中学時代の想い出 『이름(イルム)』より―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて

卒業 男の子のイラスト

 このエントリ後半に紹介した記事は、当初「ニュースとお知らせ」のコーナーに掲載したものですが、読んでいるうちに、ふと、私の中学校の卒業式の日、クラスのみんなの前で「本名宣言」をした在日の友人のことを思い出し、胸が苦しくなって、ブログのほうに載せてみたいと思いました。

卒業式で本名宣言をした友人の思い出

 その彼は一生残る卒業証書の名前に、通名と本名のどちらを書くかと校長先生に尋ねられ、親とも相談し、悩んだ末に本名を選択したようでした。今から思えばそれは、彼が今後の人生で、通名ではなく本名を名乗り続けるということ、差別や偏見からも逃げずに、家族ぐるみで向かい合う決断をしたことを意味していました。

 私は、卒業式のその日まで、彼が朝鮮民族であることをまったく知らず、ごく普通の友達としてつきあっていました。担任の先生からの簡単な説明の後、そんな彼が、今まで見たこともないような真剣で思いつめた表情で、けれどもものすごく自信をもって「僕の名前は呉○○です!」と、まっすぐに前を向きながら、あらためての自己紹介を終えた時、私たちはすっかり圧倒されてしまい、何も言うことができませんでした。まだ世間なんて知らない中高生の子供だった私たちには、その「本名宣言」の重さがよくわかっていなかったということもあると思います。

 けれども、そのときには、クラスの全員が彼の言葉を好意的に受け取ったということだけは断言できます。何人かはとても感動していたようでした。教室の後ろには、彼の母親と校長先生が一緒に立っておられ、そんな彼の「本名宣言」を、彼のお母様は、泣いているのか笑っているのかよくわからない複雑な表情で、感無量というかまぶしそうな表情で見つめておられたのを覚えています。

 先生が、「卒業式で、もし他のクラスの人に聞かれたら、みんなも教えてあげてな」と言ったあと、講堂に移動しての卒業証書授与式の時、「呉○○」と校長先生が彼の名を呼ぶと、彼はどの卒業生よりも一番大きな声で「はい!」と返事をすると、直立不動で卒業証書を受け取りました。校長先生はそんな彼に「おめでとう」と笑顔で声をかけておられました。何人かの他のクラスの主に女子が、「え?名前違うやん」という反応をしましたが、うちのクラスの女子が説明し、ふんふんと頷いているところが見えました。

 式のあとのクラスでの謝恩会の時も、特に何事もなかったように、みんなで楽しく過ごしました。差別ゆえに通名を名乗らざるを得なかった彼が、それを捨てて本名を名乗る決意をすることで小さな波紋をおこし、かえって周囲の差別意識を減らしていく。たまたまかもしれませんが、絵に描いたような展開でした。

 私の中学高校時代なんて、青春の華やかさのカケラもないバッチイ思い出が多いのですが(笑)、これは数少ない美しい思い出です。彼とは友達とは言ってもクラスでは別のグループだったし、高校も分かれたので、それ以来会う機会はありませんでした。在日差別の問題については、昔よりも進歩したのか退歩したのかよくわからない状況が続いていますが、どうか力強く、そして幸せに生きていてほしいと願います。

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--(ここから転載)--

이름(イルム)から―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて

http://d.hatena.ne.jp/irum/20101117/1289995411

-イルムとは、朝鮮語で「名前」のことです。
-長い文章ですが、読んでください。そして、是非、賛同やメッセージをお寄せください。
-以下、メールでの転送・サイト、MLへの転載などは是非、ご自由にお願いします。

はじめに

イルムからー当たり前に本名が名乗れる社会を求めて

 わたしは1960年に神戸で生まれた在日コリアン二世です。両親は済州島出身の一世です。私はいま、「中崎町ドキュメンタリースペース」というドキュメンタリーの制作グループを創り、大阪の釜ヶ崎を拠点に活動をしています。

