国家・国籍

中島みゆきさん『生きていてもいいですか』―「エレーン」と「ヘレン」

※mixi日記からの逆輸入です。4年前(2013年)に書いた文章ですが、なぜか定期的に思い出します。ちょっと今、心情的に載せたくなり、あらためて加筆の上でこちらにも転載します。

 初めて中島みゆきさんの「エレーン」という曲を聞いたのは高校生の頃だったでしょうか。まだネットなんて影も形もなく、音楽はレコードとカセットテープで聞いていた時代で、その手の情報は主にラジオの深夜放送という頃でした。

 一般にはそんなにヒットしたという印象はありませんが(シングルカットもされてなかったと思う)、不思議と印象に残る曲で、みゆきファンの間では最高傑作にあげる人もいる有名な歌です。私も長らく心に残る曲として覚えていましたが、ネット時代に入ってから、これが実話であることを知り、大変にショックを受けました。中島みゆきさん本人が、コンサートであかしたそうで、すでにファンの間では大変に有名な話だったそうです。

 中島さんが20代の頃、ヒット曲に恵まれて都内に拠点を設けるにあたり、「有名人の居宅」として騒がれるのを嫌って、麻生の外国人専用マンションを選んだそうです。そこに「ヘレン」と名乗る外国人娼婦が住んでいました。中島さんはヘレンと知り合い、時おりカタコトの英語で会話をかわすようになります。彼女は髪を金髪に染め、いつも派手な化粧と、ファッション雑誌から切り抜いたような派手な衣装を着ていました。自分をモデルと自己紹介しましたが、夜になると何度か住人以外の日本人男性がやってきて、ヘレンのドアをノックし「ハウマッチ?」などというところを目撃するようになります。

 そんなある日、警察が中島さんのマンションを訪ねてきました。ヘレンが殺されたので、住人にも聞きこみをしたいというのです。ヘレンは顔面を潰されて絞殺された上に、全裸でゴミ箱に捨てられていたそうです。顔が潰されているので、しばらく身元も特定できなかったとのこと。手口と状況から見て、所持品目当ての犯行という疑いよりも、「客」がいざこざから犯行に及んだとの疑いが濃いとのことでした。

 中島さんは訪ねてきた刑事に「だったらヘレンの客にあたって事情を聞けばいいのでは?」と質問してみました。刑事の答えは「それはわかっているが、誰が彼女のことを話したがりますかね?」だったといいます。聞き込みなんてしても、どうせ誰もヘレンのことを知っていたとさえ話したがらないだろうと、だから最初から無駄なことだと言うのです。中島さんは絶句するしかありませんでした。

 これだけ無残な大事件なのに、新聞はたった数行の扱いでした。前述のように警察の動きも鈍く、結局は犯人もわからないまま早々に迷宮入りします。ヘレンには身内もおらず、やむなく管理人がヘレンの荷物を整理しましたが、華やかにみえた衣装は実はすべてが安いまがい物で業者も引き取らず、ゴミとして出すしかなかったそうです。

 私でさえ大きなショックを受けた話です。若き日の中島さんは、自分と同年代のこの女性の死を、どういう思いで受け止めたでしょうのでしょうか。

そしてこの歌ができました。

中島みゆきさん『エレーン』の歌詞(うたマップ.com)

 歌詞の「生きていてもいいですか」はアルバムのタイトルとなり、この歌は同アルバムの中心的な曲となっています。

 重要なことですが、中島さんは曲の中で、決してヘレンの生き方を美化も肯定もしていません、まして安易な同情を歌っているわけでもない。ただ、ヘレンを金で抱きながら、口をつぐんで悪口を流す世間への嫌悪感、そしてただ哀しみを歌っています。同情でも美化でもないこの哀しみが、この曲が心に残る所以だったのかなと思います。

