「小説三里塚」第七章 錯綜(後編)

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第54話 静子(2)

三里塚集会場にて・大学生に成長した農家の娘

 二人の話は尽きない。武治は日頃、思っていた胸の内を、彼女に包み隠さず、洗いざらいぶちまけたかった。そのことによって、何か救われるような解放感が与えられるような気がしてならなかった。これが歳に隔てない、心の触れ合いとでもいうものかと、武治は思った。
 静子と咲子は同じ歳で、武治にとっては娘同然だった。武治はその娘にも等しい彼女にすら、今の苦衷を訴えなければ、どうすることもできない心境だったのだ。

「山本さん、わしはね、血と汗の結晶たるこの土地は何人にも犯されないものと、日本の憲法を信じてきた。……ところが、そんなものは、みんな嘘っぱちだということが解ったんだよ」
 静子は彼が次に何をいうのか、待ちどおしかった。武治は黙って何か考えつめていたが、関を切ったかのように一段と声を強めて語り出した。
「山本さん、政党は農民を棄てて逃げ腰になった。わしはそのときから闘う者は農民でなければならない。この俺だと解った。そこでわしはな、どうしても体を張らねばと考えたんですよ。政党政派の利権争いではもう駄目です」
 静子は、一日で三里塚闘争の核心に触れることができたと思った。そして自分もこの農民とともに生きなければという、決意に漲った。彼女の心を触発したものは、武治の持つ不屈な農民魂だった。

 翌日から静子は武治夫婦に従って慣れない畑仕事に一日いっぱい精を出したため、朝は足腰が痛んで起きられなくなった。武治は心配したが、あまり糞真面目にやると、みんなこうなるのだといって笑った。静子も笑った。静子は、それから一〇日も寝泊まりして、草むしりに励んだ。

 一度、東京に帰った静子は一週間たつと、再び武治の家にやってきた。彼女はまたリュックを背負い、両手には重そうに紙袋を下げていた。中には着替や本などが入っていた。援農しながら当分、木の根に住み込むつもりで来たというのである。彼女は武治の家や団結小屋に泊まりながら、木の根の同盟員の畑仕事にも汗を流して働いた。
 色白で丸ぽちゃな静子の顔も次第に陽焼けして、小麦色に輝いてきた。彼女のしぐさや言葉にも、いくらか農民らしいものが現われてきた。

 静子のことは木の根ばかりでなく、他部落にも評判になった。
「山本さん、俺の家へも来て泊まってくれないか」といわれるようになった。彼女はことのほか気さくだったから、誘われるままにその家を訪ね、畑仕事をして泊まった。

 彼女が愉快でたまらなかったのは、畑仕事が終わって、夕食後の団欒の一時だった。そこではこの地方の噂話や、四方山の話が聞けた。そうした中で常に話題に出てくるものは日増しに苦しくなってくる農業事情だった。静子はありったけの熱情を傾けて、語り合った。闘いの中で鍛え上げられた農民の論法には、さすがの彼女もたじたじだった。農民は思弁的というよりも体験的、具体的だった。

「山本さん、わしらはマルクスもレーニンも何んにもわかんねえだ。農民がどうやったら、ここで百姓やっていけるかっていうこと、……これがわかんねえと、空港阻止の闘いにも勝てねえよ」
 その晩泊まった東峰部落の山倉常吉がいうのだった。山倉も武治とともに反対同盟員で、農業に無上の生きがいを覚えている一人だった。彼は中年の精農家で畑作と養豚を経営していたが、家族の多いことと、妻の病弱なために農協から三〇万近い借金をしていた。
 年間の粗収入は百万足らずで、利子の支払に追われるような毎日の生活だった。これではどんなに精農家でも、やがて農民が農業に絶望し、土地を手放す日のくることは、火を見るよりも明らかだった。
「とにかく、百姓で食える農民を作らねば、いくら土地ぃ、売るな売るなっていったって、そうはいかなくなってくるよ」
 山倉にそういわれてみると難解な農業問題にぶつかって、どう解明したらいいのか、彼女にも見当がつかなくなった。三里塚闘争の中の農業問題は闘いと不離不即のもので、これを忘れて運動の展望はどこにも見出せないことを、彼女は山倉の言葉によって、いやというほど叩き込まれた。

 静子は三里塚闘争の持っている質が幅広く、単なる空港反対では解決できない複雑な問題であることを知った。
 そして、静子は三里塚闘争が今後迎え撃つ闘いに、容易ではない事態のあることを直感した。すると、ただうかうかと木の根にはおれない、せっぱっまった緊迫感と焦りさえ覚えてきた。静子は山倉に自分の思想とするマルクス主義を口にしても、無カであることを知らされた。知ったということだけでは、なんにもならないのだ。要はこれをいかに実践するかが問題なのだと静子は考えた。
「うん、わしらとにかく、口先だけではもう駄目なんだ。立派なことかも知んねえが、マルクスだ、やれレーニンだって、いくらひんむずかしいこと聞かせられたってよ、そんなこたあ、糞にもなんねえだ」

 静子は彼の言葉に、黙って頷くばかりだった。三里塚闘争に真にかかわりを持とうとするならば、一時の援農や、単なる思想の問題ではないのだ。いかに自己自身農民に、なりきれるかの問題なのだ。いわゆる生活ぐるみの闘いだ。こう考えた静子は、三里塚闘争は決して中途半端な、まやかしでは生きられないのだと知り痛打の一撃を食らった思いだった。そうだ、一切が有か無かのどちらかだ。
 静子はその夜、山倉の家族とともに雑魚寝した。家人の微かな寝息の漂う中で、彼女はひとりそのことを思いながら眠りに落ちていった。

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