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ところで八三年全般の運動展開と階級攻防をつうじわが同盟が掴み取った地平は、先にも若干ふれたごとく、ブント系諸派中の相対的多数をしめる一分派の位置から日本革命の戦略的領導をはたす革命的左翼の一翼に独自の政治的地歩をしめるまでに、わが同盟のプレゼンスを発展させたことである。それは「連帯する会」諸派中にあっても三・二七三里塚闘争以来一貫して最大の動員力をキープし続け、七・五ゲリラパルチザン闘争や十一・六常盤橋戦闘を打ちぬくなど、革命党・革命勢力としての実体的力量を人民の前にさし示すことによって次第に形成されたものであり、いわば党としての存在論的自己止揚の結果もたらされた成果といえるものである。これを可能としたのは独自の政治展開、運動組織的な方向性において妥当性を持ち、戦略的領導性を保ちつづけてきたためと言えるわけだが、その内在的根拠となったものは何か。それを解明し継承・発展させていくことが必要である。
別の言い方をすれば、八三年春期三里塚攻防での政治展開において三里塚闘争の大義を守り切るためにわが同盟が「三・一八革共同への申し入れ」をなした時など、われわれが党としてこれを支えきることができず、第二次ブントと同じような内部分解の道に落ち込んでいくのではないかといった事が巷間に流布された。アグチグループなどはわが戦旗・共産同の内部崩壊の開始ではと早合点し、内ゲバをしかけてくるなどして、分解・解体の期待感を強めたのである。あるいは七・五ゲリラ・パルチザン戦闘遂行後の権力弾圧の激化において、赫旗、プロ青などはわが同盟がこの強弾圧を受けとめきれず権力に轟沈されてしまうのではないかという危惧と期待感の入り混じったものを表出し、わが同盟の赤軍と同じような末路を勝手に予測したりしたのであった。
だが、わが同盟は結局のところいずれの事態をも組織的にのりきり、革命党としての団結を崩さず、逆に以降の攻勢と発展をもって勝利の大道を歩み続けてきたのである。それは如何なる意志結集、戦略的内容性においてもたらされたものであったのか、その内実にりき対象化しておくことをここで行いたい。
それは第一には、八月三里塚闘争での対応においても、わが同盟が革命運動のスターリン主義的歪曲を克服し、人民の正義を守りぬく革命運動の大義の旗にもとづくものとして革共同への「三・一八申し入れ」をなしたという綱領的基本命題に規定された、わが同盟が歩む革命運動の大道性にねざす問題である。
つまり三里塚支援勢力内部での内ゲハ事態の回避は、二期決戦必勝態勢の構築のためにも全人民的な課題であり、三里塚支援勢力が絶対におち込んではならない不文律の掟というべき重要問題であった。
われわれ戦旗・共産同はそこにおいて、文字通りプライドやメンツにこだわらす、尊大な中核派に対し人民の正義の譲歩をなしたのである。それを可能としたのは革命運動のスターリン義的歪曲としかいえない三里塚支援勢力内部での内ゲバの回避を当為と考え、正義と承認する発想、政治的観点をわれわれがこの数年のうちにつちかってきていたからである。
そこでは「反スタ」をかかげる中核派は、もはや問題意識においても、みずからの政治展開においてスターリン主義的疎外を内在的に止揚するという意識性を喪失してしまい、十八年間も苦楽を共にしてきた反対同盟農民が中核派の意向に反対するようになったのは、己の政治展開やその在り方に非があったからなのだという、革命的左翼にとっては自明ともいえる主体的な問題切開の方法を完全にネグレクトしてしまっていたのであった。それどころか絶対に屈服も妥協もせず、敵を徹底的にせん滅しつくすことが唯一の勝利への道なのだという、全く軍事力学主義的に歪められた観点を、対カクマル戦争十年の過程で彼等は増殖させており、内ゲバ主義を振りかざして反対同盟農民にも襲いかかるという誤った対処をとったのである。
