基地のせいで失業率の高い(完全失業率11%)沖縄では、かつてはどうせ基地に反対しても無駄なのだから、そのぶん本土から金を引っ張ってくるのが政治家の仕事みたいな考えも根強かったそうで、それを引き継いでいる(利権派)のが自民党本部派です。この誘惑は県民が基地を嫌悪してても一定効く。そしてこの争点隠しのおかげで公明もブロックを組めるし、また、公明の存在のおかげで争点隠しがスムーズにすすむという構造なわけです。
「イデオロギーよりアイデンティティ」の正しい意味
でもいつまでもそんな時代ではありません。「沖縄は基地の落とす金や補助金でもっている」などと、未だに20年以上前くらいの認識で、沖縄を見下している(それが見下し差別していることだとすら気がつかない)人も本土には多いですが、普通に経済が発展していく過程において、島の要所や景勝地に存在している米軍基地が、沖縄の経済発展にとって大変な阻害要因になることは、ちょっと考えれば子供でも容易に想像がつくはずです。いつまでも復帰直後の沖縄ではないのですから。
ここに沖縄自民党が、自立的発展をめざす翁長知事ら県民派と、今までとおり補助金しか口に出せない本部派に分裂した根拠があります。この大きな問題に対して安部政権が沖縄県民に提示できるのは、結局は補助金の類でしかない。そういう湯水のように基地賛成派に注がれてきた補助金で、結局は沖縄の経済は発展しなかったし、末端の庶民の生活は潤わなかったというリアルな現実が、翁長県政登場の背景にある。それでも基地を押し付けるのは沖縄が本土政権にとって見下された国内植民地であることの証明にしかならない。
この問題についてすら、「翁長知事は中国の手先」みたいなイデオロギー的な妄言しか言えないネトウヨさんは、そのあたりまるで基地問題を「左翼 VS 右翼」のイデオロギー闘争みたいな観点で勘違いしている。まあそれも一部なんでしょうが、基本的にそんな古臭い考えでは、「日米安保支持」の保守政治家や、地元経済界までが新基地建設に反対してオール沖縄を形成していることの説明ができない。こと保守に限って言うならば、それは沖縄の自立発展を目指すか、旧来通りに基地関連は仕方ない所与のものとして補助金を引っ張って、基地利権で生きていくかの選択による分裂なのです。
この分岐と選択で、長年沖縄県民はゆれていたと思う。その選択はかつては保革の対決として表現されていました。それが今や沖縄の発展と共に、保革を超えたものになっている。だからそれは政党の組み合わせとかを超えた「オール沖縄」なのです。それを端的に表現したのが翁長知事の「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉でした。
80年代の太田革新県政が国の壁を突破できずにつぶされ、その後長く従来型の自民党県政が続きますが、補助金頼りでは生活は潤わないし、経済も発展しない。そこに民主党政権で希望をみたら、上げて落とされ翻弄され続けた。その民主党政権時代には沖縄の心を代弁してくれているように感じた仲井真知事も、安倍政権になったとたんにコロリと県民を裏切った。
こういった歴史的な経緯の末に出た翁長さんの「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉は、沖縄県民の共感と、より所となる希望を与えたと思う。そのことは4人の候補の中で、単独で過半を圧する支持を集めて現職を破った翁長さんの得票にあらわれている。そういうここ30年くらいの経緯を考えないといけないと思う。
この沖縄の自立と希望を、安倍政権は力で叩き潰し、またぞろ補助金(基地利権)を前面にだした国内植民地に押し戻そうとしています。沖縄の人々が希望を失い、「やはりダメだったか」と諦めたときに安倍のごり押しは成功するでしょう。実際「どうせ国に逆らっても基地はできるんだから、だったら国から金をとっとほうがいい」という旧来の古臭い考えをのべる人もいるようです。けどそれは決して「基地があってよかった」と喜んではいないですよね。だから普通は基地賛成派ではなく、容認派と呼ぶ。
団体でこれを言うなら沖縄の裏切り者だ。実際「翁長はわかっとらん。どうせ基地はできる。そこで金をとるならわしらの出番だ」と、手ぐすね引いて、沖縄県民に堂々と諦めの哲学を説く、旧来の保守利権屋もメディアに登場している。利権をとるためには沖縄の自立を諦め、基地受け入れが前提になるのでこれは裏切りなのです。けど、市井の個人が言うぶんにはなんか裏切り者とは私は言えない。沖縄の人が自分でそう言うのは自虐にしかならないし、逆になんかすごく悲惨な光景に見えるんです。こんな自虐を沖縄の人に言わせてしまうことについて、本土の日本人である私は、それを怒るよりもすごく責められている感じしかしないです。
一方で、「今まで基地はあるんだから仕方ないと思っていたが、また新基地を沖縄に建設するという。これはもう嫌だ。許せない」と、容認から反対に転じる人もたくさんいます。どちらにせよ「やはりダメだったか」と沖縄県民に思わせたくない。
再度確認するなら、翁長県政は「革新県政の再来」でもなければ「左派の保守への屈服」でもない。言葉の正しい意味での「オール沖縄」の希望なのだ。その沖縄発の希望を中央政府の暴圧と利権派の挟み撃ちで潰されたくない。沖縄の人たちがまた諦めるところをみたくない。逆に全国に広めたい。来年も頑張りましょう。
次回は最後のまとめと、沖縄と並んで来年の最大のテーマとなるであろう改憲阻止闘争の展望を考えたいと思います。
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