自民党退場の後に-「その次」に何が対置されるのか

国会での小泉、麻生、中川各氏

 ここのところ右翼活動家(というよりも最近は脱北者救援のと言ったほうがいいかも)の三浦小太郎さんから連続してコメントをいただきました(→その1その2)。私なりに解釈いたしますと、自民や小泉路線を批判しているだけではダメ、それじゃあそれらを否定して「元に戻す」でいいのかということだと思います。その上でご自分の考えも提示しておられます。

 正確には三浦さんの指摘しているような人は左翼ではなくて国民新党の支持者になるのが本来の筋だと思うので、これが三浦さんのおっしゃっている趣旨に重なるのかどうかはわかりませんが、私も似たようなことは感じていました。つまりね、小泉路線を批判している人の言うことはわかるのだけれど、それに対置するものが、野中広務さんみたいな人の言うこととどこが違うのか、外交・軍事路線以外では必ずしも明確に見えてこないということです。

 たとえば鎌田慧さんの著書『抵抗する自由』は全体としては示唆に富むとても良い本で、政治の中で忘れられ踏みつけにされる民衆に光をあて、そこへの共感と怒りに満ちた好著なのですが、鎌田さんは同書の中で、かつて自分は「一億総中流時代」を「板子一枚下は地獄」と言っていたが、今から考えればあれはあれで人々の知恵だったみたいなことを書いておられまして、その部分だけは大変な違和感を持ちました。

 経済成長をバックにした「総中流」路線と軽武装でアメリカの尻についていくという時代をあらゆる意味で「今よりマシ」な政治と言えるのでしょうか。単に長期にわたって経済成長が続いていた稀有な時代だったというだけの話ではないのかと。
 成長を背景に城内平和の維持を最優先にし、後はアメリカの後をついていくだけの時代を表す言葉として、当時によく言われていた「日本は一流の経済と二流の官僚と三流の政治家の国だ」という言葉が、この時代の雰囲気を最も良くあらわしていると思うのです。

 あの時代は「予算を配りたい人」と「予算を分捕りたい人」の綱引きが政治を決めていた。その予算を分捕りたい人にも二種類あって、一つは自民党などの保守勢力と結びついた主に非都市部に多くみられる勢力で、ここに腐敗や利権が生まれやすく、土建政治なんて言われた。もう一つは平和・福祉路線を主張し、社共などの社民勢力の支持基盤ともなった主に都市部住民を中心とした勢力で、左翼からは「物取り路線」とか言われた人々。

 そして私たち左翼はこの構造の外から、こういう体制構造そのものをすべてひっくるめて左から批判していたはず。そして極右派の一部の中でも、復古主義的な主張とからめつつ、この構造そのものを右から批判する部分があったと。経済成長(と冷戦構造)が終わると共に、今までのような予算分配の利権政治が徐々に行き詰まり、迷走する旧来の保守派が退潮していったせいで、あくまでも相対的に極右派が台頭します。その路線は中曽根さんにはじまり、小泉さんで一応の形になる。安倍さんは憲法改悪をその頂点とする完成者としての役割が期待され、本来はその後に麻生さんに引き継がれていくはずだったんでしょう。しかし実際には安倍さんの時代にこの路線は早くも破綻しはじめ、福田さんという「息継ぎ」をかましたけれども、極右派が掘り崩した自民党政権の瓦解は、もはや誰にも止められなかったという流れになります。

 もう少し詳しく見てますと、経済好調時には上記の二つ目の勢力である「福祉勢力」にも予算が配られ、城内平和が維持されていたが、中曽根さんの頃からこの福祉的な予算が削られはじめる。そして小泉さんの時代には一つ目の「土建勢力」にも予算をつけることができなくなった。この危機的な状況を右から突破するための経済路線が「新自由主義」であったわけですが、それは行政が国民保護から手を引いていく中で、国家ができるだけ何もしないことがいいことだ、後は自己責任で勝手にやれという路線だった。しかし規制緩和で何もかもうまくいって結局は国民全体が豊かになるというのは、特に庶民とってはさほどの根拠があるわけではないと私は感じています。それは単に行政の「安かろう悪かろう」化を招いただけで、「自由に」やれたのは金持ちだけ。いわば「規制緩和」はただの呪文と信仰みたいなものにすぎないのでないかと。

