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懐古的資料

青年の党派たれ! 戦旗派86年年間総括

戦旗派内部組織総括一覧懐古的資料室目次

1986.4.29 天皇在位60年式典粉砕集会

目次 戦旗派86年年間総括
00.はじめに
01.86年攻防の事実経過(前半期)
02.86年攻防の事実経過(後半期)
03.86年に到達したわれわれの位置
04.武装せる革命党としてのわが同盟の共同主観
05.革命運動における牧歌的概念の克服
06.組織建設が低迷する場合の根拠
07.専門化とマニュアルの推進に対する考え方
08.三里塚二期決戦を熱田派と共に闘いぬく覚悟
09.革命的議会主義に立脚し上福岡市議選挙必勝を!
10.87年階級攻防をつうじ戦取すべきもの

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はじめに

 全国の同志・友人諸君!
 86年階級攻防を通じ、わが同盟は3・22三里塚、4・29天皇在位60年式典粉砕宮下会園、5・4東京サミット粉砕元町公園、7・27戦旗・共産同政治集会東京勤福、9・14三里塚、10・19反安保国際連帯行動芝公園、12・14労学総決起集会主川区民会館の6波にわたる全人民的政治闘争を全国結集をもって闘い抜き、4・29(××××名)、7・27(××××名)、10・19(××××名)、12・14(××××名)の4回の××××名以上動員を実現した。
 又2・3対関西新空港会社、2・28対北総農業開発事務所、3・25対皇居・アメリカ大使館、7・23対小泉揚水機場、10・14対首相官邸・運輸省の5波にわたるゲリラ・パルチザン戦闘を炸裂させ、いずれも大勝利を克ちとった。

 これらの階級攻防を通じわが同盟戦旗・共産同は、かつてないプレゼンスを日本階級闘争史主に刻印することに勝利し、前衛党としての革命的権威を圧倒的に高めあげたのである。
 動員的にはわが同盟は既に1984年6・17反トマ横須賀闘争より××××名以上動員を達成していたのであるが、党としての力を市民社会的にも刻印し認知せしめるに至ったのは、86年階級攻防を通じてであるといわねばならない。

 この勝利はわれわれ一人ひとりの血と汗であがなったものだ。
 これは共労党-第四インターの基盤である協商懇右派構造への大衆運動的依拠の構造からの脱却をはかり、独自の潮流建設-戦闘的左派の革命的再結集を追求してきたわが同盟が、その前提となるコアとしての党自体を日本階級闘争上に遂に戦闘的に定立せしめたということを意味する。

 83年3・8分裂にさいし、革共同から「兎」とヤユされたわが同盟であったが、今や商業新聞さえもが「現在の過激派22派の中でもトップクラスの戦闘力があるといわれる」(86・10・15『東京新聞』)などと、わが同盟を紹介せざるをえなくなっている。この3年間組織的な主要な課題として党の武装力のアップにつとめ、戦争と暴力を政治の道具として行使できる存在への飛躍を追求してきた経緯からいえば、こうした紹介をせざるをえなくさせたというだけでも大勝利である。すなわちわれわれは、武装せる革命党としての戦旗・共産同の政治的プレゼンスの拡大という政治目的を貫徹したのである。

 課題となることはかくのごとき自己止揚をとげてきたわが同盟が、文字通り定着化された組織の力量性として評価にかなう意志結集を持続せしめ、より強固な党的団結の形成にもとづき、必要なときに必要な力を発揮せしめる実体的力量性を高めあげ続けることだ。
 たてまえとしての意志結集ではなく、決意と覚悟と政治性において、それ以上に訓練と存在のあり方において武装し闘う革命党としての構えを保ち続けること、これを課題として闘い抜かねばならない。
 単なる一過性としての武装ではなく、戦略的総路線における武装の保持、日帝打倒を暴力革命の貫徹により実現しきる力量性の構築、この命題を基本原則としてあくまでも闘い抜くことは、長く険しいが、そうであるからこそ一層の情熱と生きがいが生み出される。何よりもかかる闘いを実現しぬくこと、これが革命の実現のための本質的な課題に応えぬく道なのである。