われわれ戦旗派はそれを受けてたったのであるが、政治的に対象化していたことは毛沢東「人民内部の矛盾の処理」や、レーニン『左翼小児病』の考え方の継承においてであり、ゆえにわれわれは内ゲバの回避は究極における革命運動の正義の大道を歩むことにつながるという対応策を、実践的に方針化したのである。
もちろんそこでは「勝利する展望のあらかじめ欠落した戦争に突入することは罪悪である」というレーニン主義の軍事論的観点にも規定されてそうしたのであるが、しかしそこで明らかとなったものは、いくら『反スターリン主義』を綱領的定在としてかかげても、それの実践への適用が全くできず、ただの理論的認識にとどまるのではナンセンスであり、そうした革共同流の理論主義的認識をこえるものとしての、みずからの主体的政治展開の在り方におけるスターリン主義的疎外の克服を主体化せんとするわが同盟の革命思想における普遍性であった。
「屈辱の三・一八」にわれわれが耐えたのはその観点においてであり、それは第二次ブントの七花八裂の内ゲバの歴史を左翼サークル主義の革命的止揚の方向で主体化した、わが同盟の階級的成熟の成果としてもたらされたものである。
まさに「革命運動のスターリン主義的歪曲を克服せよ」というスローガンに示される発想こそ、わが戦旗・共産同の基本思考を規定し枠づける導きの糸であり、この問題把握の在り方を本質的パトスとすることによってわれわれは不屈の闘魂を発揮し、以後の巻き返しに全力投人しきることができたのである。ゆえにいついかなる場合にもこうした基本的観点に己自身がたちきり、その主体化をめざし闘いつづけるべきこと、これをわが同盟の前進の根拠としてすべての同志諸君が把握しきることを訴えるものである。
第二には戦略的方向性において、社共の闘争放棄に抗し、ヨーロッパ反戦反核数百万人民決起に呼応した戦闘的反戦闘争の構築を、革命党と革命勢力を実体的基礎とし一貫して作りあげようとしてきた政治路線上の問題である。
闘う日本人民にとり最大の戦略的課題が安保-日韓体制の打倒にあり、日米韓反革命支配者共の戦争遂行体制の構築対し真向から歯向い、人民の反戦反核決起のうねりを敵を見失った核廃絶運動一般に押しとどめることなく、中曽根ファシスト政権の核軍拡路線との対決として、ひいてはアジア侵略反革命への反帝反侵略闘争として打ちぬくべきことを主張し、事実六・一九代々木公園から十一・六日比谷野音への最大の実力決起を貫徹してきたのは、日本革命的左翼においてもわれわれ戦旗・共産同が最も真摯な存在であった。
中核派などは依然として三里塚闘争第一主義に拘泥し、カクマルなどは動労、全逓、自治労などでのヘゲモニー獲得の組織戦術主義でしか革命運動をとらえようとせず、かつまた第四インターは地域住民闘争と労働組合主義への迎合の道を歩むだけでそもそも日本階級闘争の戦略的領導をめざす観点を内包していないといった現実下にあって、敵権力に対する武装を強めつつ、日本階級闘争の蜂起・内戦的発展の道を切り拓くというわれわれの実践は、全く当為なものであり革命性を有するものである。
この点で人民の眼をごまかすことは決してできないのであり、例えばアダチグループなどが「武装闘争の否定。恒武闘争の論理主義への歪曲。危機論の否定にかりた帝の危機の否定―武装闘争の意義の否定。戦術そのものの否定―現実の変革の否定」などと、よくぞここまで非現実的で虚構的なことを言いまくるものだ(=十二・一〇「アダチ政治集会基調」)とあんぐりするような「批判」をわが同盟になげかけても、実際上何をやってきたのかという実践性において、闘う人民はサークル主義とレーニン主義、右翼日和見主義と革命的左翼を峻別するのである。
反戦・反核闘争を反帝・反侵略闘争に高めあげよというわが同盟の主張と、武装決起をも内包したその実践は波及力をもって闘う日本人民に浸透したのであり、如何なる場合にもこの戦略的基本方向の貫徹に党の実践的方向を定めて闘いぬいた(=五・二二集会、六・一九闘争、十一・六~九闘争、十二・一八労学総決起集会)ことが、窮極における八三年階級闘争の勝利をもたらしたものである。
