国際連帯

若者に「虐殺記念館」を(いきなり)見せるのはよいことなんだろうか

 右の映像は、「神戸・南京をむすぶ会」が中国を訪問した時の映像です。同会は、日本の戦争責任をふまえた上で、日中の友好・交流を目的にした活動を行なっている団体です。このほどその第10次になる訪中団が派遣され、一連の日程の中、敗戦記念日の8月15日には南京大虐殺記念館を訪問されました。館長が12月に開催される追悼集会の説明をして「日本人もたくさん来てほしい」と言い、日本の大学生が展示を見てショックのあまり言葉を失っています。

●文化を楽しむ前に罪悪感<だけ>を持たせるのはよくない

 これを見て、中国にせよ韓国にせよ、何も知らないような若い人に一番最初にこういうものを見せて罪悪感を植えつけてしまうとよくないんじゃないかなあと思いました。誤解なきように申しますが、もちろん、この訪中団がそういうことをしていると言っているわけではありません。このビデオは日程の中のごく一部ですし、それとてきっと長年にわたる地道な交流の歴史と信頼関係の醸成などのご苦労の上に成り立っているのだと推察いたします。

 それを前提で一般論として申しますが、やはりはじめはその国や文化、民衆の生活の面白さや素晴らしさ、そこには自分と何も変わらない人々が暮らしているんだという事実を満喫し、なにより楽しみ、友好を深めた上で、それからこういう負の歴史を確認し、よく考えて重層的に、頭で理解ではなく心で消化してもらうのが一番いいと思います。単なる坊主懺悔はよくない。

 これは左翼的にはかなり微妙なことを言っていると思います。硬直した人からは「右傾化」とか言われて叩かれるかもしれません。でもやっぱり、頭や理屈で理解する問題ではないと思うのです。データーだの資料だのそういうものは重要で必要ですが、それを使いこなす人の世界観や心が歪んでいては単に悪用され、間違った結論を導くための道具にさえなりかねません。

 「青春の北京」で著者の西園寺一晃氏は、一家全員で多感な青年時代に北京に在住するのですが、まずそこで編入した学校で、当初は言葉も通じない日本人の自分が同級生たちから大歓迎を受け、うちとけて友人もでき、言葉もわかるようになってなじんでいきます。そうして順調に学校生活を送るようになってから、農家の老人にはじめて日帝時代の侵略の話を聞く。人の噂でいつも自分に優しく接してくれる老人が、日本軍に家族を殺された過去があると聞いてしまい、気になって仕方がなくなったのです。老人は著者をおもんばかって話すのを嫌がります。おそらくそれだけではなく自分でも語るのが辛かったのだろうなと思う。それを著者がどうしても聞かせてくれと自分から食い下がるのです。

 それならばと老人は、ようやく農夫だった息子が自分の目の前で日本軍に殺された時の話をするのです。著者は優しかった老人がまるで昨日のことのように鮮明に、歯をくいしばって感情に耐え、鬼のような形相でその日のことを語るのにショックを受け、その場に泣き崩れてしまいます。すると老人は著者に「お前が殺したわけではない。お前が罪悪感を持たなくていい。お前が謝る必要はない」というようなことを語りかける。その時にはもういつもの優しい顔に戻っていた。そして二人は以前よりも仲良くなった。

 私が言っているのは、もしこれが順序が逆だったらということです。中国に留学したら言葉も通じないうちに、いきなり日本軍の爪痕や被害者の怒りの証言をこれでもかと見聞きさせられたら、それから「あなたを歓迎します」という順序だったらどうだっただろうと思う。やはり著者と同じ気持ちでうちとけることができたろうかと。そういうことです。

 おそらく周囲が自分以外は全員中国人という環境の中で、中国に反発を感じるか、逆に「私は日本人です。日本人でごめんなさい。中国のために努力します」みたいな、それはちょっと違うだろうという抑圧された方向にいったのではないかと。こういう方向はやはり一種の極端であって、思春期に極端に走った人は、往々にして大人になってから抑圧から逃げて無関心になる。それならまだいいが、「自分へのこだわり」が強い人は、180度違う、逆方向の極端に走る人がとても多い。こういう人は周囲にとっても厄介なものです。

●「戦争」の本質を理解すること

 さて、また違う角度から見てみましょう。「つぶやき手帳」さんで紹介されていたエピソードです。東京大空襲で爆弾を投下した元米軍パイロットが訪日されました。同空襲は軍事的には意味がなく、ひたすら殺戮による「戦意喪失」を狙った作戦です。それはあらかじめ逃げ道をふさぐなど、非常に計画的な米軍による「東京大虐殺」に他なりませんでした。もちろんパイロットたちも作戦の全容を知っていました。しかし彼らはみな「日本人」を憎み、それが「正しい」と信じて爆弾を投下したのです。

