「反中・外国人排斥行動の実態」というメールをいただいて

 前のエントリーで私は、「日本国内で(中国政府を強く批判している人を含めて)中国人に対する感情的な反感や、大きな差別事件が顕在化しないことは、誰にとっても大きな救いだと思います。日本人はそのことを誇ってもいいと思う」とか、能天気なことを言っていたのですが、巻末の資料に掲げたようなメール(「反中・外国人排斥行動の実態」)が回ってきました。とりあえずそのまんま掲載しておきます。

 まあ、私が知らないくらいだから、一般にはもっと知られていないだろうし、全体として見る限りにおいて、日本でこのような人種差別のヘイトスピーチは孤立していると思います。身近な人の様子を見ていますと、だいたいおしなべてみんな中国の強引さには強い反発を感じています。けれども、誰かが極端な表現で中国を罵倒すると、それには白けたり、無視したり、たしなめたりします。そしてそんな極端な罵倒をしていたその本人でさえ、日本で働いている中国人労働者とは普通に笑顔で接している。

 私の狭い経験ですから、あらゆるところでそうだとまでは言いませんが、だいたいこれが平均的な日本人のメンタリティではないでしょうか。これは中国の「反日デモ」から感じるメンタリティと比較しても、やはり「日本人の美徳」と言ってもいいと思います。ですから私が前のエントリの中で言ったことは、今のところまだ撤回する必要はないと思う。むしろ何世代も前から日本で生まれ育った在日朝鮮人に対する差別のほうが、解決すべきより深刻な問題だろうと思います。

 さらに、当ブログにもよくコメントをいただく、右翼活動家出身(現在は「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表)である三浦小太郎さんが、「守る会」のサイトに以下のような文章を寄せておられました。

……パリでの難民救援デモに、反共右派は「共産主義者は人殺しだ、インドシナ難民を救出しよう」というメッセージを掲げたといいます。私は、このメッセージは政治的に過ぎますし、不適切だったと感じます。しかし、より立派だったのは、かってのベトナム反戦運動を闘った左派の方々が、彼らと同じデモに、おそらくは不快だったとは思いますが共に行進し、インドシナ難民救援という一点を訴えたことです。
(中略)「とりあえず応援している運動家や政治家の意見には私は関心が無い。私に関心があるのは北朝鮮で苦しんでいる人々の生命と人権だけだ」という視点に立っていただくことが、人権や救援を語るときには最も重要な視点ではないでしょうか。
(「我々に関心があるのは政治的意見ではなく被害者の生命と人権だけだ」より)

 北朝鮮難民や拉致被害者の救援運動や集会は、壇上に極右の政治家ばかりをずらりと並べ、主催者は右翼色の強い人ばかり。これでは純粋に救援したいと考えている一般市民は引いてしまうし、左派などは最初から参加できないようにされている…これは、そんな懸念に対する反論もしくは左派への提言として書かれた部分です。私も以前にこの問題点については考察したことがあるのですが(→「対北朝鮮人権運動の全人民化を希求します」)、三浦さんの提言を読ませていただいて、本当にその通りだなあと思いました。

 私ごときが言うのはおこがましいのですが、まずは、あらためて三浦さんのスタンスには思想の違いを超えて深い敬意を表します。それと、巻末の資料の中にありますが、3千人のデモ隊の前に、「ヘイトスピーチ・排外主義反対」を掲げてたった二人で座り込んだ青年がいます。このお二人の捨て身とも言える勇気と良心に最大限の賛辞と尊敬と、そして連帯をおくらせてください。この3千人全員が民族排外主義の差別者だったとは思いませんが、私のようなヘタレで弱虫で揉め事が嫌いというより単に苦手な人間には、逆立ちしたって絶対にできないことです。こういう若者がいる限り、まだまだ日本も捨てたものではないと思います。

 さて、それだからこそと言うべきか、あるいは、しかしながらと言うべきか、決して反論というわけではないのですが、この三浦さんの上記の文章と、巻末の報告の両者を読んだ上で、私なりに思うことを少し書いておこうと思います。