 一方でこれを裏付けて支えるイデオロギーとしては、所詮は普遍性をもたない島国的な天皇制・靖国イデオロギーをまたぞろ持ち出さざるを得ない。しかしそれはアメリカ的な「自由と民主主義」というイデオロギーと比べてさえ普遍性に欠け、これで外交路線を含めて国民全体を統合していく理念(イデオロギー)とするにはあきらかに無理があります。それでも天皇制・靖国イデオロギー(しかも単純で偏狭で反対派への弾圧をともなった)しか打ち出せなかったところに彼らの弱点があったと思います。

 安倍さんの時代から明らかになったのは、大きくはこの路線の破綻が鮮明になったということ。それは政争だのマスコミ報道だのの瑣末なことではないわけで、それは極右派もいったんは認めないといけないことだと思う。一番の誤算は経済成長を支えてきた「旧来の保守派」が路線的に破産したにすぎない状況を、小泉劇場の余波もあって自分たち極右派の考えが「支持された」と完全に勘違いしたことでしょうね。単に今まで傍流だったゆえに無傷でいられただけなのに。

 で、このように相手のことはいくらでも書けるわけですが(笑)、三浦さんのご指摘を待つまでもなく、問題は左派の主体的な立場としてはどうかということです。

 確かに小泉時代に大きく右に引っ張られていく時には、一種の「反ファッショ国民戦線路線」もありだったと思う。「国民戦線」路線の内実は、民主などの保守派、社民・市民勢力、左翼の三者だった。この時代に共産党の唯我独尊主義は「国民戦線」に分裂を持ち込み、結局は「ファッショ」側を助けるだけの役割以外を果たせないがゆえに反自民勢力からの批判をあびてきました。実際、その「オール与党」批判は改憲を頂点とする小泉路線に対してあまりに無力で、それを具体的に止める力にはならなかった。しかし、共産党には反麻生の流れと自らのお株を民主に奪われてしまったことを総括した上で、今後は「蚊帳の外で正しいことを主張するだけ」の存在から、ぜひ積極的な役割を果たして存在感を示してほしいと、市井の一庶民としては期待をもって見守っています。

 それというのも、この国民戦線路線が一定の「勝利」をおさめた今、左派としては後に何が残るのかということです。いちど一般市民の民意をはるかに超えて右にふれすぎた振り子を、元に戻すだけで終わるのか。「反小泉」の次にくるのは何であるのか。国民戦線路線のうち、保守派と(共産党を含む)社民派というのは、それぞれ上で書いた「予算を配りたい人」と「予算を分捕りたい人」の連合でもあるわけです。これの勝利が予算の分配比率を元通りにすることで終わるとすれば、カッコ付にすぎないとしても一定の「勝利」の後に何も残らないことになります。左派は何の存在感も示せず、野中広務さんのような旧来の穏健保守の尻押し部隊に堕してしまいます。ゆえにこの「勝利」の後でこそ、民主党をも批判してきた共産党の「オール与党批判」が初めて生きてくる。別の言い方をすれば、今まで共産党の唯我独尊路線を批判してきた左派の側がちゃんと民主党政権と対峙できるのかが問われているということです。

 ただ、これを強調しすぎると、「責任政党論」となって、左翼業界全体の右傾化をもたらしてしまいます。以前に左翼は何でも反対でいいのだと書きましたが、そのことと今回の趣旨は矛盾しないと思っています。ここで脱却を主張しているのは、経済成長の中での予算分捕り、富の再分配を要求していればよいという、つまり「私たちに投票したほうが得をしますよ」という安易な野党根性を批判しているわけです。以前に書いた、新しい価値観の提示というのはそういうことです。今回退場した極右派は天皇制・靖国・国家主義という古臭いものしか提示できませんでした。しかしまがりなりにも提示はしていたわけですよ。これからの民主党政権との闘いの中では、アンチ小泉路線の「次」が問われるわけですからね。

 さて、問題はそれが何かということなんですが、なんとなく方向性は見えるんですが、まだはっきりと形になって見えない。つーか、なんでただの貧乏人のおっさんがそんなことを考えなくてはならんのかと(開き直り)。そういうことは政党や活動家や学者の仕事やろと、正直、単にいろいろな政党の主張をくらべて自分の頭で考えるなんていう普通のレベルを超えて、私ごときが「これからは本をたくさん読んで勉強しなくてはいかんなあ」と、大層なことを思わざるを得ないところに左派の惨状があるんだろうなと思いますよ。目の前にころがる岩を「偉い人たち」は誰ものけてくれない。自分でのけていくしかないんかなあと。

