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*一応は「自称左翼」であるが、かなりあやしい
*本物の左翼から「てめぇは左翼を名乗るな!」と怒られたことがある(複数回)
*左翼本を読んでも「疎外」「物象化」などの用語の意味がよくわからない
*最近流行りのオシャレな現代思想はますますよくわからない
*運動界隈で流行りのカタカナ語への置き換えを見ると「日本語で言え」と怒りがわく
 ∟アクティビスト(=活動家)とかフライヤー(=チラシ)とか……
*でも「インター」は歌える
*警察が団体でいるのを見るとテンションが上がる
*元活動家で逮捕歴が3回ある(すべて不起訴)
*ホームセンターのヘルメット売り場の前で足が止まる
*得意げに喋っている時に、元ネタをばらされると殺意が湧く
*気がついたら他人様の日記のコメント欄で論争をしていた経験がある
 ∟ほんとゴメンなさい。もう二度としません。みんなも気をつけよう
*かつて資本論を読みかけて、ウールの反物の長さがわからなくて挫折した

※3つ以上「私といっしょやん!」と思ったあなたは⇒[mixi]馬鹿左翼コミュへGO!
 万国のアホの左翼よ「わかったふり」はやめて団結せよ!

ハンドルネーム「草加耕助」について

 ネット上で発言をはじめた当初は、いわゆる「共産趣味者」からの受けを考慮して草加次郎を名乗ってみたが、ネタが古すぎて誰も突っ込んでくれなかったのと、あと、よく考えてみれば「今年生まれた子供が30年後に『麻原彰晃』というハンドルネームを使う」ようなもので、あまりにも趣味が悪く不真面目なので改名することとした。
 「耕す」を「助ける」で耕助という名前が自然に浮かんだ。一番には三里塚闘争を意識したものだが、それだけでなく、ネット上に生まれるこの人格が、世界中にいるいろいろなものを耕す人々の、助けになれるような存在であれかしという願いをこめて命名した。
 これで本家の「草加次郎」と一緒くたにサーチエンジンにひっかかることもなくなるというものである。

元左翼活動家としての経歴

 元戦旗・共産主義者同盟系の活動家でした。
 同盟本体に所属したことはありませんが、その下部組織である共産主義青年同盟(KIM)に所属し、大衆団体である社会主義学生同盟(社学同)、労働者共闘会議(労共闘)の支部キャップをつとめ、戦旗派の地区本部会議にも参加していました。

 活動していたのは80年代初頭より後半にかけて。主な活動内容は韓国民主化支援・日韓連帯闘争、金大中氏死刑阻止闘争、光州虐殺糾弾・全斗煥来日阻止闘争、三里塚空港反対闘争、ジェット燃料貨車輸送阻止一週間決戦、成田用水粉砕辺田大会戦、80年代反戦反核闘争、エンタープライズ阻止横須賀闘争、レーガン来日阻止常盤橋戦闘、中東イラン革命連帯、中米ニカラグア革命連帯、等々。逮捕歴2回(いずれも起訴猶予処分)。

……だったが「草加耕助」になってから三里塚関連で(マジに!本当に!)何もしないで裁判所の待合室で座っていた(しかも職員の指示に従って)ら、急に入ってきた公安が「ちょっとこっちに来て」と言うので、他の人と一緒に仕方なくついていったら、そのまま護送車に乗せられ、そこで「え?逮捕されたの?なんで?」と気がついた。結局48時間で釈放。なんだったんだ。その時刻に裁判所内にいる人間を全員逮捕の方針だったからということらしいが、それで人生変わってしまう人もいるのになんてお気楽なんだ!で、めでたく「逮捕歴3回」になったというオチである。

高校時代の自己形成について

家庭環境など

 進学校として全国的に有名な某校に進学しました。中学では普段の私の成績を知る人からは「奇跡」などと称せられました(本人もそう思う)。
 高校時代の私は授業中に芥川や太宰を読みふけるなど、はたから見ればストイックな文学青年に見えたかもしれません。でも、本人としては自分は典型的な庶民の子で、どちらかと言えば落ちこぼれに近いと思っていました。家はかなり貧乏であったようですが、両親の愛情と努力のおかげでさほどみじめな思いもせずに成長することができました。心から感謝しています。

同級生の死

 この頃で一番思い出に残っていることと言えば、いじめを受けていた同級生が入院し、そのまま「原因不明」で死亡したことがあげられます。私は彼と決して親しくはありませんでしたが、彼は小児麻痺の妹の世話を喜んでしながら学校に通うような人で、矢沢永吉のファンでもあり、要するにごく普通の高校生でした。私はいじめの現場を見ていながらいつも何もできませんでした。

 彼の葬式から帰った当日、私は自分を責めて号泣しました。一週間くらい毎晩泣き続けました。葬式の翌日、反省するどころか彼の小児麻痺の妹の真似をしながらゲラゲラ笑ういじめグループの人間を見て拳をにぎりしめました。彼らに対してではありません。それに注意できない無力な自分に対してです。いじめグループに対しては、もう怒りよりむしろ可哀想な人間のように思えたものです。
 やがていじめの標的は私にも向くようになりました。死んだ彼に替わる新しい「パシリ」が必要だったのです。パシリの要求を拒否すると激しく殴られました。倒れた所に顔面を蹴り上げられて腫れ上がりました。学帽は踏み付けられ、靴はどこかに捨てられてしまいました。そんな状態が毎日続きました。それでも拒否し続けました。