 釜ヶ崎は、1960年代、炭鉱離職者や沖縄出身の人々などの日雇い労働者の街「寄せ場」として、1970年代からは高度経済成長を背景として多くの沖縄や未解放部落、在日韓国・朝鮮人などの人々が土木・建築、港湾などの底辺の労働に従事してきました。現在では、産業構造や雇用形態の激変、労働者の高齢化により、「寄せ場」そのものの姿も変貌しつつあります。

 そのような中で、私は4年前の、2006年末、越冬闘争の撮影に参加する機会がありました。そして、2007年3月には、その釜ヶ崎において2088人の労働者の住民票が消除され、選挙権までもが奪われるという事件が起こりました。その様子をカメラに収め、ドキュメンタリーを制作する過中で、様々な人々と出会いました。

阪急梅田百貨店で起こった事

イルム新聞記事
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 私が日雇いとして働いていた、大阪梅田の阪急百貨店の解体現場での事でした。そこでは、多くのフィリピンからの「研修生」という名目の移住労働者が、最低賃金の3分の1以下、月6~8万円の「手当て」で働いていました。私は特別永住権を持つ日本で生まれた在日朝鮮人二世であり「本名」で働いていました。

 ところが、雇い主によって、ヘルメットの前面に貼られた「本名」のシールを剥がされ、そして、裏側に貼ってあった「本名」のシールの上には「通名」のシールを貼られました。「本名」のままだと、「不法就労」防止のための「外国人就労届」を出さなければならないと雇い主が考えたのがその理由のようです。

 しかし、在日朝鮮人の場合、本名を使おうが、通名を使おうが、法的に「外国人就労届」を出す義務などなく、不法就労という事自体がありえません。他の現場では、「本名」で働いていても何も言われず、問題がなかったのに、何故突然、そこの現場でだけ、そんなことを言われたのかさっぱりわかりませんでした。(さらに、そこの現場では、入退場の時に、全員に指紋の押捺を義務付けるということもしていました。何故そんなことが必要なのでしょう?)

 多くの在日朝鮮人にとって、それは日常的に遭遇する不条理のひとつです。私は、いま現在も継続する「創氏改名」を問う裁判を起こしました。2010年5月24日、私は、日本政府と大林組とその下請けの三者を提訴しました。

本名を名乗ることは人格権

 自分が何者であるかを明らかにすることは「人格権」であり、自分の本当の名前が何かということは、自分がそれを決定する権利なのです。しかし、幼い在日たちは、それに気づくことができないほど主体を奪われています。

「ある日、不意にわたしたちが自分は何者であるのか、を知らされるのは、わたしたちがはじめて他者に出会う小さな子どもの頃である。」「わたしたちは、この世に在るものとして生きていくために、仮りの名を自分のものにして、自分でない仮りの者に自分を似せていくのだ。この世が日本人のものであるならば、わたしたちは、より日本人らしい、日本人に自分を真似ていく。」(「李珍宇ともうひとりのRたち」より 朴壽南)

私が本名を名乗るまで

 多くの在日コリアン二世がそうであるように、私もかつて、日本の学校に「通名」で通っていました。授業参観などでオモニ(母)が学校にやってくるのが厭でした。なぜなら、一世で無学で字も書けないオモニが来るとクラスのみんなに朝鮮人であることがばれるからです。

 14歳の時、外国人登録のため、クラスの皆に知られずに授業を休み、区役所に行き指紋を押す、その時、私はそれまでにも感じていただろう「チョウセン」という不遇性にもろに遭遇するのです。しかし、私はクラスで「本名宣言」をする勇気もなく、「指紋押捺拒否」も出来ませんでした。大学に入学し同胞学生のサークルに、勧誘されてようやく、「本名」を名乗ったのです。

創氏改名の歴史とは

 1940年、「創氏改名」が行われました。「半島人ヲシテ忠良ナル皇国臣民タラシメル」(朝鮮総督南次郎)ため、朝鮮に固有な男系の血統による「姓」を天皇制下の日本式の家の呼称である「氏」に変えました。それは同時に朝鮮の家族制度を日本化する「皇国臣民化政策」のひとつであり、その一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に変えさせたのです。

