〔私論〕労働運動を排除する「過激でない」脱原発はあり得ない

by ときわ列車

常磐在来線主義者 「旗旗」の訪問者の皆さま、はじめまして。ハンドルネーム「ときわ列車」という者です。

 さて、今回の私論はmixiでとある方のボイスを見て、さらに先日会社の休憩室に置いてあった週刊誌の記事を読んで思いついたことが出ましたのでそれをmixi日記に書いたところ、このサイトの管理人であり、mixiやTwitterでもお世話になっている草加耕助さんより掲載のお願いを頂き、ここに転載するものです。半ば「感情」のままに書いてしまって代物ですが、それでもこのまま載せますし、「本音の本音」をみなさんにきちんと伝えたいと思います。

 では本題…

 昨年3月の福島第1原発の事故以来、各地で「脱原発」運動が盛り上がっております。その一方、運動内部では今年3月11日の福島での集会やこのところ毎週起こっている「首相官邸前抗議行動」で顕著にみられたのですが、「労働組合の旗を降ろして下さい」と参加者に求める、ということが起こっています。そして、これは運動内外いずれからも出るのですが、「全原発を即時廃炉に」という主張に対し、「急進的すぎる」とか場合によっては「過激派」扱いするような向きも日増しに強くなっている気がします。下記リンクの週刊誌記事はこれも今回の日記を書くきっかけとなったものの一部です。「急進派」の「落とし所」を批判しています。
http://wpb.shueisha.co.jp/2012/07/02/12330/

 そしてそんな「急進派」に「落とし所」があることや、「過激派」呼ばわりされるのを嫌い、「過激派は排除して『穏健な運動を』」とか「確かに現実的な対案は必要だ」と考える向きが「脱原発」を目指しているはずの人々からも見られるようになっています。

 今回の日記ではその「落とし所」については敢えてあまり扱いません。そうではなくて、今後の「脱原発・反原発」運動のあり方について、僕なりの考え方を書いておこうと思います。

 結論から言えば、「労働組合の旗を降ろせ」とか「過激派は排除して『穏健な運動を』」と言っているならばそういう人は究極的には推進派と軌を一にする恐れが非常に高い、ということです。

 まず労働組合の旗ということに関しては、「労働運動」とのかかわりが問題になってくるわけですが、「脱原発」の運動においては労働組合のコミット無しに事は進まないと考えます。これまで原発を推進し、再稼働を決定してきたのはもちろん国や電力会社ですが、そんな電力会社にべったりとくっついたいわゆる「御用組合」の存在も無視できません。

 この日記を書くきっかけとなったボイスを転載(発言者の許可は得てます)しますと…

野田に原発再稼働させた直接の原動力となったものは、原発推進派の御用組合が発言力をもつ連合からの要求だろう。多くの民主党議員は選挙の際には連合の支援を受けている。そうである以上、連合に代わる新たな労働運動の再構築は、脱原発を目指す上で避けて通れないのではないか

 この点は僕も強く同意します。

 連合(日本労働組合総連合会)は、原発に限らず会社のやることに殆ど異を唱えない「御用組合」の集まりと言われてます。その支援を受けている民主党も「元自民党員」が党役員の多くを占めていたり、「松下政経塾」出身の議員が多くいるなど本質的には「保守」だと僕は考えます。もともと国鉄があった時代に存在し、労働運動で大きな力を持っていた「総評(日本労働組合総評議会)」がその国鉄の民営化と共に解体され、今の連合が誕生した経緯を考えれば、この連合は実質的に自民党ともさしたる「対立」をしないまま、民主党とくっついて政権を取ったと言えます。こんなのが「労働者による労働運動」と認識されているようですが、はっきり言ってそれは間違った認識であると僕は考えます。

 このような現状に対して「労働組合を自分たちの手に取り戻す」ような労働運動が必要になると思いますし、原発に積極的に反対しなかった連合系の労働組合に対するアンチテーゼとしての「反原発的労働運動」は「脱原発・反原発」運動にとって大きなプラスになるのではないのでしょうか?

 それにも関わらず、組合の旗が揚がることを「古臭いからだめ」とか「『市民』の行動だから」などと理由をつけて必要以上に制限するのはどうにもいただけません。いや、「市民」と言っても本質的に「労働者」となっている人がほとんどですから、突き詰めて考えれば「脱原発・反原発」運動自体が一つの「労働運動」と言っても過言ではないはずです。ならばますます組合旗を降ろさせる理由はなくなるはずです。

 労働組合からの「脱原発・反原発」運動の合流は半ば必然ですし、そもそも市井の民衆の殆どは「労働者」であることをもっと考えなくてはならないと思います。

 そして次に「過激派」のレッテル張りについてですが…

 「脱原発」もしくは「反原発」を目指す運動というのはこれまで国や資本が持っていた利権体系の一角を壊すことであり、日本社会の根底を揺るがし、その変革を促すものなのです。そこにおいて権力との衝突は不可避です。そして、いよいよその衝突が始まれば、権力に抗する人々「すべて」が「過激派」扱いされます。その目的は運動の分断にあります。

