以前に書きました「一日共闘集会の報告」の最後に、補足として付け足した文章です。
上記のエントリーに対していくつかコメントや反応をいただきましたが、この「補足」に対するものが多かったです。また、エントリー下段のわかりにくい所にありますので、「あの文章をもう一度読みたいけど、どこにあったっけ?」などという問い合わせもいただきました。そこでわかりやすいように別エントリーとして、いただいたコメントともどもあげておくことにしました。
【再掲】より幅広い大衆戦線のための提言
さて、最後に一言、言わなくてもいいことを言っておきますか(笑)。
まあ嫌われ役ということでご容赦願います。
今回の一日共闘に参加したいくつかの団体(もちろんすべてではない)と、党派としてつきあいがあるのは唯一中核派です。だからこの集会を「中核派系」だと思っている人も多かったんではないかな?ここまで書いてきたように、内容的にはそんなことはなかったし、党派色もまったく感じませんでした。誰でも参加できる楽しい雰囲気の、良い市民集会だったと思います。ですがそういうこともあって、私がおつきあいのある方でこの集会に参加したのは、元中核派、元戦旗派、良くも悪くもそういうことにはこだわらない戸田さんというところ。後はみんなさめた目で見ていた。だからちょっとデモをしながら気分は暗かった。そういう皆さんには、「管制塔被告連帯キャップ」をかぶって、それをよく見えるようにしながら会場を歩きまわってきたことを報告しておきます(笑)。
実は過去の潮流として私のような系列の人と、中核とおつきあいのある系列の人が、まがりなりにも同席できるのは全国的に名古屋だけなのです。後は全部バラバラの別々です。これは正直に言わせてもらって、残念なことだと思います。原因を言い出せばお互いに言い分があろうと思うし、また泥沼にはまるのですが、20年ほど前の中核派が、反体制運動をしていた非常に多くの団体や個人を「反革命」つまり国家権力や右翼と同じ存在であると規定して、暴力的な襲撃や恫喝などをしまくったという経緯があるのです。一番酷い被害にあった人は片足が壊疽をおこして切断せざるを得ませんでした。私の周囲でも被害にあった人がいます。その頃の運動や組織防衛にあたった苦労は忘れがたいものです。特に学生運動での被害は甚大で、主だった地域から中核派系以外の学生運動は根絶やしにされました。短期的には「中核派の天下」となりましたが、長期的に見れば中核派を含む学生運動そのものの衰退を招来してしまいました。一般学生との隔絶は、その後長きにわたって埋めがたいものとなった。
なによりも、この頃に被害にあった人々は今でも多くの市民運動を担っていて、その頃の苦しみや悲しみ、中核派に対する不信感は世代を超えてごく自然に伝承され続けているのです。だいたい中核派の方は、この事態にいたるまでの論争経過に遡って自身の正当性を語る方が多いのですが、そういう問題ではないと思います。「中核派は自分に逆らう者を平気でテロる」「中核派が同席したら自由にものが言えなくなる」「近寄りたくない」「あいつらを入れたら滅茶苦茶になるんじゃないか」という、消えがたい記憶、無関係の人にとっては「敬して遠ざける」抜きがたい雰囲気を残したことが最大の問題なのです。
中核派はその後、こういう方針をあらため共闘関係重視の路線に転換しました。それは非常に良いことだとは思います。ですから、その路線転換以降に中核派の運動に参加された方は、連帯や共闘を求める自分たちが「不当に排除」されていると感じることもあるようです。でも、これも違うと思います。だって、中核派は当時のことを一度だって謝罪も自己批判もしていません。だったら当時のことを今でも「正しかった」と思っていると判断されて当然です。だったら共闘関係重視の「路線転換」も信用できない。
本当に中核派の人は、この頃のことをびっくりするほど軽く考えている。それはもう信じられないくらい、唖然とするくらいにそうです。「殴られたほうはその痛みを一生忘れないが、殴ったほうはすぐ忘れる」とはよくぞ言ったもんだと思います。自分たちのしたことが、相手に与えた心や体の傷、人間としての屈辱や激しいショックを、たった10年や20年ぽっちで水に流せる程度のことだと考えているのでしょうか。その感性は到底信じられません。あなたがたのせいで一生をむちゃくちゃにされた人、正義感をもってはじめた運動から泣く泣く追放されていった人々の苦しみ、悲しみ、怒りが本当にわからないのですか。
たとえば権力や右翼に襲撃されたり、そのために普通の人生を歩めなくなっても悔いはなかったでしょう。たとえその後に運動から離れても、自分なりに納得のできる記憶になっていたはずです。けれども勝手な「内ゲバ」で襲撃されてそうなった人には、悔やんでも悔やみきれない、苦しんでも苦しんでもまだ足りない、恨んでも恨みきれない、暗い暗い悲しみが残るのです。「汚れちまった悲しみに」という詩があります。権力の襲撃を「切ない悲しみ」とすれば、中核派から受けた傷は、思い出すのもやるせない「汚れちまった悲しみ」です。
