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小説・三里塚 戦後最大の住民闘争、三里塚。実在の開拓農家をモデルに、敗戦、開拓、闘争と、その波乱の道のりを感動で描く。

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A君救援・反ヘイト運動と中核派

スピーカーイラスト

このエントリは約7分で読めます
(とある方への意見として送った私のメールを、プライバシーに配慮して修正の上で転載)

団結 草加耕助です。
 ××さん。はっきり言って私は中核派に偏見がありますし、非常に具体的に、物理的・精神的・運動的に徹底的に被害を受けた者です。殺してやるとも言われました。そんな私が意見を言うのは不適任かと思いましたが、そういう経験を持つ私が今、この問題についてどう思っているかを書くのも参考になるかと思い直しました。

 まず、一番言いたいのは、××さんがA君の救援運動を見て、どう思いますか、どう感じますかということです。私は、それらを見て、聞いて、感じて、その場にいて、とても心地よいし、正しいと感じるし、応援したいと思うし、しなくてはいけない問題だと思うからいるのですが、××さんはどうですか?

 もちろん全部がそうではありませんよ。時には「?」と思うこともありますが、問題はそういうことが自由に発言できて討論できるかどうかです。自分がしたいと思うことを、「そんなのダメだ」と制動したり、「こうじゃなきゃいけない」「あいつとつきあうな」みたいことを上から目線で平気で言う人や運動はダメだと思いますが(「党」の内部なら一定仕方がない面もありますが好ましくはないし、まして外部の人に対しては絶対ダメだと思う)、今のところA君の救援運動やその界隈にはそういうことがありません。

 つまり言いたいのは自分の直感を大切にするべきだということです。その直感はだいたい当たる。すごく居心地が悪いというか、聞いていて嫌な話だとか、差別用語が連発されるとか、ここは嫌だなと思うところにいても仕方がないでしょう。
 私は「○○は中核派だ」とか「党派だ」とか「サヨクだ」とか、そういうレッテル貼りで他人の努力を全否定してしまう尊大な場所……はまだいいとしても(私も「あそこは右翼だ」とか言いますもんね)、それを自分以外の他人にまで押し付けるような運動は、どうしても体が拒否してしまいます。

 その上で、もし××さんがA君救援運動は正しいし、やらなくてはいけない、やるべきだ、やりたいと感じてくださり、でも中核が支援するのは気になるという場合を考えてみます。
 中核が「組織的に支援」を決定しているかどうかは私は知りません。××さんがあげたHPも中核派のサイトではなく、その学生大衆組織のものですから。むしろ××さんが気になるのは「そんなふうに見える」ということですね。
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「反原発に名をかりた闘争妨害を許さない共同声明」によせて

スピーカーイラスト

このエントリは約16分で読めます
 去る3月11日複数の右翼団体によって、東電前行動に対する襲撃や、あろうことか福島から着の身着のままで逃げてこられた避難民にまで、拡声器で罵詈雑言、嘲笑を浴びせかけるという、心の痛む事件が引き起こされました。

 まさに今までの一線を超えたとしか言えないこの事件には、さっそくに共同声明が発せられ、賛同が呼びかけられています。これについては私個人も当サイトのニュースに転載し、周囲の方に呼びかけるなどさせていただき、微力ながらも5名くらいの方から「賛同したよ」というお返事をいただきました。また、私も参加している反原発ジグザグ会においても、討議の末、団体賛同させていただくことになりました。締切が3月末日と迫っておりますので、是非多くの皆さんの賛同を呼びかける次第です。

◆ご都合主義は信用できない-右派からの声はあがるか?

 ところで私は以前、「ヘイトスピーチに反対する会」(の一部有志)が、新宿の素人の乱主催の反原発集会に乗り込んで、事実上の妨害をした時、それに対する苦言を合計4回ほど書いたことがありました。(→その1その2その3その4

 そのとき、はじめのうちは、仲間内と言える部分からも叩かれましたし、草加は右翼の味方みたいなトンチンカンな「批判」も受けました。あまりにも私の主張がネジ曲げられているそのカンチぶりを見て、自分の至らなさに凹んだりもしました。Twitterや各種掲示板などでは支持してくれる方も多かったですが、周囲の特に左派と言われるような部分からは、私を公然と支持してくれるような人は少なかったですね。もちろんこっそり言ってくれる人はけっこういましたけど。つまり私はそれだけの犠牲や危険をはらってでも、言うべきことを言ったつもりです。

 さて、そして今回の件です。今度は右派の中から、それなりの危険を覚悟で公然とモノを言ってくれる人が一人でも出るのかなと注目しています。あるいはまた、「右も左もない」とか綺麗事で、口を極めて「ヘイトスピーチに反対する会」を罵っていたような良識ある人々が、今回も同じことを言えるのかどうかもね。もちろん匿名希望でこっそりと「私はあんな人たちとは違うから」とか、単に自己保身的に言う人ならいっぱいいるんでしょうがね。さあ、はたして公開された賛同人の中に、右派の有名人や、「右も左もない」派の方がどんだけいるか、注目させてもらいます(と、挑発してみるテスト)。

