チベット問題・長野聖火リレーに関する議論より

投稿者:草加 耕助

(写真は反米嫌日戦線さまよりお借りしました)
写真は反米嫌日戦線さまよりお借りしました どうも右派系の中のごく一部の悪質な人(私がネトウヨと呼んでいる人々)が、チベット問題を文字通り単なる<ネタ>として使って、左派系のブログや掲示板を荒し回るという唾棄すべき行為を行っている(いた)ようです。これは命がけで闘うチベット人民に対する最大限の侮辱行為以外の何者でもないでしょう。

そういう現状もふまえて四トロ掲示板に以下のような投稿をしました(一部の抜粋)。

(抜粋開始)
『まず、「チベットを反中国のネタにしているに過ぎない人」というのは、左派系のサイトやブログに対して、チベットとは何の関係もないエントリーで唐突に「チベットはどうした」みたいなコメントをつけて荒し行為のネタにしている下品な輩のことでしょう。こういう人に限って自分ではチベット民衆のために指一本すら動かしてはいない偽善者であり、これはもう右や左の問題ではない。チベットの人々の闘いを、自分が気に食わない言論や人権への抑圧のネタにしているのあって、チベットの人々の思いを最大限に踏みにじって侮辱する行為として、左右を問わずにこぞって批判するべき行為です。こんな糞のような輩はもう問題外ですが、チベットについての書き込みで一番目だっているのが、こういう糞のような輩だということに、チベットを真面目に支援している人はもっと危機感があってもいいのではないかと思いました。

 次に、チベットを反中国(あるいは反共)のネタにしてはいけないというのは、私のような立場からはそう思いますが、もとから反共や右翼的な思想を持っている人にまで要求するのはちょっと酷かなと思います。別の言い方をすれば、それでは沖縄の米兵の少女暴行事件を「反安保や反基地のネタにするな」というナンセンス極まりない主張の裏返しになってしまうのではないかということです。

 私たちは少女暴行事件を「ネタ」にしたわけでは断じてありません。安保や基地の存在こそが沖縄や世界の人々の人権を踏みにじっている現状を一貫して問題にし続けてきたのです。では私たちと同じように、真面目に世界の人々の人権を一人の市民として考え、その結果として「反中国」を人権擁護の観点から訴えるような人まで、上記のような糞のような輩と同列において批判してもいいのかと思います。

 チベット問題の何が問題かと言えば、それは人権抑圧であることです。いっさい「反中国」を言うなというよりも、人権擁護の観点からなされた主張かどうかという視点のほうが重要であるように思います。
 すなわち、民族排外主義や外国人排斥などの差別、人権抑圧のネタにチベットを使うような言論の名に値しない「擬似言論」とは徹底的に闘うべきだと思いますが、人権擁護の観点からの「反中国」は通常の議論の対象であって、決着は大衆からの支持によって決まると思いますよ。たとえばチベット支援の大衆的な集会にそういう「反中国」な「右」の人がいたってかまわないし、自由に発言したらいいと思う。それは米軍糾弾の会場に「左」な人が来るのと同じことでしょう。ちょっとでも「反中国」だからと目くじらたてるのもどうかと思います。

 結論的に言えば、むしろどちらの主張が人権擁護に寄与するものかを競い合うくらいの心構えがないと、右であれ左であれ、泥仕合的になじりあっても大衆から呆れられるばかりです』
(抜粋ここまで)

 左翼が心配しているのは、中国批判が真面目な人権侵害への抗議ではなく、民族差別や排外主義(一言で言って“嫌中派”の運動)に捻じ曲げられて利用されるのではないか、そいう差別や人権侵害の尻押しをしてしまうのではないかということです。だいたいが中国への批判は体を張ってでも中国にしろと言うのが筋であり、左翼(とマトモな人権団体)はみんなそうしてきました。マトモでない人だけが上記のような悪質な行為をしています。

 こういうネトウヨたちは完全に勘違い(あるいは意図的に無視)しているようですが、日本の政治勢力で「現在の中国」と最も親密な関係にあるのは公明党-創価学会ブロックであり、2番目が自民党です。批判したいのならそちらにどうぞと言いたい。左翼各派は(毛沢東主義派も含めて)現在の中国とはほとんどが絶縁関係にあり、日本共産党ですら、文化大革命当時からすでに中国とは犬猿の仲です。そのことを知っていないと、以下の文章はわかりにくい部分もあるかもしれません。

(以下、四トロ掲示板より転載)
―――

「フリーチベット」の旗を掲げる人たちについて
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投稿者:YUKI 投稿日:2008年 4月24日(木)04時51分44秒

私は少なくとも日本で「フリーチベット」の旗を掲げる人たちが何者であるかを問題にしなければならないと思います。
彼ら/彼女らの目的は、反中国のネタにしているにしか過ぎず、恐らく、オリンピックが終われば「フリーチベット」の運動も静まるのは自明です。
そもそも、排外主義とナショナリズムの組み合わせによる運動は麻薬的な魅力があるのです。
したがって、今の時点では、「フリーチベット」と「反中国」の組み合わせに対して「どう対峙するか」を念頭に置いて行動することが必要ではないでしょうか。
http://www.n-yuki.net/blog.php?itemid=126

左翼政治家を見れば。大体、以下の意見が標準的と思われます。
http://ah-yeah.com/blog/index.php?itemid=652
しかし、これでは、私が危惧する「フリーチベット」と「反中国」の運動を助ける効果しかないという問題があります。

