緊迫する三里塚・新年デモに参加 2・18千葉→3・24現地闘争へ

◆一人でも多く!と双方のデモに「はしご参加」

三里塚新年デモ 反対同盟と勝手連 もう2月になっちゃいましたけど、先月の13日には反対同盟の旗開きがありまして、しかも反対同盟のいわゆる北原派と旧熱田派が同日に開催。どちらも旗開きの前後に現地デモを敢行しました。

 最初に結論から申しますと、私は両方の現地デモにはしご参加してきました。最初に「三里塚勝手連」として中野由紀子さんと一緒に二人で北原派の新年デモに合流、中野さんはそのまま北原派の旗開きに参加されました。私は中野さんと別れて旧熱田派の東峰現地行動・デモに参加しました。こちらには、横堀団結小屋破壊のニュースを見て怒りに燃え、20数年ぶりに三里塚に個人で来たという方が勝手連に合流。こちらのデモも勝手連は2名の参加ということになりました。

 つまり時間的に北原派は午前中にデモして午後から旗開き、旧熱田派は午前中に旗開きして午後からデモです。私はその両方のデモにだけ飲まず食わずで参加したわけで、最後は予想以上に腹が減って死にそうでした(笑)。いやー、どうせなら両方の旗開き(どちらも飲食付きなので)にだけ出たらよかったかなんて冗談で言ってましたし、それのほうが多くの話が聞けたろうし、交流もできたんだろうけど、かなり豪華な飲食が出るのでそれはそれでなんだか顰蹙な気がしたし、何より直前にあった突然の第三誘導路「前倒し供用」発表、横堀団結小屋の破壊、市東さんの裁判闘争などを思うと、もう現地を何回でもデモして怒りを叩きつけたかったんです。そして卑怯卑劣な空港会社に対するに、できるだけ多くの現地デモ参加者で盛り上げたかった。それが「はしご参加」の一番の理由です。まあ別の日にやってくれて、フル参加できたらよかったんですが、こんなふうに思っている今年に限って同日なんだもん。

◆市東さん農地決戦の爆発を! 北原派デモに勝手連で参加
三里塚新年デモ

 最初に北原派の旗開き前の新年デモは120名が参加、市東さん宅前の開拓組合道路から、市東さんの畑まで往復という、かなり長いデモでした。シュプレヒコールも市東さんの問題が中心でした。

一方、反対同盟北原派も同日、成田市内で旗開きとデモを行った。デモには約120人が参加した。3月7日に同空港B滑走路西側誘導路の利用が始まると、同派農家の市東孝雄さん(62)宅と農地が空港用地に囲まれる。NAAが市東さんに農地の明け渡しを求めた千葉地裁の民事訴訟も3月中の結審が予想され、北原紘治事務局長(90)は「国とNAAは市東さんの生きる権利を奪おうとしている。闘争を強めていこう」とあいさつした。(2013年1月14日毎日新聞

 この2月18日には市東さんの農地法裁判において市東孝雄さん本人の証言が予定されています。この日が裁判の最大の山場となり、かつ裁判所は3月結審、早ければこの春から夏にかけても市東さんの畑の強制収容が目論まれているのです。さらに3月7日の第三誘導路「前倒し供用」が実施されれば、市東さんは自宅もろとも完全に空港内に閉じ込められ、窓の外をジェット機が爆音を響かせて常に通過するという残酷な状況におかれます。常識で考えて普通ならこんなことは絶対に許されないのですが、事前の環境アセスメントは市東さんや島村さんら多くの東峰部落の地元住民を「住んでいないと仮定して」作成、「認可」されているというのです!一体全体そんなことが許されるのか!と叫ばずにはいられない杜撰かつ暴力的な愚挙です。

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◆2・18千葉→3・24現地闘争へ是非参加を!