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転載】金明秀氏による「反差別運動のあるべき姿」についての簡潔な解説

金明秀(キムミョンス)さんのツィートをまとめたもので、こちらから転載。勉強させていただきました。今、とてもタイムリーで重要なことだと思うので、一日も早くと思い、転載させていただきます。金明秀さんには事後報告で申し訳ないですが、不都合がありましたらすぐに消させていただきます。なお太字化は草加によるものです(もちろんイラストの選択もそうですよ(笑)。

fight_racism
【転載ここから】

.@kane031 そういうことはありますね。家族間での意見の衝突は根深く刺さりますし。でもやはり、主張を精緻に切り分けて整理したほうが、色んな意味ですっきりするのではないでしょうか。
ゆっくり、お考えを言葉にしてみてください。その間に、ぼくがどうしてこういう話をしているのか、背景を説明するツイートをポストしてみます。

 どっから説明したもんかなぁ。たぶん、歴史から説明するのがいいんだろうな。
 例えば @kane031 さんは、「共生」という言葉がどういう形で用いられてきたか、ご存知でしょうか。「多文化共生」でもかまいません。「共生」はマイノリティへの差別をやめて、社会に包摂しようという意思を表す言葉として80年代に登場した言葉です。後者はそれから派生した行政用語です。
理念としては、文化的に異質な集団を異質性を残したまま日本社会に受け入れて仲良くしようという発想をもつ言葉ですし、実際にも、各自治体の多文化共生課では、外国出身の市民がそのエスニシティを否定されることなく地域に定着することを目標にいろいろな支援がなされます。

 ただ、「多文化共生」という名のもとで語られたり行われたりすることには弊害が多いということもよく知られています。例えば、文化的マイノリティを包摂する努力をすることなく、ただマイノリティに同化の努力を強いるような場面で「共生」という言葉が用いられたり、逆に、出身文化に強いアイデンティティを(まだ)感じていない子どもたちを民族交流イベントに無理やり出席させて、○○人役割を強引に演じさせたり。

 生物学の世界では、共生関係というのは、異なる種が絶滅寸前まで抗争しあった末に偶発的に到達する安定状態だとされているらしいですね。いっけん仲がよさそうに見えますが、むしろ相互に痛みを経験したからこそたどり着ける境地といったほうがいい。
しかし、異文化接触に伴う痛みを知らずにただ仲良くやろうというような安直な文脈で用いられたとき、「共生」という言葉は、痛みの発生源であるマイノリティに対してある種の暴力として機能する場合があるわけです。
じゃあ、「共生」という言葉や、その言葉を用いた包摂の取り組みはやらない方がいいのか。というと、そうではありませんよね。むしろ、「共生」という理念の安易な適用が発揮しうる暴力性を忘れないようにしながら、さらに包摂の取り組みを実践していくべきでしょう。

 いま、「共生」という言葉を例に出しましたが、他にも類例はたくさんあります。ある運動の理念や目標や手段が批判されたからといって、やらない方がいいということにはなりません。むしろ、批判を受け止めたうえで成長しなければ、独りよがりの暴力に堕してしまう危険性があります
 そうはいっても、いっけん矛盾する命題を統合する形で成長しないと(暴力と化してしまうかも)というのは、ずいぶん難しい要求であるように感じられるかもしれません。

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都議選では議席ゼロも-維新の没落を見て考えたこと

きょう(14日)告示された東京都議選。惨敗した場合の責任について問われた維新の会の橋下共同代表は、「グループの中でそういう声が出てくるのではないか」と答えていたが、23日の投開票日、それが現実になりそうだ。政党やメディアの世論調査や選挙のプロの予想では、維新の会は34人を擁立するにもかかわらず、わずか2人が当落線上。ヘタしたら議席ゼロもあり得る散々な情勢なのだ。…(中略)…
今回の都議選は、告示日を迎えても全く盛り上がっていない。前回54・49%だった投票率は、今回は過去最低(40・80%、97年)や過去最低から2番目(43・99%、05年)に近づくとみられ、そうなると組織のある政党が強い。…(中略)… 「59人を擁立した自民党が議席を取りすぎる一方、維新とみんなが失速した。結果として民主が半減で踏みとどまり、共産は憲法改正に反対する人たちの受け皿になって倍増するのではないか。最大でも2議席程度しか取れない維新のダメージは相当大きい。参院選の前哨戦として、東京以外の有権者にも『もう、あの党はダメだね』という印象を与えることになる」(鈴木哲夫氏)。参院選前に橋下は代表辞任か。(日刊ゲンダイ2013/6/14


