オウムという鏡に写してネットを見る 「仏教講座に参加してみた」追記

井上嘉浩 昨夜投稿した仏教講座の感想で書き忘れたことを、追記として書かせていただきます。
 講座の中で先生がいきなり「今から20数年前、現代のゴータマ青年たちが大量に『出家』しましたね」と語りだしたところがありました。もちろん私の年代では「オウム真理教事件」のことを言っているのだとすぐにピンときました。

選択することと自由との違いを肝に銘じる

 あれは本来の『出家』の意味からは外れているわけですが、最初はオウムの青年たちも、ゴータマと同じような若者だったのではないか。だが彼らは出家で「自由になる」のではなく、教祖や教団に所属することを「選択した」だけになった。オウムをみるだけでも、似て非なる「出家」の仕方の決定的な違いは如実です。

 ゆえに立場の左右を問わず、ネット内外で政治的な言動をしている人はすべからく、オウムの若者たちのたどった道を他人事と考えずに他山の石としてほしい。もちろんあれほど極端にはなることはそうそうないので、どうしても「オレ(たち)には関係ない」と思ってしまうのもわかりますが、あそこまでいかなくても、小さなあやまちで人を傷つけることはいくらでもありうるのだから。そういう意味では非常に重要な教訓なのです。

仏教にとってのオウム、左翼にとっての連赤

 講師の先生も、いきなりそんな例を出しながら、あまり結論めいたことは言わずに話を終えられた印象でしたが、おそらく宗教学などにたずさわる方々にとって、オウム事件は左翼のある特定の年代の方々にとっての連赤事件のようなものになっているのかなと思いました。

 オウムがあったから仏教がダメなわけではないし、それだけで日本社会がダメだということにはならない。連赤事件があったからそれだけで左翼がダメなわけでもない。けれども「自分は関係ない」という態度ではやはりダメだ。異物を排除して「なかったこと」にはできない。それは保守にとっての日本の戦争責任の問題にも通じる。

 オウムも連赤も、問題の核心を握る人物が死んでしまった点は同じ。連赤の場合、生き残った当事者は、事件を一生背負いつつ、細々とした活動を語り部として続けておられます(ex.連合赤軍の全体像を残す会など)。彼らにそれを背負わせた人間が何らまともな総括もしないまま、もういない点は腹立たしいですが。

 これら連赤の語り部たちは、オウムでたとえるなら仏教への帰依は失わず、それをよりどころにしながらも、なぜそんな自分がオウムのような方向に行ってしまったのかを、犠牲者への贖罪の意識を生涯にわたって背負いつつ、考え続け、後世に伝えようとしているといったところです。

 仏教(宗教や人間の信仰心)とか左翼思想(社会の矛盾への憤りや変革への情熱)などをすべてブン投げ、あんなのくだらない間違いだった、自分は洗脳されていた被害者だったと総括し、個に回帰して事件を忘れ、あるいは閉じこもれば、本人にとっては一番楽だと思います。けれどもブン投げるにはあまりに背負うものが重すぎたのでしょう(さらに本人たちが生来真面目)。

「死刑ショー」で終わらせず考え続ける

 それは本来、同じ社会と時代を生きた私たち全員にも言えるはずのことです。決して問題の所在を個にもとめ、彼らをモンスター、異物として排除し、あとはほっかむりして許されることではない。信仰心、社会変革の善意、何より私たちの社会、そこに生きる人間存在のあり方そのものが生み出した一つの結果であり、何か決まった答えなどない問題です。この先何十年にもわたって記憶し、考えていかなくてはならないこと。それは直接に問題をおこした個々人への法的、道義的な責任追求とも決して矛盾しないはずです。

死刑ショー オウム 連赤の語り部たちは、オウムだと井上嘉浩氏らに相当するでしょう。彼らに罪を背負わせた永田洋子や麻原彰晃らが最後まで問題を総括できずに死んでいった点も似ている。だが両者の「外の世界」への介入度合いや規模が段違いだったことと、この数十年で裁判の厳罰化の流れが飛躍的に進んだことで、オウムの幹部たちは軒並み死刑判決をうけました。そしてほとんど時の政権の政治ショーと化した集団死刑で、彼らは異物として闇に葬られた。

 あとは残された断片を拾い集めて全体を推測していくしかないのですが、公開されている考察の試みの多くが、社会的な視点からのもの、あるいは心理的なものなど外部からの視点が多いように感じます。それは大切なことです。一面で、仏教の論理や哲学的な視点からのものを浅学ゆえにあまり読んだことがない。それは言うなれば外部からではなく内部から、オウムや麻原と同じ土俵でかつ自分自身とも対決すると言える。連赤では逆に左翼の立場からする内部的な総括が大半で、外部からの視点は興味本位のものが多いようですが、本来はこれは車の両輪なのだろうなと思います。死刑ショーによって語り部がいなくなったオウムでは、内部的な視点の考察は推測に頼っていくしかないわけですが。

あなたや私の心にオウムは今もいる

 最後にもう一度言います。立場の左右などを問わず、ネットの内外で政治的な言動をしているみなさん。あるいはそうでなくても社会の中で普通に人間関係を営むみなさん。皆さんの多くが気に入らない人物を殺して埋めてしまうようになるとは思いません。街頭で無関係の市民を無差別に襲うようになるとも思いません。そうは思いませんが、そういう意味ではなく、オウムは(また連赤は)貴重な他山の石として考えてほしい。そして「選択の自由」に甘えるな!

 決してオウムのように極端な「モンスター」にならずとも、日々の言動の中で、彼らと同じ私たち現代日本人は、やはり彼らと同じ行動原理で同じように人を傷つけ、それを正当化する存在になり得るし、またなっています。とりわけこのブログの読者層様にあわせていうのなら、政治的に何かの理想や「あるべき姿」を主張するのなら、そのことを常に心に留めておくべきだと思います。むしろネットで死刑ショーに喝采を叫んだ人々の心の中にこそ、オウムや麻原は今も住んで表に出る時を待っている。

 以下は麻原の公判で、検察側の証人として出廷した直後の、井上嘉浩の言葉(家族への書簡)です。井上氏の数々の証言は麻原(松本智津夫)の死刑判決をはじめ、多くの裁判で決め手となったそうです。

ちょうど一年前、私は新聞、雑誌、テレビなどでやり玉に上がり、まったく無防備にバッシングされ続けていました。そして今回の裁判の報道は全く反対の内容でした。確かに私の対応が変わったこともありますが、まさしく賞賛とあざけりは同じであることを感じます。(デイリー新潮2018/7/17

 余談かもしれませんが、井上嘉浩氏は私と同じ京都の洛南高校の後輩にあたります。年代的にはおそらく私が教わったのと同じ先生にも教わって同じ校舎に通っていたはず。その洛南在学中に入信。卒業の直後18歳で「出家」。26歳で逮捕。同年に拘置所内でオウムを離脱。それから23年間拘置された末に死刑になったことになります。

 彼が出家した年齢は奇しくも私が左翼活動をはじめた年齢と同じ。左翼活動から離れたのが27歳でした。人生や社会に同じような問題意識をもっていたかもしれない彼と私の人生をわけたのは何だったのか。出会いが悪かっただけ?考えると何か複雑な心境でもあります。彼の最後の言葉が私には重いです。この言葉を重く感じられる方々がネットにも多くおられることを願って筆をおきます。

井上嘉浩最後の言葉「こんなことになるとは思っていなかった…」

井上嘉浩

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