下の「かけはし」に関しては、中国が高度に自由と人権が保証された国であれば支持できるものの、現在の中国政府では「批判されて当然」という面もあります。

したがって、日本での反中国感情やナショナリズムの高揚を狙った「フリーチベット」の運動を牽制しながら、中国に対してはさらなる自由と人権の確立を求めて行くという方向性が妥当と思います。

私もそうでしたけどね
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投稿者:三浦小太郎 投稿日:2008年 4月24日(木)08時30分18秒

YUKIさんへ

これは議論ではなくて、一応私自身の体験もいれて書き込みますね。参考になるかもしれないから。
私も「フリーチベットの旗を掲げる人」の一人ですが、正直いいますとね、最初は確かに「反中国のネタ」で関わった面がありました。もしチベットが他の国に侵略されて、そのもとで重大な人権弾圧があったとして、中国以外の国によるものだったら自分は関心を持ったかどうか、持ったとしてもデモや宣伝までするかどうかはわからない。(逆に、その場合は左派の方々のほうが動いたかもわからないですね)

ただ、実際チベット問題に興味を持ったのは約10年位前ですけど、まあチベット側のものが多いけれどもチベット問題に関する本も一応は数冊読むわけですよ。そして在日チベットの方々にも触れる。チベット文明にも多少は興味を持ち、分からないなりに仏教の本も読んでみる。その過程で、だんだんと、これは、自分の反中国の「ネタ」になんか利用しちゃいけない問題なんだ、ということが少しはわかってくるわけです。勿論、私が「反中国」であることは確かですよ。ただ、チベット問題は私の「ネタ」のためにあるんじゃない、という事くらいは多少わかってきたわけですよ。

もう一つ、チベット支援運動の中には、私のように、左派の皆さんからすれば認められない政治思想、歴史認識の方も入っているでしょう。それはそうですが、今「フリーチベットの旗を掲げる人たち」には、今、必ずしもそうではない人たちが随分はいってきているはずです。私はこれは本当にいいことだと思っています。ごく普通の市民が、テレビでチベットの有様を見て、中国政府の対応と、ダライ・ラマ法王、そしてチベットを支援している文化人達の声明を見比べて、これはどう見ても、少なくとも対話に応じないという一点で中国政府はよくないと思いデモにも集会にもこれまで全く見られなかったくらいの数の人たちが集まっているわけです。そして、少なくとも支援運動の中核であるTSNJ主催・共催の集会やデモに関しては、どのような政治思想の方でも、また、ノンポリの方でもこれるよう、抵抗感を覚えぬよう、色々と気を配られているはずです。

勿論、「オリンピックが終われば「フリーチベット」の運動も静まる」可能性は高いことは私も認めます。そうならないよう、今多くの方々が知恵を絞っていますし、また持続的な関心を持ってくださるよう呼びかけております。私はチベット支援運動がこれからは普遍的な人権問題、かつ反中国ではなく中国そのものの民主化や人権改善、少数民族全般の高度な自治に向かう事を期待しかつ信じておりますし、その芽のようなものはこれから育てていけば必ず生まれると思っています。その意味で、今現在フリーチベットの旗を掲げている方々の中にある危険性を指摘するのもかまいませんが、その可能性を探る姿勢も必要ではないかと思います。昨日、チベットでなくなった方々のための49日法要という集会があり私も参加させて戴きましたが、少なくとも私には、歪んだナショナリズムや中国憎しの感情とは程遠い集会と思いました。私もしばらく、北朝鮮問題にかまけてチベット問題にはご無沙汰でしたが、これからは下働き(テープおこしとか宣伝とか)でまたやらねばいかんなあと実感しましたよ。もう私のような立場の人間は目立たないほうが、広がる運動になるとも思ったし

「反中国」というだけでは
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投稿者:草加耕助 投稿日:2008年 4月24日(木)20時35分10秒

YUKIさんと三浦さんの投稿は私にとっては示唆深いものでした。

まず、YUKIさんのおっしゃる、「チベットを反中国のネタにしているに過ぎない人」というのは、左派系のサイトやブログに対して、チベットとは何の関係もないエントリーで唐突に「チベットはどうした」みたいなコメントをつけて荒し行為のネタにしている下品な輩のことでしょう。こういう人に限って自分ではチベット民衆のために指一本すら動かしてはいない偽善者であり、これはもう右や左の問題ではない。チベットの人々の闘いを、自分が気に食わない言論や人権への抑圧のネタにしているのあって、チベットの人々の思いを最大限に踏みにじって侮辱する行為として、左右を問わずにこぞって批判するべき行為です。

こんな糞のような輩はもう問題外ですが、チベットについての書き込みで一番目だっているのが、こういう糞のような輩だということに、チベットを真面目に支援している人はもっと危機感があってもいいのではないかと思いました。

次に、チベットを反中国(あるいは反共)のネタにしてはいけないというのは、私のような立場からはそう思いますが、もとから反共や右翼的な思想を持っている人にまで要求するのはちょっと酷かなと思います。別の言い方をすれば、それでは沖縄の米兵の少女暴行事件を「反安保や反基地のネタにするな」というナンセンス極まりない主張の裏返しになってしまうのではないかということです。