橋下主義(ハシズム)を許すな!(ビジネス社)
◆極右支持者にとって維新はもはや邪魔者である

 「従軍慰安婦は強制ではなかったし必要なものだった」みたいな妄言が、世界中の批難を浴びて轟沈していく様は、日本を含む市民社会がまだ最低限のモラルを残していることを示すもので、そのことは歓迎したい。たとえば「河野談話の(右からの)見直し」とはいったいどういうことなのか、今まであまり関心がなくて「なんか日本が悪者にされてるそうだから、超厳密に証拠を精査すんのはかまわないんじゃないの?」程度に思っていた人にも、あらためてそういう主張の本質がわかったのではないだろうか。

 だが今やそういう程度の認識の人たちを含めて、多くの市民が政治への希望や関心を失い、投票率が下がり続けるているのが現実だ。そんな低投票率の中、維新が自滅することで、自民党が組織票で幻の勝利に酔うという構造もなんだかなあとは思う。フランスでも主要国の大統領としては異色なくらい極右だったサルコジ政権の在任中は、ルペンら極右政党は選挙で勝てなくなったものだ。つまり極右票が与党に統合されてしまった。日本でも自民党が先進国の政権としてはあるまじきくらい極右化することで、安倍政権と維新のキャラがかぶってしまい、維新のポジションがなくなってしまったということだろう。そこで自民党ですら言えない本音を代弁することで、自民よりもう一歩右に出ようとしたら、そこはもう支持者すらついてこれない議会主義政党の枠外だったというわけだ。

 従来は社共に投票してきた革新浮動票も、前の総選挙では、ちっとも現状を突破できない社共から「今の政治を壊す」ことを期待して、かなりの部分が維新に流れたと思われるが、それも今回の従軍「慰安婦」をめぐる妄言と迷走で完全に冷え切ってしまった。みんなの党が早々に維新を切ったのは賢明な判断だが、右からの「第三極」のイメージ低下は並みのものではなく、まきぞえをくらった形でやはり苦しいのが現実だ。結果として「自民が伸び、民主が踏みとどまり、投票率がさがる」という寒々とした偽りの光景だけが繰り広げられる。

 幸福実現党もそうだが、自民党が極右化した今、極右支持者にとっての維新は右派票を分断する存在でしかない。ネトウヨさんらも普段自分たちが言ってきたことを代弁してくれた橋下市長が、一般の世論から袋叩きにあっているにかかわらず、いつもみたいに「在日の陰謀だ」とか騒ぐ声も少なく、比較的静かにしている。まあ、彼らにとって維新は、パソコンオタクの熱烈な Windows ユーザーにとっての Macintosh みたいなものである。むしろ邪魔でさっさとなくなってほしいと思うか、支持するべき関心の対象外なのだ。そこで維新が生き残るとしたら、熱心なMacユーザーを固める(大阪の地域政党としてやり直す)か、かつての iMac のように、ユーザーの予想のななめ上をいく路線を打ち出す(「マッチョな弱者救済」のようなファシズム左派路線)くらいのものだろう。

 橋下市長も維新は「自民党や民主党のななめ上」であるように有権者に印象づけようと模索していたのかなと思う。だから橋下市長がみっともなくも「真意と違う」的な失言者の決まり文句を言っているのは、要するに「自分の他の発言とあわせて、全体として自分にこんなふうな印象を持って欲しかった(持つべきである)」ということを他人に強要しているだけの泣き言である。結局はかつての Apple がとってますます墓穴を掘りかけたあの路線、つまり Microsoft の路線をまねしてその一歩先を行こうとする路線にはまってしまったようである。

◆ファシズム(極右・民族排外主義)が支持される構造

 もともとファシズムの支持基盤というのは、資本主義が没落して危機に瀕している時代、とりわけ都市部若年層の「俺たちは苦しい、損ばかりさせられている、誰か助けてくれ」という声であり、それに対して、従来の左右の大政党や財界資本家が既得権益などにしばられて動けない中、「よし、俺たちがあいつらを全部ぶっ壊して、お前らが本音で思ってることを、全部いいように決めてやるぜ」という新興勢力として登場してくるものである。各国の極右ファシズム政党が、ハンコで押したように「中道」を自称しているのはこの路線のためである。

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議論するのはいいことだ(下)-形式や流行でなく運動の中身の議論を

【討論会】経産省前テントひろばを守ろう
 前回の続きです。こちらのエントリからお読みください。

◆すでにテントは「全国民的」だ

 さて、問題提起の後は休憩をはさんで全体討論にうつります。お三方それぞれの提起を中心に、質問や各自の問題意識、具体的な取り組みや報告、提案など活発な議論が行われました。そのなかでも、前半の針谷さんの「刺激的」な提起について、しばらくやりとりが続く場面がありました。

