィスでは大勢の人たちがコンピューターの画面をみながら忙しくキーボードを打っていた。また別の会社の人がそのオフィスにやってきて、床や窓ガラスを掃除していた。
 ビルの下の階には、いろいろな商品を売る雑貨店や洋品店や床屋や美容院があった。そしてビルの地下にはそのビル全体の冷暖房設備や電気の設備があり、そこで働いている人も大勢いた。ビルの外に出ると、レストランや喫茶店がたくさんあって、オフィスから出て来る人たちが出たり入ったりして食事をし、休憩しながら談笑していた。

 ぼくは郊外の工場も見学してみたくなった。そこで再びバスに乗って運転手に工場のある場所を聞いてみた。運転手は地図を取り出して説明してくれた。
「郊外にいけば、たくさん工場がありますよ。えーと、アンタレス兵器製造会社、ペガスス航空機製造、ノートゥンク武器工場、アルデバラン自動車、アルゴル爆薬製造工場、ウォータールー軍事工業、ミラ戦車工業……」
「なんだか兵器の会社ばっかりたくさんあるなぁ」
「ええ、ここら辺には多いですね。でも機密保持のため関係者以外立ち入り禁止ですから、見学はできません。この自動車工場なんかどうですか? ここなら見学できますよ。」
「ああ、じゃあ、そこへお願いします。」

 バスの運転手はぼくをアルデバラン自動車工場前の停留所でおろしてくれた。入り口の守衛さんも、ぼくの顔を見て歓迎してくれた。中に入ると、広い工場内にたくさんの部品が並べてあって、その間に組み立て途中の自動車が置いてあった。工員たちが、その自動車のまわりにいて、忙しそうに自動車に部品を組み込んでいた。
 しばらく工場を見学していると、やがてベルが鳴った。昼休みのベルだ。工員たちはみんなばらばらになってどこかへ向かって歩いていく。食堂に行くのかな? お弁当持ってきてる人もいるのかな? ぼくの方を見てにこやかに手を振ったりあいさつする人もいる。そのうちにひとりの工員が近づいてきた。

「よお! あんた『あっちの世界』の人だね? どうだい、いっしょにメシでも食わないか? おごるよ。おーい、ヘーパイ。いっしょに食おうぜ!」
 ぼくは誘われるままに、階段を昇っていき、広い食堂にはいった。三人は窓ぎわの席にすわっていっしょに食事をした。窓からは、工場の向こうに兵器工場があり、その向こうに広い平原が拡がっているのがみえる。やがて工員が話しかけてきた。
「オレはターレスっていうもんだ。よろしく。こっちは相棒のヘーパイ。こいつのカミさんはベッピンなんだぜー。子どももかわいいんだよなあ。ま、そんなことはどうだっていいか。工場の事で聞きたいことがあったら何だって聞いてくれよ。」
 ターレスとヘーパイは仲のいい仕事仲間だ。家も近いのでお互い家族ぐるみで付き合っているそうだ。ターレスは親切だった。いろいろな事を教えてくれた。

第一章6『ターレスのはなし』

「ここの自動車はとても性能がよくて最高さ。国際レースでもしょっちゅう優勝してるんだぜ。だから世界中の人たちがほしがってる。それで外国にもたくさん輸出され、おかげでアルデバラン自動車はもうかってたんだよ。俺はここの社員である事を誇りに思ってるね。
 だけど、ライバル会社のリゲル自動車が大幅な値下げをし始めたんで、他の自動車会社も対抗するために次々と値段を下げるようになった。ワシの国のカブトムシ自動車やサクラ国のプレヤデス自動車もブックス自動車も値下げしたんだ。だからアルデバラン社でも車の値段を下げなくちゃならなくなった。安くないと売れないからさ。そうやってお互いにどんどん値段を安くしていった。こうなるともう、安売り競争さ。
 でも値段を下げてしまったら、車が売れてもあんまりもうからなくなるだろう? もうけが出ないんじゃ意味がないよな。だから会社は、値段を下げた分、自動車をもっと安く作れないかと考えたわけさ。
 ひとつは材料や部品の値段を下げることだな。アルデバラン社には下請けの部品製造会社がたくさんあってな、いろんな部品をアルデバラン社に納入しているんだが、アルデバラン社では、まずこの部品の価格をもっと下げるように、全部の部品会社に要求したんだよ。部品会社の中には値段を下げられたために会社の経営が成り立たなくなって倒産しちまったところもあるよ。そこの社員はみーんな失業さね。」

