「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」に行ってまいりました。前のエントリーにも少しコメントをいただいていますが、いろいろな意味で私が予想していたのと違うところもありました。運動はもう次の段階に入りつつあるのかもしれないと感じます。
今回で日比谷野音も東京に来てから3回目なので、遅れることなく時間通りに到着。どうせ11月の労働者集会の時みたいに、山のような公安刑事さんが、入り口にたかって圧力をかけているんだろうなと思ってたら少々びっくり。正面入り口の向かって左に中核派の宣伝隊のみなさんが、右側にはカクマル派の宣伝隊が、それぞれ横断幕を掲げてアジ合戦をしながら、両派が仲良く(?)いりみだれ、集会に参加しようとする人々に必死にビラをまいておられる。50人くらいの公安さんはその間にはさまれてなんだか小さくなっている。
まあ、もういまどき内ゲバなんて時代ではないんですが、それでも実際に「中核VS革マル」が、同じ現場で共存している風景は初めて見ましたので、かなり驚いた。けどなんか後で聞いたら、東京ではすでにイラク戦争の頃から、大衆集会の門前ではおなじみの光景なんだそうです。
( ̄σ・ ̄*)フーン 。時代は変わっているんだねえ。しかし、両派の人たちが全く普通の労働者、学生なのに、公安刑事さんのほうはマスクと帽子で顔を隠し、目つきも悪くてよっぽど「過激派」みたいにしか見えないのがおかしかった。私は管制塔カンパ運動の時に作られた、3・26闘争の帽子をかぶっていったんですが、カクマルの差し出したビラを受け取ろうとしたら、その帽子をみて一瞬ビラをひっこめようとしやがった(笑。
さて、そんな彼らのあいだをすりぬけて会場に入ります。中に入って最初に思ったのが、なんつー人の多さ!通路までごったがえして歩けない。10月の派遣法改正集会の3倍、11月労働者集会の1.5~2倍はいるのではと感じました。
参加人数は主催者発表で6000人でしたが、正直「そんなに少ないかな?」と不思議に思ったくらいです。そのあたり、他の方にきいてみたら、同じ「主催者発表6000人」でも、政治団体の集会の場合は、正直に言って「多く見ても6000人未満」という意味なんですが(笑)、労組や市民団体の人は「少なく見ても6000人以上」という数え方をするそうです。あたしゃ現役時代のクセで、前者の数え方に慣れてますから。
とにかくぎゅう詰めで、最終的に会場に入れ切れない人が周辺に溢れ出ていたそうです。現場につくまでは、会場の後ろからゆっくり全体を見ながら参加しようと思っていたんですが、それでは人ごみで演壇が見えないので、かきわけて前に出ます。しかし通路にまで人が座っているので、通らせてもらうことはできても(だって通路だし)途中で立ち止まることができない(写真参照)。
仕方なくそのまんま最前列までいきました。そのあたりにいたカメラマンのみなさんに混じって私も撮影を開始しますが、そこも人が多くて、どんどん通路から座席のほうに押されてしまう。気がつけば座席に座っている人の前に立ちはだかるような形になっていて、座っていた年配の女性に怒られて激しくへこみました。「弾圧」だの「炎上」だのいうことには心臓に毛が生えているくらいの神経なんですが、こういうことに関しては幼児なみなノミの心臓なんですよ。そりゃまあ、座っている人からみたら、かなりムカツクだろうから仕方ないです。
会場をざっと見渡してみますと、今回は大きな組合の人たちもちゃんと大勢来ておられました。大組合の皆さんには、前のエントリーで少し批判的なことを書いてすみませんって感じです。少しばかりバツが悪かったっす。なお、この後に組合動員の比率が増えたことについての見解を書いていたら、その部分が長くなったので、これについては独立させ、別エントリーとして明日アップします。実は大変に重要な変化になるかもしれないと思っています。
今回は特に自治労の人が目立ちましたが、これは集会実行委員会の中の平和フォーラムさんの関係でおつきあいがあるらしい。日教組も来てたけど数は少なかった。ネット限定ではまるで「反日」代表みたいに言われてるんだから、もっと来ればいいのに(笑)。まあ、「日教組の先生」が普通に日の丸掲げて君が代歌ってるこのご時世に、ネットでそんな人の書いていることは、30年くらい前の情報を元にしたトンデモ解釈なわけですけど。
さて、集会はまず主催者挨拶からはじまりました。 なお、この日メモは一切とっていないので記憶で書いています。