 先に書いたように、針谷さんの言いたいことは、「テント村は左翼だけの運動にせずに全国民的な運動にするべきだ」ということなのでしょうが、すでにテント村に参加しているのは左翼だけではありません。その左翼の人にしたって、運動の内容を自分たちの主張で独占しようなどとは考えていません。つまり、テントはすでに針谷さんが言うような「全国民的な運動」になっています。なにより「9条改憲阻止の会」が、福島のお母さんら、後から来た非左翼市民の人々に運営を明け渡し、自分たちは裏方に徹して支えているという、テント村成立の経緯がそのことを雄弁に物語っています。門戸は広く開かれているのです。

◆「右翼ぶりっこ」をするべきという提起にイライラ

 ところが針谷さんは具体的なイメージが頭にあるようで、現状がそうなっていないという点について非常に能弁に語られました。針谷さんに悪気はなくて、また、その場にいる左翼の人に失礼になるまいと気を使っておられるのも伝わってはきましたが、語れば語るほどにその内容はエスカレートしてきて、聞いている私はだんだんとイライラしてきました。

 曰く、左翼的な雰囲気のスローガンや団体名、それらの入った旗などはいっさい出さないで、原発反対以外のことは言ってはいけないなどと、どっかで聞いたような話にはじまり、ついには「護憲集会などの帰りにテントに寄る人は、まっすぐテントに行かずにどこかで巻いてから来てください」とまで真顔で言い出された時には、会場の非左翼市民の方からも失笑がもれました。それに対して針谷さんは「いや、そこまでしないとダメなんです!」と一段と大きな声で、「右翼というのは『左翼をつぶす』というのが目的みたいなところがあるから、私がいくら止めても、『そういう集会の奴らがテントに参加している』というだけのことで襲撃対象になって潰されてしまう」とおっしゃる。これじゃいつの間にか「全国民的な開かれた運動」ではなく「右翼に目をつけられない運動」へと論点がすり替わっています。

 そこで市民運動の女性が小首をかしげて「9条改憲に反対すると左翼なんですか?」と質問されると、針谷さんは一瞬虚をつかれて黙られましたが、一呼吸おいてから「…右翼にとってはそうです」とおっしゃったので、会場からは「ええ~~っ?!」という驚きと共に、互いに顔を見合わせるシーンもありました。

 ついには針谷さんの「右からの反原発デモ」に参加しておられる非右翼市民の方から、何の悪気もなく「じゃあテントに日の丸を掲げておけばいいんじゃないでしょうか」という「アイデア」が出され、これに対して針谷さんは「それはとてもいい考えで、私もテントのスタッフにぜひ日の丸を掲げようと提案しているんだけれど、スタッフから『いやそれだけはムリ』と断られているんだよね」と応じられました。話がどんどんおかしな方向にいくので、黙って聞いているつもりだった私も、とうとう辛抱が堪らずに手をあげて発言を求め、針谷さんではなく江田忠雄さんへの質問として、控えめに以下のように述べました。

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活動家は「細かいこと」を気にしないほうがいいよ

なおじさんのコメントへの返信が長くなりましたので、大幅に加筆修正の上でこちらにスピンオフしておきます。なお、私の自室は業者さまのリンク写真より約40%ほどマシ…かもしれないです(笑)。さらに本文には書きませんでしたが、私は近所のコンビニで済ませられない用事や手続きなどは間違いなく半年か一年以上滞る社会生活不適合者です。しょっちゅう電話とめられて随分たってからコンビニに電話代払いにいきます。仕事は真面目にしてるから、かつかつながらもお金がないわけでもなく、決して面倒だとも思っていないのです。ならなぜ払わないかと言われても自分でもその理由がわからないのです。特に欝期はそういう傾向がひどく、焦燥感と自己嫌悪の中で暮らしています。でも今回はそういう話ではありませんので念のため。

散らかった部屋の片付け屋さん。私もたのもうかなあ
 私なんかの書いたことでも なおじさん のお役にたてたようで嬉しいですが、そんなにおほめいただくと、なんかかえってこそばゆいなあ(笑)。

 きっと私と実際に合って、三日も一緒に暮らしたら、絶対に心底がっかりしますよ。どっかに一億円が落ちてないかなあとか、いきなりどっかで素敵な女性とお知り合いになれないかなあとか、そんなこと考えて暮らしている、どこにでもいるただのおっさんですから。とりあえず部屋をなんとかしてちょっとは片付けないとね。