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 まず第一に、中国の強引とも言える外交姿勢に対する反発や反感というものは、決して右派内部にのみとどまるものではなく、一般的にこれに不快感をもつことは自然発生的には当然であるということです。これを口実とした民主党政権の基地拡張・軍拡策動や、日本版ネオナチファシストどもの民族排外主義、差別襲撃を糾弾するのは当たり前のことです。ですがその一方で、「事態の深刻さに比べて平和や人権運動側の反対が立ち遅れて」いるのは、こういったファシスト軍拡主義者の世迷言に対してだけでなく、中国の抗議のあり方に対する批判も同様ではないでしょうか。

 かつてアメリカによる核恫喝にさらされたソ連や中国などは、最終的に自らも核武装することで対抗する道を選びました。しかしながら、それは同時に、全世界の反核を願って運動してきた人々を裏切ることでもあったのです。この時、共産党は「ソ連などの核は自衛の必要から開発されたもので、アメリカの核と同列において非難するべきでない」という見解を打ち出し、原水禁運動分裂のきっかけを作ってしまいました。私は歴史的に見て、「ソ連の核は自衛が動機」という見解が、まちがっているとは思いません。ですが問題はそんなことではないのです。問題の本質は、ソ連を包囲する各国の足元で、核廃絶を願って闘っている人々を信頼し、その先頭に立って自らも反核を闘うという左翼の大道を、ソ連がはっきりと捨て去ったこと、別の言い方をすれば、「国家」としてのソ連の生き残りだけを考え、そのためには日米などの足元で闘う人民の願いをも裏切る、「日本」という国家と、そこで闘う「日本民衆」をいっしょくたにした道を選んだわけで、この時点でソ連や中国などは、もう言葉の本来の意味での「左翼」ではなくなったのです。

 翻って現在の中国の態度を見るに、そこにある動機は、もはや基本的に資源の分捕り合戦にすぎないのではないでしょうか。そのためには人民を含めたところの「日本」と争うという結論になるわけで、日本民衆の多くが中国の態度に反発を感じるのは自然なことであり、合理性があると思います。ファシスト軍拡主義者と対決するのは当然のことであり、むしろ、私たち日本人にとって身近で大切なことは何かと考えた場合、戦争危機を煽って民衆を危険にさらすこととの対決であるかもしれません。また、日本が尖閣を領有(もしくは実効支配)するようになった経緯については、いろいろな見解があると思います。だからといって軍拡策動との対決が「中国擁護」と曲解されてしまっては、かつての共産党と同じ轍を踏むことにしかならないのではないでしょうか。

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 第二に、中国国内における「反日デモ」は、現在のところ私(たち)が擁護するべき内容を持ち合わせていないように思われるという事実です。70年代の東南アジア各国における「反日デモ」は、日本という国のあり方に対する、抑圧される側からの突きつけという内実がありました。その性質ゆえに日本の左派でも、この声を受け止めて反省しようとする人が多かった。また、毛沢東時代の中国でも、「日本と日本人民は別」という、左翼の最後の一線みたいな原則は一応は公式見解として生きていた。

 それに比べると、現在のデモは、基本的に日本の「在特会」と同じレベルのものであり、ネットでの「日本」に対するヘイトスピーチを使った組織化の方法など、要するに「中国のネトウヨ」、あるいは日本の「嫌中派」と同じような「嫌日派」と呼んでもいいような層が(少なくとも初期において)中心なんではないかという印象を持っています。だんだんとデモの性格も変わっているようですし、こういう「愛国者」にのっからなくては堂々とデモもできない一党独裁体制という事情から、デモの人数も膨らんでいるんだろうとは思います。そのことは充分に考慮しないといけない。

 ですが、彼ら中国の自称「愛国者」たちはおそらくはチベット問題でも中央政府支持の部分と重なると思われますし、そのメンタリティは沖縄の新基地建設を支持する日本の自称「愛国者」とかなりの部分でぴったりいっしょです。私は彼らと語り合うことがあったら、おそらく握手するよりも論争することになると思います。

