石破防衛大臣に注目しています

石破防衛大臣 もし、私が今、何か政府に要望することがあるとすれば、とにかく「普通に怒らせてほしい」と思うのです。
 まずもって、すべての話はそれからです。

私は、最近の出来事にすっかり動揺してしまって、自分が憤っているのか、悲しんでいるのか、悔しがっているのか、何も分かりません。
(ブログ「壊れる前に…」 エントリー「無邪気なねこ」より)

 全く同感です。こういうのを指して一言でいえば「脱力」というのでしょうか?

 「敵にさえ敬意を抱かせるほどの……」という言葉があります。
 レーニンの著書「何をなすべきか」の中にこの表現が見え、元戦旗・共産同の議長(当時)だった荒岱介さんが初期の著作で時折使っておられた言い回しです。そしてこの言葉は私に強い印象を残し、いつしか私の人生における重要な指針の一つになりました。好んで人と敵対することはさけていますが、それでも全世界の人間すべてから好かれることは不可能ですから、嫌われたり、時には「敵」として認識されることがあるのもやむを得ません。むしろそれは誠実に生きていることの結果でもあるだろうと思っています。そして私はどうしても敵対してしまう相手、つまり「敵」に対してこそ最も誠実であり、自分の言葉に責任を持つべきだろうと考えてきたのです。

 ですから敵に対して軽々しく悪態をついたり、たとえば「殺してやる」など責任を持てない暴言を吐いてはいけません。私の嫌いなある種のタイプの人は、常に「自分が味方からどう見えるか」ばかりに気を使っていますが、とりわけ政治を志すような人こそ「自分が敵からどう見えるか」に気を使ってほしいと思います。敵から憎まれるのは仕方ないが、人間的に軽蔑されるようではいけない。そして時には敵に対する筋を通すために味方からブーイングを浴びることさえ恐れてはいけないと思います。

 なぜなら、敵に対して誠実であるということは、実はとりもなおさず自分と自分の言葉に対して誠実であるということだからです。たとえば運動現場に現れる機動隊や公安刑事です。彼らは私たちを「法律に違反している」という理由で弾圧してきます。ところがその彼ら自身が法律を守らない。彼らは自分に都合のいい時だけ法律を持ち出してくる。だから言葉に全然重みがない。「また公安が何か適当なこと言ってるよ」としか思えない。機動隊はこちらが普通に歩いているだけなのに、見えないようにむこうずねを安全靴で蹴り上げてきたりする。そして平気でウソをつく。だからウソをつかれないように、仕方なくこちらが法律を学ばなければならなくなる。いまだかつて「法の執行者として政治的に中立な立場から毅然とした警備をする機動隊」を見たことがありません。だいたい警備がはじまる前から、集会参加者にヤジや罵声を浴びせている時点で失格です。私は彼らを「税金で雇われた自民党の私設ガードマン」だと思ってそういう対応をしています。

 さらに共産党や民青の一部の諸君です。「権力の暴力に対してどう対応するべきか」という争点に対して、「絶対に暴力はいけない」という理由で私たちを批難しますが、その彼ら自身が私たちには平気で集団暴力をふるって運動を潰そうとする。そして私たちとは無関係の団体の事例をかき集めて「許せるか!この暴力集団!」というネットウヨみたいなビラをまく。思わず「いや、暴力集団って、それあんたらのことやし…」と軽くつっこまざるを得ない。他党派に対しては肩をつかまれただけで「暴力をふるわれたぁ!」と大騒ぎするくせに、自分達に対しては集団暴行しても「仕方がなかった」とか「そんな事実はない」とか言って仲間をかばう。だから論争相手(敵)としてさえ全く信用できませんでした。

 もちろんそうでない民青もいたと彼らの名誉のために言っておきますが、少なくとも彼らが多数派をとっている場所ではどこでもそうでした。とにかくちゃんとした「団体」の形をとっているか否か、右派か左派かにかかわらず、特定の政治傾向の人々が閉じられた空間で多数派になると全くロクでもない集団心理を形成することに軽い絶望感を感じます。

 で、前置きが長くなりましたが、なんでこういう言葉を思い出したかと言えば、自衛隊のイージス艦が漁船に衝突して沈没させた事件のニュースを見ていたからです。しかしこの事件のニュースだけならこの言葉は思い出さなかったかもしれません。自衛隊(防衛省)関連のニュースの中で、最近この言葉を思い出したのは、例の佐藤議員による「かけつけ警護」発言の時で、あきらかにこいつは軍人としては3流以下の、敵としても尊敬できない人間であると思いました。そのあたりはまた別エントリーにしますが、そのあまりの言葉の軽さから、米軍ヘリが沖国大に墜落した時の町村外相(当時)の発言を連鎖的に思い出しました。