◆世の中に「いい人」も「悪い奴」もいない

 基本的に現世には神も悪魔もそのへんをうろうろ歩いていたりはしないので、特定の誰かを祭り上げて依拠したり、逆に貶めて叩きまくるのはどうかと思っています。人間の心というのは誰でも7割くらいが善で、3割くらい悪で、それから弱い部分が7割くらいで、でも強い部分を3割くらいもっている。私もそういう普通の人間です。それから大切なのは、人間はいかようにでも変われるということだと思っています。一人の人間をとってみれば誰でも良いこともすれば悪いこともする。だからどんな指導者に対しても「おまえのそこはおかしいぞ!」と気軽に議論できること、その議論のやり方(不毛な「内ゲバ」や内紛や分裂にならないこと)、そしてそういう議論を容認できる組織や運動や指導者であるのかという点を私は重視しています。特に政治や市民運動の分野では、一時的な成功やら「時代の風にのっている」ことより、それが一番大切なことです。

 なおじさんのおっしゃるその彼も、実は本質は7割くらい「いい人」なんろうなと感じました。「差別者が日常の中で『いい人』だからってそれがどうしたというのだ」という人もいるだろうし、それはまったくその通りです。「いや、彼はいい人だよ」と言われても、差別されている側からすりゃ、だからなんだって話にしかなりません。ただ、そこで終わらずにもう一周考えることも、差別イデオロギーと闘うに際して有益なこともあるのではと考えています。私とその彼も、さらに「差別糾弾」とか言っている人とでさえ、実は紙一重でさほど変わらない人間だということを忘れちゃダメだというか、そうでないと、またぞろかつてのような「奴は敵だ。敵は殺せ」というレベルの低劣な政治(「在特会」がまさにそうなわけですが)に舞い戻ってしまうと思うのです。

◆差別には麻薬的な快感と習慣性がある

 思うに自分より下の人間をつくって差別するというのは、一種の快感があるんですよね。だけれど単純に差別して虐げると良心に咎める場合がありますから、それを正当化する屁理屈が必要になってくる。その屁理屈が時代によっていろいろ変わるだけで、本質的に江戸時代から今にいたるまで何も変わっていないわけです。
 それが今だったら「なんちゃら特権」とかいうんですか。厳しい毎日の生活のなかでも、「ほら、君はむしろ被害者なんだよ。君は本当はもっと偉いんだよ。なのに…」みたいにささやかれたら、本当の敵と地道に闘うより、本当は手をとりあうべき自分より弱い者を(ネットや脳内にしろ現実にしろ)イジメるほうが簡単で手っ取り早く、ほとんど麻薬的で抗いがたい快感があるんだろうなと思います。しかも「それが正義なんだ」とか囁かれるんだから!

 「在特会」とかのメンバーには、ニートや引きこもりなど、本来なら左翼として闘わなくては問題の解決にならないはずの人がなぜか多く存在しているといいますが、それはこういう理由からかと思います。日雇い野宿労働者のおっちゃんにも「朝鮮人」や「部落」を差別する人もいます。彼らを許せないと思う前に、手を取り合うべき生きづらさを抱えている底辺の人同士がお互いを差別して傷つけあうことで自己確認するなんて、なんで悲惨なと思います。
 それはまんまと分断されて本来の敵の手のひらで踊らされているだけなのですが、そうやって一度分断されて孤独に過ごしてきた彼らが、「お仲間」同士の中で現代社会で奪われた連帯感を、歪んだ形で「取り戻す」という面もある。かつての原理研(統一教会・勝共連合)なんかがまさにそうでした。一度その麻薬や「連帯感」にどっぷりはまると、そこから抜け出て本来の現実と向き合うのは、とても辛いことなんだろうと思います。

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初詣の思い出

死後裁きに合う
 他に書かないといけないことが沢山有り、実際三里塚のことを続けて書くつもりでおりましたが、マル共連BBSに投稿した以下の私の思い出話から、若干議論めいたレスがつきまして、それに回答すると本当に議論になりかねないので、こちらに回答(誘導)しておくことにします。それというのも、同BBSは共産趣味者の話題や情報提供、交流を設立の目的としたもので、短期で速攻の口喧嘩くらいならまだしも、特定の議論が延々と続くことになればBBSの趣旨を妨害し、一般参加者の迷惑になってしまうので禁止されているからです。

 この「議論」の意味がわからない方のために簡単に書いておきますと、なんでも中核派の前杉並区議会議員、北島邦彦さんが、初詣したとかしないとかいうことをブログで書いたことが、ネットの一部で話題となり、あちこちでお祭り騒ぎになっているわけです。まあ、中核派の日頃の行いの悪さから、ここぞと揶揄や皮肉をくれてやる程度の問題なら、わからんことはない軽い話題なんですが、そういう程度の人はさっさと次の問題(話題)に移行し、だんだんと「マジ」な人たちが残って、中核派の路線問題にまでからめたお祭りが続いているようです。

 それを見て一番最初に私の脳裏に浮かんだのは、毎年初詣の人ごみの中、「裁きの日は近づいた」「地獄に落ちる」とか書いたプラカードを持って、キリストを信仰しない者は地獄行きとかいう説教のテープを流しながら、じっと参拝客を睨んでいるカルト宗教の皆さんの暗い目でした。あるいはそういうのって、私には、なんだか以前に党旗を忘れた民主党が、とっさに日の丸を加工して党旗を作ったのがけしからんとか、国会の場でまでキイキイ言ってた人たちとだぶって見えてしまいます。キリシタン狩りの踏み絵じゃあるまいしと思ってしまいます。

