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第二には十一・九レーガン来日阻止闘争の本蒲田公園での共闘的領導などによって共闘関係の豊富化かおしはかられ、これまでの「連帯する会」三派の枠を押し広げ、既存の政治関係のぬりかえに秋期総反撃の戦取をつうじ勝利した点につき対象化したい。
三月三里塚反対同盟の分裂と支援勢力の分岐、「三・一八」をめぐる事態の進展においては、わが同盟は連帯する会三派の糾弾の矢おもてにたたされ、第四インターなどは「連帯する会」運動系列からの戦旗排除を策することによって、われわれの六・一九代々木公園~明治公園での戦闘的デモンストレーションから七・五ゲリラ・パルチザン戦闘にまで抗議の声を「ヨコスカ市民グループ」の一部右派部分と一緒になって集中するといったことがまきおこったのであった。
それとの党派闘争に勝利することぬきには既存の政治関係での党派的位置性さえ保ちえない、そういった追い込まれた地点からの反撃として、わが同盟の秋期総反撃は開始されたのである。もちろん第四インターの無党派市民主義や反中核主義にわれわれが賛同の意を表しないからといって、それを排除しきる力量性を内部分裂を強める第四インターは既に有してはいなかった。
故にわが同盟は「連帯する会」から排除しきられる格好にはならず、かといってその仲間にも入れてもらえないといった、極めて中途半端な政治的関係性から秋期総反撃での共闘関係の領導は開始される以外なかったのである。
そこではまずもって、八・七パイプライン供用開始阻止闘争への最も主体的な取り組みと、その戦略的領導が、第四インターの市民主義右派ぶりを革命党として逆規定する関係を作り出す足がかりとなった。
その構造につき切開するならば、第四インター、プロ青、赫旗などの内実としての非ボリシェヴィズム=右翼サークル主義としかいえない潮流は、みずからが主体的な総力決起の構造をつくりえようとえまいと、全人民的な普遍性を認めざるをえない、ブルジョアマスコミなどに連続的に取りあつかわれる政治的課題に対しては、たてまえとしては必ずそれを闘いぬくことには賛成、実践性においては不確実という対処を一貫してとるのである。
三里塚空港反対闘争にとりパイプライン供用開始阻止の闘いは必然であることは認めるが、実際上それに向けて全革命勢力を動員できるかどうかは自然発生性に拝跪する以外にないというのが、普段の彼等の実情である。わが同盟はそこにおいて、文字通り人民の正義に立脚した課題を提出し、その共闘をもっての運動的展開の実現を呼びかけてきたわけであり、左翼サークル主義としての「連帯する会」三派もまた、この提起に対し大衆的課題としての取りくみには賛成する以外ないといった構造が、この秋期総反撃の過程で作りあげられたのである。
八・七パイプライン供用開始阻止をひきつぐ十一・九レーガン来日阻止の闘いはその結節点となった闘いであり、「連帯する会」三派みずからが全人民的政治課題に対し、全革命勢力的総決起を貫徹するまでには至らなくとも、相対的多数派としてのわが同盟の共闘関係領導上のヘゲモニーは一定承認するという関係性において闘争に参加した。これに革労協・労対グループとと青共同が加わり、本蒲田公園での集会とデモをもって打ち抜かれたのが十一・九闘争である。
ここへのわが同盟の動員は××××名程度のものにすぎなかったわけであるが、わが同盟は闘争を全体的に糾合し、主力党派として牽引しぬくことに基本的に勝利したのである。それは第四インターや革労協・労対グルプの組合主義左派、労働運動主義をもってしてはレーガン来日阻止といった全人民的政治課題に対し全党全軍、全人民的決起をなしえないことに対するいわばわが同盟の戦略的総路線上の勝利にもとづくヘゲモニー性であった。