集会実行委員会を代表して発言された平和フォーラムの藤本泰成さんは「アメリカの旧政権下で国防族や軍事利権のメンバーだった人物たちばかりが、新基地を建設しないと『日米同盟の危機』だと発言している。日本のマスコミもおしなべてそれに同調し煽るばかりだ。しかしそんな武力中心の考え方では、少しも平和につながらないことが、9・11以降の事実によって示された。鳩山首相は施政方針演説で『命を守る』と言ったが、9・11後の世界は武力で命は守れないことを証明している。命を守り、平和を実現するためには、普天間を閉鎖し、辺野古新基地建設を阻止しよう」と発言されました。
次に国会議員からの発言で、社民党の福島瑞穂大臣と、民主党の斉藤つよし衆院議員の発言。福島さんは「(内閣の態度は)迷走とか先送りというのではない。みんなの力で、辺野古新基地建設の強行を阻止して押しとどめているということだ」という認識を示されました。そしてさらに決定期限とされている5月に向け、政府や閣内で全力を尽くすので共に頑張ろうということでした。
福島大臣が発言しておられる時、演壇脇から壇上にあがる階段に足をかけて撮影しようとしたら、そばにいたSPの人に恐い顔で睨まれてしまった(爆)。なんか集会の発言者にSPがついてるのって、私ら左派には慣れなくて不思議な感じですね。まあ、SPの人も、今までの大臣だったら、私みたいに得体のしれない雑種の貧乏人がいるような場には出なかったろうから、ずいぶんと勝手が違うのはお互い様ですけどね。
民主党の斉藤さんははっきりと、「県外・国外移設すべきだ」と表明されましたが、「グアムにいきゃあいいじゃないですか!」と言われたのには、ちょっと違うかなと感じました。「基地の県内たらい回しをやめろ」というのはその通りですが、普天間の苦しみを辺野古に押し付けても何の解決にもならないのと同じように、自分たちが嫌だというものを、「グアムにいけばいい」というもんじゃないだろうと。
グアムはアメリカ領でもなく、元から住んでいた人には選挙権もないということを忘れてはいけません。今回参加された人々の中でも、市民グループの中には、はっきり「グアムにも行くな」という主張を掲げている人を見るようになりました。それだけ基地撤去が現実味をおびてきた反映でもあるんでしょうが。
なお、他に国会議員としては社民党から山内徳信さん、重野安正さん、服部良一さんが参加しておられました。民主党は斉藤さん一人だけで、共産党からの参加はなかったようです。そのあたりの大人の事情は知りません。
続いてはいよいよ沖縄代表団からの発言です。沖縄からは今回の集会にはなんと100人もの大代表団が派遣されてきました。なんかもう沖縄代表団だけでちょっとしたデモができるくらいの人数ですが、その全員が壇上の席についておられました。
代表して沖縄平和運動センターの山城博治さん、ヘリ基地反対協の安次富浩さん、「ヘリパットいらない」住民の会の伊佐真次さんの3人が発言されました。聞いていて、やはり沖縄では「名護市長選の結果は斟酌しない」という、平野官房長官の発言に対する怒りが大きいという感じを受けました。まあ当然ですよね。沖縄県民だったら、たとえ基地賛成派でもなんとなく胸くそがわるくなる発言だと思いますもの。
安次富さんなどは、「鳩山首相は事前には『市長選の結果を参考にする』と言った。だから負けられないと思った。そして選挙に勝ちました。これ以上の民意はないでしょう。そしたら後になって平野発言があった。沖縄選出のある国会議員は『足を蹴っ飛ばしたい』と言っていたが、もし私がその場にいたら鉄拳がでていた。それくらい沖縄の人は怒っている」と発言されました。
また、山城さんは「これだけ沖縄の問題で全国の人が声をあげてくれたのは、沖縄返還協定の時以来だ」と言われ、安次富さんも「今日の事態を実現させたのは、全国の人々が沖縄を励まし続けてくれたその力の成果だ」とされました。伊佐さんからは、高江のヘリパッド建設問題の報告があり、地元住民の力で建設が全く進んでいないこと、それに業を煮やした防衛省が、なんと「住民の反対運動を政府が裁判所に告訴する」という暴挙を行ったことが報告・批判されました。
三里塚でもそうですが、かつての行政執行のように、わかりやすい強権発動で世論の集中的な批判をあびることをごまかす目的で、裁判所を使って結局は同じことをするという手口が目につくようになってきました。強権発動であることに何の違いもなく、それに加えて住民に裁判の負担を強いて経済的にも締め上げるという汚いやり口には、激しい憤りを感じました。