 「組合の旗を上げるな」と言う意見もそうですが、「『過激』な運動は排除」ひいては「『現実的』な対案を出す」という論理はすべて運動を壊すものであり、運動を取り締まりたい側、すなわち国や電力会社、並びに経済界を喜ばせるだけです。「脱原発・反原発」を本気で目指すならば「過激派」呼ばわりを恐れず、むしろそのレッテル張りを批判し、跳ね返さなくてはなりません。まして「『現実的』な対案」などを出すということは「今の社会体制を前提とした対案」を出すことに他ならず、決して運動を盛り上げさせるものではありません。

 「脱原発」、もっと具体的に言えば「全ての原発を【今すぐ】なくす」ことそれ自体が「根本的対案」であり、それがいくら現状で「非現実的」であってもそれを掲げる方が良いと僕は思います。なぜならば、繰り返しになりますが「脱原発」が日本社会そのものを変えることに繋がるテーゼの一つであり、それを掲げているはずの人びとが「過激派」扱いさせるのを恐れ「穏健な対案路線」に走ってしまったら、それこそ総評解体から連合結成の流れのように運動が「保守化」してしまうからです。

 あとは「過激派」のレッテル張りを恐れ、そういう人たちを除外する動きが運動内部から出るのは、僕が幕末以来現代まで尾を引いていると考える「尊王攘夷」からくるものではないかと思うのです。

 「尊王攘夷」というのは、広い意味で取れば「日本の国の形の根本は変えないで、それを変えようとする勢力(外国人に限らず)を優先的に排除する動き」の全てが入るのではないかと僕は思っております。そして運動の外部はおろか、内部からも挙がる「過激派排除」の声もこれに入ると思います。特に運動内部からのものがより深刻であると思います。

 権力から見れば、運動内部としては「過激」だろうが「穏健」だろうが、体制維持のためにはそんな区別なく取り締まりたいと考えるはずです。そんな中で運動内部で「過激派は外そう」という動きが出たらまさにそれは「渡りに船」。運動内部が「過激」とする人々の参加を拒めば運動の分断は成功し、「落とし所を探られない運動」に走ってしまえば結局それは「権力と折り合いをつけ『仲良く』やっていく」ものに変質し、今の社会体制そのものは維持できることになることでしょう。 つまり、原発はなくせないどころか推進するということです。

 結局のところ、「脱原発・反原発」運動で試されているのは、原発を止めることそれ自体だけでなく、「尊王攘夷」的志向からの脱却でもあるのではないかと思います。僕たち自身の意識のどこかにある「『生活が向上する』程度の変化は求めても、『日本社会の根本』までもが変わることは望まない」という「癖」…実はその根本こそ「尊王攘夷」なのです。

 これを「直す」のは並大抵なことではありませんが、運動で各個人や労組、団体が交流する中でその「癖」が解消されていくのではないか…と少々楽観的ではありますが、そういう希望を見出してはいます。

 もちろん、日本ではここまで毎週の首相官邸前抗議行動のような本格的な社会運動を殆ど経験していませんから、運動の側が「組合の旗を出させない」という「初心者への配慮」をすることには実はそれなりに同意する部分があります。しかし、問題なのはいつまでも「そのレベル」に留まっていようとすることであります。行動を繰り返すうちに「組合旗自由」とか「過激でもOK」といったことを段階的に進めていかないと本質的な社会運動には絶対ならないのですから。

 最後にもう一つこのサイトの皆さんにはっきり伝えておきたいことがあります。

 今起こっている脱原発運動もそうですが、その他の日本で起こっている労働運動や反差別のたたかい(例えば「11月労働者集会」)を「革新的でない」方向から批判する方との交流はいたしません。本当はmixiのマイミクさんやTwitterのフォロワーさん全員と一緒に運動をしていきたいぐらいなのですが、現実としてそういう中にすらこれまで書いたような「一部の過激派が…」という意見を持つ方がいます。僕はそういう「一部の過激派…」という扱いが実は【運動に参加する全ての人】を差別するものであり、権力の弾圧を強化させ、運動内部での「過激派排除」を加速させると思っています。これは、学生時代から様々な運動に関わってきてひしひしと感じてきたことです。

 そんな差別をする方とは少なくともネット上ではお付き合いできません。「労働者」同士でいがみ合っている暇がないのは事実ですが、かといって「仲良しごっこ」をするつもりもありません。是は是、非は非とはっきりさせてやっていきます。

 そして個人的にはいわきでの NAZEN の立ち上げ人の一人となり、「原発即時廃炉」の理想を掲げられる市民や労働者のみなさんと運動を作っていく決意です。

 長い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございますm(__)m

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