 自分が暴力を受けるようになって、いささかふっきれるものがありました。何を今まで怖がったり躊躇していたんだろうと思いました。自分を殴っている人間が、とてつもなく可哀想な人に見える感情はどんどん高まっていきました。だから少しも辛くはなかった。もしろ自分は殴る側ではなく殴られる側の人間で良かったとさえ思いました。殴っても殴っても胸をはり自分達を哀れみの目で見る私に、彼らはますますいきり立って暴力はエスカレートしました。

 でも、私はいつしか本気で彼らを救ってあげたい、死んだ彼に自分達が何をしてきたのか、人間として気がついて欲しいと思うようになっていたのです。けれども私に何ができるわけでもありません。獣人と化した彼らは、今でもこの社会のどこかで、結婚し子供を可愛がり時には「いい人だ」と思われたりしながら、まるで人間のような顔をして暮らしているんだろうなと思ったりします。少なくとも彼らが左翼にならなかったであろうことだけは確かでしょうが。

 ともあれ、「人を人とも思わない人間」「他人を自分のために平気で利用する人」「暴力や権力、お金などで人を見下す人」「鼻持ちならないエリート意識」への反感や、人間に限らず「理由なく虐げられる弱いもの」への共感、「何もできない自分への罪悪感」といったものがこの頃に育まれていったと思います。

左翼活動家を経験して良かったと思う事

「弁証法的発想」が身についたこと

 特に人間関係において、自分(テーゼ)が変わらなくては相手(ジンテーゼ)を変えることもできないという発想をたたきこまれたのが良かったです。
 組織では「自分が正しいと思う方向、都合のいい方向に相手を変えようとするだけでは何も変わらない。相手のそれまでの人生や苦闘を認め、学び、自分が成長することで相手と自分で共通の方向を探っていく(アウヘーベン)ことが大衆運動であり、大衆の組織化である」とされていました。
 しかしこれ自体が一つのテーゼです。さらには「大衆運動は遊びではない、テクニックや話術、時には詭弁や策略さえ使わなくては政治の世界では滅ぼされてしまう」というジンテーゼが設定され、さらにそれをアウヘーベン(止揚)していきます。
 こういう思考や実践経験は企業・店舗経営や人間関係、家庭問題にまで幅広く応用がききます。先の高校時代のいじめグループで言えば、彼らを変えようと思うならば、彼らを責め立てて自分一人が「正義の味方面」をするのではなく、まずその過程で自分自身の主体を見つめ直して変革していくことが必要だったのではないかということになります。

悪徳商法に騙されなくなったこと

 どうも私は人をむげに突き放したり断ったりができにくく、人の話はとりあえず信用しながら聞いてしまうので、悪徳商法にひっかかりやすいタイプのようです。
 しかしこの世の(あるいは一国の)富=価値は労働によってしか生み出されません。価値を増やすには労働によって生産力を増やすしかないわけです。その国の貨幣はその国の価値総体を表象した商品にすぎません。
 労働もせずに価値を我が手にするためには、大勢の他人を労働させてその労働を搾取する資本家になるか、需要と供給のアンバランスに目を付けて価値以上の価格で商品を売り捌く、あるいはすでに市場に流通している価値に投機する、つまりバブリーな株などへの「博打」しかありません。
 労働によらなければ価値は絶対に増えない、それ以外はすべて博打(平等に集めた価値をゲーム的ルールに従い不平等にわける)である。悪徳商法とはこの博打のルールが不公平または主催者に一方的に有利なものである。
 これさえ押さえておけば、私のように気の弱い、騙されやすい人間でも「これは悪徳商法だ」とすぐにわかるので、逆に相手を糾弾することができるようになります。まあ、頭から人を否定してかかることができる人(皮肉じゃないよ)には必要ないことでしょうが。

経営感覚に役立つ

 組織を動かす立場、さらには一歩間違えば逮捕、投獄、死もありうる立場にいたことは、経営側に回った時にも経験としてとても役にたっています。(あまり詳しくは書けませんが)

その他

 怒りにくくなった。平常心でいられる。怒るべき時にはスイッチをいれて本気で怒れる。ストレスに強くなる。ヤクザも警察も恐くなくなる(でも妻だけは恐いけど)。どんなに悪くても死ぬだけだと達観できる。不当な圧力に屈しなくなる(でも子供のおねだりには屈してしまうが)。人のせいにせずに自分を反省できるようになる。人を認めてあげることができるようになった。
 ただしこれらは「左翼」というよりも、ある種特別な「組織活動」の成果であり、いわば「理想を掲げて修羅場を踏んだ」ことの成果かもしれません。

学歴

 安本音楽幼稚園・京都市立深草小学校・京都市立醍醐中学校・洛南高校を各々卒業、花園大学(文学部社会福祉学科)に入学するも活動のため中退。組織活動から離脱した後、働きながら立命館大学(法学部法学科)を卒業

(最終改訂日:2008/4/12現在)

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