われわれは決して「大地共有化運動」という三里塚闘争の一闘争方針に拘泥せず、アダチグループの反階級的襲撃にあっても内ゲバ主義へののめり込みをけ、市民運動や地域住民闘争への右翼的迎合も回避することによって不断に日本帝国主義の軍事外交路線との対決性に照準を定め続け反帝反侵略闘争の革命的領導を社共の闘争放棄をのりこえてめざしつつけたのだ。ここでの全人民的政治闘争の戦略的領導というレーニン主義的方向の堅持こそ革命党としての路線的生命力のガイストである。
こうした革命的路線の堅持を可能としたのは七九問題の主体的切開や純プロ主義的労働運動の克服、経済主義の批判を再三にわたり励行し、第二次ブントの果たしえなかった政治闘争の領導を追求しぬく意志結集を構造的につちかってきたからである。まさに闘う日本人民が七〇年安保闘争に至ったような革命的激動期の到来を待ち望み、「第二、第三の十・八羽田」を希求していることを深く認識し、その実現を党是としてきたからなのだ。その結果わが同盟は独自の政治的位置を日本階級闘争上に占めることになり、七〇年安保闘争に至る過程で中核派がはたした役割を萌芽的にではあれ担う関係性に次第に入りつつあるのだ。
以上のような戦略性とそれの実践への適用、またそれを担う決意と覚悟の構築があったからこそ、われわれは八三年の試練に打ちかち、サ-クルから党への客観的位置性における飛躍を実現することに成功したのである。
一言でいえばそれは戦略的総路線における正しさなのであるが、それを担いぬく主体的構えを今後とも保持しぬくことは決して容易なわけではない。だがわれわれはいかなる苦難にも決してめげず、第二次ブントの止揚をかけて闘いぬき、日本革命のボリシェヴィキヘの道を歩みつづけようではないか。これを八三年をのりきった第二の立脚点として確認したい。
第三には革命党としての主体的な発想・共同主観の形成において主観主義の克服をはかり、個人性と組織性の結合にもとづくイストとしての世界観、人生観を内面的に作りあげることに勝利した結果として、党的団結を保ちえた開題である。つまり独自の戦争の論理を組織規約とし、事態対処への眼とすることによって、わが同盟は八三年の激闘を生きぬき、革命党としての党勢を保ちきったのであるが、その内容性をおさえておきたい。
それは第1には革命的現実主義の主体的立場を内在化させたことである。
ここでいう革命的リアリズムの視点とは何か。それは「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法に学んだことであり、主観主義を排し、主客の攻防における客観的な分析視角を持ったことである。
つまりわれわれは己の主観的願望にもとづくだけのきめつけ的な他党派批判、他者批判は決して繰広げてこなかったし、同時にみずからの主体的存在構造や実在性、構造的位置をかけはなれて自分達が「一番である」等と主張する空論性、観念性は厳にいましめる立場を一貫してとってきた。
そんな小ブル的情動性や幼稚さを克服した地平で、常に冷厳に己を見すえ、リアリズムに基づく問題への対処を実践してきたのである。それは認識論的にいえば対象分析における理性的立場にたちきるということであり、概念的把握に基づく上向的総合の立場において事態に対処してきたということである。
アダチグループなどはそうしたわれわれの強さを「ニヒリズムを本質とする」等と言いたい放題のことを言っているのであるが、それはとんでもない皮相な把握というものである。革命的現実主義の主体化こそがわが同盟の方法的観点であり、われわれは決して正しいものを誤っているといい、誤っているものを正しいと言い放つアダチ的傲慢さなどは持ち合わせていないのだ。
