「小説三里塚」第三章 闘争(前半)

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第20話 夜這い(1)

1964(昭和39)年11月。木の根。大根を収穫しているところ。苦労の末に開拓地はこんなに豊かな農地になった 東峰の天野よし子は子供と二人暮らしの中年の主婦だった。女手一つで手が回らないせいか、天神峯の関根裕一に畑の半分は貸していた。そんな関係で裕一は殆ど毎日のように、よし子の家に入りびたっていた。一日の中、裕一はよし子の家にいる時間の方が、どっちかというと長かった。
 二人の家は目と鼻の距離で、裕一の庭に立てば垣根越しに、小見川県道をへだててよし子の家がよく見えた。この辺り一帯も、空港予定地内だった。

 裕一の女房のわか子は若い時からひ弱で、胸を病み痩せ細っていた。二人とも中年だが、よし子は小肥りして、わか子より幾つか年上だったが、若くみえて女としての魅カがあった。ある日のこと、いつも来る若い行商の男と昼日中の情交中、帰ってきた夫に発見され、それが元で婿養子の夫は出て行ってしまったのだという。そんなことで子供と二人で、細々と暮らしている中に、畑のとりもつ縁で二人の間柄は深い関係になってしまったのだ。最近、裕一は夜昼かまわず大っぴらに、よし子の家に通いつめた。

 女房のわか子は、黙認した。彼女は病弱で人一倍激しい夫の要求を満たすには、とうてい体がもたなかった。だから夫のはけ口を、自然よし子に向けさせることになった。暗黙のうちにこの三角関係は、了解ずみという形だった。とはいうものの、夜ふけ、寝間着のままよし子の家へ出て行く夫の姿を見ては暗い気持に閉ざされるのも無理はなかった。
 蒲団の中で眼が冴えて眠れず、もじもじしていると夫とよし子の情交の場がありありと眼に見えてくる。何度も寝返りを打った。そんな夜が二年も続くと、わか子はついにノイローゼに陥って、夜も碌々眠れなくなってしまった。

 裕一は今夜も、よし子の家だった。寝ていたと思ったわか子が、薄暗闇にむっくり起き上がった。とみると台所から出刃包丁を取り出し、それを逆手に裸足で戸外に飛び出した。髪を振り乱し、寝間着の裾を乱して畑をつっ走るわか子の形相は、この世のものとは思われなかった。
 日頃病弱なわか子にもあんな体カがあったのかと思うほどの遠さで、天野よし子の家目がけてひた走った。

 幸にも雨戸には、鍵がかかっていなかった。がらりと雨戸を開けて飛び込むなり、座敷に駈け上った。目前では裕一とよし子が、蒲団の上で抱き合っていた。それを見て激情したわか子は、無言のまま出刃包丁を高く振り上げ、夫の上に振り下ろそうとした。が、瞬間身をかわした裕一によって、その手を押えられ、出刃包丁はもぎ取られてしまった。わか子は逆上して顔面蒼白――血の気がなく、全身をぶるぶる震わしているだけだった。

「この馬鹿者っ」
 もぎ取った出刃包丁を左手に持った裕一は、右手で強烈なパンチをわか子の頬に食らわした。痩せ細ったわか子はよろけて横転し、裾を乱したまま起き上がろうともしなかった。暫くしてやっとわれに返ったわか子は、そのまま黙って帰っていった。

 その翌日、部落からその近隣まで、わか子の刃傷沙汰が評判になった。
 わか子はその夜から死んだようになって、寝たきりになった。逆上のあまり心身ともに疲労し、最近おさまった胸の病いが悪化したか、四〇度近い発熱が続いて、喀血した。裕一は心配して十余三の鈴木医師を呼んで、診察して貰った。診断は、精神的ショックのためのものだから、安静にしていれば大丈夫だとのことだった。鎮静剤か何かを呑まされて、わか子は一ヵ月余りは死んだように寝たきりだった。

 そんな事件で裕一の天野通いも、ぱったり跡絶えてしまった。だが、わか子が追々回復するに従って、それはまた復活した。裕一もわか子の手前、以前のように大っぴらに天野通いもできなくなった。――が、裕一にとって、よし子との情事の経験は、忘れ難いものとなって、尾を曳いた。
 今夜も裕一はわか子の寝しずまったのを見計らって、そっと戸外に抜け出た。

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