 しかし、「創氏改名」は朝鮮が初めてのことではありません。1874年(明治6年)明治政府はアイヌ民族に「氏」を強制しました。民族的な風俗を禁じ、固有の宗教、土地を奪い、狩猟活動も禁止し、「皇国臣民化」教育という同化教育を行いながらアイヌ民族を「旧土人」として差別しました。

 また、琉球人(ウチナンチュ)の名前は、薩摩藩と明治維新での廃藩置県という二度の琉球征伐の中で、沖縄の命名習俗を一掃し、琉球人を日本の戸籍へと強制的に編入していきました。金城という姓は「かなぐすく」から「きんじょう」へ、そして「かなしろ」あるいは「かねしろ」へと変わっていきます。

 かつての大日本帝国が、様々な非「日本人」と帝国臣民である「日本人」を生み出し、そして、それらの人々を同化し、あるいは差別、排除、抹殺、序列化し、アジアを侵略していったことを忘れてはなりません。

人類館事件について

 それを象徴的にあらわす事件として、1903年、「人類館事件」が起こりました。日清戦争の戦勝気分に沸くさなか開催された、第5回内国博覧会の「学術人類館」において、世界の「人類地図」男女一対の50組の図版とともに朝鮮人、アイヌ民族、台湾の先住民、沖縄人などの人々が民族衣装姿で「展示」されました。

 『「見る」側は好奇な差別的眼差しと優越感で「見られる」側に恐怖感と劣等感を植えつけてゆく。そして、「見られる」側はそれから逃げようとして、差別者への同化、迎合せざるを得なくなってくる。』(「内なる人類館」解体のために 金城薫)

 「天皇制」「戸籍制度」を背景にして、被植民地の人々を「創氏改名」などにより、名前を利用することによって、巧妙に日本に同化させていきます。各人、あるいは各集団固有の文化を劣ったものとして、捨てるべく誘導していったのです。

戦後も残る「創氏改名」

 「創氏改名」は過去の話ではありません。戦後も「創氏改名」は根強く残りました。日本政府は外国人登録の氏名欄に本名以外に「通名」を併記することを認め、公的書類にも「通名」使用を承認し、誘導しました。現在も在日朝鮮人の多くは根強い民族差別のために「通名」を使用せざるをえない状況にあります。大阪府外教調査(1994年)では、日本の公立高校に通う在日子弟の本名使用率はわずか12%です。

 ある在日三世の高校生K君が飲食チェーン店に本名で面接に行ったら、唐突にパスポートを見せてくれと言われたといいます。K君はオモニに、こう言いました。「オモニたちが何年(本名の)運動やっても日本は変われへんやん。僕は韓国に行くわ。韓国に行って、韓国でも僕は差別されるけど、生まれた子どもは差別されへんやろ。」

 その言葉は私の胸を刺します。また、ベトナム難民二世の子供たちも「本名」と「通名」で悩んでいると聞いて驚きました。北朝鮮に対する悪質な報道や朝鮮学校の無償化問題にも象徴されるように、日本の社会に体系的な排除、包摂の論理が、肉体化されているのです。

Kとの出会い、そして提訴へ

 今回、訴訟にはもう一人日本人のKいう原告がいます。Kはお父さんが中学校の校長先生であり、K自身も進学校の高校に通っていたのですが、閉鎖的でマンネリな学校や家庭に反発し中退して、あちこちを放浪し釜ヶ崎にやってきたのです。

 Kは37歳で型枠大工として釜ヶ崎で働き、ドヤに住んでいました。2007年3月、釜ヶ崎解放会館に登録していた2088人の住民票が一斉に削除されて、選挙権が奪われたとき、Kはその釜ヶ崎解放会館に「住民票」を置いていました。Kは当該として本人訴訟で一定の勝利判決を得ました。