 初詣が生活習慣だろうが宗教行為だろうが、「自分が初詣に行く」のと、行かない他人を攻撃したり、ましてや国家や行政機関が自身で「公式参拝」なり代表者が「私人名目」で参拝を行うなどの脱法行為で有形無形の圧力を加え、あまつさえそれに反対する者を民間右翼と公安警察が連動して弾圧しているのは全くの別問題です。
 それと同じように、自分が初詣に行かないのと、行った人を攻撃するのは全然違う問題だと思います。また、左翼でもクリスマスパーティーくらい参加する人はいくらでもいますが、それでキリスト教徒になったわけではありませんし、ましてや教会の帝国主義侵略に随伴した歴史まで肯定しているわけではありません。

 こういう議論は歴史的にも日本に限らず世界中にあるわけであって、たとえばアフガンでイスラム教の生活習慣をアプリオリに否定、蔑視したために(原因はそれだけではないだろうけど)民心を離反させて崩壊した左翼政権と、イスラム的生活を徹底して強要し、女子教育まで敵視したタリバーン政権のどちらを支持するのかと言われたら、私はどちらも支持しないし、その上で、アメリカの軍事侵攻をも非難します。そのことに何の矛盾も感じませんし、私の価値観は一貫したものであると思います(エントリ巻末リンク等参照)。

 北島さんの初詣については、まあどうでもいいというか、軽く皮肉の一つもくれてやりますが、それ以降の「原則的」にこの問題を長引かせようとする議論について言えば、要はこれは正しくスターリン主義の問題にいきつくと思います。左翼はカルトやポルポトであってはいけないと思います。

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反原連 MisaoRedWolfさんインタビュー(週刊ポスト)を読んで

「週刊ポスト」2012年8月31日号
 『週刊ポスト』の今週号に、官邸前抗議行動の呼びかけ主体である「首都圏反原発連合(以下、反原連)」のメンバーのお一人である、MisaoRedWolfさんへのインタビュー記事(担当:元ジャーナリスト上杉隆さん)が掲載されています。記事のタイトルも「脱原発の敵はサヨクとネトウヨだ」という香ばしいもので、先行して読まれた方々から「なんじゃこりゃ!」とか「これは酷い」とか「応援してきたのに裏切られた」とか、あまつさえ「喧嘩を売られたも同然」という感想さえ聞いていました。

 でもまあ、Misaoさんは官邸前行動の主催者というわけでもなく、反原連の代表というわけでもないですし、今のところはあまり話題にもなってないみたいですね。だいたいこの香ばしいタイトルも、どうせ編集部が勝手につけたもんなんだろう、「サヨク」とカタカナで書いてあるのは、昨611のことを意識して語っているのかな、まあどちらにしても、自分はエセなカタカナ「サヨク」じゃないですよーだ σ(゜┰~ ) くらいに流しておけやと、まあどちらかと言えばMisaoさんをかばうつもりで読みました。『週刊ポスト』ごときに踊らされて、まんまと仲間内で喧嘩するなんてアホらしくも悔しいやないかいと。

 んでまあ、実際に読んでみての感想は、「なんじゃこりゃ!」であり、「これは酷い」、さらに「応援してきたのに裏切られた」とか思いました。まあ「喧嘩を売られた」とは思いませんでしたが。これはさすがの私も到底かばいきれないです。

 一応公平のために申しておきますと、このタイトルはやっぱりおかしいです。別にMisaoさんは、脱原発運動の主要敵が「サヨクとネトウヨ」だということを訴えておられるわけではありません。これは記事執筆者の上杉氏の主観的な問題意識です。はっきり言って上杉さんは、反(脱)原発運動の現場をおそらくは全く知らないし、肝心の官邸前行動さえろくに取材もせず、要するにマスコミ記事と、Misaoさんの話(言い分)だけを元に一方的な記事を書いておられます。もしくは自分の言いたいことにあわせてMisaoさんを利用しておられる。そのことは次の一文だけで容易にわかります。

 「このデモには明確なリーダーが存在せず、左翼団体の影もない。緩やかに個人が連帯することで規模を拡大してきたが、そうしたデモの特性は、すべて主催者の戦略だった」

 これが上杉氏の言いたいことのすべてです。これだけでもう、反(脱)原発運動の現場や、官邸前行動をまともに取材していないことがわかります。繰り返しますが、別にMisaoさんは「サヨク」全般が、「脱原発運動の敵だ」とおっしゃっているわけではありません。実際の運動現場でセクトがうざいということを、革マル派、中核派、在特会という3つの団体に特定して、それも抽象的にではなく、具体的にこういうことがあったという実例を元に語っておられるのであり、記事のタイトルや見出しの付け方には上杉氏の主観的バイアスがかかっています。それにまんまと踊らされて、「応援してきたのに喧嘩を売るのか!」とまで即断するのは、それこそ上杉氏の印象操作に騙されているというものです。