 わが同盟が第四インター・共労党潮流に対し、独自の政治的影響力を保持しぬけるようになったのは、結局はその存在の在り方が彼等にまさっていたということにつきる。右翼民間反革命の3・25以降の襲撃に対し耐え抜き、反撃の体制を構築しえたのは、アジト生活を基本とした組織生活の左翼性が、党への帰属性を単なるお題目化させず、実体化させていることに究極の根拠をおいている。
 つきつめていえば、その革命党に何ができるのか、どこまで闘いぬけるのかの根拠は、それを組織的に担う主体がどれだけ成熟をとげているのか、どこまで試練に耐えぬけるのかにすべておっているのである。
 主体の政治的、思想的、精神的な成熟の在り様が、不可能を可能ともするし、その全く逆に容易なことを不可能事にもおとし込めてしまうのだ。
 その点でわが同盟の勝利性として確認されるべきことは、単に大衆動員が拡大したとか、3・25や10・14などの果敢なゲリラ・パルチザン戦闘をやりきったという点にだけ基軸が求められてはならない。大衆動員の拡大を可能とし、3・25や10・14を可能とするような政治的力量性の蓄積が86年において実現されたこと、それこそが評価されねばならないのである。

 別の言い方をすれば、83年3月の状態から出発しつつ、戦闘的な共同主観の構築を続け、86年にまで至ったその歩みの中で、己れがその意識性において取り残されていないか、自らの実存性において闘いの担い手としての力量をはぐくんできたかどうかこそを、個々の主体は問題としなければならない。
 大衆運動主義的な「たてまえ性」を基軸とした意志統一の背後にある、革命運動の実践的な担い手としての己れ自身とむき合い、少なくとも対象に対し武装の必然を語るならば、その武装の担い主としての己れ自身の構築に向け、せいいっばいアプローチしていこうとするヴィヴィッドな精神の構造、これをわれわれ一人ひとりが保持しつづけなければならないのだ。
 有機体である革命党が組織的生命力を保ち、根をひろげ、発展しつづけていくためには、個々の構成員がヴイヴィッドでありつづけ、発展しつづけねばならない。
 強い組織の存在は、その強い組織の担い手の存在に規定づけられているのであって、その形成の闘いぬきに何を語ろうとも空語である。

 ゆえに本政治組織総括は、勝ったことの確認のためではなく、もっと強くなるための課題性をつき出すことを目的とし、大衆運動上の課題を羅列するのではなく、その大衆運動を担う主体の獲得すべき観点、到達すべき地平を明確化させることを目的として書かれている。
 そのなかから戦旗・共産同運動の原点とは何かを再度明確化させ、87年三里塚二期決戦と上福岡市議選を徹底的に戦闘的、革命的に担いぬける組織主体の実存的形成の道をつき出していきたい。
 87年三里塚二期決戦の到来という情勢に規定され、闘うために闘うのであってはならない。この闘いの遂行をつうじわが同盟はより巨大な存在へと自己止揚を克ちとり、現在とは異なる位相の下に必ず入り込むのだ。それが戦旗の闘い方である。
 ボリシェヴィキになるための一階梯として三里塚二期決戦をむかえうつのだ。

 すべての同志諸君! 人民の聖戦(ジハド)の準備に入れ。ジハドを発動できる己れの構築を課題とし、更なる自己止揚の道を共に歩もう。共に苦闘し、もっと巨大になり、もっとすさまじい存在にまで高まっていこう。
 正真正銘の決戦の時が迫っている。87年三里塚二期決戦に死力を尽くし、己れの存在を問うて闘いぬくことはこの十年来の論理の帰結である。
 わが同盟の前進は、すべての同志諸君の刻苦奮闘の精神、人民必勝不敗の信念の発揚にすべてかかっているのだ。
 大きな革命的自覚をとげ、闘いぬき、そして必ず勝利しよう!

⇒ 86年攻防の事実経過(前半期)

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