「その次に社長は、俺たちの働きにも目を付けたんだ。社長は俺たち工員に、今までよりもっとたくさん働くように命令したんだよ。俺たちはがんばったよー。会社のためになあ。それでいろいろくふうした結果、工員たちが平均して今までの2倍の働きができるようになったんだ。すごいだろ。そしたら社長はどうしたと思う?」
「そりゃあ、感謝したでしょう。ボーナスが出た?」
「ところがそうじゃない。その反対なんだよ。社長は、『そんなにたくさん働けるんならもっと少ない人数でも充分だ』といって、工員の半分を首にしちまったんだよ。」
「そんなー! ひどいじゃない、それ。だまし討ちだ!」
「社長の言い分じゃ、いままで半分しか働いてなかったんだろう、っていうわけさ。だけど、このご時世だからねー。首になったら次の仕事がそんなに簡単に見つかるわけがない。まだ失業中のやつ、いっぱいいるよ。前に一緒に働いてたやつが公園のベンチでしょんぼり座ってるのを見かけることもあるよ。なんだかやりきれない気持ちになるよ。」

第一章7『工場は外国へ移転された!』

 ターレスの話では、会社はもっともっと車の製造にかかる費用を下げようとしていた。そこで、工場を外国へ移したがっているようだった。外国のほうが工員の給料がもっと安くてすむからだ。そしてそれはもう、他の工場ではだいぶ前から実行されていた。アルデバラン社は国内に20カ所の工場をもっていたが、そのうち10カ所は外国に移されてしまった。最初はゾウの国に移された。

「え? じゃあ、移された10カ所の工場で働いていた工員たちはどうなったの?」
「もちろん、首になったさ。ゾウの国の工員なら、給料はあめの国の5分の1ですむからね。」
 ところがなぜか、ゾウの国の工場は数年したらみんなワニの国に移された。それからまた数年のうちに、今度は工場を砂の国に引っ越したのだ。
 なぜそんなことをするのかわからないけど、とにかく自動車工場をあめの国からゾウの国に引っ越した時には、ゾウの国の人たちはとても喜んだそうだ。ゾウの国は貧しくて仕事がない人がたくさんいたからだ。でも工場がワニの国に引っ越してしまったら、ゾウの国の工場がなくなったので、働いていた人たちはまた失業してしまった。
「ワニの国でも事情は同じだよ。つまりさ、俺たち工員はな、どこの国でも使い捨てなんだよ。この工場だっていつ移転するかわかんねーよ。だけど、そんときゃ会社と大げんかだな。」

「だけど初代社長は偉かったんだよ。」とヘーパイが言いだした。
「昔のはなしだが、車の値段を下げた時に、社員の給料を2倍に上げたんだってよ。そうしたら社員も自分の給料で車を買うことができるじゃないか。それで社員たちがみんな自分の会社の車を買うようになったんだ。それで街じゅうにアルデバランの車が走るようになってさ。そしたらそれを見た人たちが同じ車をぞくぞくと買いに来たのさ。それで会社ももうかった。
 どうだい。社員あっての会社だろ? そこへいくと今の経営者は駄目だね。連中に初代社長の耳のアカを煎じて飲ましてやりたいよ。」
 ここでは「耳のアカ」って言うのか。ぼくの国じゃ爪のアカって言うのに。