 Kは、私の「創氏改名」されたヘルメットを見て、滑稽だと笑いながらも、一晩で共同原告としての訴状を書きあげました。そして、参議院選挙(7/11)を控え、「本名裁判」の第一回口頭弁論直前(7/8)に、なんと別件で逮捕(6/29)されたのです。Kは今も、大阪拘置所に不当にも長期拘留されていますが、私に裁判資料を送り続けているのです。

反弾圧・プロテスト

이름(イルム)から―

 現在、日本に在住する外国人は221万人を超え、日本の人口の1.74%を占め、また、そのルーツの多様化も進んでいます。グローバル化や少子高齢化の流れの中で、多くの「研修生」「実習生」など、さまざまな在留資格に細分化された外国人が、この日本に暮らしています。また、祖国から政治的に迫害され避難して来た「難民」も多くいるのです。

 一方でかつてのオールドカマーを代表する「在日韓国・朝鮮人」の人口は日本国籍の取得や、日本人との婚姻した子供たちが日本籍を選択するなどにより減少を続け、現在58万9千人となっています。国籍別で増加しているのは中国人が65万5千人、ブラジル人が32万2千人、フィリピン人が21万人となっており、無国籍の人たちも1,525人います。(2009年7月入国管理局発表)そして、日本で生まれてくる子供たちの30人にひとりのどちらかの親が外国籍なのです。

 先日、群馬県の小学校六年生の上村明子さんがクラスでのいじめが原因で自殺するという傷ましい事件がありました。詳細はわかりませんが、いじめられた原因が、お母さんがフィリピン人であることと伝えられました。上村明子さんが自らの出自を隠さず、民族名やあるいは、日本名と民族名を併記したダブルネームを名乗り、当たり前のように、受け入れられ、名前を呼ばれる環境が学校や地域や家庭にあったならばと思います。

 在日朝鮮人だけではなく、他の外国人が自らの出自を隠し、そのアイデンティティが自他ともに見えなくなる状況が発生しています。民族的アイデンティティの危機を克服することなしに国際化や多文化共生がなされることはありえないでしょう。多くの在日朝鮮人や在日外国人の子供たちが自然に本名を名乗ることができるように、この裁判がひとつの問題提起になればと思います。「이름(イルム)から―」いっしょに考えていきたいと思います。

(NDS=中崎町ドキュメンタリースペース)金稔万(きむ・いんまん)

賛同のお願い

「이름(イルム)から―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて」は、この裁判への、多くの人々のご支援をお願いしたいと思います「이름(イルム)から―」に対する個人・団体での賛同をお願いします。そして、ぜひ、メッセージをお寄せください!

  • 賛同フォーマット
  • 名前(あれば肩書きなども)
  • ブログへの名前の公表 可能・不可能
  • メッセージ(応援・意見・あなたの体験など、なんでも結構です!)

賛同メールの送り先:nds-2010osakaあっとhotmail.co.jp(あっとを@に置き換えて送信ください)
連絡先:釜ヶ崎医療連絡会議 大阪市西成区太子2-1-2 電話:06-6647-8278

ブログ「이름(イルム)から―当たり前に本名が名乗れる社会を求めて」 http://d.hatena.ne.jp/irum/
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カンパ振込先
・郵便振替口座 00940-5-79726
・加入者名:釜ヶ崎医療連絡会議)
*通信欄に「イルム」と明記してください。今後の弁護士費用など、何かと経費が必要になりますので皆さんのご支援のほどどうぞよろしくお願いします。

--(転載ここまで)--

氏名の人格権を認めた最高裁の有名判例

 名前に関する権利は、基本的人権の1つである『人格権』(名誉、プライバシー、肖像権など個人の人格に関する権利)として認められていることについては争いがありません。

 また、「氏名を正確に呼称される利益は、不法行為法上の保護を受け得る利益である」とした有名な最高裁の判例があります。(まじめな)法学部生なら知っていると思います。「不法行為法上の権利」とは、要するに侵害したら損害賠償の対象になる権利と考えておけばいいでしょう。

民法709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
民法710条 他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。