何はともあれ、十一・九夜芝公園での発言の確保や、十一・九昼本蒲田公園での基本的方針提起に見られるように、三月三里塚攻防以降の「反戦旗包囲網」形成は打ち破られ、われわれが逆に共闘関係を領導する位置に立ったわけである。ゆえにここでの政治展開上の勝利性ははっきりと確認されねばならない。そこに生み出されたものは第四インターから戦旗への全人民的政治闘争の領導における戦略的ヘゲモニーの移行てあり、それはわが同盟の路線的勝利を意味するのである。
だが、だからといって。ここで成果の打ち固めを中断すれば統一戦線や共闘関係領導上の今後の展望は再びとざされる以外ないといった脆弱なヘゲモニーの上にわれわれがのっかているだけなのであることも事実である。何故かといえば、統一戦線や共闘関係の構築における原基的な考え方として、第四インターや革労協・労対グループは組合・自治会レベルでの共闘を軸とした大衆団体的共闘の考えを基調としているの対し、わが同盟が追求してきたものは六〇年代後半八派共闘に見られたような、日本帝国主義に対する反帝統一戦線=党派間統一戦線の構築を媒介にした日帝権力との政治闘争的対峙の共闘関係の創出だからである。
そこでは党派の戦略部隊を「労共闘」「社学同」として残しつづけ、革命党の下への革命勢力の結集の構造をもってプロレタリア日本革命を切り拓いていくべきだととらえるわが同盟の根本的発想(=戦旗・共産同運動の考え)と、それはセクト主義であり、自治会や労働組合の丸抱え構造のほうが大衆を組織しやすいのだとする労働組合主義(=組織戦術における第四インターパブロ派の加入戦術を原基とする考え)がぶつかり合うのであり、ボリシェヴィズムとトロツキー派メジライオンツィ(=メンシェヴィキの一分派)の論争と等しく、党派の基本方針における運動組織上の根本路線の差異にねざすものである。
結局その調整は技術的になされていく以外なく、より本質的な運動・組織上の観点からいえばこの労働組合主義潮流との統一戦線は不断に分解してしまう構造にもあることを見すえたうえで、なおかつ継続的な共同行動保持の努力をつみ重ねていくことがわれわれの課題である。
十一・六レーガン来日阻止闘争を六・一九構造に残りつづけ打ちぬき、十一・九羽田現地闘争を戦略的に領導した意義はこの矛盾性の調整において成立した共闘の成功であったが故に大変な成果なのであり、われわれは「連帯を求めて孤立をおそれぬ」精神にもとづき今後とも闘いぬいていくことを確認したい。
八三年秋期総反撃の完遂において対象化すべき第三の成果は、戦略的××××名動員の打ち固めに成功し、八二年における五・二三反戦反核闘争××××名を×××名も上回る××××名動員を貫徹しきったことである。
この勝利の意義は以下の内容においてまとめられる、それは八三年が丁度アダチ分派問題後十年の位置にあり、この十年間でいかなる革命党建設を実践してきたのかが例証されたものとしての、十年間をつうじての試練をのりこえての八三年秋期の爆発という、党建設の構造的蓄積にもとづく勝利性のか意義である。
七三年アダチ分派時の十・二一桧町公園においては、アダチグループ×××名われわれ×××名位の比率の勢力配置であった。
それから考えても実にわれわれは、この十年間に八倍余にまで党勢を拡大してきたのである。おさえられるべき。点はそこでの革命党としてのレーニン主義的構造での確立に関する諸点であり、協同主観形成におけるアダチグループなどとの内容的差異性の問題である。
すなわち第一に運動組織的な形態、革命党としての存在構造についていえば、八三年十・九三里塚闘争において彼等は実数××××名ほどの一日動員を成功させてもいるが、それはあくまでも中核派の東京実行委的な運動結集一般でしかないものであり、実体的な党勢としては依然としてせいぜい×××名位の勢力であることがまず把握されるべきである(十一・九レーガン来日阻止闘争が××××名、十二・一〇政治集会が×××名)。