 書きたいことの3分の1ほど書いたところで長文になってしまいましたので、これで終わります。中途半端になりましたがあとはおいおい普段のエントリーの中で書いていきたいと思います。

参考-四トロ掲示板の議論より

◆やっぱ社民党もシブトク頑張ってるみたいねぇwww
投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2009年 9月 7日(月)10時58分40秒

連立与党内の政策協議機関のことですよ。

民主党側は、定例の党首協議ぐらいでお茶を濁したいみたいだけど、ここは社民にも頑張ってもらいたいものです。

社民と共産にはそれぞれ与党と野党として、来るべき選挙制度改革(=小選挙区制の撤廃)の日に向けて役割を果たして欲しい。
社民には民主党内の反小選挙区制議員を、共産には自民内や公明の反小選挙区論者を、それぞれとりまとめ勢力拡大する役割が可能です。

◆自民党の再生を勝手に考えてみるw
投稿者:かめさん@不真面目モード 投稿日:2009年 9月 7日(月)17時32分18秒

バッジ@ネオ・トロツキストさんへのお返事というわけでもありませんが・・・

 自民党が再生するには、まず「古き良き日本を守るためには、保護貿易をやるんだ。」と堂々と言い切ったらいいと思います。私が言うのもナニですが。

 さて、原発建設に反対して農漁業を続けて頑張っておられる某現地の方の所におじゃましたとき、「天皇皇后両陛下」の写真が鴨居にありました。まだ「昭和」だった頃の私の体験です。私は嫌だなと思うわけですが、しかし、その方にとっては、〔天皇〕―〔愛国心〕―〔郷土愛〕―〔このむらにそんな危険なものを建てさせたら、子孫にも先祖代々にも申し訳ない〕―〔原発反対〕ということなのでしょう。
 もちろん私はそれは論理的におかしい、間違っていると思います。私は「むらに原発を押し付けてつくる政治、反対派弾圧のために出てくる警察、国家権力こそが、“国”というものの正体だ」と思うわけですが。でも、どっかりと大地に根を張っている生産者・生活者を前に、都会育ちの若い私がペラペラと理屈こいてもどうにもならない。

 しかし、それはともかく、「保守」ってもともとそういう〔郷土愛〕―〔子孫にも先祖代々にも申し訳ない〕という心情だったはずです。「強い奴が勝ち残って儲かれば何でもいい」新自由主義とかいうのは、そこからは、ものすごく遠い。情緒的にはコミュニズムよりも遠いんじゃないでしょうか。
 自民党は「美しい田畑が広がる日本の農業・農村を守るためには、財界がなんと言おうと『自由貿易協定』なんてやってたまるか。お百姓さんが丹精こめて作って、皆が『粗末にするとばちが当たる』と大切に食べるのが日本の伝統だ」と頑固に言ったらいいと思います。
 そして、町工場の職人気質の人たち、「自分は労働者階級だ」という階級意識よりも、古いタイプの職人の意識(誇り)を持って生きているような人たちを日本の宝として大事にする。職工さんがちゃんと喰っていけるようにする。そういう下請けの町工場の単価を無理矢理値切り、挙句には「人件費の安い外国の工場でつくった方が安い」と切り捨てるような発注元企業には自民党が率先してかんかんになって怒りまくるべきです。
 ほかには例えば、夜明け前から起きて豆腐をつくっている町のお豆腐屋さんや、子どもたちが店先で遊んでて悪さすると叱ってくれる駄菓子屋さんが、ちゃんと喰っていけるようにする。アナクロニズムと言われようが、昔ながらの小さな商店が成り立つようにするにはどうしたらいいか智恵を絞りましょう。自民党の地方議員が「地域活性化」と称して大型ショッピングセンターの誘致をやっているようではいけません。

 なんか『三丁目の夕日』みたいですが(笑)、それを守らないで、自民党は「日本の伝統守る」って、いったい何を守るんでしょうか? 日本の伝統は天皇が守っているのではなく、お大尽が懐古趣味で守っているのでもなく、「根は真面目」な庶民が守ってきたはずです。それを保守しないでどうする!
 あ、余計なお世話ですね(笑)。

◆愛郷一心会
投稿者:伊達 純 投稿日:2009年 9月 8日(火)00時49分53秒

 これ何の会だかわかりますか?