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沖国大での視察中に町村外相は「操縦士がうまかったこともあって、重大な被害が出なかった」と発言。さらに渡久地朝明学長と話した際に「(事故をさして)これを機に学生が勉強をサボったりしないように」などと冗談のように述べた。
町村外相は、沖国大の職員に対して「事故当時は夏休みで、学生はほとんどいなかったんでしょう」「ヘリは爆発したんですか」と、質問するなど、ヘリ事故の基礎的事実について詳しく把握していない様子だった。(沖縄タイムス記事より)

 この町村外相の発言は、その直前にトーマス・ワスコー在日米軍司令官が全く同じ発言をして沖縄が怒りにつつまれている中でなされたもので、「政治家の発言」としては全くお粗末としか言いようがないものです。驚くべきことに町村さんはワスコー発言とその後の経過を知らなかったと述べておられ、事故の詳細についても全く御存知ありませんでした。つまりスタンドプレーでぶらりと「話題の現場」を訪問して、適当なことを言っていただけなのです。怒りの前に軽蔑が先立ちました。
ところがあまり知られていませんが、この同時期に石破防衛庁長官(当時)が、以下のような発言をしています。

「事故の知らせを聞き身の毛がよだつ思いがした。この事故を間違っても、不幸中の幸いといってはいけない。一歩間違えば大惨事になることであって(犠牲者がでなかったことは)奇跡に近いことだと思っている」
「仮に自衛隊機が事故を起こしたとすれば、原因が明らかになるまで絶対飛ばさない。地元の人たちの理解や安全が優先する。それでなければ基地は維持できない」

 当たり前といえば当たり前の発言ですが、とりわけ「間違っても不幸中の幸いといってはいけない」という部分は、論評にすら値しない町村発言への批判ともなっており、何かしらすごく立派な発言であるかのようにも見えてしまいます。もちろん石破さんは沖縄での米軍基地の存在や、あまつさえ「移転」とい名の新規建設・拡充を是とする立場で発言しておられます。だから石破さんは沖縄県民にとって敵の一人であることに間違いありません。ですがこれは確かに「敵の政治家の発言」でした。

 それ以来、私は石破さんを「敵」として認めるようになりました。町村さんなんぞ敵ですらないただのバカです。ところがあーた、当時の右派系のブログなんかでは、もっぱらこの町村外相の超おバカ発言をかばうようなエントリーが並んでいたのですよ。もしも私が右派で、なおかつ在日米軍の存在を絶対に必要と思うような立場であったなら、むしろすべてを台無しにしかねない町村発言には左派の千倍は烈火のごとく怒って即時の罷免を要求したでしょう。そして石破発言を積極的に紹介したと思う。ところが右派のサイトでごく常識的な石破発言を紹介しているところは私の見る限り皆無であって、むしろ非常識な町村発言の方を積極的に取り上げてヨイショしていました。要するに日本の右派のレベルというのはこの程度なのかと、左派の一人としては(皮肉ではなく言葉通りの意味で)大変に安心しました。

 今回の衝突のニュースでは、官房長官になった町村さんと石破防衛大臣が交互に画面に映るので、なおさらこの時のことを思い出してしまいます。福田さんが高村さんを外相に横滑りさせて代わりに石破さんを防衛大臣にした時は「敵の立場から考えれば妥当な線だな」と思いました。石破さんは専門知識もあるということになっていますが、敵の立場で考えても、それが単に軍事問題に詳しいという「軍事オタク」であったり、ましてや「防衛族のドン」では今やお話にならないレベルでしょう。なぜなら軍事としては正しくても、政治としては間違っているということはいくらでもありうるのですから。石破さんの国会答弁を注意深く聞いていますと、「防衛大臣としての所管」とそうではない部分を明確にわけて答弁していることがあります。これは「軍事」を預かる者としては大変に重要なことです。軍事は政治目的の範囲内に押し込めて管理しなければならず、そして使わずに政治目的が達成できるならそれが一番いいのです。「軍事オタクの論理」で国政を決定してはいけません。「軍事上の必要性」で国政を左右していけばいくらでも「軍事」は肥大化し、最後は軍事の論理が政治全体を支配してしまいます。