彼らは革命組織としての「アダチグループ」ヘの結集の構造を未だ確立できず、三里塚闘争への一日的運動結集をもって「大成功」などと有頂天になっているだけの全くのサークル主義的存在でしか依然ないのである。
第二次ブントの例にそくして見ても、中大、明大、同志社などでの自治会掌握により、六八年十・二一での防衛庁突入に二〇〇〇名の部隊を動員したのであるが、そのうちわけ的には三大学での当日ストライキによる一般学生の参加が一五〇〇名もしめる、つまり革命党としての第二次ブントの実態的構成としては首都圈での地区党建設には全く成功せず、そこからは全部合わせてもせいぜい一五〇名くらいしか動員できないというのが実情であった。
当然上納体制などはつくれず、故に常任活動家を養えず、機関紙の発行から闘争資金、保釈金などの一切を自治会予算から流用するというのがルンプロ革命党としての第二次ブントの姿だったのである。
党費で生活をし、同時にその生涯の全精力を革命党と革命運動の勝利のために捧げる職業的革命家の党、『何をなすべきか』的な前衛党を建設には全く勝利できず、革命家の党への帰属性も、来るべき共産主義社会の萌芽をなす共同主観の形成にも至らず、巨大なサークルとして第二次ブントは自壊していく以外なかったのである。
アダチグループの構造はこれの縮小再生産版でしかないのである。われわれ戦旗・共産同はそうした惨状をレーニン主義の観点において止揚すべく闘いぬき、革命党への発展をめざし歩みつづけてきた。自力の印刷所建設をおこない、機関紙の自力発行体制をつくり、全国政治新聞としての『戦旗』の定期刊行、又それを担いぬく常任活動家多数の養成に尽力してきたのである。
党の組織的基礎については地区党建設に基軸をおき、広範な労働者活動家に支えられた労働者革命党を地区的にも確立することに革命党としての全精力を注ぎ込んできた。この実体的なレーニン主義党としての党建設の進展において、わが同盟とアダチグループとの間には十年間で構造的な差異が完全に作り出されたこと、それが例証されたものとして八三年秋期総反撃の大爆発をとらえかえさねばならない。
アダチグループなどにあってはニセ・センキもまともに出なければ、八二年末に「来年三月発行」などと宣伝したアダチ版『共産主義』もまだ発行できない。そればかりか公然事務所の住所さえ人民大衆に発表できない私書箱左翼の現状に依然あるのである。ルーズで杜撰なサークルとしての実体しか、結局彼等は作り出してこれなかったのである。
当然地区党体制下にあっても「労共闘」運動の構造的創設にも彼等は失敗しており、それは「軍事大国化に反対する全国実行委」とかアダチ版「東実」(=「二期阻止全国共闘」)のフラクション活動を担っているにすぎないのである。たまに発行されるものといえば各戦線の運動パンフレットみたいなものばかりというのでは、彼等がこの十年間第二次ブントを質的に止揚するレーニン主義党の創成に勝利をおさめ、かつまたその展望を有している等ということには全くならないのだ。ゆえに彼等は必要に応じゲリラ・パルチザン戦闘にふみきる党体制も、大衆的実力闘争を遂行する力も持たず、えらそうなことを言って自己満足をつづけているだけである。
まさしくまがりなりにも党としての機構を確立しえたわが同盟とサークルとしてのアダチグループの構造的格差性、それがこの十年間の過程で歴史的に作りあげられた客観的現実であることをふまえ、十一・六戦略的××××名動員の実体的基礎としてのレーニン主義党建設の勝利の意義を確認したい。
もちろんわが同盟にしたところで革共同両派に比せば、いまだに党建設上だいぶ遅れている面を多々有しているわけであるが、着実な歩みをもって追いつき、追い越して行くことは可能である。そのためにも戦略的××××名動員を支える地区党指導部の主体的成熟、それを領導する中央指導部の精神的・指導能力的確立を課題とし、八四年階級闘争に勇躍おどり込んで行きたい。