 しかしはじめて日本を訪れた彼は、東京の歩行者天国に立ち、そこを歩く「日本人」を眺めているうちに、今、この頭上で爆弾が破裂する様を思い浮かべ、はじめて自分がしたことを理解し愕然としたそうです。彼はその時に頭や理屈や理論ではなく、心で「戦争」というものの本質を理解したのです。彼が殺したのは「自分とは異質な憎むべき日本人」ではなく、「自分と同じ人間」でした。そして彼はその後に「東京都慰霊堂」を訪問し、被災した街や、焼けただれた死体の写真をはじめて見たのです。もし、この順序が逆で、最初に彼に東京大空襲の資料やデータだけを山のように見せたとしても、この一瞬の「悟り」にも似た理解の万分の一も得られたとは思えません。

 戦争とは何でしょう。「武器をもってする政治の継続」とかいろいろ定義はありますが、あらゆるものを剥ぎ取って素朴な現象面を見据えてみれば、最後に「同じ人間同士が殺しあっている様」だけが残ります。いろいろ理屈をこねている人は、その事実を認める勇気が必要だと思います。そして人間はどうすればそんなことができる心理に至るのでしょう。それは人間をある種の属性によって分類し、線を引き、その線の向こう側にいる人間を、自分とは異質の存在である(=同じではない)という幻想から生まれるのです。

 その「線」は国境であったり民族や人種であったりします。「線の向こうにいる奴と私たちは異質である」というのは意図的に作られた幻想ではありますが、それ以前に単なる思いあがりにすぎません。実際には自分もたいして変わらんのです。それはつい最近までアメリカ人が日本人にもっていた差別的な認識を、私たち日本人は受け入れることができないという事実を思い出すだけで、容易に誰でも理解できることです。そのことを悟り、相手を理解してしまえば戦うことができなくなります。戦争に賛成し、それを後押しすることは、自分と同じ普通の隣人を殺すことに加担することです。「アホ言うもんがアホ」、「死ね言うもんが死ね」です。自分は手を汚さず人に「殺せ!」と命令する奴こそが殺されるべきです。

●「○○人が」ではないヒロシマの心に学ぼう

 話を最初に戻しますと、虐殺記念館を訪問し、そこで日本の青年が「旧日本軍の蛮行」を歴史として知るのはいいことではあるんですよ。右翼であれ左翼であれどんな立場から見てもね。ただ、根っこにこういう思想、つまりそれが「人間が自分と同じ人間を殺戮している写真」であるという認識を持ってほしい。それを土台にして、その上に「日本軍が中国人を殺している」という認識がのっかるべきだと思う。

 そういう土台がないところに、「日本人が」「中国人が」ということばかりに注目するのは、殺せと命令する者と同じ土俵の「線引きの思想」の一種に他なりません。つまり現状では「線引きの思想」そのものは中立的で、右翼でも左翼でも簡単に使えるお手軽な政治的アジテーションと仲間作りの道具なのです。そういう所から罪悪感一般を持って終わるのは危うい。「日本人(ドイツ人)は罪悪感を持つ必要はない」という、新自由主義やネオナチの思想が、日本でもドイツでも台頭していることからもそれはわかります。簡単に動揺してしまうのです。

 たとえば被爆者の運動です。「やすらかに眠ってください。過ちは繰り返しませんから」というヒロシマの心は、そう言っている主体は、より根本的には「生き残った私たちすべての人間」なわけです。そこには原爆を投下した者をも含む、すべての人間を代表して「過ちは繰り返しません」という主体的なメッセージがあるのです。そしてそれは、しょせん主体がアメリカ人限定にすぎない「原爆投下は正しかった」という没主体的で事態を「線の向こうにいる奴ら」のせいにする思想を圧倒的に凌駕する正しさと普遍性があります。これに被爆者は「アメリカの奴ら」ではなく、相手をも包摂する「私たち」という主語で応えます。

 原爆を投下したのは「アメリカ人が日本人に」ではないのです。「私たち人間が同じ人間に」なのです。私はこういう心を持った被爆者の方々を尊敬し、こんな運動を生み出せる「日本人の精神風土」をこそ、世界に誇るべきものだと思っています。久間大臣の「原爆しょうがない発言」は、アメリカが悪いというようなレベルで問題なのではなく、こういう被爆者運動の地平を踏みにじったことが問題なのです。