三里塚新年デモ それこそ「国民の義務」として、こんなデタラメを許してはなりません。こんな「何でもあり」を許していたら、明日は我が身じゃありませんか!2・18千葉地裁闘争は裁判途中での打ち切り、結審を許さない闘いにもなります。反対同盟は最低でも500名以上の結集で、法廷での市東さんの闘いと連動し、朝から千葉市内を揺るがす終日闘争を呼びかけています。平日の昼間(月曜日)になりますが、なんとか都合をつけて集まりましょう。そして3・24現地全国集会では例年の1.5倍以上、1500名の結集をもって、このような人権侵害を無視し続けるマスコミも取り上げざるを得ないような現地攻防の盛り上がりをつくりだしましょう。

 さて、デモ解散後、参加者は三々五々、車に分乗するなどして旗開きの会場に移動していかれました。中野由紀子さんも鈴木加代子さんの車に乗せてもらって、帰りも駅まで送っていただいたそうです。私も何人かの方から「乗っていくかい?」とお声がけいただきましたが、そのまま徒歩でもう一つのデモに向かいます。旗開きの様子は、中野さんが日記で書いてくれるかもしれませんので、「ユキリンファン」の方はリクエストしてみられてはいかがでしょう。(→書いてくれました「北原派の新年デモと旗開きに行ってきたよ – 中野 由紀子さんの日記」

◆東峰神社にお参り

 デモまではまだかなり時間がありまして、車があれば旧熱田派の旗開きに間に合ったくらいの時間でした。一人でトボトボと歩きながら、まず東峰神社にお参りしました。東峰部落の住民の皆さんにより、鳥居のしめ縄も新年に新しいものに取り替えられて、境内は綺麗に掃除されていました。お参りの後で境内を見て回りましたが、萩原進さんら地元の方の許可を得て、勝手連の別の方が植樹した桜の木も、まだ小さいながら元気でした。ただ、誰かが折ったような桜の枝が転がっていて、それがちょっと気がかり。もし本当に折られたものだとしたら、神社の桜の木を折るなんて、随分と罰当たりな酷いことをする人もいるものです。

東峰神社上空を飛ぶジェット機 罰当たりといえば、当日の風向き(飛行コース)にもよるのですが、東峰神社の上空はジェット機がスレスレで飛んでいきます。機体から突き出たタイヤのシワまで見えそうです。この光景の写真は初めて見た人は一様に「え?合成写真?」と思うくらいですが、これは全くごく普通に撮影した写真です。爆風で境内の木々が直接にゆれるくらいです。島村さん宅はこれとほぼ同じ状況なのです。

 さて、お参りを済ませてから、デモ出発地点に移動しました。旧熱田派の新年デモ(東峰現地行動)の集合場所は、「旧東峰出荷場跡地」となっていましたが、去年までの東峰行動の会場になっていた、同出荷場の建物がなくなって更地になっているので驚きました。まだ誰も来ておらず、更地に一人でポツンと待っていると、樋ケ(ひのけ)さんが農作業をしておられるのが見えました。

 やがて最初にやってきたのは完全武装の機動隊です。ガチャガチャと盾や装備品を鳴らして配備につくと、私の姿を見つけ、二人ほどが私のところに走ってやってきます。「何をしておられますかぁ」「危険物は持ってませんかぁ」などと職質してくる。最後は調子にのって「名前はなんとおしゃられますかぁ」とまで聞かれた。回答を拒否したが、別に何も言われなかった。

三里塚・旧東峰出荷場跡地 さらに旗竿を見ては「これは何に使われますかぁ」と聞かれた。これ、実はいつも聞かれるのだが、旗をつける以外に集会場での旗竿の使い方ってあるのだろうか?しょうことなしにいつも「旗をつけるんだよ」と答えると、「はいっ!旗ぁ!」などと唱和してくるんだけど、もしここでそれ以外の答え、たとえば「おまはんらをぶっ叩くために持ってきた」とか答えたらどうなるんだろうか?面倒なことになると周囲に迷惑なのでやめているが、一度試してみたくてしょうがない。

 機動隊が周囲を固めて制圧し終わると、はじめてその後からのんびりと公安私服がやってきて自分たちは安全なポジションを確保し、監視や嫌がらせをはじめるのが常です。この日も一人が私にまとわりついて、「いい天気になってよかったじゃないか、ええ?」などとしきりに話しかける。ウザイので無視していると、だんだんとデモ参加者が集まりだして、こいつも逃げていきました。