さらに第二に××××名動員の内容的意義として、党建設の機構的な確立における質的格差にとどまらず、革命党としての共同主観=政治的組織的意志結集でのアダチなどとの内容的異次元性についてふれたい。
ブント主流派として独自の政治的観点にもとづき闘いつづけるわが同盟と、左翼反対派としてのアダチグループのそれとの間には、今や「正」と「負」の問題把握のちがいがあること、アダチグルーブのそれは小ブル的「怨念」の体系でしかなく、決してレーニン主義などとは言えない代物であることが把捉されねばならない。
まさしくこの主体形成上の共同主観の内実は、革命党の政治のありかたを規定するものとして極めて重大な命題であるわけだが、彼等がわが同盟をこえる政治的観点を既につかみきり党を運営しているとは絶対いえないのである。政治技術上の諸点ではわれわれをこえている点も存在するかもしれないが、もっと基本命題において本質的内容性において彼等は誤っているのである。
つまりアダチグルーフにあっては、十年間の蓄積をもってしてもレーニン主義党としての意志結集のあり方、方向性において、プロレタリア日本革命において必要とされる能動性、主動性、闘う労働者としての主体的観点につき全く「負」の理解をしか構築することができていないのである。
そこでは彼等は要するに自分達以外のものを差別者、抑圧者ときめつけ、それを糾弾することを「主体形成」とかんちがいし、ブルジョア支配権力を打倒し、社会変革をきりひらいていくべき革命党の任務を社会革命主義的に歪めてしまった。又、極めて倫理主義的ないしはブルジョア道徳的な「規律」の押し付けをもって自己形成をはかるといったレベルに未だとどまりつづけ、道学者ぶることが革命的であるかのような錯覚におちこんでいるのである。
このことは本質的地平でのレーニン主義党建設とそこでの革命家としての主体形成の取り組みの困難さに対し、その困難さとの全面対決の道を彼らが放棄してしまい、ていのいい宗教的世界に逃げ込み、しかも己れについては主客の連関を欠いたブルジョア的被害者の位置に自己をおきつづけたがるという全く体裁ぶった共同主観に彼らがひたりきっていることを示している。
要するに彼等は小ブル主観主義者よろしく無定形で感情的な「怨念」みたいなものを自己のうちに創造し、それを自分達以外のものに投げつけては「差別者だ」「抑圧者だ」と決めつけ、自分達はそうでないもの、けがれていないから「主体的」なのだという図式で「血債派共産主義者」とかの一人よがりにひたっているだけなのである。だがそうした観点は、ブルジョア社会に対する宗教者の道学者的批判の位置にあるというにすぎず、プロレタリア革命を領導しぬく勝利する革命党の共同主観とはなりえないものである。
革命党とその構成員がつかみとるべき共同主観、主体形成の内容性とは「禁欲主義」的ポーズとか道学者ぶることにあるのではなく、社会変革を実践する革命家として必要な力能の形成、革命組織としての組織的発展性を保障する要素の獲得として対象化されるべきものである。
つまりそれは組織と革命運動への献身性と自己犠牲の精神、与えられた任務への責任感、人民大衆に対する政治的領導性、階級敵に対する不屈性と戦闘性、事態への論理的対象化能力と対応力、合理性をもった科学的思考、無私の精神などの総合されたものであり、『左翼小児病』においてレーニンが「革命党の規律は何によって保てるのか」としてかかげている諸要素に収斂されていくものである。
(=CF「なにりも問題なのは、プロレタリアートの革命党の規律はなにによって支えられ、なにによって点検され、なにによって補強されるかということである。第一に、プロレタリア前衛の自覚によってであり、革命に対する彼らの献身、彼らの忍耐、自己犠牲、英雄精神によってである。第二にもっとも広範な勤労大衆。なによりもまずプロレタリア的な勤労大衆と、しかし、また非プロレタリア的な勤労大衆とも結びつきを保ち、彼らと接近し、そう言いたければ、ある程度まで彼らと溶け合う能力によってである。第三に、この前衛の政治指導の正しさによってであり、この前衛の政治上の戦略と戦術の正しさによってである――ただし、それはもっとも広範な大衆が彼ら白身の経験によって、この正しさを納得するということを条件とする」