私たちは少女暴行事件を「ネタ」にしたわけでは断じてありません。安保や基地の存在こそが沖縄や世界の人々の人権を踏みにじっている現状を一貫して問題にし続けてきたのです。では私たちと同じように、真面目に世界の人々の人権を1人の市民として考え、その結果として「反中国」を人権擁護の観点から訴えるような人まで、上記のような糞のような輩と同列において批判してもいいのかと思います。

もちろんここにいる左翼の方々は、もとから中国の人権侵害には強く批判している人々ばかりです。ですから結論的には

>日本での反中国感情やナショナリズムの高揚を狙った「フリーチベット」の運動を牽制しながら、
>中国に対してはさらなる自由と人権の確立を求めて行くという方向性が妥当と思います

というYUKIさんのおっしゃることにとどめをさすと思います。

ですがあんまり窮屈すぎるのもどうかと思います。
チベット問題の何が問題かと言えば、それは人権抑圧であることです。いっさい「反中国」を言うなというよりも、人権擁護の観点からなされた主張かどうかという視点のほうが重要であるように思います。
すなわち、民族排外主義や外国人排斥などの差別、人権抑圧のネタにチベットを使うような言論の名に値しない「擬似言論」とは徹底的に闘うべきだと思いますが、人権擁護の観点からの「反中国」は通常の議論の対象であって、決着は大衆からの支持によって決まると思いますよ。たとえばチベット支援の大衆的な集会にそういう「反中国」な「右」の人がいたってかまわないし、自由に発言したらいいと思う。それは米軍糾弾の会場に「左」な人が来るのと同じことでしょう。ちょっとでも「反中国」だからと目くじらたてるのもどうかと思います。

あと、三浦さんの

>中国以外の国によるものだったら自分は関心を持ったかどうか

というようなことは左派にもあるわけです。普段はノーマークの部分が行った行為には、事態を正確に把握できるまで時間がかかって、どうしても反応が遅くなりがちなわけです。私も以前は「右翼もアメリカに抗議しろ」みたいに思った時期もありましたが、今はまあ、お互いに「得意分野」があるわけですから、あんまりないものねだりしてもしょうがないかと思っています。

結論的に言えば、むしろどちらの主張が人権擁護に寄与するものかを競い合うくらいの心構えがないと、右であれ左であれ、泥仕合的になじりあっても大衆から呆れられるばかりです。

最後に、

>もう私のような立場の人間は目立たないほうが、広がる運動になるとも思ったし

という考えは左派の人にも多くあって、大勢の人々が献身的に弱者や虐げられた人々を支える運動の下働きを献身的になされています。ところが、こういう人々に対してまで、例の糞のような輩どもが、「元○○派の過激派が潜り込んでいる運動だ」みたいな心ない悪罵を投げつけたりすることがままあって、本当に許せない気持ちになります。

右派系のサイトに「米軍の暴行事件はどうした」みたいな荒し行為をした左派は(探せばいたかもしれないが)私の知る限りでは見られなかったし、三浦さんが参加しているからと言って、こういう糞のような輩の裏返しのようなことは言わないようにしたいものです。

以上、まだまだ未整理ながらお二人の投稿を読んで思いつくままに。

YUKIさんへ、ちょっとだけ
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投稿者:まっぺん 投稿日:2008年 4月25日(金)14時22分1秒

>下の「かけはし」に関しては、中国が高度に自由と人権が保証された国であれば支持できるものの、
>現在の中国政府では「批判されて当然」という面もあります。

かけはしに掲載されているのは、1959年段階の「チベット動乱」についての当時の第四インター国際書記局(つまり統一書記局となる前の国際書記局派側の立場)、及び中国人同志の論文で、当時の中国と米国の関係、そしてそこに介在するダライラマの立場を分析したものです。当時の中国、そして当時のダライラマの立場は、主体的にも客観的にも現在とは相当違っているといっていいでしょう。最初に書いてある解説ではその事に触れています。以下、若干の抜粋です。
———————
 われわれは当時の歴史的文脈の中で提起されたこの立場を、歴史的文献として読者の検討の材料とするためにサイトに掲載する。しかし言うまでもなくこの分析は今日の情勢にそのまま適用することはできない。チベット民衆の今回の反乱は、もはや「封建的・反動的」な旧支配階級の利害を体現するものと捉えることはできない。われわれはさらに分析を深める必要があることはもちろんだが、基本的にチベットにおける旧封建的農奴支配の基盤は解体されてしまっている、と見るべきである。そして、今回の反乱が帝国主義諸国、とりわけ米帝国主義の直接的介入によるものだと考えることはできない。
———————
http://www.jrcl.net/web/frame080423a.html

1959年の「チベット動乱」と第4インターナショナルの立場(2008年4月 「かけはし」編集委員会)
チベット事件 第四インターナショナル国際書記局決議  1959年7月
チベット問題における社会主義の立場  1959年4月17日     向 青
中国 新彊ウィグルの核実験反対デモと民族自決権        高島 義一

一応、風穴は空いたみたいです
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投稿者:YUKI 投稿日:2008年 4月25日(金)19時32分56秒

まっぺんさん、ありがとうございます。
「フリーチベット」を政治利用しようとしている人たちを見ると、慎重にならざるを得ないとの思いが強くなります。
しかし、本質的には、中国での人権確立と民主化への動きの重要な一部であると見るべきです。
大国の意思がどうのとか、極右勢力の部分を見すぎていて、素直になれなかったのは確かです。