三里塚反対同盟の分裂をひきおこす直前までの中核派が日本のボリシェヴィキへの一番近似の位置にいたこと、七八年管制塔占拠を担った第四インターがわが同盟より強い面、政治的広がりを今でも有していること、狭山闘争への取組みなどにおいてはアダチグループのほうがわれわれよりも深く解放同盟にかかわり、継続性を有していること等をわれわれは認めるものである。だからこそ、みずからの弱さを克服し、強化を実現することを志向して、われわれは闘いぬいてきたのである。
この観点が全党に普遍化され、少くとも組織メンバーすべてがそうした見方で自己を分析し、党を対象化し、政治を把握するようになったこと、そうした世界観の浸透こそわれわれの前進の根拠である。革命運動を実践する者にとり当為ともいえる分析視点=革命的現実主義を主体化できず、小ブル的情動だけでわけもなく人を恨み、何でも人のせいにして自己満足している、そんな脆弱な主体であることを変革しきれなかった歴史がブントをくさらせ、すぐに分裂分解して小サークル集団としてうごめかせてきた、最も大きな根拠なのだ。
血縁、地縁、門閥、学閥などにとらわれることなく、個人が組織人として革命党の下に団結するためには、自分の思い入れ、主観的願望にとらわれているだけでは決定的に不十分である。敵を知り己を知ることなく、対象認識における客観性や妥当性を欠いた価値判断の振り回しだけでブルジョア階級に対峙しようとしても、「計画としての戦術」を遂行しきる主体的構えなど作りあげようもない。
たしかに窮極において世界は闘う人民のものである。だがこの差別され抑圧されてきたプロレタリアート人民こそが歴史を切り拓き、勝利をおさめるのだという全く当為といえる人民思想にもとづく考えも、毛沢東が「持久戦論」で提起したような攻防の弁証法とそこでの分析視視角、つまり革命的現実主義に支えられない限り、プロレタリア革命組織の戦略・戦術内容にまで高められることはないのだ。
ゆえにわが同盟は「左翼スターリン主義」と「左翼サークル主義」を排し、闘うボリシェヴィキ党を建設する方法的視点として革命的リアリズムの観点を導入しつづけようとし、その肉付けと豊富化の追求のうちに八三年の、否、第二次ブント以来の階級攻防の道を切り開いてきた。みずからの客観的位置と主体的力量につき見きわめる眼があったからそ、全く主観的なだけで、自分達だけしか見えない他のサークルとしてのブント諸派とは別個の地平にわれわれは到達しえたのである。八三年における試練ののりきりは、そこでのわれわれの主体的成熟にもとづき生み出されたのであり、この内実をつかみきること、これをすべての同志諸君に要請したい。
同様に第2に左翼サークル主義の克服を革命的死生観の形成においておしはかり、革命党を守り抜く思想を物質化したことである。
一言でいえば、それは革命家が組織への帰属性においてのみみずからを立脚させ、機構における己の部署で全力を尽くし闘いぬくことを矜持とする考え方のことであるが、サークルから党への飛躍のためには根源をなす重要な主体的観点である。
今後革命党としてのわれわれが更に人民の信頼に足る存在に成長していくためには、党としての機構やシステムもまた最も合理的で、簡素な、しかもそれでいて敵権力の攻撃に対するガードカの強固なものに作りかえられていかねばならない。組織マニュアルや教程も作られることは必要であり、そうしたものの創造それ自体をスターリン主義的官僚機構とオーバーラップさせて批判したりしてはならない。それは無政府主義者の考え方であり、何も作りあげはしないものである。
だがそうした組織機構の形成、発達の追求において問題となるのは、如何なる組織思想にもとづき機構が確立していくのかという共同主観の内容性であり、それを担う主体の内的パトスの根源性である。そこにおいて未だ創成期にあるとしかいえない現在のわれわれの原基をなす活動家達、ボリシェヴィキをめざすものがつかみとり、実践すべき観点は革命への献身と革命党への全的帰属の思想=殉革の精神である。