それでも、こういう当時の中核派の被害者の大部分は、中核派のことを一生許さないとは思いつつ、だが中核派を権力と同レベルに扱ったり、ましてや「反革命」などと呼んで敵対することはありませんでした。法政大学の弾圧への抗議にも、こういう多くの人が名をつらねてくれました。中核派の方は、このことの重みを100万回でも認識するべきです。そのことを涙ながらに訴えます。
これらのことは今まで何回も書いてきたし、これからもしつこく書き続けます。そしてそれは、お互いが手をとりあえない現状を不幸であると感じ、深く悲しんでいるからなのです。そのことをわかっていただきたい。
中核派が各地、各戦線での共闘関係に入って共に闘える日のくることを望みます。そのために、当時の所業に対し、「謝罪」もしくは「一方的な自己批判」を行われることを提案し続けたいと思います。もちろん、そのようなものを出したからと言って、翌日から諸手をあげてみんなが中核派を受け入れてくれるなんて考えてもらっては困ります。実際、それを正式に評価したり、受け入れ表明するところは皆無に近いと思います。
人によっては、襲撃の前提となった論争についても、中核派の自説を撤回しろという人も出るかもしれない。それは拒否してもいいと思います。私もそこまで遡る必要は認めない。「我々の主張そのものは正しかった。だが、起こしてしまった結果について責任をとり、謝罪する」「今後は意見の違いを認めあい、二度とあのようなことはしない」そういうことでいいと思います。
これは、短期的には中核派だけが政治的に傷つくことになるかもしれない。現場活動家も、しばらくは針のムシロでしょう。離脱する人もいるかもしれない。だからこそ、こういうものが出せないのでしょうね。でも、それは絶対にさけて通れないことなんです。けれども、これは逆に中核派の権威を高めることにもなる。それは5年後10年後には必ず生きてきます。もちろんそれまでに手のひらをかえさず、自己批判の精神を実践で示し続ければという前提はつきますけれども、必ず中核派にとってプラスになります。それは疑いがない。
いえ、中核派だけにとどまらず、日本の反体制運動全体にとって、はかりしれないくらいに大きなプラスになることです。どうか真剣に考えていただきたい。今のままでは八方ふさがりです。勇気のある一歩を踏み出してください。それができる組織なら、私も応援することができます。
いつかは絶対にやらなくてならないケジメです。そういうものは先延ばしせず、早ければ早いほどいいのです。さっさとやっちゃって下さい。今すぐに。何の痛みもなく、当時のことを水に流せるほど、この世は甘いところではないのです。だいたい、それすらできないのなら、いくら勇ましいことや立派なことを機関紙やビラで書かれても、当時を知る人民の立場からはむなしいだけなのですから。
「なのなの勢力」さんのブログより引用
(前略)…この運動は、○○系という言い方がよくされますが、多くは悪宣伝だと思うのですよ。青森の場合だと、ふだん共産党支持とか共産党系と言われる方々が、私たちの集会によく来てくれます。本当にありがたいことです。(中略)
…昔からの仲の悪さを利用して、分断を図ろうとする悪宣伝に乗ってはいけません。キミたち(党派関係者)が「囲い込み」をしようとしたり、「シマを守ろう」とするとき、私は怒ります。いや、私自身がかつてそういうことに手を染めて、自分でやりながら、やられながら、イヤだったから特にそう思うのかもしれません。「ええい、うるさい!」と言えるぐらいになりましょう、しましょう。そうならずして、健全な運動はないです。(80年代の戦旗派の政治集会に来て)平気で文句をたれる、石井武さんや岩木さんのようになりましょう(中略)
…第3歩目に我ら行動隊の仲間といっしょになりました。我ら行動隊に抵抗がなかったと言えばウソになります。なにしろ、私や私の先輩を殺すと言った人たちですから。それでも有効にやっていっている数少ない人たちです。とりあえず、動ける最初の地歩をつくろう。特に昔やっていた元同志のみなさんにはそれを訴えたい。(後略)
(「楽しく、陽気に、しつこく、やろうな!」なのなの勢力さんより引用。太字化は草加による)
前エントリーのコメント欄より
とても興味深かったのでTB送ります。
今回の記事はまさに僕が中核派に対して持っている不満にかかわることでしたので、本当に良かったです。
僕は「路線転換以降に中核派の運動に参加」した人ですが、昨年潜入しました全学連定期大会で自分が茨城で取り組んでいたプロジェクトを「八木秀次の『国民の思想』にある縦軸の哲学」呼ばわりされた時は本当にむっときました。それはこうした歴史的背景があるのですね。