その後の連帯アピールの中では、岩国から来られた井原さん(前市長)が、平野発言について「私は、政府は防衛力で国民を守らなくてはならないという主張を、間違っているとは思っていない。だがそれは、国民に政府が決めたことは黙って言うとおりにしろ、口を出すなということではないだろう」と、地元の民意なんぞ斟酌する必要なしとする平野官房長官に疑義を呈されたのが印象に残りました。
集会決議(巻末に収録)の採択とシュプレヒコールの後、銀座デモに出発しました。
また例によって私は入るところがないんだけど、11月労働者集会などよりはずっと「ゆるい」デモなんで、特にドキドキすることもなく、落ち着きのない私はあちこちの隊列を渡り歩いておりました。またどこの隊列の人も、いつのまにか見知らぬおっさんが一人増えていても、特になんとも思わずに自然に入れてくれるんだよなー。しまいにはちょっとくらい「あれ?どなたでしたっけ」くらい聞いてくれないと、なんだか寂しいくらいのもんでしたよ。
具体的な雰囲気は、動画報告を見ていただけたら伝わると思います。とにかくもう、いろんな人たちがいっぱい来てましたね。前のエントリーに投稿していただいた方もおっしゃっておられますが、本当にいろんな旗を見ているだけで「へぇー、こんなとこもあるのか」という感じで楽しいんですよね。
「うたごえグループ」の人がギターひいてフォークを歌っている横では、「日本山妙法寺」のお坊さんが太鼓叩いてセッションだし、市民グループの若者の間を、「9条改憲阻止の会」の年配の方々が横切っていく。
とにかくごったがえしているので、20人くらいの小グループの場合、もみくちゃにされて「迷子」があちこちで発生しているらしく、「○○さんはどこ行ったぁ!」「わかんない!はぐれた!」というような会話があちこちでかわされていました。
一人くらいが迷子になる程度ならまだいいというか、「四トロ掲示板」常連の鍋山さんとデモの途中でお会いしたんですが、地域の小グループで来たら、もう隊列自体がバラバラになってなくなってしまったそうです。とにかくもうそんな状況で、デモ(道路)に出るまで押し合いへしあいでした。
大人数で意気軒昂なデモ隊に対して、心なしか(いえ、はっきりと)出口付近にて「過激派スタイル」で待ち構えていた公安刑事さんたちは元気がなかった。名護市長選挙を含めた世論の動向もあって、完全に精神的に押されている。それでもデモの隊列を100人とか50人単位でぶつぶつと分断したり、先頭の沖縄・主催者隊列とか、市民隊列、労組隊列の間を1キロ(!)も離れるまで外に出さないなど、混乱を助長するようなことばかりやる。
こんな大きなデモ隊を混乱させたら、交通事情からもよくないと思う。結局は夜遅くすっかり暗くなるまで、いつまでも延々とデモが続くことになりました。
皆さんもテレビなどで一度は見たことがあると思いますが、だいたいが民主国家の常識で「平和的な市民デモ」っていったら⇒こういうのなんですよね。かならずしも先進国に限らず、韓国やギリシャなどの動画を見ても事情は同じですから「道路事情」なんて言い訳は通用しない。独裁国家でさえ、いったん許可されたデモでは事情は同じ。日本のデモ事情は独裁国家以下。日本だけが突出して特殊なんです。
だから外国の市民団体の代表とかが来るとだいたいの人がびっくりする。「日本は民主国家ではなかったの?」って。選挙だけが民主主義ではないんです。そんな根性だから、選挙が自分の「ご主人様」を選ぶ儀式になってしまう。紹介した動画では交通警官がまばらにいるだけですが、日本でこれくらいやったら機動隊の一個大隊が飛んできて、「平和的な市民デモを警察が弾圧して逮捕者続出」という事態です。まさにそれが日本の現状。「日本では自由にデモをする権利が認められていない」というふうに認識するべきなんですよ。
だいたい公安が強制する日本のデモのスタイルなんて、欧米だったら、ただの「移動」ですよ。そんな単なる移動にまで、普通はいちいち届出を出したりなんかしていない。ところが日本だったらたちまち「無届デモ」扱いですよね。そういうのを「普通」とか「当然」と思うような奴隷根性だけはもちたくないものです。
届出は他者の権利との調整に必要だからその範囲で出すのです。警察がデモの警備をするのは、「規制」であってはならない。それはデモをする「権利」の一部として行われる行政サービスであるはずです。デモ隊の側から「もっとちゃんと警備してほしい」という要望が出るくらいでないといけない。実際には「警察帰れ」とか言われている。
この点では田舎の『デモ慣れ』していないお巡りさんのほうがよほど原則的にちゃんとやっていますよ。なんでも熊本のデモでは、「参加者20人」で届けたら、警察が一人もこなかったそうで、それはそれで行政サービスとしてはどうよとか思うわけですが(笑