もっとも、経済的な利得から見て、日本での反中国/ナショナリズムの高揚は害悪になるので、経済界が支持しないでしょう。
むしろ、中国政府が国内での不満そらしのため、反日/反米運動を盛り上げるネタにするので、逆に中国政府を利するのみです。
だから、ネットでよく見るタイプのフリーチベット+反中国の組み合わせは終息するものと思います。

ところで、日経新聞に以下の記事が載っています。
国際世論に後押しされて軟化したと捉えたいです。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20080425AT3S2501825042008.html
中国政府がダライ・ラマ側と直接対話へ
(以下略)

「フリー・チベット・デモ」とは何か?
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投稿者:トチロー 投稿日:2008年 4月26日(土)00時42分41秒

 大きな田舎、名古屋で、無所属の若者が600人です。
(主催者発表=報道発表の500人は、デモ出発前の待機中のカウントで、しかも、そのカウントは出席簿のような紙片を配ることによって数える方法によるものであり、実際には漏れがあった。デモ隊は1時間も前から集合し、1~2の挨拶はあったものの集会をするわけでもなく、修学旅行生のごとくみんなで並んで座って出発を待っていたのである。当然、そこらを散歩している参加者もたくさんいたし、先頭が出発した時点では参加者は増えている)

 僕の感触では、この600人中、左右の活動家および市民運動家の人数は、知人の数、風体、デモ中のちょっとした仕種などから推定して、多くても60人程度でした。(異論があれば、どなたかご指摘ください)

 さて、名古屋で、無所属の政治行動未経験者を600人集めてデモができる人がいるでしょうか? そんな団体があるでしょうか?
 イラク開戦抗議デモは、活動家や市民運動家を中心に大動員された縁者一同は400人でした。貧困集会で150人。

 議論すべきは、この600人動員の現実ではないでしょうか?

 僕はあわてて、デモの発祥である2チャンネルを閲覧し、ミクシーに参加しました。そこでのわずかな接触の感触ですが、彼らの圧倒的多数は、政治は嫌いなのです。右翼も左翼も大嫌いなのです。中国が悪いとか良いとか、そんな話には関わりたくないのです。デモが政治行動だなどとは思ってもいないのです。虐殺行為に、ただ激怒しているだけなのです。そういう人たちが、フリー・チベットのデモに600人集まったのです
 これは、フリーター労組などの反貧困デモとは質的に違うように思えるのです。

 しかも、みんな真剣なのです。かなりまじめにデモをするのです。高く持ち上げ、通行人に一生懸命見せつけるプラカード、欠かさないコール。

 議論すべきは、このデモ決起の現実ではないでしょうか?

 餃子問題などでの嫌中国の思惑が、多少なりとも動機の背後としてあったのは確かでしょう。しかし、名古屋デモでは、反中国のプラカードや中国国旗は一切禁止されていました。
 日本の国旗やプラカードが4~5本ありましたが、まあ、わが国の国旗なのですから、かまわないのでしょう。

 フリー・チベット・デモを見ながら、利用するとかしないとか、中国をどうとらえるかなど、派生するこれら各論の重要さは、600人のデモ隊の前にぶっ飛んでしまうように思います。

 デモをやったことがない若者が集まって、デモをやろうと考えた。東京などから助っ人も来て、ネットのオフ会が開かれた。そして600人です。

 このとき、この600人から、右翼も左翼も完全に足蹴にされているのです。仲間外れにされているのです。
 そして、左右の両陣営は、この動きを見て、あわてて意思表明している状況なのではないでしょうか? 右翼をにらんで牽制などしている場合ではないと思います。

 一部では、9条の各団体に対して何か協力を求めたらしいのですが、デモ主催側には、9条団体の知識がほとんどない為に呼びかけそのものに勘違いがあったのではないかと思われ、団体の側では、フリーチベットデモの情報がなくほとんどが門前払いをしたらしい)

 分析が必要なのは、600人が、何故、人権問題、政治問題に集まったのかということではないかと思います。我々が何をなすべきかは、そこに集中して考えることが欠かせないと思います。

 はたして、600人の動員は、ただの流行で、サッカーや野球の応援と同じレベルだったのでしょうか? 本当にそれだけのことだったのでしょうか?
 はたして、参加者の間から発言されているいるオリンピック関連への言及は、誰かどこかの政治的意図があるのでしょうか?

 磯谷利恵さん殺害犯に死刑を求める署名は、27万筆を突破しました。これをどう司法につなげるのか?
 移植手術を受けたミライちゃんへの寄付は、余ってしまいました。これをどう医療行政につなげるのか?
 デモ行為は、署名や募金以上の出来事であると考えています。

 素朴な感情と行動が、今、政治に向いているのです。「何様だ?」という非難を恐れずに言うなら、「彼らをほったらかしにして良いのでしょうか?」
 静観する状況にあるとは、とても思えません。これが求められるスタンスではないかと僕は考えています。

この「空気」は何か?
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投稿者:YUKI 投稿日:2008年 4月26日(土)08時56分18秒

トチローさんの投稿には重要なポイントが含まれていると思います。ありがとうございます。

それでは、問いたいのは、パレスチナやダルフールなど世界には抑圧された人びとの問題は他にあるのに、「なぜチベットなのか」という点です。
純粋な激怒から行動が起こったというのであれば、パレスチナやダルフールでもいいのです。
しかし、恐らく、パレスチナやダルフールでは、名古屋で600人も集まらないでしょう。