しかし今や中核派は統一戦線の「主力の一角」になりつつある以上「言い逃れ」はできないはずです。将来の運動の大きな飛躍のためにも、そして11月集会の1万人参加を実現するためにも、謝罪と自己批判を行って欲しいものです。
以上、労働者1年生の戯言でした。
Comment by 護憲的コケシくん
護憲的コケシさん>
コメントありがとうございます。TBはブログによってうまく送れたり送れなかったりするようです。原因はよくわからないのでもう一つ別にミラーサイトを構築中です。
>今や中核派は統一戦線の「主力の一角」になりつつある以上「言い逃れ」はできない
>将来の運動の大きな飛躍のためにも、そして11月集会の1万人参加を実現するためにも
>謝罪と自己批判を行って欲しいものです。
本当にそうですね。中核派が統一戦線なんて作る気がなくて、マル青同ばりの孤高路線でいくなら、今のままでも通用すると思いますが、統一戦線を呼びかけ、かつそれを実践しようとする以上、そこには組織としての責任というものが出てくると思います。
11月労働者集会は、今や日本の戦闘的な反体制運動の中でも唯一の目ぼしい運動です。ここに、いろんなわだかまりを超えて、みんなが参加できるようになったら素晴らしい。そして、実はこの集会に参加している人でも過半を超える人々が、中核派にかつての襲撃を謝罪してほしい、そのことで広範な大衆戦線を作ってほしいと望んでいます。
それどころか、中核派の内部でも、若い人を中心として、内心では「謝罪してもいい」「謝罪してほしい」と考えている人も多いことを最近知るようになりました。そのあたりの葛藤から徐々に齟齬が広がって、中核派を離脱した人もおられるようです。しかもそういう人がゆっくりとですが、増えつつあるように思います。
外から客観的に見れば、謝罪することで失うものと、謝罪しないことで失うものとの差は果てしもなく大きい。だから、なぜ謝罪できないのか?本当に不思議に思えます。そんな簡単なことが組織内にいると見えなくなるのでしょうか?
このあたりの矛盾は、大衆運動路線を進めれば進めるほど拡大していき、いつかにっちもさっちもいかなくなるでしょう。それから謝罪しても非常にカッコ悪い。いかにも方便で、謝罪に「追い込まれた」という感じがする。やるなら今しかないのです。
法政大の弾圧は、あまりにも権力と大学当局のやり方が滅茶苦茶であったせいで、みんなが学生を支持することに何の抵抗感もありませんでした。一方、共産党が護憲運動からの中核派排除を打ち出した時は、その方針に嫌悪感を表明できても、それは「内ゲバ主義者の共産党にそれを言う資格はない」という感じのものです。簡単に言えば、中核派をかばいたいのですが、一般の人々に対して、中核派をかばうべき言葉がない。かばいきれないということなのです。本当に「早くなんとかしてほしい」というのは悲鳴にも似た気持ちです。それは中核とつきあいのある大衆運動家はみんな感じていることだと思います。
一刻も早く、同派が大衆運動での責任ある態度を表明されること願ってやみません。
Comment by 草加耕助
「責任ある態度」の表明-は本当に求められているのでしょうが、「村山談話」も出せない(「村山談話」ですまないのも「日帝」同様ですが)くらいに「日帝」と同様の構造を組織内にビルトインしてしまっていると感じます(草加さんも書いてらっしゃったとおり)。そして矛盾はどんどん内向きに「解決」する方向に向かい、この間の「党の革命」により恐ろしい、というか気味の悪い「労働者」賛美集団になりつつあるようです。七・七とかは完全にどっかにいってしまいました。中に残っている人の中にかつてとても信頼していた人がおられる(とっくにいなくなってると思っていた)のを最近知り、そのことがまた気を重くさせています。元「日帝」兵士としてはやらなければいけないことがあるように思うのですが、申し訳ないという気になるばかりです。
ところで「マル青同」の名前が出ていましたが、80年代後半に一時盛んに言っていた「主流派学生運動」論というのはマル青同の運動論を剽窃したものでした。「すべての課題に対して(少数派であれば少数派なりに)主流派として責任ある方針を持つ」というそれとしては立派な運動論でしたが、いつのまにか「一人でも主流派精神で頑張る」という根性論に変わってしまいました。
Comment by あおざかな
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サイト内参考リンク
◇蔵田さんの回答書への読書感想文
◇全三里塚勢力の対話と団結を求めます
◇元反戦高協さんへのレス(1
◇中核派の「路線転換」について
◇元反戦高協さんへのレス(2
◇何で分かってくれないの?
