by ときわ列車
今回はふと思いついたことをあえてこちらにも書いてみます。これはある種の深読みのようなものなので、あまり構えずにお読みいただければ幸いです。
さて、本題。
僕が好きなゲームに「魔装機神」というのがあるんです。
http://www.suparobo.jp/srw_lineup/masoukishin/index.html
このゲームのストーリー云々をここで書くと面倒なので、取り上げたいセリフがあるシナリオの概要が書いてあるブログのリンクを貼っておきます。(http://dai7hatch.blog134.fc2.com/blog-entry-29.html)
そしてリンクを貼ったブログにちょうど取り上げたいセリフが載っていたのでそこまでの部分を引用します。
ラングラン王国が・・王都が崩壊しています。
そして爆心地の近くに佇んだグランゾン・・・シュウは、マサキに「遅かったですね」と静かに声を掛けます。たった今、全てが終わったと。
変わり果てたかつてのラングランの姿に愕然とし、マサキはシュウに「おまえがやったのか!?」食ってかかります。
しかし彼はその質問には直接答えません。シュウ「私では無いと言った所で、貴方は納得しないでしょうね。あなたには事実より真実の方が大切なようですから」
事実より真実?
用語集解説では「事実は客観的だが、真実は主観が入り込みやすい、というシュウの考え方」とあります。
初めてプレイした時に用語解説をした時には「シュウというキャラらしいなぁ」程度にしか思っていませんでした(というかこのシュウがお気に入りのキャラなんですがw)。しかし、ここ最近「事実より真実」という言葉に感じるところがあるのです。
というのも、例えば在特会やら何かが「在日特権の『真実』を明らかにしてこれを駆逐する」などと抜かすことがありますが、彼らが言う『真実』こそまさに主観が入り込んだものじゃないかと思うのです。
「事実は客観的だが、真実は主観が入り込みやすい」というのは何もシュウという架空のキャラクターの考えではなく、むしろこの実社会に起こることではないのかと思い始めてるのです。
在特会やネトウヨにとっては在日朝鮮人にある「永住権」など特権であることや、中国で多くの人が虐殺された南京事件もでっち上げであることなどが「真実」であるとされていますが、はたしてそれらが「客観的事実」と言えるかどうかに関しては、少なくとも「考える余地」はあるはずです。在特会が「真実」と言ったからといって即座にそれが「客観的事実」としてフィードバックされるべきとは限りませんし、在日朝鮮人からの視点や、在特会とも在日朝鮮人とも関係の無い人々の捉え方なども参考にすべきでしょうし、何よりも「自分自身で経験して確かめる」ことが必要でしょう。
言葉の響きとしても「事実」よりも「真実」の方が心にドスンと来るものが往々にしてあるかもしれませんが、「真実」という言葉自体どこか「感情」が入り込んだような感じを含んでいるためではないかと思います。「事実」を知らない相手に「真実」を突き付けて相手の感情に訴えることで、事件も歴史も簡単に歪んでしまうでしょうし、突き付ける側も、例えば在特会の場合は「朝鮮人・中国人許すまじ」という姿勢ありきですから、自らのそうした憎悪の感情で以って「真実」の「物語」を作ってしまえるのではないのでしょうか?
となると、市民運動や労働運動、そして反原発運動に関わる人々(もちろん僕自身を含めて)にとっても「事実」と「真実」の含んだ意味に注意しなければならないかもしれません。
「原発の真実」、「安倍晋三の真実」という言葉を使ってしまうと、下手したら「感情」の押し付けになってしまう可能性があるということです。もともと原発反対などの心性を持っている人が多数派ならそれでも一向に構いませんが、現実を見るに、そうではない「真実」の方に流れる向きも強いです。
そうであるならば、「客観的事実」はあくまで「事実」だけを伝え、その「事実」が怒りや悲しみの「感情」を生みだしていることを話して行くことが重要ではないのでしょうか?これは本当に「真実」とどう違うんだよという突っ込みが入りそうではありますが、少なくとも「感情に訴えつつもそれだけにしない」ということや、「事実を歪めるようなことを言って対峙する相手に付け入る隙を与えない」ということにはなるかと思います。
それに、現状「真実」という言葉を好んで使うのは、くどいようですが「在特会」などの『極右勢力』の方に多いと思います。そうであるからこそ、そんな「真実」なんぞあんたらの主観まみれじゃないか、こういう「事実」をあんたらの感情で歪めているだけじゃないかということで相手の痛いところを突けると思うのです。
「真実」とは「事実」を感情や偏見・差別で曲解することに他ならないのです。
最後に引用したシュウのセリフのパロディを…
「在日の仕業では無いと言った所で、在特会は納得しないでしょうね。あの者たちには事実より真実の方が大切なようですから」
「事実」と「真実」についての考察は、古い本ですが本多勝一氏の「事実とは何か」に詳しいです。そこでも「真実」は「主観的なもの」が入り込むもので、ジャーナリズムは「事実」を追及すべき…てなことが書かれています。