チベット問題に関しては、パレスチナやダルフールでは起こらなかった「空気」があるのではないでしょうか?
私は、どうやってその「空気」が作られたのかに関心があります。

ご無沙汰しております
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投稿者:ぴよ丸号 投稿日:2008年 4月26日(土)10時13分24秒

中国は日本の隣で、今や国力が日本を超えようとしているのがハッキリしているからだと
思います。空気は誰かが作ったのではなく、勝手に出来たものだと思います。

そこに「意図」「悪意」を読み取ろうとする「政治」そのものが大衆に政治が嫌悪される
最大の理由だと思います。

トチロー様:
>このとき、この600人から、右翼も左翼も完全に足蹴にされているのです。
>仲間外れにされているのです。

本当にそうだと思います。アキバデモが好感を持って迎えられたのに、主催者が過去に
中核派の人と交流があったというだけでそっぽを向かれた話も同様のことかと。

いや?かまうけれどな(笑
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投稿者:セクトNo.7 投稿日:2008年 4月26日(土)11時21分45秒

>日本の国旗やプラカードが4~5本ありましたが、まあ、わが国の国旗なのですから、かまわないのでしょう。

言いたいことは解るから『突っ込みは』しないけれど、一応左翼としては「そうですね」とは言えんぞよ。(笑)ただ、昨今の日の丸が一般化して日常に溶け込んでいる風景は、昔を知る人間にとっては隔世の感がするな。Jリーグの影響もあると思う。(ここは突っ込むなよ伊達チン)

いまや日本人の国民食である寿司すら、定番のネタのマグロを中国人が競り落す時代。そのうち寿司屋からマグロが消える日も近いとさえ噂されている。別に私はかまわないけれどね。イカ・タコ・かっぱ・かんぴょうが寿司だと思ってるから。
巷にあふれる中国製品とその安全性への不安、不法滞在者による犯罪事件のスクープ、島国にとっては遅れた大陸であった中国が今や日本の日常に存在している現実。チベットがアジアの地域であることもあるかな?

>純粋な激怒から行動が起こったというのであれば、パレスチナやダルフールでもいいのです。

パレスチナやダルフールは遠いし、直接的には中国はかかわっていないからでしょうね。
空気を作ったというよりも「そうなっちゃった」と言うしかないと思う。ただし、その現実をうまく利用するのが政治でもあるんだろうけれど。

中学までは自分より成績が下だった奴が現役で東京大学に入学し、自分は一浪して法政大学入学したとしたら、屈折するだろうね。トチローたん。(誰も突っ込むなよ。遊んでんだから。)
でも、法政大学も東京大学も同レベルにしか感じられないおいらもいるのさ。『絶対無理』という点では雲の上の話で関係ないもんな。

五星紅旗の下、中国人民が豊かな食生活を送ることに異は唱えることではないかもしれないが、その13億人民が日常的に豚肉を食いだすことを想像すると眩暈がするな。豚の餌のカロリーでどれくらいの飢餓の人間が救えるのか?飽食の日本人が言うと天に唾を、というこをなんだろうけれど。

以上、難しい町内会活動の合間の息抜きでした。

聖火リレー見ながら…
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投稿者:まっぺん 投稿日:2008年 4月26日(土)12時13分41秒

●中国人がみんな豊かになったら…

「世界がもし全部アメリカになったら」って本がありましたね。牧場の面積だけで人類は住めなくなっちゃうし、その飼料のために食糧不足となり餓死者が出る。そうしたシミュレーションを詳しい数値で表している。ぼくは読んでないけど。結局我々も含む先進諸国の「ゼイタク生活」は、貧困者を貧困のままにしておくことが条件となっていたっていう事。我々の生活スタイルを根本から考え直していかなくちゃならないってことだね。
『世界がもし全部アメリカになったら』 (単行本)勝谷 誠彦, 藤波 俊彦

●聖火リレーへの行動はチャンス!

ところでチベット問題。暴動が起こった時期については、全くの自然発生的なものというよりは、それなりの意識的な扇動者たちが現地でオリンピックとタイミングを合わせて起こしたんだろうという想像はつきますが、目的を遂げるためには、最も効果的な時期を狙うのは当然な事。「それがどうしたの?」と思うわけです。

そのうえで今回の事態を、オリンピックの成功をねがって全国から動員された中国人留学生たちと出会うことができた「チャンス」ととらえるべきなんじゃないかなー。なぜなら、これらの動員された中国人たちはチベット問題について深く知っている人は少ないと思われるからです。政府の宣伝を信じ、「ダライラマは悪魔」と思い込んでいるだけで、ただ単純に中国で初めて開催されるオリンピックに興味を持ってるだけでしょう。かれらに向かって敵対的行動をとる必要はない。むしろ近づいていって、チベット弾圧の情報を伝え、中国政府のウソを暴露し、人権問題のために共に考え、行動することを説得していったらどうか。

そうの意味でも、宣伝カーで相手を罵倒したり喧嘩して怪我させたりするのはマイナスですね。反中国な一部右翼が今朝そんなことをしたらしい。そういう行為はかえってチベット人権運動にマイナスイメージを与えるだけじゃないか。…テレビを観ててそんなことを思いました。

長野行って来ましたけどね
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投稿者:三浦小太郎 投稿日:2008年 4月27日(日)08時07分2秒