 何か右翼団体のように見えると思いますが。

 実は上関原発の建設計画が浮上した当初、建設予定地から海を隔てて3.5kmのところにある祝島の原発建設反対運動の名前です。

◆Re: 自民党の再生を勝手に考えてみるw
投稿者:三浦小太郎 投稿日:2009年 9月 9日(水)20時19分28秒

こういう保守の政治というのは、今ではむしろ国民新党とか、自民党の中の利権政治家といわれている人にはそれなりに残っているんですよね。私もこういう、ある意味草の根保守の面があったからこそ自民党は強かったのだと思います。

私は東京下町の生まれなんで、こういう感じは今となっては懐かしいというか、自民党が下町の中小企業や商店街をどんどん切り捨ててきたことの問題点は確かに感じます。ただ、逆に言えば、そういう下町の空間、職人意識、まあ広い意味での地域共同体に対し、20代の頃私が憎悪に近い感情、この閉鎖され個人の抑圧される環境が嫌で嫌で仕方がなかったことも事実なんです。少なくとも我が下町に関する限り、結構商店街とか残ったほうですけど、そこを出て行きたかった人、もっと気軽で自由な空間が欲しかった人の気持ちは私はよくわかります。私自身、その意味で故郷を捨てたかった人間ですからね。

昭和30年代の日本のいい面を復活させる政党として自民党が生まれ変わるのは一つの道でしょうが、私はもうそれは時機を逸していると思いますし、あの共同体を破壊したのは別にアメリカ資本や自民党の政策だけではなく、そこから逃げたかった私のような人間でもあったことを思うと、中々難しいんではないですかね・・・地方では可能性があるのかもしれませんね。鈴木宗男氏や古賀誠氏の当選を見、また野中広務氏、さらに言えば田中角栄氏の政治などを考えると、その方向での自民党再生は疲弊した地方では必要なのかもと思いますけど・・

◆自民党退場の後
投稿者:草加耕助 投稿日:2009年 9月10日(木)14時42分58秒

これ、三浦さんのおっしゃっている趣旨にあっているのかどうかわかりませんが、似たようなことは私も感じていました。つまりね、小泉路線を批判している人の言うことはわかるのだけれど、それに対置するものが、野中広務さんみたいな人の言うことと、外交・軍事路線以外では必ずしも明確に見えてこないということです。

鎌田慧さんの著書『抵抗する自由』は全体としては示唆に富むとても良い本でなのですが、同書の中で鎌田さんは、かつて自分は「一億総中流時代」を「板子一枚下は地獄」と言っていたが、今から考えればあれはあれで人々の知恵だったみたいなことを書いておられまして、その部分だけは大変な違和感を持ちました。

経済成長をバックにした「総中流」路線と軽武装でアメリカの尻についていくという時代をあらゆる意味で「今よりマシ」な政治と言えるのでしょうか。単に長期にわたって経済成長が続いていた稀有な時代だったということにすぎないのではないのか。当時によく言われていた「日本は一流の経済と二流の官僚と三流の政治家の国だ」という言葉が、この時代の雰囲気を最も良くあらわしていると思うのです。

そして私たち左翼はこの構造の外から、こういう体制構造そのものをひっくるめて左から批判していたはずです。対して極右派の一部でも、復古主義的な主張とからめつつ、この構造そのものを右から批判する部分があったと。彼らは経済成長の終わりと共に上記のような構造が徐々に行き詰る(資本主義の危機)中で台頭をはじめます。それは中曽根さんにはじまり、小泉さんで一応の形になる。安倍さんはその完成者としての役割が期待され、その後に麻生さんに引き継がれていくはずだったんでしょう。

安倍さんの時代から明らかになったのは、大きくはこの路線の破綻が鮮明になったということ。それは政争だのマスコミ報道だのの瑣末なことではないわけで、それは彼らもいったんは認めないといけないことだと思う。

で、左派としてはどうかということです。小泉時代に大きく右に引っ張られていく時には、一種の「反ファッショ国民戦線路線」もありだったと思う。この時代に共産党の唯我独尊主義は「国民戦線」に分裂を持ち込み、結局は「ファッショ」側を助けるだけの役割以外を果たせないがゆえに批判をあびてきました。