 間違えてもらっては困るのは、もちろん私は「日本人」であり、そのことを無視はできません。日本人としての責任も権利もあります。今後とも「日本」とか「アメリカ」という主語や目的語で発言を続けます。政府も国境も、そんなの完全に無視して考えなくてもいいというようなヒッピーみたいな思想にまでいってしまうと、現実の政治には力にならず、非現実的です。そんなことを言っているのではない。ただ、ものごとを考える土台、発想の根っこの話をしています。

●中国・韓国の「反日世論」とは何か

 ところで以前(80年代頃)は、中国を訪問した日本人にこういう施設を見せることを、中国の人はすごく嫌がったと言います。もちろん無理に頼んだら見せてもらえるけれども、その後で必ず「一部の軍国主義者が悪いのであって、あなた方に罪はないから」と必死に気をつかって慰められたという話をいくつも読みました。そういう認識が中国の公式見解であり、それは民衆レベルでも広く受け入れられていたと思います。これに対して日本人の側も「もう二度と軍国主義は復活させません。これからは仲良くしていきましょう」と応じるのが常でした。

 これはそんなに特殊な関係ではありません。ドイツと、かつてその侵略を受けた周辺諸国の人々(ただしお互いに理性的な人)との関係を想像してみるならば、こういうやりとりのほうがよほど普通であるということは、日本に生きる私たちにも容易に理解できると思います。しかしもしドイツが、「ナチスの侵略や虐殺などなかった」と言い出したら、それは周辺諸国の人々の自尊心を大いに傷つけ、怒らせ、侵略や虐殺の歴史とその証拠をことあるごとに掲げて突きつけるようになるでしょう。街でドイツ人を見かけたら、首根っこをひっつかまえてでも、虐殺記念館に引っ張って罪悪感を植え付けようとするかもしれません。

 こうして突き放して客観的にみれば、今、中国や韓国でおこっていることも簡単に理解できます。まことに単純な事態です。それを何かしら自分の主観をゴテゴテと付け加えてひねくり回すから、物事が複雑に見えてしまうだけです。だから問題は、もつれた今の異常な状態を、こういうごく普通の関係に戻すことにあります。そのことにはよほどの極論を言う人以外は誰でも賛成すると思います。もちろんその道筋は左派と右派ではかなり違うでしょうが。

●靖国は国内問題か、国際問題か

 右派の方々は、「靖国は国内問題だ」とおっしゃいます。原則はその通りです。と言うのも、もし「中国が反対するから」靖国に参拝してはいけないのであれば、将来中国が黙認すれば(その可能性は高い)、靖国に参拝しても国営にしてもかまわないことになります。そうではないでしょう。靖国は私たち日本人の責任においてケリをつけてやらないといけません。それとこれとは別問題です。ですから右派の方も、中国や韓国との云々で、「靖国に参拝しないと舐められる」だの、「靖国に反対する者は中国の回し者」だのと、中国を利用した卑怯なことを言わないでないでくださいね。

 同時に右派の方は「だから中国の態度は内政干渉だ」とも言います。これには反対です。もはや靖国参拝は、小泉内閣以来、一連のタカ派的な路線転換を内外に宣言する象徴として、国際社会に受け止められています。そうではないと否定するのは現実に反した欺瞞です。そういう意味では周辺国のみならず、世界に影響を与える国際問題なのです。アメリカも小泉首相に靖国参拝を再考するよう苦言を呈したのは、中韓だけの問題ではないことを示しています。日本という大国の路線転換は右派の人が考えるように「俺たちの勝手だ」で突き進めばいいという簡単な問題ではなく微妙な外交の舵取りの問題になってきます。それがわからない猪みたいな人では危なくて仕方ありません。

 これはアメリカのみならず「(二度と侵略しないと誓った)今の日本人に罪はない」と自国民に教えてきた中国政府としても、今までの公式見解から考えて、国内向けにも黙っているという選択肢はとれません。また、大国の侵略を排して民族の尊厳を最後まで失わなかったという韓国民衆の民族的自尊心を踏みにじるというデリケートなことを無神経にやってしまいました。

 少なくとも中国や韓国には、これを「自分の問題」として意見を言う権利はあります。もしそれも駄目だというのであれば、北京五輪不参加などの圧力を中国にかけてでも、その人権侵害を非難し、実際にやめさせようとする試みも、北朝鮮に圧力をかけろと要求する行為も、みんな駄目だという論理的帰結になります。実際、中国は人権問題への非難を内政干渉扱いしていますが、私はそうは思いません。

とりあえず、日本人も、韓国人も、中国人も、みんな「けんか腰」でものを言うのはやめてほしいものだと思います。

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  1. 2007年 8月 26日
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