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 第三に、中国や北朝鮮に対する自然発生的な反発というものは、決して理由がないわけではないどころが、しごく当然におこるものであり、これへの抗議を掲げたデモなどを組織することそのものは、直で非難するようなことでもないし、また、そこに右派が参加してくるのはむしろ当たり前に予想できることです。それは在日米軍の犯罪に人々が反発をおぼえたり、それへの抗議デモに左派が参加するのが当たり前なのと同じです。左派が参加する(している)から、在日米軍への抗議そのものが「してはいけないこと」にはなりません。同じように、右派が参加する(している)から、そういう抗議の声をあげることそのものが「してはいけないこと」だとも私は思いません。

 30年前ならともかく、いまどき北朝鮮を支持したり弁護するような左翼など実際にはいませんから、このようなことは私が書くまでもなく、左派の皆さんにとっては釈迦に説法なんですが、問題はその批判の内容だということになるでしょう。朝鮮や中国民衆の人権擁護、彼らへの連帯ではなく、その真逆の「嫌中」では、かえって逆効果になるばかりです。そんなファシストの勢力拡大のネタに利用されては、独裁政権に苦しんでいる中朝人民への侮蔑にしかなりません(実際に彼らは中朝民衆を差別・侮辱しています)。

 さて、ここでも私(たち)にとっては、こういうエセなる偽者の中国批判や北朝鮮批判を非難することはたやすいですし、これと対決することもやってきました。しかしその逆に、「中国などへの批判はその中身が大切」といったとき、肝心のその中身を充分に提起することができていたでしょうか?私はそれなりに模索してきたつもりですが、この点についてまだ混乱がみられるように思います。一般市民の素朴な反感を、ファシズムや軍拡策動に利用しようとする輩への警戒心は正しいものですし、その心情はわかりますが、もう少しここに切り込んでもいいのではないかと感じます。

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 そして第四に、私は同じ中国や北朝鮮への抗議デモに、「共産主義者は人殺しだ、北朝鮮難民を救出しよう」という右翼がいたとして、確かにものすごく不快ですが、北朝鮮難民の救援や中朝人民の人権擁護を政府に迫るためならば、目をつぶって容認することにしましょう。ですが三浦さん、はっきりと申し上げますが、「中国人が水道に毒を入れる」などというデマ宣伝で差別を扇動している輩とは、同席も容認も絶対にできません。町を歩いている中国人をつかまえて罵声を浴びせて回る奴らや、ましてそれを「成果」として得意げにネットで公開するような精神構造の輩もそうです。当たり前のことでしょう?三浦さんがあげたフランスの例とでは、「それとこれでは話がちがう」の一言につきます。

 私は別に「右翼やその主張を排除せよ」と要求しているわけではありません。だからと言って、ネオナチを応援することはできないでしょう。そういう集会に参加できないということを、右や左の思想の違いの問題にしてもらっては心外です。だいたい「北朝鮮難民の救援のためには我慢しよう」も何も、こういう差別層は、北朝鮮難民の救援なんかにはまったく興味がないどころか、むしろ一人も受け入れずに追い返してしまえ、朝鮮人なんか助けてやる義理はないと書く人が多いのです。

 難民の受け入れの是非やその範囲はギリギリ「意見」といえますが、その動機や理由が差別的なものだとしたら、もはやそんなものは意見とも言論ともいえません。下記の資料で挙げられている事例も、そのほとんどが言論ではなくて、単なる人権侵害行為でしょう。人権侵害については、右も左も関係ありません。共同して排除するだけのことではないですか?それができないのならば、私たちが北朝鮮や中国にしてきた非難はすべて真っ赤なウソということになってしまうと思います。私はただ、そういう当たり前で簡単なことを言っているにすぎません。

 最後に、私とは違う右の立場からとはいえ、北朝鮮難民のために具体的に汗を流して実践しておられる三浦さんのしかも善意の文章を、中朝民衆のために自分では何もせずに、ただ差別のネタに使っている最低のやつらを批判するためとは言え、たいして何もしていない私の主張を展開する中で使わせていただいたことは申し訳ないし、心が痛みます。その点についてはお詫びします。どうかお許しください。どんなに偉そうなことを書いても、やはり三浦さんのほうが、私の何千倍も北朝鮮民衆の支えになっていると思うし、そのことは素直に認めないといけないと思っています。