昨日は長野(朝方2時間くらいしかいれなかったけど)行って来ましたけどね、ま、中々盛り上がりましたよ。こういうのはむしろ私が書いたほうがいいのかもわからんので報告しますが、アジア連帯講座とチェ・ゲバラの旗も翻ってました。私達のグループは東トルキスタン(新疆ウイグル)の旗を10本以上持込み参加。数社のマスコミから「これ何の旗でしょうか」と聴かれて説明しましたけど、結構目立ってたと自画自賛。

あの現場での中国留学生との対話はちょっと難しいな。
むしろ、学校で、職場で、こういう問題を話し合えるといいんですよね。彼らが日本に来たのはそのためだと言ってもいいと思う。勿論、彼等には中々そういう余裕はないとは思うけどね。日本の学生でこういうデモに参加した人は、むしろ日常のキャンパスで中国の人たちと対話して欲しい。聖火リレーも勿論ですが、その後がむしろ重要ですね。

でもつくづく思ったのは、脱北者問題ではこの100分の1も集まらんなということ(笑)
これは、やっぱり私たちの運動にまだまだ国内的にも国際的にも力がない、つまり信用度がまだまだ低く、関心も薄いからですね。ダライ・ラマ法王にも色んな意見があることは知ってますけど、少なくともチベット亡命政府も法王様も、国際的にやっぱり一定の信用度もあれば評価もされているわけで、だからこそノーベル平和賞も受賞された。

そして、今、国民大衆の中には、政治は嫌いな人であっても、毒餃子問題も含めて、やっぱり今の中国政府に対する不信感は強いんじゃないでしょうかね?それが、「あの中国に弾圧され罵倒されている被害者」としてのチベットへの同情にも結びつくんじゃないかなあ。
公平に見て、チベット亡命政府と中国政府とのコメントを較べれば、後者のほうには普通共感できないもんね。

まあ、ダルフールが色々話題になったりするのを見て思うけど、ルワンダの時は完全に国際社会アメリカもフランスも見捨てまくったわけで、まあ色々政治の世界だから100%公平とかは無理だよな。私も脱北者問題はやっぱり近いし、現場を見た事もあるからやらねばいかんと思うが,申し訳ないけどアフリカの事にはあんまり想像力働かない。まあ、でもそれは、自分が関心を持った事からやるしかないんじゃないですかね。

あ!あそこに三浦さんがいらっしゃったんですか
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投稿者:まっぺん 投稿日:2008年 4月27日(日)08時14分9秒

テレビで観てましたが、駅前の角に青い新月旗がたくさん立っていましたね。
「これ何だろうね~」って言ってたんですよ。かなり目立っていました。
じゃあ、三浦さんならご存知でしょうか、その東トルキスタン旗とともに
黄色地に三本の赤線のはいった旗もありましたね。
あれは何の旗でしょうか?
関係あるかどうかわかりませんが、ベトナム戦争のころの
南ベトナム傀儡政権の旗がちょうどあんなデザインだったんです。

追加
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投稿者:三浦小太郎 投稿日:2008年 4月27日(日)08時32分5秒

ああ、あれはベトナムからの亡命者、難民の方々の旗。
彼等は反共って事もあるんだろうけど、中国への敵対心が強くて、チベット人のことにも同情的な人が多い。私の先輩筋の方にはベトナム難民救援運動やってた方が多くおりまして、日本受け入れにも熱心だった。その系列で参加してくれた人たちです。
サイゴン政権があれほどまでに腐敗堕落してなけりゃねー。
まあ、日本政府はかってベトナム難民を約一万受け入れたんだから脱北者ももっと難民として受け入れてくれないもんかね。

やっぱり南ベトナム旗か!
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投稿者:まっぺん 投稿日:2008年 4月27日(日)08時43分12秒

ちょっと複雑な気持ちですね。

南ベトナム政府は、最後のクエンバンチューに至るまで、残虐な弾圧政策をとっていて死刑にはギロチンを使っていました。今回のチベット問題では、日の丸旗も双方の側に立っていましたが、いずれにしても弾圧・侵略された者への連帯行動に「弾圧・侵略の歴史」をもった旗が使用されることには残念な気持ちがします。

脱北者受け入れ同感です。在日がたくさんいるし、日本なら来やすいですね。だいたい日本は難民受け入れに対しては消極的で、その辺はまだ非常に遅れています。ベトナム難民受け入れの時も「一時滞在」としての許可だけでしょう? 人権感覚が遅れてるよね。

ところで新時代社「かけはし」サイトがハッキングされた件で、今ウエブ担当者に連絡したんですが、彼の意見では「この間、チベット問題でキャンペーンを続けていたので、中国派から注目されたのかも知れないね」とのことでした。連休明けまでどうしようもないみたいですね。

アジア連帯講座が熱い報告してますぅ(=^^=)
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投稿者:まっぺん 投稿日:2008年 4月27日(日)09時31分30秒

レポートによると中国側サポーターは留学生だけじゃなく、この日のために大連などからやって来た者もいるとの事。

なかなかいい話が載ってますよ。ちょっとだけ抜粋
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そのとき、私たちの前で右翼が萩本に向けて何かを投げたが、若者たちが「暴力反対!」「くだらないことやってんな!」と叫んでいたことまでは、やはりテレビには映らない。しかし実は、右翼たちはアジア連帯講座の横断幕の影から「聖火ランナー」に投擲するためのトマトを大量に用意していたが、このような若者たちと私たちの振る舞いが姑息で卑劣な右翼に投擲を断念させていたのだ。

http://solidarity.blog.shinobi.jp/Entry/230/

何故チベットだけなのか?
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投稿者:パルタ 投稿日:2008年 4月27日(日)15時36分12秒