ともあれ、単なる移動程度の「デモ」にまで届出を要求するのも不当だし、それじゃ権利の調整という意味が全くない。事実上の必要もない。危なければ歩道を歩けばいいだけ。単なる弾圧と公安による情報収集以外の意味はありません。それでもそれを口実に不当な弾圧をするから、仕方なく混乱をさけるために出してやってるだけの話ですから、公安さんは感謝してほしい。
そんな憤りはともかく、色とりどりの旗の間を歩いて撮影して回りました。私の年代では「沖縄を返せ」とか生で初めてきいた。まあ、歌詞がいかにも共産党系なんで、新左翼系では歌わなかったんだろうけど。でも、この歌のタイトルでもある「沖縄を返せ!」は、今また新しくて深い意味が付け加えられたのだと思う。
こうして「9条改憲阻止の会」のおじさんたちと一緒に歩き、「新社会党」のおじいさんたちといっしょにインターを歌い、大阪から来られたグループ(「辺野古に絶対基地を作らせない大阪行動」「釜ヶ崎日雇労組」など)の人たちと挨拶をしたりと、本当に落ち着きなくウロウロしながらも、最後までデモしてきました。こんなふうにウロウロできるのも個人参加の特権だよね(と開き直る)。
解散地点では沖縄代表団の一人として来られたアイランダーさんとひさびさにお会いして、30分くらいお話を聞くこともできたのでありました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
1996年日米両政府は、宜野湾市の1/4を占める普天間基地の全面返還を合意しました。普天間基地は宜野湾市の中心部にあり、滑走路延長上のクリアゾーン(危険性が高い土地利用禁止区域)が市街地に張り出し、そこには保育園や小学校もあり宜野湾市民約3600人が生活しています。5年前には基地に隣接する沖縄国際大学に米軍ヘリコプターが墜落しました。現在も米軍ヘリが頻繁に飛び交う普天間基地は一刻も早く無条件に返還されるべきです。
しかし、13年経った今も返還は実現していません。その理由は、普天間基地返還の見返りに米国は辺野古新基地建設を要求し、これまでの日本政府もそれを容認してきたからに他なりません。この背景には、新基地建設に絡み1兆円ともいわれる基地建設事業の利権が見え隠れしています。
新基地建設で沖縄は豊かになるどころか、危険と生活破壊を増幅し、ジュゴンが生息するたぐいまれなる自然環境を失うことになります。
辺野古がある名護市民は、24日の市長選挙で、新基地建設に反対する立場を明確にしました。全国の市民、労働者はこの民意を守るため闘わなければなりません。
のどかな島沖縄はかつて戦場となり、米軍に占領され、基地がつくられ、今も危険と基地被害にさらされる生活を余儀なくされています。
日米安保50年、冷戦終結20年を迎える今日、米軍再編が進む中、旧来の核・軍事力を背景とした抑止力に頼る安全保障のあり方が根本的に問われています。日米地位協定や思いやり予算の根本的な見直し、米軍被害の徹底検証も取り組まなけれぱなりません。
安全保障に特化した日米関係を見直し、鳩山連立政権の東アジアの平和と共生に向けた基本政策を強めるべきです。
鳩山首相は沖縄県民の痛みを受け止め基地問題の解決を図ろうとしています。これを孤立させることなく、普天間基地返還、辺野古・新基地建設反対、沖縄をはじめとする全国の米軍基地の縮小・撤去に向けより大きな闘いを目指そうではありませんか。
右決議します。
チェンジ 日米関係!!
普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない1・30 全国集会
参加者一同
◇写真速報:普天間基地はいらない全国集会に6000人(レイバーネット)
◇沖縄・普天間基地はいらない!名護に基地は作らせない!集会デモ(連帯で行こう!)
◇6000名参加し、チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない集会(平和フォーラム)
◇渡部通信~普天間基地はいらない全国集会(レイバーネット)
◇東京で、沖縄の基地撤去を求める全国集会とデモ(とめよう戦争への道!百万人署名運動)
◇マスコミ記事の引用・抜粋一覧(旗旗・ニュースとお知らせ)
◇普天間撤去を、東京で集会 沖縄の市民ら約6千人(東京新聞)
◇辺野古移設反対、東京・日比谷で集会 福島党首ら参加(朝日新聞)
◇辺野古「社民党が許さない」福島氏が強調(サンケイ新聞)
コメントを見る
ご無沙汰しています。
「沖縄を返せ」は確か「沖縄を沖縄へ返せ」に改題されていますね。九六年の少女暴行事件直後の奈良県集会では既に改題されていました。