「ここの会社のトップの給料はすごく高いんだぜ。驚くなよ。社長と会長は俺たちの200倍の給料をもらってるし、50倍以上もらっている重役が10人もいるんだ。その下の役員だってみんな10倍や20倍はもらってる。」
「すごいなあ。そんなにたくさんもらってるんなら、上の人たちの給料を半分にすれば、工員たちをひとりも首にしなくてもよかったのに。」
「そうだろ? あんたもそう思うだろ。そうだよ。上のやつら儲けすぎなんだよ。今までたんまりもらってたんだからな。こんな時こそ自分の給料を差し出して下の者たちをかばってこそ、立派なリーダーっちゅうもんだよ!なあ、おい。」

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第一章8『国の指導者を選ぶやり方』

 話は国の政治のしくみの話題にうつった。
 あめの国は民主主義を尊(とおと)ぶくにだった。そのために国民が4年に一度、その国の指導者として大統領を選挙で選んだ。選挙にはこの国の国民なら誰でも立候補でき、当選すれば大統領になることができた。
 しかし、その選挙はとても不思議な選挙で、国民は直接自分で大統領を選ぶのではなく、まず「大統領を選ぶ人を選ぶ」という制度(しくみ)になっていた。投票する人は投票用紙に大統領になってほしい候補者の名前を書くのだが、その票が集計されて「大統領を選ぶ人」が選出されるのである。
 大統領選挙はいつも「ゾウの会」と「ロバの会」から選出された二人の候補によってたたかわれ、そのどちらかが大統領になった。ゾウの会もロバの会もとても大きな政党で、あめの国の人々の多くがどちらかを支持していた。

「へー。いつもふたりしか立候補しないの? ほかには候補はいないの?」
「さあ、ほかの候補ってのは見たことないなあ。テレビを見ても、いつもどっちかの候補が選挙演説してるし、街なかでの話題も『どっちが勝つか』だからね。まぁ、ここは自由の国だからね。他にもいろいろ候補者がいるのかもしれないけど、見たことないねえ。」
 それからターレスは得意げに胸を張ってみせた。
「俺はゾウの会の支持者なんだよ。ほら、このバッジ見てくれよ」胸には青いゾウのマークのバッジがつけられていた。ぼくもバッジをひとつもらって胸につけた。

 あとでわかった事だけど、選挙にはばく大なお金がかかるので、お金を持っている人か、お金を持っている人に援助(えんじょ)されている人でないと選挙うんどうができないんだそうだ。
 例えば、放送局にたくさんお金を払って放送時間を買い取らなければ、テレビで選挙演説もできないんだけど、ゾウの会もロバの会も、大きな会社の社長たちがお金を出し合って運営していたので、お金がたくさんあった。だから、ゾウの会とロバの会は、たくさん宣伝することができた。だけどそれ以外の政党はお金がなかったので、立候補はできても、ほとんど選挙運動ができないので目立たなかったのだ。

 ターレスはさらに奇妙な事を言った。
「こないだの選挙ではね。最後に一番得票したのはロバの会の候補だったんだよ。だけど、『選挙する人』を多く取ったゾウの会の候補の方が当選したんだ。それが今の大統領さ。」
「それって変じゃない? たくさん得票した人が落選するなんて、そんなの民主主義とはいえないよ!」
「いやあ、そんなこたぁないよ。ちゃんと決まりにしたがって投票して、その決まりにしたがって大統領が決められたんだから。」とヘーパイは言った。
 ふたりとも、この国の民主主義は素晴らしいと言う。でも、それじゃ、投票した多数の人の意志を無視してることになるじゃないかなあ。ぼくは考え込んでしまった。

第一章9『あめの国の歴史』

 やがて昼休みが終わり、彼らは仕事に戻ることになった。ぼくは他の場所を見学することにした。
「よお!こんどの日曜日にうちのガキどもをつれて『ネズミーランド』に行くんだけど、いっしょに行くかい?」
「う~ん、行ってみたいけど、それまでこの国にいるかどうかわからないよ。」
「よ~し!もし行く気になったら工場の方に連絡してくれよ。じゃな。帰る前にまた会おうな。」
「うん、どうもいろいろありがとう。」…
 だけど、これがターレスと最初で最後の出会いだなんて、この時だれがわかっただろうか? ぼくはまたバスに乗って街へもどった。