確かに私も作られたものは感じますよ。
独立運動はウイグルにだってあるじゃないですか?
それに民主化運動のリーダーでウイグル人のウーアルカイシ氏はどうしたのでしょうか?
中国には労働運動、環境保護運動、地雷撲滅運動、反核平和運動など、もっと各方面からの抗議があって良いのです。ところが、メディアはチベットばかり取り上げる。
すっごく取り上げ方に意図的なものを感じます。
ダルフールやパレスチナは日本から遠いというなら、中国はフランスから遠いではないですか?
しかし、チベット独立の動きが仮に、中央アジアやカフカスの「民主化」やコソボ・チェチェンの独立を掲げた連中と同じ連中と同じ連中の支援を受けていたとしても、チベットで人権侵害が行なわれているのは事実だから、これを機会にチベット支援をするのは構わないと思います。

AMLより(坂井貴司さん)
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投稿者:まっぺん 投稿日:2008年 4月27日(日)22時21分54秒

 「流血の聖火リレー」

 今日(4月26日)、長野県長野市で開催された聖火リレーは、おおかたの予想通り、異常に厳重な警備と、中国支持者とチベット支持者の怒号、そして衝突の中で行われました。

 私がテレビニュース番組

 「ブロードキャスター」TBS系列夜10時~11時24分
 http://www.tbs.co.jp/bc/

で見た感想です。

 中国の五星紅旗とチベットの旗、日の丸、軍艦旗、スカイブルーの地色に三日月と星の東トルキスタン旗(ウィグル)、旧ベトナム共和国(南ベトナム)の旗が林立していました。これほど国旗がはためく聖火リレーは今まで見たことはありません。まるでサッカーの試合会場のようです。プラカードは「加油中国(がんばれ中国)」・「チベットは中国だ」・「チベットに自由を」・「チベット独立万歳」・「Shame China(中国は恥を知れ)」・「中国は人殺し」・「打倒中国」といったスローガンが書いてありました。

 そして、リレー走者を警官が完全にとり囲むように伴走しました。沿道からは走者は見えません。

 主に留学生からなるという中国人(中国政府が雇って動員したという話もあります)と、チベット人やチベットを支持する日本人や台湾人などが最初は双方、「中国がんばれ」・「チベットに自由を」と声を張り上げていたのが、やがて双方が「帰れ!」・「嘘つきども!」と罵りあい、つかみ合い、そして殴り合いになりました。どちらが先に手を出したのかはわかりませんけれど、双方の血が流されました。私が見た映像は、明らかに右翼と判る日本人の中年男性(街宣車でわめき散らすタイプです)が中国人を殴っている場面でした。

 チベット各地で起こった流血の衝突が、日本で再現されたようでした。
 それはまた、日本と中国が戦争をする仮想戦記小説が現実のものになったようでした。

 聖火リレーの沿道に、地元の人はいなかったようです。怖くて見ることができなかったようです。

 聖火リレー自体は中断されることなく、予定通り終わりました。その点では「成功」だと言えます。しかし、流血の衝突を防ぐことができなかった点では、失敗だったと思います。

 黒塗りの街宣車こそ無かったものの、多くの右翼団体のメンバーが来ていたことは明らかでした。もし、なんとか派などの左翼が来ていたら、おそらく機動隊が完全に包囲して排除したでしょう。左翼には厳しく、右翼には甘い警察の姿勢が現れていました。

 私はこの流血の聖火リレーを見て、気持ち悪くなりました。絵に描いたような日本と中国のナショナリズムの衝突だったからです。チベット対中国なら話はわかります。中国政府が蜂起したチベットの民衆に何をしているかを考えれば、「何が北京オリンピックだ!何が聖火リレーだ!」とチベット人が抗議の声を上げるのは当然です。しかし、日本人と中国人がお互い「この野郎!」と罵りあい、殴り合いをするのは共感できません。

 それから、アムネスティインターナショナル日本が、非暴力の聖火リレー抗議活動を呼びかけたにも関わらず、このような流血の事態になりました。

 チベット問題に関する抗議運動に対する世間や警察の目が厳しくなることが予想されます。そして、反グローバリズムや反貧困などの抗議活動に対する規制や弾圧も強化されるでしょう。

 この流血の聖火リレーは後味が悪い結果になると思います。

 なお私は、オリンピックは権力者と大企業の祭典であり、ナショナリズムを煽って金儲けをするスポーツ大会であると思っています。もう、オリンピックに感動することはありません。やめるべきです。

坂井貴司
福岡県

Re: 何故チベットだけなのか?
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投稿者:noiz 投稿日:2008年 4月28日(月)02時31分22秒

チベットだけではない。ウイグルだけではない。
中国大陸諸地域の労農は争議や蜂起で弾圧されまくってる。
弾圧されているのは「少数民族」「他民族」だけではない。
チベット蜂起を契機に近隣諸地方での蜂起が起きたのはなぜなのか。
ダライ・ラマの制動を打破して蜂起が続いたのはなぜなのか。