 人の死は平等ではない。そのことがただ哀しい。同じように惨殺された人でも、大きく報道されて世間の同情を集め、何年でも警察が威信をかけて捜査することもあれば、同じような目にあいながら、わずか数行しか報道されず、さっさと迷宮入りあつかいされてしまう人もいる。

 刑事が訪ねてくる数日前、おそらくはヘレンが殺されるまさにその前日、中島さんがマンションのランドリーで乾燥機を回しているヘレンを見かけます。その時のヘレンはいつもとは違い、濃い化粧が抜け落ちていて、珍しく沈んでいるようにみえました。「これが私の普通の顔よ」と言って恥ずかしそうに笑って振り向いたヘレンの素顔は、普段よりもふけてみえたが、一番きれいだったと中島さんは語っています。

 学生時代に調べた正当防衛の判例で、ホテルの密室に呼びだされた娼婦が、客の男性から酷い「SMプレイ」を強要され、殺されるかもしれないという恐怖に逃げ回っているうちに、あやまって男性を突き飛ばして死亡させたという事例がありました。この事例では弁護士の努力にもかかわらず、正当防衛が認められずに実刑となり、女性は刑務所にいきました。理由は女性は娼婦なのだから、男性の要求をある程度は受け入れるのが当然だからということでした。

 同時に調べた別の事例では、空き巣にはいった泥棒に遭遇した男性が、逃げる空き巣を家の外まで追いかけて、そのままバッドで殴り殺したという事例がありました。この場合は正当防衛が認められ、男性は無罪になります。男性の「自身ではなく家族を守るためにやった」という証言が決め手になったそうです。

 人の死のあとに残るのはその人の生き様だけです。それに安易な肯定も同情も美化もしません。ただ、あとから作られた社会の価値観によって、自分だけは手を汚していないような顔をしながら、人の死に優劣をつけて分類していく、そんな世間の仕組みを見ながら、それがとても哀しい。

 そういう、人ならば当然に感じる人間らしい感性を「中二病」などと切り捨てたり、そんな人間らしい感性を失っていくことが大人になることだとか、それをなくすことが求められるような社会が哀しい。だからどうだとか言う前にただ哀しいのです。

 せめて、中島さんの歌を通じて、ヘレンという女性がいたことをいつまでも覚えていたいと思います。「エレーン」は今日も私たちの食卓を窓から眺めていると思うから。

 私は(そしてわりと多くの人もそうだと思うのですが)この話を聞いて、聖書で一般に「姦通の女」と呼ばれている話を思いだしました。中島さんの通っていた藤女子大学は北海道で唯一のカトリック系の女子大だったそうです。中島さんも、おそらく刑事の話を聞いた時、この話を思い浮かべたのではないかと思います。

 イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、 御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
 「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。
 「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか」
 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
 「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
ヨハネによる福音書、第8章の1~11節)

 私はクリスチャンでもなんでもありませんが、このヨハネ福音書の「姦通の女」の話はルカ福音書の「放蕩息子」の話と並んで好きな話です。宗教的な解釈やキリスト教(会)が歴史的に果たした役割などの問題を別にすれば、こんな短い話の中でも視点を変えるだけでいろんな解釈ができてしまう深さがあります。とりわけ放蕩息子の話はそうで、短編の名手だった芥川龍之介が舌を巻いているのもわかります。

 おそらく『星の王子様』みたいに人生経験や年齢で全く違う印象を受けると思うし、あまり解釈しすぎないでそのまま味わえばいいんだろうと思いますが、私としては左翼活動家時代に生き方の心構えとして聞かされた「永遠の今」という言葉に通じるものだと思っています。もっともこの言葉は、福音書の内容を裏返したような、または「放蕩息子」における兄に視点をあてたような使われ方ばかりしていたのが残念です。もちろんそういう視点も重要なのですが、そういう狭量な意味だけではない豊かな内容として、もう一度「永遠の今」を人生の指針にしていきたいと思います。

コメント

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