 ぼくは街の中をすこし歩いて大きな図書館を見つけ、そこに入った。これからこの世界を探検するためにも、すこし勉強しておかないとだめだな、と思ったからだ。まず、あめの国の歴史を読んだ。それから、いろいろな新聞もあったので読んでみた。それで、だいたい次のようなことが分かってきた……

「あめの国は自由と民主主義を尊ぶ国である。それはこの国の憲法(けんぽう)にも書かれている。むかしこの国は獅子の国の植民地として支配され、『獅子の国』に税金を納めていたが、政治に参加する事はゆるされていなかった。
 そこで、あめの国の人びとは独立国となることを決心し、獅子の国と戦った。あめの国のあちこちで激しい戦闘が続いたが、英雄ケンタウロスの指導する独立軍はついに敵将デネボラの軍を破り、独立することができた。」

「独立した時に『誰からも自由を束縛されない』こと『自分の国のことは自分で決める』ことを宣言した。そうしてあめの国の人々は思い思いの仕事につき、いっしょうけんめい働いてこの国を建設した。
 あめの国の決心に共感し、いっしょに獅子の国と戦った国があった。それは『ゆりの国』の人びとであった。ゆりの国の人びとはあめの国が独立したのをお祝いして、とても大きな自由の記念像をプレゼントした。」

第一章10『儲ける自由と生きる自由』

「やがて、あめの国はとても豊かな国になり、大きな財産を持つお金持ちがたくさん増えた。お金があれば、もっと大きな自由を買うことができると考えたあめの国のひとたちは、もっと自由になるために、たくさんお金を儲けることにした。そこで、ワニの国やゾウの国に行って、お金を使っていろいろな工場を建て、また農地を買い入れた。そしてその国の人たちをやとって働かせたので、工場や農場はとてももうかった。……」

 ははあ、なるほど。さっきターレスたちが自動車工場をゾウの国に移したと言ってたのはこのことだな。移ったのは自動車工場だけじゃなかったんだな。

「工場はとても儲かったので、その持ち主であるあめの国の社長が受け取る利益はとてもおおきかったが、工場で働く人たちはいっしょうけんめい働いても、給料は少なかったので、生活が苦しかった。そこで工場の工員たちは集まって相談し、『会社がもうかっているんだから、自分たちの給料もあめの国の工員たちと同じ金額にしてくれ』と会社に要求した。社長は工員たちの給料を少しだけ上げたが、その後間もなく、工場を他のもっと給料が安くてもいい国に移してしまった。」

 なるほど! あめの国の会社が工場をゾウの国やワニの国から他の国へ移動したわけがわかった。
 だけど、まてよ。今の世の中、自分のしたいことを自由にするためには、お金が必要だ。だから、貧しいってことは、自由がしばられていることになる。これって、あめの国の会社の「儲ける自由」が他の国の人の「生きる自由」をしばっていることになるんじゃないのかな?
 お金を儲けるのは自由だと思うけど、「誰からも自由を束縛されない」と宣言したあめの国が、他の国の人の自由を縛ってもいいんだろうか? それとも貧しい人は自分のせいで貧しいんだから、不自由なのは仕方がないんだろうか。だから儲けている人に文句を言ったり要求したりするのはまちがっているんだろうか? 「自由」って何だろう。僕たちはどんな「自由」を尊ぶべきなんだろう。

第一章11『ウシトラの謎』

 考え事をしているうちにあたまがいっぱいになってしまった。それにずいぶん時間がたってしまった。そろそろフォーマルハウト教授のところに行ってみよう。ぼくは図書館を出るとタクシーをつかまえて教授からもらった名刺を見せ、みなみのうお地区の教授の家までつれていってもらった。教授は僕を待っていてくれた。