つまり自分は革命党と人民の勝利のためにボロ雑巾のようになり、ヘトヘトになってしまおうと、一個の捨石として、未だ創成期にあるこの党を下支えし、成長を早めるために尽力し、人民の解放に献身するのだという考え方がなければ、敵権力の攻撃にも、内ゲハ党派の戦争宣言にもわれわれは耐え抜くことはできず、党としての発展はとまってしまうであろう。だが、苦難の末にここまでたどりついた戦旗・共産同の旗を守り切れず、これをただのエピソードにしてしまっては絶対にならない。心血を注ぎ込んで守り抜くべきはこの党であり、この組織であって、抽象的で一般的な「革命党」なるものが、他のどこに存在しているわけでもないのだ。
もちろん革命運動への主体的決起は、労働者階級人民の解放と、己の解放=普遍的自己への接近をめざし闘いぬかれるべきものである。自己疎外からの自己克服からの追求なくして一般的抽象的な類の解放などありえない。しかしそれは共産主義的共同体を形成し、同志的団結を深めつつ、ブルジョア支配階級を打倒する闘いへの自己の投影=革命者としての社会的実践においてはたされるのであり、そこでの政治的・組織的諸関係における所与の任務の完遂をテコとして克ちとられていくのである。
われわれは文人墨客なのではない。書斎の中から理念において世界の深淵を追いもとめたって現実が変わるわけでないことは自明の理である。われわれが革命者として生きることを決意したその時点において、革命の勝利のためへの自己の組織活動への全的動員は必然の歩みとなったのだ。そこでは殉革の精神を徹底して物質化し、世界史に刻印された無名の革命戦士の生涯をおくせず生きぬくことのみが、思想性を生きることになるのである。
われわれ戦旗派と全革命勢力はかかる精神を発揮しきり、勝利のためには死をも怖れず闘いぬく武徳を持った革命家を育成することに心血を注いできた。
管制塔戦士水野隆将君や山下和生君、佐藤一郎君などはその精神を発揚しきり、既に六年におよぶ非妥協長期の監獄闘争を闘いぬいている。すべての活動家、ボリシェヴィキをめざすものは彼等につづけ。彼等を崇めるのではなく、自分も又そう生きるのだということを毎日決意し、覚悟せねばならない。
要するに八三年階級闘争におけるわが同盟の苦難ののりきりと革命的団結の保持は、この革命的死生観の主体化と発展に基づき克ちとられたものである。わが同盟を支える数百の活動家の内部に、今やそうした「革命党に生きる思想」が次第にはぐくまれ、根を張り、定着しつつあることの結果である。さらにこの精神を徹底して打ち固めることが、われわれの勝利の道なのだ。
ゆえにボロ雑巾になることをおそれるな! そこまで闘いぬける自己の形成にむかって尽力せよ! 大したこともやっていないのに泣き事を言うな! 苦難にたち向かえ! 試練に耐える背骨を持て! 革命運動を生きることを決意した自分に責任を持て! 闘いぬき、党を支えぬき、全力を尽くすことを誇りとせよ! わが戦旗・共産同はすべての同志諸君にそう心からよびかける! 投獄も死をもおそれぬ精神が全党に横溢している限り、わが同盟の前途は洋々だからである。
まさしく革命的死生観の育成における着実な前進、それが八三年の勝利を内的に支えぬいたもっとも主体的な要素の一つであったことをここで確認したい。もって来期の前進の糧となすことを意思統一しようではないか。
以上を総じて八三年の前進をわが同盟が切り拓きえた根拠は、政治的・組織的観点におけるわが同盟の主体的・階級的観点におけるわが同盟の主体的・階級的成熟ということ以外の何ものでもない。
全世界人民の主体的階級的成熟に学び、われわれも又着実な前進を克ちとったのだ。帝国主義の没落とスターリン主義の破産という現実を、プロレタリア世界革命に転化しぬく真のボリシェヴィキ勢力をめざし、つづけようではないか。八三年階級攻防での前進と党勢の保持が決してフロックなものではないことは八四年政治過程で再度検証されるのである。覚悟を固め、まなじりを決して来期の勝利を実現せよ!