マキァベリ『君主論』ノート

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補論)毛沢東政治のルーツ『孫子』

孫子(孫武) それでは近代政治とは異質ともいえる毛沢東政治のルーツはいつたいどこにあるのか。それはマキァベリにではなく、彼よりもニ千年も昔(紀元前五~六世紀)に生きた中国の孫武が著した『孫子』にあるといってよいだろう。
 東洋政治の源流ともいえる『孫子』は、よくマキァベリやクラウゼヴィッツの西洋近代政治と対比され、論じられる。『孫子』に関する評論は別稿にゆずるとして、ここでは『孫子』の政治が「人の要素」を基軸に展開されているといったことの指摘にのみとどめたい。

 『孫子』の『始計篇』によれば、「一に日く道、ニに日く天、 三に日く地、四に日く将、五に日く法」というように戦争の勝敗を決する第一の要因に「道」をあげている。 「道」とは「君主と国民を一心同体にさせるもの」「これがありさえすれば、国民は、いかなる危険も恐れず、封主と生死をともにする」のだとしている。まさに民心との結合=人の和に立脚した人民の大義の実現こそが政冶の大道であることを説いているのである。

 二番目に天、すなわちチャンス、三番目に地の利、四番目に将、すなわちリーダーの力、五番目に法、すなわちシステムを『孫子』は勝利の条件としてあげている。
 この中で四番目にあげた「将」すなわちリーダーの条件として「智、信、仁、勇、厳」の五つをあげている。ここにおいても「信、仁」といった近代政治にはないファクターを『孫子』は全面に押し出しているのである。

 このように「人の要素」をあくまでも第一におく観点によって『孫子』は貫かれている。ちなみにかかる観点を基軸に『孫子』の日本版を作成したのが、「人は城、人は石垣、人は堀、情は味方、仇は敵なり」といった名文句で有名な武田信玄の(執筆者は別)『甲陽軍鑑』である。

 こうした『孫子』系列の政治では、敵に対する構えといった点をとってもかなりマキァベリ系列とは趣を異にする。
 『孫子』には次のような条りがある。
 「囲師には必ず闕き、窮寇には迫ることなかれ」、要するに「敵を包囲したら必ず逃げ道を開けておけ、窮地に追いこんだ敵には攻撃をしかけてはならない」といった意味である。
 また『甲陽軍鑑』は次のように説く。
 「父、覚悟なき故、成敗するといえどもその子別して 品功をぬきんずるにおいてはいきどおり散ずベきこと」、要するに「いくら敵の家系とはいっても親と子は別に考えよ」と言っている。

 これらに対してマキァベリはどうか。『君主論』において彼は、敵国の制圧の最善の策として「市民の抹殺j を説き、「自分が奪った国の君侯たちの血統をことごとく根絶してしまう」ことを訴えている。
 また現代的政治における対比でみるならば、毛沢東は「日本帝国主義者と日本人民は違う」ことを力説し、国内政策にあっても「病いをなおして人を救う」ことを党是としていったわけだ

 が、スターリンの政治は、卜ロツキストの総せん滅であり、クラークの家ごと村ごとの撲滅であったのである。以上のことからもマキァベリ流の近代政治と『孫子』流の政治では大きな開きがあることがはっきりする。
 われわれは、『孫子』~毛沢東へと連なるアジアの政治の流れの中にスターリン主義をこえ出る核心が孕まれているものと考える。

 この中から「力の論理」の一人歩きを制動し、あくまでも人民の大義とモラルを体現する革命運動の大道をつかみとっていくのでなくてはならない。文字通り「人民、人民こそが歴史の主人公なのである」(毛沢東)といった歴史の真理を片時も忘れてはならないだろう。

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