「やあ、いらっしゃい。よく来たね。家族を紹介するよ。」教授は奥さんとふたりの子どもたちを紹介してくれた。といっても、二人とも僕よりも年上だった。
 食事は質素だけどおいしかった。そのあとお茶を飲みながらよもやま話に花がさいた。ぼくの世界のはなし、有名な建物や景色のこと、おいしい食べ物のはなし、好きな漫画やテレビのはなし…。

「おや! 君は『ゾウの会』の支持者だったのかい?」と教授がぼくの胸のバッジを見てたずねてきた。
「いえ。これ、もらったんですよ。昼間、アルデバラン自動車工場に見学に行って、そこで仲良くなったひとから。そのひと、ゾウの会の支持者だったんです。」
 教授はその時、ちょっと困ったような顔をした。「…そうか。アルデバラン工場に友だちができたのか。」
「え? 工場になにかあるんですか?」
「いや、何でもないよ。それは良かったね。この世界でたくさん友だちをつくるといいいよ。いろいろな人とあっていろいろな話や意見を聞くのは、きっと君のためになる。」

 それから僕は教授の書斎に通された。そこでぼくは、さっきから気になっていたことを尋ねてみた。「教授。ウシトラの方角ってどっちなんですか?」
「それは北東のことだよ。君は『風水』って知ってるかい?」
「ああ、聞いたことがあります。」
「うん。それは竜の国の古い学問『陰陽道』(おんみょうどう)から来ている。陰陽道とは時間と方位の謎を解明し支配することによって、人間の運命を支配しようとするものだよ。そしてそれは実際に古代の都市計画にも応用されている。」教授は説明を続けた。

「まず東西南北それぞれには神が宿っている。それを四神というんだ。北に玄武(げんぶ)、これは山を意味する。南は朱雀(すざく)、これは平野だ。東は青竜(せいりゅう)、水のことだな。そして西に白虎(びゃっこ)、これは道を意味する。こういう地理的条件のあるところにみやこを建設すれば、そのみやこは繁栄するといわれる。家をつくる時もこれは応用できる。またそれぞれの方角には色が決まっている。玄武は黒、朱雀は赤、青竜は青、白虎は白、そして中心にいる自分は黄色だ。」

「あのー、ウシトラというのは十二支に関係あるんですか?」
「そのとおり。よくわかったね。では次に、十二支の謎を解いていこう。
 十二支は年だけじゃないんだ。一日ごとに干支(えと)は決まっているし、時間や方位にも当てはめることができるんだ。そこで方位にあてはめてみると、ネズミを北にして右回りに12等分した方角を決めることができる。そうすると東はウサギ、南がウマ、西がトリになるね。だけど、普通、方角は八方位とか十六方位で表わすだろう? そこで、北東はウシとトラのあいだだからウシトラと呼ぶんだ。」
「それじゃあ、南東は、えーと、ネ・ウシ・トラ・ウ……タツミ?」
「そう。分かってきたね。同じように南西をヒツジサル、北西をイヌイと呼ぶわけだ。どうだい。面白いだろう?」

第一章12『こちらの世界とあちらの世界』

 そうすると、こちらの世界はぼくたちの世界から見てウシトラ、つまり北東の方向にあるっていうことなのかな?
 教授の説明はさらに続いた。「陰陽道では北東というのは特別な意味がある方向なんだ。それは『魔界』とつながっていて、疫病だとか災害だとか、悪いものはみんな北東からやってくる、と昔は信じられていた。だから都市を造るときには、北東方向にお寺だとか、なにか神聖なものを置いて、これを魔よけにするんだよ。家の中でも北東の方角に魔よけのおふだを貼ったりするね。」

「じゃあ、ここの世界は『魔界』なんですか?」
「はははは。君たちの世界から見たら、私たちの世界はそう見えるんだろうね。だけど、そうじゃないよ。君たちの世界の人たちはこちらの世界を恐れたんだろうけど、それは私たちの世界のことをよく知らないからだよ。知らないものは怖いだろう? それにこちらの世界が君たちの世界の北東にあるというのは迷信だよ。ここは、西洋では主に地下にあると思われているし、東洋では北東の方角にあると思われている。 でも本当はどこにあるのか説明はできないんだよ。」
 教授は、知らないからこわがるんだと言う。それは僕たちの世界の中でもあるなあ。怖そうに見えた外国人が、話をしてみたら案外いい人だったりする。