氏名は、社会的にみれば、個人を他人から識別し特定する機能を有するものであるが、同時に、その個人からみれば、人が個人として尊重される基礎であり、その個人の人格の象徴であつて、人格権の一内容を構成するものというべきであるから、人は、他人からその氏名を正確に呼称されることについて、不法行為法上の保護を受けうる人格的な利益を有するものというべきである。→判決全文(PDF)

昭和63年02月16日 最高裁判所第三小法廷判決 事件番号 昭和58(オ)1311

 上記判決そのものは、1975年当時において、テレビ放送のニュース番組において在日韓国人の氏名を(あらかじめ本人が表明した意思を無視して)日本語読みで呼称した行為について争われたものです。判決は氏名の人格権を認めつつ、その当事の社会的な状況において日本語読みが慣用として是認されていたので、違法とまではいえないとしました。しかしこの訴訟が一石を投じたことで、それ以降、日本のマスコミや一般社会の中でも、できるだけ本当の発音に近い表記が採用されるようになっていくのです。

 ちなみに私は自分の戸籍名を、「これは韓国語でどう発音するのだ」と、仕事の関係でお会いした韓国人の方に教えてもらったことがあります。なんかすげー汚い発音で、俺はそんな名前じゃねー!って言うか、やっぱりこんなふうに違う発音で呼ばれたら、韓国人であろうが日本人であろうが、そりゃあ嫌だよな~としみじみ思いました。

 今は「75年当時」どころか21世紀の世の中であり、多くの職場で在日の方々が普通に本名で何の支障もなく円満に働いておられます。ですが未だにこの会社みたいな無茶なところも多々あります。だいたい従業員に指紋を押捺させるなんて!どんだけ人権意識の低い(つか無い)会社やねん!と驚きを通り越してあきれます。

 おまけに移民労働者をその弱みにつけこんで、「研修生」として登録し、最低賃金の3分の1以下でこき使うとか、在日朝鮮人が「外国人就労者」だと勘違いしていたのは無知にすぎないとしても、届を出すのが面倒だからヘルメットの名前を貼りかえておけとは!いったい労働者を何だと思っているのか?こんなところで労働災害に遭っても、絶対にちゃんとした補償とかしてくれそうにないこと請け合いですわ。

 本件訴訟の場合、発音(呼称)どころか、そもそも本人の名前ではない別の名前を(本人が嫌だと言っているのに!)会社が強制的に名乗らせているわけですから、もし自分がそうされたらと考えてみても、これはもうべらぼうなまでの基本的人権(人格権)の侵害であることは明白であると思います。

 会社側の立場にたって考えてみますが、ちょっと有効な反論が見つからないです。ですから公安刑事としては、この裁判が運動化して大きくならないように、ささいな別件をこじつけて関係者を何でもいいから逮捕しておき、「かかわるとタメにならないぞ」と周辺の人たちを脅すと同時に、当事者の評判を今のうちに少しでも落としておこうとやっきなのでしょう。

 ですがそんな脅しにのせられないどころか、かえって余計に応援したくなる、私のような天邪鬼もいるわけです。この裁判はおそらく判例集に載ることになると思いますが、訴訟の勝ち負けもさることながら、提訴して問題提起した時点で、すでに大きな意味をもったと思います。どうか最後まで頑張ってほしい。注目していきたいと思います。

考リンク

이름(イルム)から(金稔万さん本名損害賠償裁判を支援する会)
本名指導(ムジゲタリ-在日外国人の子ども達を受け持つ教員のための指導手引き)
映画『いるむ…名前』朴秋子さんの本名宣言(コリアキネマ倶楽部)
Free K!(4・5釜ヶ崎大弾圧に怒る仲間の会)
Rについて(夢の野に)


※私以外の他人の文章を引用したエントリについては、引用させていただいた方への礼儀と迷惑を考慮し、荒らし投稿やわからんちんの差別者、歴史修正主義者の演説は削除しますのであらかじめご承知おきください。


1件のコメント

えー、まことに勝手ながら「四トロ3次会」で、議論の参考にさせていただきました。あしからずご了承下さい。http://6038.teacup.com/mappen/bbs/index/detail/comm_id/4727/?

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