 しかしそういうことを公平に判断したその上でなお、私はこの記事に以下のような苦言を呈さずにはいられません。

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左派が安心して集まれる隊列の登場を待ち望んでいます

7.29国会包囲行動にて
四トロ掲示板」への投稿より

 これはね、確かに「難しい」ですが、やれることをやれる範囲でどんどんやっていくしかないと思ってます(能天気)。
 1万人とか10万人規模の参加者の中、毎回ほぼ一人とか数人でいろいろやってますよ。一人きりで参加することも多かったですが、そんな場合でも旗とかミニサウンドシステムとか、肩を痛くして一人で担いでやってます。最近は付き合ってくださる尊敬すべき方々もいて、4,5人くらいになることが多いです。また、そうして派手にしていますと、会場内では見知らぬ方々からひっきりなしに声をかけていただき、がんばれ!と言ってくれるんですよ。

 10万人の中でたった数人かとおっしゃる?
 だって80年代には世界人口50億人(現在は70億人)、日本人口1億2千万人の中、千人にも満たない勢力で、世界革命や日本革命を「夢想」し、影響のおよぶ範囲で様々な政治を打つべく心血をすり減らして努力しておったのです。それに比べればいかほどのものでしょう。もっと能天気にいきましょう。

 でもやはり悩みは、そうして次々と、ネットにさえ現れない「声なき声」の人々との出会いを繰り返し、みなさんから「よく言ってくれた!」と励まされても、それはやっぱりそれだけ、その場限りで持続性がないということなんです。かと言って私に持続的な団体や運動が作れるかと言えば、それは極めて疑問符がつくところです。そこでやはり、10万人の中でもこういう左派的な人が、「この指とまれ」的に安心して集まれる集団や潮流、そんな隊列がこの集会の中にあったらなあということなんですよ。

 ちょうど安保闘争の時の「反戦-全学連」の隊列みたいなイメージですかね。この板の多くの人は、「ベ平連」みたいのをイメージされるでしょうから、そのへんはちょっと違うかもしれませんが、そういうのは後からでもいい。まず過激なのがバンとあって、心情的には理解するけどあそこまではちょっとという人が、その次に出てくるということで。

 で、それはまっぺんさんが言うみたいに1000人でなくていいんですよ。100人、いえ、50人、いやさ、まず10人からでもいいじゃないすか。やってもらえませんかねえ。そういう左派がわだかまりなく誰でも参加できるような場所作り。ただアレですよ、「反原発は差別問題だと言わないと参加させない」とかはダメですよ。感じとしては 「反原発は差別問題だ」と堂々と主張できるような場所 ということです。また、セクト系の人間が参加してきても、ちゃんと受け止めて私物化させないだけの力量も必要でしょう。つまり言論や主張については、左派限定の自由市場ということです。

 つまり「分裂」するんじゃなくて、そういう潮流を大衆がチョイスできる選択肢として「登場」させるということです。「主催者」が、右翼も排除しないと言うなら、それはそれで好きにやってもらえばいいじゃないですか。わかったよ、あんたらの邪魔はしないけど、そのかわり俺らは俺らで好きにやらせてもらうぜ。ただし、「誰でも排除しない」という約束は、日の丸に対してだけでなく、我々に対してもちゃんと守ってもらうからねということで。

 まず言いだしっぺがやるというのが、左翼の良き伝統なのは承知してますが、私は私なりに、私の周辺の方々と「流浪の民」として頑張って持ちこたえているつもりです。これ以上は私じゃダメなんだと自覚してます。上の私のイメージに一番近い闘い方をしてるのは、現状ではNAZENを結成して闘っている中核派だけです。NAZENはそこそこ成功していて、中核派だけでは集められなかったような広い層が参加してます。もはや「中核のダミー団体」という域を超えていることは認めないといけない。でも、やはり中核ではみんなが安心して集まることができません。彼らでは自分たちの「団子」を大きくすることしかできない。みんなが集まれる核にはなれない。それは彼らの過去の負の遺産の結果であって、自業自得であるわけですが。

 中核派でもそこそこ成功しているのですから、これは「時代が求めている」ことなんだと思います。「なんでもあり」と言いながら、実際には自由な雰囲気のない、がんじがらめの今の反原発運動の中で、窒息しそうになっている人はたくさんいる。そんな人が「プハァ~」と息をつける場所が、くれぐれも繰り返しますが*安心して*集まれる場所(隊列)が是非とも必要だと思います。本当にそれが今の時代、運動のパラダイムの中で渇望されている。それが時代に間に合うかどうかということかと。当面「逮捕覚悟の部隊」が作れなくてもいいし、そんなのが作れるまで待っていられない。「討論会」だって後からでも可能なんだから、まず登場してくれ!