 フォーマルハウト教授はいろんな事をよく知っていた。そして僕たちの世界の古い宗教書や研究書の中にここの世界のことが記録されていて、お祭りになったりしていると教えてくれた。
「君たちの世界と私たちの世界とはとてもよく似ていて、背中合わせに存在しているんだよ。だから、それぞれよく似た国がたくさんある。まったくそっくりというわけではないけどね。例えばこちらの世界には東洋にサクラ国とハマナス国とに分かれている小さな島国があるが、 たぶんそれが君の国と同じ国にあたるんだろうね。」
 そういえば日本でも、明治維新のころ「北海道独立共和国」をめざした人たちがいたらしい。こちらの世界ではそれが実現しているのか。

「サクラ国ではわれわれの世界と君たちの世界が出会うのは8月の『お盆』という日になっている。その時には『地獄の釜のふたが開く』と言われ、ふたつの世界はその日に出会うんだよ。
 また、あめの国では毎年10月の最後の日がその日だといわれてきたが、その言い伝えは元々、獅子の国やシャムロック国から来たもので、そこでは夏至の日の夜つまり『真夏の夜』に『魔物がやってくる』といわれているんだ。だけど、最近じゃどこでもあめの国のやりかたが流行(はや)ってきているみたいだね。」

「それから、君たちの世界ではわれわれの事をいろいろな呼び方で呼んでいるようだね。ある国では妖精と呼んでいるし、また別の国ではパックと呼ぶ。悪魔とも呼ばれるし、鬼、神、魔物、精霊、いろんな呼ばれ方をしている。それから、両方の世界が出会う時には不思議な事がおきるんだ。だから君は、この世界にいるあいだはこの世界の文字も読めるし、ことばも話せる。そのことに気がついていたかい?」
 ぼくは、はっ!とした。そうか。ぼくはあめの国のことばでしゃべっていたんだ。

第一章13『国でいちばん偉い人はだれ?』

「ねえ、君の国でいちばん偉い人はだれ?」教授がふいに聞いてきた。
「偉いひと? う~ん。それは人間として立派な人っていう意味? それとも国の指導者のこと?」
「あっ、そうか。質問のしかたが悪かったね。国を治めてる人たちの中でいちばん高い地位にある人のことさ。やっぱり大統領なの?」
「ううん、そうじゃない。ぼくの国のいちばん偉い人っていうと……。総理大臣かな? 国の行政機関として内閣というものがあって、その内閣にはいろんな省庁があって、その省庁のいちばん偉いひとは『何々大臣』っていうんです。例えば国土交通省には国土交通大臣、文部科学省には文部科学大臣。そして、それぞれの大臣の上に総理大臣がいて内閣全体を監督している。だから総理大臣がいちばん偉い。」ぼくは学校で習ったばかりの日本の政治の仕組みを説明した。

「おや、それは変だよ。」と教授がくちをはさんだ。「『大臣』という言葉はね。『臣下』つまり家来(けらい)の中でいちばん上のひとっていう意味なんだよ。だから総理大臣もだれかの家来でなければおかしいな。」
「え? 総理大臣よりも上には誰もいませんよ。」
「いや、大臣というのは、もともと王とか皇帝とか、古い時代の支配者の家来として政治を任されるひとの呼び名だったんだ。君の国には『君主(くんしゅ)』と呼ばれるひとはいないのかい?」
「ああ、それなら天皇がいるけど、いまは天皇には何の力もありません。昔はすごく偉い人で、神様と思われていたんだけど、今は憲法第一条に『国の象徴(しょうちょう)』で『国民の統合の象徴』であるという風に書いてあるんです。」