 この点で佐藤議員は少なくとも「軍事関係者」としては完全に失格なのです。「政治が軍事を支配する」という軍人として最もわきまえていなくてはならない視点がありません。発展途上国でクーデター起こしているタイプの人です。おそらく「いい人」なんだろうなとは想像されますが、これでは先進国の軍人と言えるレベルに到達しておらず、佐藤議員には、この先いっさい軍事関係の事務に触れさせて絶対にいけません。むしろ右派の立場で考えれば、できるだけ早く国会から追放する以外にはない人です。佐藤発言をかばっているようでは、日本の右派だの軍事オタクの底が知れるというものですよ。左派の立場としては、佐藤さんがこれからも軽いノリでホンネ発言を繰り返し、小池百合子さんあたりがそれをかばうおバカ発言をしてくれたほうがあり難いですけれどもね。ただ、左派がそれを打倒できずに、核武装発言の「麻生内閣」あたりで、そのまんま「ノリ」でいっちゃうようなことがあると……恐ろしいですね(笑)。マトモな右派の皆さんには頑張ってほしいものです。

 そんなこんなで、今回の事件については、石破さんの発言にも注目しています。今のところ「防衛省からの調査報告」をそのまんま読み上げているだけで、あとは「あってはならない事故」を繰り返すだけ。発言にはかなり慎重になっておられるようです。また、その報告にしたところが「確認したのは(相手に回避義務のある)緑灯。なおかつ全速後進までかけたのに間に合わなかった」という防衛省の報告と、「イージス艦が(イージス艦に回避義務のある)赤灯を見せて航行する漁船団の中に突入してきた。速度は全く緩めずにまっすぐだった」という目撃者の証言がかなり食い違っており、しかも誰が見ても目撃証言のほうが信用性があるように感じるのが現状です。

 米軍事故に関しては「仮に自衛隊機が事故を起こしたとすれば、原因が明らかになるまで絶対飛ばさない。地元の人たちの理解や安全が優先する」と言った石破さん。いざ身内の不祥事に対しては職を賭してでも同じ態度が貫けるでしょうか?それによって石破さんが左派にとって確かに「敵」と認めうる存在なのか、それとも単に日本を滅茶苦茶にしているおバカの一人にすぎないのか、その真価が問われます。もちろん自衛隊艦船は原因が明らかになるまで絶対に出航させないんですよね?
 できればこれ以上脱力させないでほしいものです。頼むから怒らせてくれよ!と。

今回は雑談になってしまいました。次回に続きます。

■トラックバック送信先など

イージス艦あたごと漁船の衝突事故と防衛省の体質(保坂展人のどこどこブログ)
やっぱり直進していた?(土佐高知の雑記帳)
イージス艦衝突事件をどこに求めるのか(草莽崛起)
イージス艦問題で見える保守派の劣化ぶり(vanacoralの日記)
組織防衛に値する組織なのか(天木直人のブログ)
元海上自衛官「防衛省は虚偽の発表をしているように思う」(低気温のエクスタシー)
責任を問われないための『軍事機密』(どこへ行く、日本)
石破ちゃんたらギッチョンチョンでバイノバイノバイ(中年ジェット)
あたごの航行記録を開示せよ~真に市民の生命を守る組織であるならば…(情報流通促進計画)
軍隊と人権・軍隊と金権/自衛隊はいらない(多文化・多民族・多国籍社会で「人として」)
自衛隊は前を見ない(非国民通信)

2件のコメント

勘違いしないで欲しい。

>「仮に自衛隊機が事故を起こしたとすれば、原因が明らかになるまで絶対飛ばさない。地元の人たちの理解や安全が優先する」

航空機の事故が起きた際に事故機の同系機を全機飛行停止にするのは、エンジンや機体に問題があった場合を考慮するからです。もし航空機の事故が人為的なミスであったと判明したら、即座に飛行は再開されます。これまでの事例もそうだったでしょう?

そして今回のイージス艦の事故は、艦の舵など機構的な問題ではなく、既に事故原因は人為的なものである事が明白です。

>もちろん自衛隊艦船は原因が明らかになるまで絶対に出航させないんですよね?

故に草加氏、貴方のこの要求は的外れです。

>税金で雇われた自民党の私設ガードマン
それは「相手を単純化する」ことでは?向こうもまた多分、同じように「相手を単純化」し、人間とみなさないでいるだけでは…
公安警察・機動隊の人間に対するインタビューの成功例はないのでしょうか?

そしてそれら、日本にとってきわめて重要な治安・ダーティセクションに問題があるなら、なぜ民主国家としてそれを改善しようとしなかったのでしょう?

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