◆旧熱田派デモへと合流

2013・1・13 東峰現地行動 最初に車からおりてきた横堀地区住民(横堀大鉄塔・案山子亭在住)の山崎さんが私の姿を見つけて手をあげると、「よぉ!北原派のデモに行ってきたのかい?」と笑顔で挨拶していただきました。お互いに何のわだかまりもありません。一方、別の某派の古参の方には、「なんで(熱田派の)旗開きに来ないのか」とかちょっぴりしつこく言われた。これはあえて書いておくけど、旧熱田派の古参の党派活動家の中には、北原派系をまるで冗談みたいにからかって揶揄するような「批判」の仕方をする人がいるんだけど、あれはよくないし不快です。もちろん北原派の古参の党派活動家にも、旧熱田派系を未だに「ダツ」とかいう蔑称で呼ぶ人もいるようですが、これじゃあお互いに相手を笑えないですよねえ。

 だいたい若い人は北原派・熱田派関係なく対応も気持ちよくて、ここに来る前にも北原派の若い人たちは「熱田派のデモに行くんだろ?頑張ってね!」と、私が何も言わないのに察して、ちょっと小声で何人もの人たちが気持ちよく送り出してくれました。また、旧熱田派を批判はしても、わりと同志的に(知らないがゆえの無神経さはあるにしても)まっすぐ真面目に批判してくれます。決して揶揄はしない。旧熱田派でも比較的に若い人はそうだし、山崎さんみたいな人もいる。批判は批判としても、自分の意見を絶対視せず、北原派の行動にも「頑張れよ」くらいは言える人も多い。そこはやはり最低限の礼儀は必要ではないかと思います。

◆石井紀子さんの笑顔に救われる

2013・1・13 東峰現地行動 デモ前の打ち合わでは、山崎さんや石井紀子さんが発言しました。特に三里塚農民の石井さんは、昨年の東峰行動では本当に消え入りそうに元気がなく、私がカメラを向けただけで怯えたように「ビクッ」とされたりして、本当に見ていて痛々しいくらいでした。実はちょうどその直前に、紀子さんの旦那様たちが、一坪共有地の防衛裁判で熱田派反対同盟と分離して空港会社と和解、当該共有地に住んでいた元赫旗派の方を立ち退かせて小屋を自主撤去したのです。かわりに強制収容はせずに公園として整備するという和解内容でした。ご自分の責任ではないわけですが、このことを紀子さんはかなり気にやんでおられるのかなと思っていました。

 ですが実はすでに昨年の集会時点で、いつも熱田派の現地行動の場となっていた旧東峰出荷場の建物も撤去することが決まっていて、だけどそのことをどうしても言い出せなかったんだそうです。さらに旦那様により、東峰部落内の自宅からも引っ越すことが決まっていたとのこと。思いつめた紀子さんは、「新しい公園には一年を通して花が咲いているそうです」などと、まるで他人事のように元気なく語り、最後に「たとえここから出て行く日が来たとしても、ここ(東峰)はいつまでも私の故郷です」という言葉で発言を締めくくられたのでした。

 ところが、この日の紀子さんはふっきれたようにすっかり明るくなっておられました。上記に書いたような経緯を話され、その上で旗開きでの柳川さんの言葉を引用しながら「死んだ人もお墓となって空港を阻んでいる。死んだ人も戦力だし、死んだ人は決して私たちを裏切らない。生きている人が裏切るだけ。引っ越したが東峰の家は残っている。東峰の人たちは、神社の行事や役員に今も東峰の一員として私を迎えてくれた」と語られました。そして昨年のような沈痛な表情ではなく、今度は笑顔をもって「もう一度言います。東峰はいつまでも私の故郷です」と締めくくられました。とても嬉しかったです。
2013・1・13 東峰現地行動

◆横堀団結小屋破壊糾弾!