それではこの国民戦線路線が一定の「勝利」をおさめた今、左派としては後に何が残るのか。いちど右にふれすぎた振り子を元に戻すだけで終わるのか。「反小泉」の次にくるのは何であるのか。カッコ付にすぎないとしても一定の「勝利」の後に何も残らないのでは、左派は野中広務さんのような保守派の尻押し部隊に堕してしまいます。

◆本当の勝負は来年の参議院選挙後から!?
投稿者:バッジ@ネオ・トロツキスト 投稿日:2009年 9月10日(木)15時44分24秒

社民党、身の程もわきまえずに頑張ったみたいねwww
でも、それも来年の参議院選挙までかな?
もし、来年の参議院選挙で民主党が単独過半数獲ると、左翼的潮流は議会内では徐々にピンチになるかも。民主は、少なくとも参議院選挙前まではあまり悪い方向に行かないだろうけど、選挙結果いかんではちょい危ないかもね。

ま、いずれにしても日本の左派や一般有権者は、これからはオバマを生んだアメリカ人たちみたいに議会外活動をいっそう強化していくしかないんじゃない。議会主義左派政党はあんまり当てになんないだろうから。
当面は特に、運動参加者が成功体験も得ながら政治全体を左に引っ張って行けるように、民主党が飲み易い環境問題のような政治課題と飲み難い政治課題(たとえば小選挙区制廃止とか)を硬軟とりまぜていろいろ要求運動して行く必要があるように思うよ。
どうだろ?

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2件のコメント

いわゆる”平民宰相”田中角栄氏を、どう評価するのか、という議論は
ひとまず置いといて、自民党時代、自由党時代の小沢一郎氏は、
まさしく「敵側」の首領でした。その象徴だったといっても過言ではない。
しかし、与党中軸から下野し、自民を離れて立党し、民主に至る今、
はたしてどうなのか。
人を評価する場合、その人の行動と発言を元にして判断するしかないわけ
ですが、実際の「政治行動」についてはなかなか知れないところもある。
となれば、その「主張・発言」を素直に受け取ることが、まず、第一では
ないでしょうか。
かつては与党の裏ボス、右派タカ派、そういったフィルターをかけないで、
素直に、小沢氏の、下の演説を読んだとき、私は正直、感銘を受けました。
—————————————————-
 民主党臨時党大会(代表選挙集会) 2008.9
 代表就任挨拶及び所信表明 – 小沢一郎
http://www.dpj.or.jp/special/2008_shoshin/index.html
—————————————————-
    草加さんは、読みましたか?

 所信表明、小沢氏のかつての政治理念からは、大きく変わっております。
 この「変身」を疑うためには、ウソだという疑うに足る根拠が必要になってくる。
 逆にいえば、その根拠・証拠がない限り、この主張を素直に判断するしかない。
もちろん、民主党には自民議員以上の極右もいるし、平然と日常でタカ派発言を
くりかえしていますが、「表立ったタカ派」は少数派のように見受けられます。
 今ある現実の政治に対して、現実の政策提言として何かを言ったり行動したり
する場合、様々な主義や利害の最大公約数を出していく必要があり、極右の処置
は、(民主党内の)今後の課題だと思います。
 ゆえに、民主党の政策は、全体的・総論的にはぎりぎり許諾の範囲内だと思い
ました。
何より、恥ずかしながら、この小沢氏の「所信表明」見て、
ちょっとウルウルきてしまいました。
   「これは左翼のアジテーションだ!」と。
 政策はかつての共産党のスタンスというか立ち位置に近いものを感じました。
「ゆるやかな左派」「暴力革命を是としない左派」「『先進国』における左派」
の結集軸として、通用するものである、と感じました。(年とったのかなぁ)

マスメディアの煽動で誕生した新政権のせいで国際的孤立へ そして恐慌と
政治の嵐の時代へと
以前書き込みをしたをした一山いくらです,書きっぱなしで放置して申し訳ないありませんでした,まずは民主党政権誕生おめでとうございますわたしは自民党に投票しましたけれどだいたい細川連立政権の時のことを考えたらとてもじゃないけど民主党政権なんて恐ろしくて任せられないと思いましたけれどね。
かつて学生運動をしていて反省も総括もせずにマスコミに入り込んでる共産社会、絶対主義者の団塊世代のせいでこれからの後の世に鳩山恐慌と呼ばれることとなるであろう恐慌が起きることが,確定したわけなんですが草加耕助さんはどのように考えているのか知りませんが,良くもそんなのんきなことを書いてますね。
左翼にとっての終わりの始まりなのに

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