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<資料>

転送歓迎 反中・外国人排斥行動の実態

「魚釣台/尖閣諸島」問題で、日本国内の「反中国デモ」が激化・拡大しています。

10月16日の「頑張れ日本」や「チャンネル桜」が主催するデモは、六本木~中国大使館に向けて、実数3000人近くに膨れ上がりました(現場で見た知人によれば、約300人の隊列が9グループだったので、主催者が発表する「5800人」は明らかな水増しだろうとのことです)。

彼らが普段配るチラシには「中国人が水道に毒を入れる」などと書かれており、関東大震災で朝鮮人虐殺の理由となったデマ(=「朝鮮人が井戸に毒を入れる」)と同じものを垂れ流すひどさです。
また、17日秋葉原の在特会の残党系は、人数こそ200人超なものの(それでも十分多いですが)、繁華街で堂々と「日本から叩きだせ~!」といういつものヘイトスピーチをまき散らす。そして「オノデン」や「ソフマップ」の店頭に「中国人客に媚を売っている」などと押し掛け騒ぎ続けるという暴虐さでした。そしてデモ隊に帯同する警察は、それらをほとんど取り締まることなく放置しており、これも大きな問題です。

ただ、新しい現象からか、「魚釣台/尖閣」の領土問題への態度・解釈が定まらないからか、事態の深刻さに比べて平和や人権運動側の反対が立ち遅れてはいないでしょうか。
そんな中、「ヘイトスピーチに反対する会」の若者2人が、16日の巨大デモ隊の前で抗議の座り込みを行い、プラカードと横断幕を掲げました。警察に排除されましたが無事で、AFPに大きく報道されました。また17日秋葉原では、「mixi」を通して集まった様々な個人が反対行動をやりました。

17日のデモは余りにもひどい暴力でした。そして16日デモはそれよりは整然と見えてTVにも取り上げられていても、2人が座り込んだ瞬間に本性が出たとのことです。
「中国人の乱入だ!」と決め付けた瞬間に集団で蹴りかかってきて、人種差別の暴言を全体であびせかけてきた。事態の深刻さと反対行動の必要性や可能性をお伝えしたくて、情報をまとめてお送りします。

最近までの「在特会」に対してがそうであったように、社会的に大きく問題にして、現場行動でも法的な面でも正面から抑え込むべきではないでしょうか? 
ここに挙げる個々人はダイレクトアクションや映像を駆使してがんばっています。ぜひ、連帯とそれぞれの場での行動をお願いします。

まずはこの深刻な実態を見て下さい。

◎10月16日の巨大デモ(参加者が倍増しています)
 http://www.youtube.com/watch?v=SPPvyA-RLAM

◎10月17日の秋葉原を主催した団体による上野での中国人観光客襲撃(これはひどすぎます)
 http://www.youtube.com/watch?v=d1i86n9rMcw

◎10月17日の「オノデン」への襲撃映像
 http://www.youtube.com/watch?v=GEYFFF0cy0g
◎それを目撃した街の人たちのツイート
 http://togetter.com/li/60259  http://togetter.com/li/58536

そして、ぜひ広めて下さい。

◎10月16日のデモへの反対座り込み・AFP通信の報道と写真
 http://www.afpbb.com/article/politics/2766352/6332571

◎2人が警察に排除された時の映像
 http://www.youtube.com/watch?v=o9i3ghLEgDA&feature=player_embedded
 (警察は反対行動をすぐに排除するのに、人種/民族差別をまきちらすデモは野放しにしています)

◎2人が行動理由を話した映像
 http://www.youtube.com/watch?v=QUD93KpSYCQ&feature=channel
◎その英語版
 http://www.youtube.com/watch?v=rXWB0N4IPRg

◎「ヘイトスピーチに反対する会」声明:釣魚台/尖閣をめぐる日本の国ぐるみの排外主義に抗議します
 「前編(歴史編)」
 http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-63.html
 「後編(現状編)」
 http://livingtogether.blog91.fc2.com/blog-entry-64.html

◎過ぎ去ろうとしない過去:「あ、はんにちだ!」
 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20101018
◎10月17日秋葉原デモへの抗議として配られたチラシ
 http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20101019

◎mixiの「在特会を許さない市民の会」
 http://mixi.jp/view_community.pl?id=3323304
◎ユーストリーム放送(20日を予定)
 http://www.ustream.tv/user/OTAKUofANTIFA