「ふう~ん。今は飾りみたいなものか。それじゃあ、昔の名残りだね。しかし、それにしても奇妙だな。実際の政治のしくみはともかく、言葉のうえでは大臣は『天皇の下で天皇に政治を任されている』ことになるわけだ。それに憲法の第一条というのは、まず自分の国の基本姿勢を規定するものだろう? それが天皇について書いてあるということは、やっぱり、君の国の主人は天皇なんだよ。」
「へえ~、そうなるんですか?」
「そうなるとも。じゃあ、もうひとつ手がかりになる事を聞いてみようか。君の国にも『勲章』というものがあるだろう? 国のために働いた人に授与されるものだ。その勲章は『だれが』さずけるのかね? 授ける人が国家の元首だよ。」
「ああ、それは天皇が授与します。」
「そうか。それじゃあ、君の国の国家元首は天皇だよ。まちがいない。天皇が君の国のいちばん偉い人だ。」

第一章14『あめの国の選挙のやりかた』

 ぼくはもう一つ、気になっていたことがあったので教授に聞いてみた。
「ねえ教授。さっき自動車工場できいたんだけど、大統領に当選したのは一番の人じゃなくて二番の人だったってほんとう?」
「そうだよ。君はそれをどう思うね?」
「どう思うって…やっぱりおかしいと思います。」

「そうだね。おかしいかも知れないね。これは選挙の制度に関係があるんだ。いいかい。忘れてはいけない。どんな素晴らしい制度もそれを運用するのはにんげんだという事を。にんげんにはいろいろな欠陥がある。だからどんなに良い制度でも悪用すれば公正ではなくなる。だけど、そうだとしても、悪い制度は悪い制度だ。それを良い制度に変えていくのもまた人間の責任だ。
 もしも制度がもっと別のものだったら、ロバの会の候補が大統領になっていたはずだろう? 制度が変われば当選者が変わるんだとしたら、両方の制度のうちどっちかが『より良い』か『より悪い』かだとは思わないかね?」

 教授はとても明快な聞き方をしてくるけど、ぼくにはよく分からなかった。「もっと具体的に説明してくれないと分かりません。」
「よろしい。」といって教授は白い紙を広げた。それから本棚からうすいパンフレットを探し出してきた。そして、それを開いて見ながら紙に鉛筆で図を描きはじめた。

「前回の選挙がどうなったのかを説明してあげよう。あめの国は10の州から成っている。スコルパ州、ラケルタ州、ムスカー州、ピクシス州、カンケル州、グロッタ州、オーリガ州、ドラード州。レグルス州、ヒドルス州だ。有権者は各州に千人ずつ、ぴったり1万人いる。大統領選挙の時には、まずそれぞれの州ごとに10人ずつの『選挙人』が選挙で選ばれるんだ。つまり、大統領を選ぶ人を選ぶわけだ。そして、選挙で選ばれた10州合計100人の『選挙人』が大統領を選ぶんだ。
 さて、前回の選挙には5つの政党が候補者を立てた。立候補者はミラ(ゾウの会)、リゲル(ロバの会)、ハンマー(モグラ党)、アナルコ(ドラネコ団)、セルパン(シロヘビ団)の5人だ。各州での選挙の結果、一番得票した政党が、その州の選挙人10人全部を指名することになっている。そして投票の結果はこうなった。」そう言って、教授はそれぞれの州ごとの各政党の得票数を図に書き込んでいった。
「この結果、10の州のうち6つの州の選挙人60人をゾウの会が指名し、残り4つの州の選挙人40人をロバの会が指名することになった。ほかの政党はただの1州もとれなかった。そして選挙人による選挙の結果、60対40でゾウの会のミラ候補が当選したんだ。だけど、各党の得票数を計算してごらん。実はロバの会が一番多いだろう?これがこの国の選挙のやり方なんだ。」

あめの国大統領選挙の投票結果集計。ぞうの会は6つの州で最高得票になったので合計60人の選挙人を選ぶことができた。ろばの会は4つの州で最高得票になったので合計40人の選挙人を選ぶことができた。しかし、合計得票数でくらべると、ぞうの会は2981票で、ろばの会の3549票よりも少ない。