(追記)現場に自由な雰囲気がなくなってきたり、右翼ばっかりが容認されるようになってきたのは、左派側が「主催者」なり「素人さん」を、そういう方向に追いやってしまった、もしくはそういう方向に正当性を与えてしまったという側面があると思います(たとえば昨年の611事態など)。これはかつて前衛ショウビニズムとかセクト主義の問題として対象化されてきた問題だと思います。ここはきっちり反省しておかないと、単に運動内の二つの潮流の内輪もめ(内ゲバ)に堕してしまうと思います。それは過去の運動の中で果てしなく繰り返されてきた不毛な地平の、茶番的な再現にしかならないでしょう。

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主催者擁護も限界に近づきつつある

四トロ掲示板」への投稿より

 mixi のマイミクさんのつぶやきで話題になってたんで、ちょっと紹介させてもらいますが・・・

「デモスタイル2012サマーファッション

◎首相官邸前行動にて

 ふくしま疎開裁判のビラをまいてたら、「反原連」(主催者)の腕章した黒ずくめの集団が「8時までビラまいたらいけないって知ってんだろ」とか喧嘩腰でからんできたそうな。この方はそんな「ルール」など初耳だったし、その態度に腹をてて反論したそうな。
 「お願いをしている。今すぐやめろ。運動のルールに違反している」とか、つまり実質的には命令で、そのやり方は機動隊と同じ。「警察とは協力関係にある」と本人たちも言っていたそうな。腹が立ったので無視してまき続けてたら、諦めて立ち去ってった。

 また個人的に口頭で野田政権批判のシュプレヒコールを叫んでいた別の方のところにも、やはり主催者の集団がやってきて、やめろと圧力をかけられた。おまえらは野田の回しものか?身分証を出せと言ったら去っていった。

◎大阪関電前にて

 関電から出てくる人たちに「電気は余ってますよ」と声をかけていたらスタッフの腕章をつけた人に「この人たちはそういうことを決定できる立場じゃないからそういう言い方ではなく『一緒に原発止めましょう』的な方向で言って」と統制され「ツイッターでも批判が出ている」とか言われた。

 同じく「安全な電気を作ってください」という呼びかけをしていた方も、主催者から禁止通告(=統制)された。

◎結論

 今まで極力批判は控えてきた。でも、あいつらなんなの?いったいなにがしたいの?そんなんで再稼働を止められるの?原発なくせるの?どっちの方をむいてんだよ。冗談じゃねーよ・・・。

 とのことで、そりゃあ、どんな方針で何をやっても、「ツイッターで批判」する人は絶対に出てきます。批判は自由です。そこで無数にある意見の中から、「いったいどっちの方をむいてんだよ」ということが問われるわけです。おまえらは脱原発を「燃料」がなくなったらしぼんでいくような、ただの流行りものの「官許運動」で終わらせる気なのかと。

 警察や関電や東電の社員と喧嘩したくないならそれでもいいけど、警察は(関電も東電も)脱原発運動なんて、消えてなくなって欲しいと思って対応していることを忘れてほしくないね。歌の文句にあるでしょう「お前が消えて喜ぶ者におまえのオールをまかせるな」って。「末端の人は云々」という主張もわからないことはないけど、連合などの主要労働組合が原発推進であることからわかるように、決して幻想も持つべきではない。決めるのは個々人であって、決めたことには責任を負うし、責任や決断や意見を問うのは悪いことではない。

 だいたい原発は国策であって、実際にそうするかは別にしても、少なくとも気持ちや方針の上では、政権の一つや二つは吹っ飛ばして、国をひっくり返すくらいのつもりでやらなければ止まらないよ。たとえ4,5人の団体でもそういうつもりでやらないと。これはシングルイシューで止められるほど生易しい課題ではない。

 もちろん、集会などの趣旨に真っ向から反する主張で荒らしにくる者は、主催者からつまみ出されて当然ですが、その趣旨に同調する人たちに対してさえ、主催者が決めたスローガン以外は旗や横断幕はもちろん「口に出してもいけない」なんて、未だかつてどんな集会でも聞いたことがありません。

 シングルイシューでやるべきだというのも、一つの意見として尊重しますが、それ以外の意見の人を、セクト主義的に抑圧するのはやめてほしい。こんなことしてたら、そのうち誰も来なくなりますよ。シングルイシューでなかったことが問題なのではなくこういうセクト的な対立や抑圧をして、自由がなかったのが過去の運動の問題なのであって、その意味では今の主催者もまた、あいも変わらず昔の体質を受け継ぐ古臭い人たちの一部にすぎないのです。

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