7件のコメント

おひさしぶりですこんにちは。

中国に対する不満から普段政治活動とか抗議活動みたいなものと無縁でいた人たちが抗議デモなどに参加して自分の意見を表明するようになった事は大変意味のある事だと思っています。私も都内のほうに住んでいたら参加したいんですけどねえ。

まぁ一方で我々保守派から見ても「おいおい」って言いたくなるような暴走をしている人間たちが混じっているのも事実で、そこだけ強調して取り上げられて反中派に対する攻撃材料にされてはかなわんなぁというのが今の心境です。(あ、草加さんの記事などの事ではないのでご心配なく。twitterでアイコンに日の丸でもついていた日には差別主義者呼ばわりしてくるような人たちのことです)

在特会に対してもは、まぁ困ったものだねてのが印象ですかね。
ただそれらが社会に産み落とされた原因となった構造のようなものがこれまで「差別からの救済」「共生」「友好」などの綺麗事の看板の元に覆い隠され誰も本気で声を上げてこなかった、またその声を聞いてこなかった、放置されてきた事も事実なので、心の片隅では喝采を叫ぶ自分がいたりと、複雑な感情を持っていますね。表立って支持はしないが、どこかで「もっとやれ」という気分がある人も多いのではないですかね。

単純に彼らの存在が良い悪いの問題ではなくて。

それが彼らが一定の勢力を保ち続けている要因だと思います。
…って、こんな事草加さんに言うのも釈迦に説法でありますがw

差別を生み出し継続する一番の要因は「差別だ」と喚く人たちにあるというのが私の考え方です。
差別を本当に無くすためには静かに浸透し混ざっていくことが一番の近道、唯一の道だと思います。

在特会を支持するものではありませんが、彼らを生み出し育んでいる土壌が単なる排斥主義だとか差別意識だと
単純にそうとだけ決め付けて彼らのみを攻撃しているだけでは余計に勢いづかせたりする結果にもなるんじゃないかなあと思う次第。

風邪っ気・寝不足の頭で書いてますので自分で何言ってんだかよくわかんない部分がありますがご容赦をw

RRさん>

ども、おひさしぶりです。ご意見投稿ありがとうございます(^▽^)/

>って、こんな事草加さんに言うのも釈迦に説法でありますがw

まあ、基本的に私は右派の主張に「理解がある」わけではなくして、一つの意見は意見として、たとえそれが自分にとって不愉快な言論でも、その存在はお互いに認めあわないといけないだろうということです。そうでないと相手のことを少なくとも「言論への妨害」という理由では非難できないことになります。民間人同士の場合はね。

公的機関と国民の場合は「お互いに」なんて考える必要はない。国家は人権を守るために存在しているのですから、国民が一方的に国家に対して自由を要求すればそれでいいわけですけれども。

で、たとえそうであっても、「人を差別する自由」は誰にもない。それは「言論」ではないわけです。つまり「人を殴る自由」が人権とは認められないのと同じことです。自由には責任がともないます(公共の福祉・人権の内在的制約)。自分勝手に好き放題することが「自由」ではない。それはむしろ自由や人権の否定であり、敵対ですらあるのですから、自由人権を語るのであれば、左右の別なくこういう行為とは闘わないといけない。そういうことが言いたいわけです。

>単純に彼らの存在が良い悪いの問題ではなく……彼らが一定の勢力を保ち続けている要因

を考えていかなければならないという点では一致できます。ですがその「要因」が何かという点と、具体的にどうすればいいかという点では違いがあるようです。

まあ、書き出すとお互いに長文になるだろうし、短文で結論だけを書いても水掛け論になると思いますので、RRさんの意見に対応する私の意見を書いておくにとどめます。おそらく読者の方にも左右の発想を対比させることで参考になると思いますので。

まず、私は差別された人が「差別だ」と言えることは大切なことだと思います。そう言えるようになったのは、歴史的にはつい最近のことなわけですから。差別って、されたら本当に悔しいものだと思う。悔しいなんて言葉では表現できないくらいの絶望があると思う。その時に、それを「悔しい!」と怒れることは大切だし、必要なことだと思います。