 私は旗開きには出ていませんが、デモ前の発言とあわせ、やはり昨年の横堀団結小屋の強制撤去を弾劾する声が多かった。現に人が住んで生活している家の強制収容は、実に30年ぶりの暴挙でした。この阻止闘争には、普段は北原派系支援として活動しておられる方も、個人の資格で何人かが参加しておられます。それくらい許せないことでした。私は仕事の都合でどうしても参加できませんでしたが、今となっては、たとえ首になっても参加するべきだったと、心から悔やんでいます。そしてそんな暴挙のあった直後のデモだからこそ、市東さんの農地決戦を控えた北原派のデモと同じく、例年より一人でも多く人が集まらないと嘘だと思った。そして私は悩んだ末に両方のデモへの参加を決めたわけです。

 旧熱田派の旗開きは、昔からの関係者だけが集まるこじんまりとしたもので、例年30人程度の参加者です。今年はそれが飛び入り参加者のせいで50人ほどになりました。その中のお一人で、ネットで見て個人で参加したという方が、「勝手連」の旗をみて話しかけてくださいました。このブログも時々は目を通していただいているそうですが、やはり何よりも強制執行のニュースを見て、これは絶対に許せないと思って参加したとのこと。三里塚に来るのは20年ぶり以上のことだそうです。その方は勝手連の旗持ちを引き受けていただきまして、こうして旧熱田派のデモも、「勝手連参加者2名」となったのでした。

三里塚闘争史に残る(?)大誤植 (^O^; 山崎さんは市東さんの農地取り上げについても発言しておられますが、全体でのデモコールでは、横堀団結小屋撤去の後、熱田派独自で焦点化している現地攻防がないため、沖縄やオスプレイ問題、原発、それに安保体制粉砕などの、一般的というか全国的というか、そういう政治課題が多く、三里塚闘争そのもののデモコールは北原派に比べて少ない印象でした。市東さんのことが頭にある私にはちょっと物足りない。

◆三里塚闘争史に残る(?)大誤植 (^O^;

 そんな中でも「年間30万回飛行をやめろ」と「24時間空港化阻止」は重要な課題なのですが、デモ先頭の横断幕が大誤植(脱字)!、なんと「万」の字を書き忘れて「年間30回飛行をやめろ」になっていました(少なっ!)月に2、3回かよと思いましたが、ある参加者の女性は「たとえ年に30回でも空港自体が許せないという意味やねw」とフォロー(?)を入れておられました。確かに!

参考リンク

<反対同盟(北原事務局長)>

-反対同盟ブログ-
農地取り上げ許さない怒りの総結集をー新年デモ・旗開き
「闘って闘って勝利しよう」-北原鉱治事務局長
「全力で闘うときが来た」-市東孝雄さん
大きな統一戦線を目指す新たな三里塚闘争を―萩原進事務局次長のまとめ・方針提起1
2月18日、千葉を騒然とさせよう―萩原進事務局次長のまとめ・方針提起2

北原派の新年デモと旗開きに行ってきたよ(中野由紀子さんの日記)
三里塚・芝山連合空港反対同盟の旗開き(内田ひろき 活動記録)

-関実・三里塚ブログ-
三里塚反対同盟 戦闘宣言を発す(団結旗開き)
永井満関実代表世話人の挨拶
動労千葉田中康宏委員長の挨拶
反対同盟から方針提起 萩原進事務局次長(その1)
反対同盟から方針提起 萩原進事務局次長(その2)

三里塚新年デモ 3・24現地大結集訴え(週刊「前進」)
三里塚反対同盟が新年デモと団結旗開き(「前進」速報版)
三里塚反対同盟が旗開きを開催!(動労千葉を支援する会・習志野)

<反対同盟(柳川代表世話人)>

報告:2013反対同盟旗開き&東峰現地行動(反対同盟大地共有委員会(2))
2013三里塚反対同盟旗開き(研究所テオリア)
「三里塚」の旗びらき(小山広明の散歩)
三里塚の旗開き、経産省まえ脱原発テントに(小山広明の散歩)
【報告】2013三里塚反対同盟旗開き&東峰現地行動(虹とモンスーン)
あくまでこの地で闘い続ける-1.13三里塚反対同盟旗びらき(週刊「かけはし」)

3件のコメント

北原派、元熱田派の「生の」情報が得られるのは(元熱田派さんのブログ、更新少ないもん)、ひとえに草加さんと「勝手連」のおかげです。本当に「小さな集まり」だけれども、非常に重要なポジションをしめつつあると思います(というより、現地闘争でも「お世話」になりっぱなしなのですが…^^;;)
やはりここから「新しいモノ」のヒントが生まれると思います。

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