 教授の話では、国会議員の選挙もほとんど同じ方法でおこなわれたので、100の議席のうち60をゾウの会が、そして40をロバの会がとり、他の政党からは誰も当選しなかった。
 だけど、どの州も、1000票で10人の議員を選ぶわけだから、どの政党も100票につき1議席の計算になる。もしも得票数の割合で議席を配分すれば、ロバの会が35、ゾウの会が30、モグラ党が12、ドラネコ団が13、シロヘビ団が10の議席をとることができたことになる。

 投票の数は同じでも、選挙のシステムが違うと当選者の数はちがってくるんだな。どういうシステムがいちばん正しいんだろうか。それとも正しいやり方がひとつだけあるんじゃなく、それぞれの国が自分たちで決めればいい事なのかな? でも、ドラネコ団やモグラ党やシロヘビ団が1議席ももらえないなんて、どう考えても不公平だな。ぼくはこの選挙のやり方はやっぱり変だと思った。

第一章15『夢のなかで』

 ほかにも聞きたいことはいっぱいあったけど、ぼくは眠くなってしまった。それで教授に階上の寝室へ案内してもらい、ベッドに横たわると、ぼくはすぐに深い眠りにおちていった。…夢の中に、たくさんのものが次々と出てきた。

 パン屋の裏で会った不思議な老婆。旅行券。旅行社の壁には不思議な旅行案内ポスターが貼ってあった。「月世界旅行」「海底二万里」「時間旅行」…。霧の中の船の甲板。港に着いた時に見た、「自由の女神」に似た変な像。太っていて顔が動物のようだった。高層ビルから眺めたケンタウロス市の景色。自動車工場。かわった形の自動車。ターレスとヘーパイ。ウシトラの方角のはなし。選挙のはなし。ロバがいなないている。ゾウが踊っている。白いトラや青い竜がぼくの周りをぐるぐる回りながら笑ったり吠えたりした。…笑い顔はピエロの顔にかわった。君はだれ?「ピエロ・リュネール」と顔は答えた……

 なんだか遠くで騒がしい音が聞こえる。車がたくさん通る音、がやがやとした人の声、マイクで何か叫ぶ声。テレビで何か言ってる。それからサイレンのような音も聞こえる。なにかあったのだろうか……

 翌朝、目がさめた。いま何時だろう。うで時計を見た。朝の6時。ゆうべの音はまだ聞こえていた。ざわざわとした人の声、テレビでは何か言ってる。サイレンの音は聞こえないけど、車がたくさん通っている音がする。ぼくはねむい目をこすりながら階下に降りていった。ダイニングルームにみんながいる。みんなテレビを観ていた。やっぱり何かあったらしい。

「あら、おはよう。」
「おはよう。よく眠れたかい?」みんなに声をかけられた。
「おはようございます。なんだか騒がしかったけど、何かあったの?」ぼくは聞いてみた。
「うん。アルデバラン自動車工場で爆発があったらしい。君はきのう見学してきたんだろう?」教授が言った。
「え! 爆発? 原因は何ですか。けが人は?」
「まだはっきりしたことはわからない。あとで行ってみよう。今あわててもしょうがないから、まず腹ごしらえをして、それからでかけよう。今日は授業が休みだからぼくもいっしょに行くよ。」

 食事のあいだ中、工場の爆発の話題でもちきりだった。新聞には、何者かが爆弾を仕掛けたものらしいと書いてあった。被害の様子からして「消滅爆弾」という特殊な爆弾が使われたらしい。この爆弾はアルデバラン社のそばのアルゴル爆薬製造工場でも造られている。食事の後、ぼくは教授といっしょに教授の車でアルデバラン自動車工場へ向かった。

次回につづく(2021年1月4日に掲載)

第一章 あめの国旅行体験記
第二章 ペルセウス秘密同盟
第三章 砂の国旅行体験記

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