>綺麗事の看板の元に覆い隠され誰も本気で声を上げてこなかった……
>差別を生み出し継続する一番の要因は「差別だ」と喚く人たちにある

RRさんのおっしゃるような、「差別糾弾」の問題点については理解しますし、それは今では左派の間でも反省されていることなんですが、やっと「差別をやめろ」と言えるようになったその初期の段階で、とりあえず差別している人を糾弾して黙らせるという段階を経ることは、必要なことでもあったと思います。悔しさを味わった人が、その怒りをぶつける、たまりにたまった言いたいことを言う段階は必要だと思うのです。

ただ、それがうまく次の段階に進まなかったということではないかと。つまり差別心をもっている人は単に糾弾されると面倒だから「黙った」だけで、社会的に根本的な差別問題の解決にはなっていなかった。「言葉狩り」なんて表現もありますが、差別は単に地下に潜伏しただけで、そのツケが、今ネットの匿名性を利用して噴出している……私はそういう構造なんだと思います。

ですが、この段階において「差別は悪いことだ」という認識が(やっと)みんなに共有されたこと、たとえ言葉狩りだろうがなんだろうが、そういう差別的な言辞が否定されて(見えるところからは)消えたこと。この二つは奇麗事だの何だの言われても、やはり差別糾弾の成果として認めないといけないと思っています。

<参考「差別被害者の救済とは」より>
第1段階)被害者が加害者に、自己の苦しみ・悔しさ・怒りを直接ぶつける場を作る(糾弾)
第2段階)人権・差別の専門家をまじえ、加害者の言動の何が問題だったのかを3者で検討(確認)
第3段階)加害者が、専門家と被害者の指摘や援助で自分の罪を認識することに成功(反省)
第4段階)上記の内容に基づいて加害者より心からの謝罪が行われる(謝罪)
第5段階)被害者が謝罪を受け入れ、許し、癒される(和解)
http://bund.jp/modules/wordpress/?p=183

>差別を本当に無くすためには静かに浸透し混ざっていくことが一番の近道、唯一の道

差別がなくなるとは具体的にどういうことかと言えば、私は人間の属性に序列をつけず、その価値が相対的になるということだと思うんですよね。この本人では選べない人間の属性について、「静かに浸透し混ざっていく」というのは、要するに同化強制ということで、昔からある考えの一つですが、それは価値相対化とは真っ向から対立する考えです。この主張をする人は、だいたいその社会における多数派に属する人で、要するに自分たちと同じになれ、そしたら対等に扱ってやるということですから、結果的には人間の属性に序列をつけることにつながると思います。「違ったまんま」で対等に扱われなければ、それは差別がない状態と言えるのかなと思います。

まあ、こんなとこですが、付け加えますと、大昔は差別されている本人が、そのことを疑問に思わない時代があったと思うのです。やがて、「人間としての尊厳は平等であり、俺たちにも人権があるのだ」と初めて知った時の感動はいかばかりだったかと思います。そして最初に差別する側の人に対して「俺たちも同じ人間だ」と口に出した人の勇気はどれほどだったかと。最初は「同じ人間」という表現そのものが侮辱あつかいされたでしょう。つまり「差別をやめろ」という人のほうが糾弾されるところからはじまったのです。

一番酷くて、人の心を傷つける差別とは、差別している本人が、それを差別だと認識していない、当たり前の「区別」だと思って人に優劣をつけている。そんな差別だと思います。これは差別だと思いながら差別しているとか、差別して何が悪いとかいう段階はまだマシなのです。

最後に、何かしら自分たちと「違う」人間集団に対して、違和感を持ったり、近づきたくないとか、まして共存共生するとかしたくないと思うことは、私は人間として無理からぬところがあると思うのです。そういう意識は実は私にだってあるわけです。そういう自然発生的な意識をまで、「悪」として糾弾して回るのはどうかなあと思っています。本当に「悪い」のは、そこで止まってしまうこと、異質な人間集団と関わりをもつことまで拒否すること、さらにそれを正当化してしまうところから、差別は生まれるのかなと考えてしまいます。そうではなくて違いは違いとして普通につきあってみれば、実は根本のところでは何も変わらない、みんな同じ人間なんだとわかると思うんですよ。少なくとも私の経験からはそうでしたね。日本人と韓国人の「違い」なんて、実際は東北人と沖縄人や大阪人の違いくらいしかありませんでした。それを(優劣をつけずに)受け入れられるかどうかの問題でした。