◇全左翼は自分の内なる「内ゲバ主義」と向き合おう
◇熱田さんの「移転」について
■この記事のミラー(http://red.ap.teacup.com/hatahata/46.html)
こんばんわ
以前から気になっていたことを再度エントリーしていただき、ありがとうございます。
私は>20年ほど前の中核派が、反体制運動をしていた非常に多くの団体や個人を「反革命」つまり国家権力や右翼と同じ存在であると規定して、暴力的な襲撃や恫喝などをしまくった…時期に「運動」に結集しました。学内ではうでに「中核」が出てゆくという形で「決着」はついていたものの、両派のはざまで悩んだ挙句、学内での運動に責任を取らずに「潜伏」し、「前進」だけは取り続けるという生活を続けてきました。2002年ごろ、あるきっかけから「百万人署名運動」系の運動に復帰し、反戦運動の片隅をウロウロしている者です。
長い間統一戦線を要求しながら、それが実現できない理由…「旗旗」ブログの関連記事を見て、実際に行われたことに対する認識の甘さを痛感しております。反戦運動で、旧日本軍の「過ち」から目をそらさないで!と言いながら、自分たちのそれには何も言わない…これは偽善ですね。
また、「教育基本法」を改悪し、どんどん「右」へ行こうとする、格差が広がり、「ワーキングプアー」が増加するような日本のあり方を本当に変えるためにも、「統一戦線」の問題は急務です。過去の過ちをすなおに認める態度表明を、私たちが一刻も早く行わねばなりません。
「党の革命」については、誰が放逐されたとかゆうことは分かりませんが、これまで指導部を握っていた「学生運動出身のインテリ=学内の『党派政治』に明け暮れていた人たち」から「労働運動を実践してきた人たち」が反旗を翻したものと認識しております。(あおざかなさんの認識とは違うようですが)よって、この部分から「突破口」が広がってゆくかも知れません。あと、90年代後半以降に結集してきた「若い」人たちも(もちろん私が「彼らにおまかせ」というわけには絶対にいかないでしょう。)
世の中が激動に向かっています。その中で「党」も変わらざるを得ない、それもよい方向に!
微力ながら、私も何かできるようになりたいと思っております。
おっとGOさん、こちらでもお会いできましたね。
今一度この件に関してコメントするならば、その茨城でのプロジェクトを主宰していた女の子が「運動をする人たちがよく『たたかう』と言うけれど、私はそこに相手を受け入れないものを感じます。相手を受け入れないまま意見を統一しようとするのは『ファシズム』ではないですか?」と問い掛けてきました。その当時僕はどう返答していいのか困ってしまいました。
先週あたりの『前進』で「血で血を洗う運動に終止符を打ち」云々と書かれていたような気がしますが、だったらそれを「内部」で表明(しかも申し訳程度に)するだけにとどめず、思いっきり「外部(さすがにカクマルは除いても良いのではと思ってしまいますが)」に表明したらどうなんだと言いたくなりました。
中核派はますます共闘路線を追及していくことでしょう。しかし、『前進』の紙面では相も変わらず「動労千葉運動」を賞賛するばかり。これはいかがなものかと思います。確かに外国の労組が「是非お手本にしたい」というには値すると思いますし、僕自ら職場でこんな運動を起こせたらとの思いもあります。
それでも、過去にやった過ちを謝罪しない限り「未来志向」などありえません。教基法改悪反対運動の「あんころチーム」の運動から動労千葉などが学ぶべきところも多いはずです。それはともに「たたか」った相手の運動のあり方を尊重する姿勢でもあります。今の中核派にしかそれはできないから、チャンスは今しかないのです。
草加さんには是非今後も左派に潜むこうした問題を訴えつづけて欲しいです。そのうち、知り合いの「活動家」に訴える意味でも、自分の運動に対する疑問と展望を自分のブログで書く日がくるかもしれません。
運動内部でこそ言論の自由は保障されるべきなのです。