現在の中国は厳しい階級弾圧のせとぎわにあって、
ぎりぎりのところで国家が崩壊していないだけじゃないかと思います。
われわれは、「民族自決の問題」という視点だけではなく、
「階級・階層的な社会抑圧の問題」というものの見方を
手放してはならないのではないか、そう思ってます。

アジ連の行動、断固支持。
と何もしてない奴がいってもアリバイにすぎませんが…

国境なき記者団事務局長も認める、世界最高に民主的な日本政府と警察
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投稿者:山宣 投稿日:2008年 4月28日(月)05時40分44秒

 国境なき記者団、日本を称賛

 長野市で26日行われた北京五輪聖火リレーで、中国の人権状況に対する抗議行動を行った国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(本部パリ)のメナール事務局長は、抗議行動を容認した日本政府の民主的な対応を称賛、「中国の若者はこの日の経験から民主主義の何たるかを知ってもらいたい」と述べた。

 メナール氏は小競り合いはあったものの、一連の行動はおおむね平和裏に行われたとの認識を強調した。

 さらにパリの聖火リレーでは警察官が抗議の市民からチベットの旗を取り上げる場面があったことを念頭に「日本の警察は抗議行動を容認し、旗にも手を触れなかった。中国人がやや熱を帯びすぎた場面では、私を守ってくれた」と説明。「日本人は他のいかなる民主主義国よりもうまくやった」と総括した。(共同)

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080426/erp0804262105007-n1.htm

チベット
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投稿者:まこと 投稿日:2008年 4月28日(月)06時37分47秒

>われわれは、「民族自決の問題」という視点だけではなく、
>「階級・階層的な社会抑圧の問題」というものの見方を
>手放してはならないのではないか(noizさん)

チベットにしても、民族問題や宗教(チベット仏教)に対する抑圧という側面は無論あるものの、チベット域内におけるグローバリゼーションの浸透によって経済格差が拡大したり伝統文化が破壊されつつある状況がチベット民衆の怒りの導火線に油を注いでいるという面がありますね。

チベットデモ・まとめの私的提起
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投稿者:トチロー 投稿日:2008年 4月28日(月)08時35分39秒

 チベットデモは、情報の抽象化と若者世代の自己実現の欲求による文化的行為だと思う。

1)情報の抽象化(易認識性)

 話題性や隠れた利益集団の意図のためにチベットを強調した情報提供を行うマスコミやネット投稿が、2チャンネルとミクシーにおいて主題限定で純粋培養された。そこで、フリーチベットの概念(チベット弾圧や自由と人権)が純化され認識しされ易くなった。
 この純粋培養では《価値体系-左右の政治思想》を排除することで、嫌政治性を価値体系に持つ大衆に迎えられた。
 その背景には、易想像性を持つ《中国への不信感や無視できない中国の国力》という《身近さ》があった。
 そのために、パレスチナ・ダルフール・ルワンダなどの事件は排除され、中国批判としての労働運動、環境保護運動、地雷撲滅運動、反核平和運動も全て排除された。

 ここに「フリーチベット」という言語規範が形成され、参加者個人の精神的な部分に文化的社会関係が生成された。これは文化的ではあっても、政治的ではない。「フリーチベット」は、文化として誕生したものであると思う。

2)自己実現の欲求

 追い詰められてチベット蜂起に至った現地には、民族抑圧や宗教抑圧、伝統文化の破壊、経済格差などの、階級的階層的な社会的抑圧がある。そこに、チベットの意識的煽動者がいて、日本のマスコミ(オリンピックの話題性、中国政府への不信感)と合流した。
 他方、大規模デモを実現した参加者にも、同様に、階級的階層的な社会的抑圧があるのではないかと思う。だから、「糞のような輩」も自己顕示と自己確認のために賑やかに合流する。
 一応、反共・反中国・愛国の右翼も合流し、共産・反帝国、世界国家の左翼も遅ればせながら合流した。しかし、双方ともに主流派ではなく、嫌がられている。「フリーチベット」は政治ではないからである。

3)市民個人が参加する政治活動=民主主義の自己統治

 このような情報環境・社会的認識・個人的動機のもとに、「フリーチベット」のデモという組織化が生まれ、自己回復の行為として政治的・社会的行為が実現した。そして文化的行為は政治的行為に止揚された。

 しかし、「フリーチベット」の主体は、デモが政治的行為であることを認識できない。だから、如何様にも政治に利用されることになる。
 これは、主体となった大衆の側に、政治的あるいは自治的行為の習練や教育がなされていないからであると考える。あるいは、デモという形でわずかに回復したというべきだろうか。この面では、教育や地域自治の問題であると思う。

4)文化と政治

 この文化と政治の意識の断絶は、埋めるべきなのであろうか。埋めるべきならば、どうやって埋めることができるのだろうか。それとも、政治に還元されない文化的運動の展開は、そのままで社会的変革を生むのだろうか。
「靖国」上映問題でも、文化的問題が政治的問題に変化させられているように思う。靖国神社そのものがそのような側面を持っているだろう。オリンピックにも同様の側面がある。
 これらの社会現象をどう考えたら良いのだろうか。この文化的行為と政治的行為の扱いをきちんと認識しなければ、大衆による社会的変革は生まれないのではないだろうか。
 僕は歴史的知識が欠けているので、みなさんのお知恵を頂きたいと思う。

次のエントリーに続きます)

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