たくろうさん>

このエントリの趣旨を証明してくださる投稿をありがとうございます♪Thanks♪\(*´▽`)o

「右派の意見も意見として認めないといけない」ということと、「中には意見とさえ言えないトンデモさんもいるけどね」みたいなことを書いたわけで、わざわざそういうエントリに「トンデモさんの見本」を掲示してくれるとは!

たけさんや三浦さんやRRさんみたな右派の方の投稿には、こちらも緊張して考えながら真摯に対応せねばと思うわけですが、こういうのは全く緊張しないでヘラヘラ笑いながら対応できるのでとっても楽ですね♪( ・∀・)マイヤヒー♪

※注)たくろうさんの投稿は「左翼の自作自演」ではありません。本物ですよー(爆

前置きはさておきレスですが、そうですねー、自分と考えの違うと思った人や、自分とは異質な人間集団を、次々と処刑したり追放したり投獄したりしたら、そりゃあ楽チンだと思うんでしょうね。そうしたら自分の考えるような「理想の国」ができる、そのあかつきにはみんな幸せになって、自分の主張が理解されるのだ!とでも思うのでしょうね。

まあ、たくろうさんと同じように思った独裁者は歴史上にいくらでもいますけどね。ヒトラーみたいに悲惨な末路をたどるか、スターリンみたいに歴史的な超悪役として名を残すか、まあ、頑張ってくださいヽ(*´▽`)

それとも、逆転の発想で、いっそ自分たちがどっかに集団で移住したらどうですかね。外国とはいわずにたとえば対馬とか。よく知らんけど、たしかこういう人たちは「地方参政権が実現したら在日が対馬に集団で移住する」とか言ってんでしょ?すでに参政権を持っているんだから、今の生活を捨ててまで離島に数万人単位で移住し、何をバカなことを言ってるんだと自分たちを笑った人たちに、そんなことが現実に可能だと証明してみたら?

最後に要望ですが、私は「バカ左翼代表」または「愚民左派」を自称しております。
http://bund.jp/modules/wordpress/?p=224
また、ミクシィでは「馬鹿左翼」というコミュの管理人までしております。よって今後はア○などといかがわしい表現ではなく、堂々とバカ左翼とおよびいただけますようお願いします。

>この時、共産党は「ソ連などの核は自衛の必要から開発されたもので、アメリカの核と同列において非難するべきでない」という見解を打ち出し、原水禁運動分裂のきっかけを作ってしまいました。

原水禁運動分裂は部分核停をめぐっての態度のちがい、焦眉は中国の核でしたよね。
たまたま、こんなにも初歩的な事実誤認なので気づきましたが、
とすると、あまり一般的でない他のすべての事実認証が心配になってきます。

申し訳ありません。
部分核停への賛成を押しつけたソ連という図式を意識するあまり、
上記のような論難をしてしまいました。

>原水禁運動分裂のきっかけ

という点からみれば、「事実誤認」こそ誤認でした。
できれば、本コメントもろとも、上記コメントも削除いただきたく存じます。
たまたまのとおりすがりでの感情論、お騒がせいたしました。

う~ん さん>

いろいろご指摘ありがとうございます。
「できれば、本コメントもろとも、上記コメントも削除いただきたく存じます」とのことですが、原水禁運動の分裂そのものをめぐっては、私も勉強不足ですが、だいたい「共産党が運動を分裂させた」ということで、マスコミの解説などでは単純化して説明してきましたので、そう思っている人は非常に多いでしょう。

しかし、一方で、この言い方については共産党の方が猛反発していることは存じていますので、仮にそのような見解(結論)に立つとしても、そういう共産党の言い分も充分に考慮した上で判断するべきかと思っています。

そういう点について知っていただくために、できればう~ん さんの見解も残しておきたく思います。どうしても消してくれということでしたら、またお知らせください。ご意向にそいたいと思います。

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