「これらの条件をつくりあげるのを容易にするものは、正しい革命理論である。そして革命理論のほうは教条ではなく、ほんとう仁大衆的な、ほんとうに革命的な運動の実践と緊密に結びついてはじめて、最終的にできあがるものである」
「忍耐、規律。剛毅、不屈、意志の統一を必要とする長期にわたる粘り強い死にものぐるいの生死をかけた闘いがなければ、ブルジョアジーに勝つことはできないのである」以上レーニン全集第31巻)
しかるにアダチグループの現在にあっては、そうした方向でのボリシェヴィズムヘの接近を共同主観化していくことができず、宗教的倫理性みたいなものを振り回すことが革命的なのだ、ないしは主体性の構築なのだと全く小ブル自己満足的な内容把握におちこみ、全人民的政治闘争を領導しぬく革命党と革命家への発展はおよびもつかない大問題としてスッポカされているのである。
しかもそれも全く政治技術的なサークル的意思統一においてそうだというだけであり、実際の政治過程では他者を批判するときはいつでも「天皇主義者」「社会排外主義者」「差別抑圧者」「カクマル」「パリサイ人」などの自己尊大化のオンバレードであり、それでいでわれわれに対しては自分達はいつも「被害者」にして「被抑圧者」にしたてるという、全く都合のいい「主体性」「血債の思想」があるだけなのである。
だが最近のアメリカにおける女性解放闘争などが、「犠牲者という感情を持っているかぎり、わたしたちはやはり囚われの身です。自由ではありせん、マイナスの要因が強められる仕組みの中に浸っているわけです。それは痛々しい堂々めぐりです」(コレット・ダウリング『シンデラ・コンプレックス』)と主張し、法的権利の獲得や形式的保護の枠をこえでた、もっと自主性を持った主体面からの女性の解放などを主張しているのを見ても、「差別」「糾弾」のレベルにとどまり続けようとするアダチグループの共同主観、意志結集の内容性が全く後退した「負」の位置にたつものでしかなく、とてもレーニン主義の政治的観点とはいえない代物であることは歴然であろう。
彼等が考えていることとは逆に、人間的普遍への接近にむけての倫理主義や非実存的なポーズとしての禁欲主義の止揚がはかられるとき、その地平にはじめて規律と民主集中制に支えられたボリシェヴィキ的政治は生み出されるのである。
われわれがめざすのはそうした人民の強さ、たくましさ、すばらしさに立脚した「正」の論理におけるスターリン主義的疎外を克服した革命党であり、レーニン主義の革命的復権であることをおさえてほしい。
そもそもが血債派だの何のとポーズをとっても、三月中核派との攻防過程のドサクサをぬって「虎の威をかるキツネ」としてアダチグループなどは大正大、青学大、外語大などを襲撃してき、外大文連委員長Y君に重傷をおわす反階級的行為をはたらいているのであり、現実的には何の政治性、主体的観点も待ち得ぬ盗ッ人、火事場ドロボー的限性のサークル集団でしかないことは、十年前のアダチ分派発生時以来すでに証明され尽くされていることでもある。
いずれにしてもわれわれは、八三年秋期総反撃の政治・組織過程を、アダチ分派問題後十年の政治的蓄積の地平において打ちぬききり、そこでは形態的にも内容的にも完全なレーニン主義党としての勝利を刻印したこと、十一・六闘争××××名動員の革命性はこの蓄積の成果としてふまえられるべきことを、ここで確認したい。独自の戦略的観点をもったボリシェヴィキ勢力としての前進を、今後とも全力をかけて共に作りあげでいこうではないか。