これからの大衆運動の課題は「反差別」だと思う~(その1)女性問題からのアナロジー

rebel with a cause 女性・デモ

 おひさしぶりの草加耕助です。
 今のところただの問題意識レベルですが、ここしばらく考えていることがあります。いろいろ検索して読むべき本などを調べている段階ですが、何かよいものがあれば教えてください。

 それはぶっちゃけ差別問題なのですが、今後日本の大衆運動において、今までいろいろな課題として取り組まれてきた運動や課題を、再度、反差別の観点から見直してみるべきではないかという話で、別に私でなくても、実質的にはそういうことを言っている人はそれなりにいる(と思う)。

左翼に残る差別問題への苦手意識

 で、そういう疑問を知り合いの左翼の方にぶつけてみますと、だいたいの人はかなり難色をしめす。それは「反対」とかではなくて、「なんか嫌だなあ」という煮え切らない態度。まあそれもしょうがない。具体的に書かないと右翼にエサを与えるというか、誤解や曲解を招きそうですが、あえて大雑把に言うならば、日本の左翼運動は、一時なんでもかんでも「差別問題」に解消して、とことんまで突き詰めるような潮流があって、それでかなり混乱したり、運動が内向きになって、お互いを「差別者」と糾弾しあうような現場や現象もあったり、はたまたそれで主導権争いみたいな泥沼になって、一般から敬遠されるというような事態もあったから。

 こうなっていったのは、日本では後述する1970年の「7・7華青闘告発事件」というのが一つのきっかけになっているのですが、むしろ世界的にこの頃から中央の大組織による階級闘争主義(大きな物語)から、たとえば女性問題や障碍者、部落差別あるいは基地問題などの個別の社会問題に取り組む小グループへと社会運動の質が変わっていったということがあります。それを「多様化」と評価するか「分散化」と否定的に見るかは見解のわかれるところです。

たとえば「婦人運動」の時代

 さて、ここでその過程をもう少し細かく考える前に、私は一番可視化しやすい(私の記憶の中の)女性差別問題の推移から類推してみたわけです。

 女性差別との闘いは、それこそ部落差別と並んで戦前からあるし、それも多様だったわけです。強烈に抑圧されていたがゆえにラディカルにならざるを得なかった、戦前の先進的な流れはいったん置きますが、戦後、というか私が記憶しているのは、子供の頃の「婦人運動」とか「主婦の運動」でした。いわば女性に対する性別役割分業を前提として、そんな女性の立場、たとえば「主婦の地位」を認めろ的なものだったと思います。こういう善意の人を悪く言いたくはないのですが、やはりこれは戦前からの退化というべきか。でも先駆としての役割を果たしたのかなと。

 ここからわかるように、むしろこういう婦人運動や「主婦」の運動の人たちの中に、たとえばセックスワーカーに対してはかなりの敵意や差別意識があったように思う。高校時代に『話の特集』で読んだジャーナリストの矢崎泰久さんの回想によれば、女性運動家との対話で彼女らはセックスワークを「泥棒と同じ犯罪行為」として、なんら斟酌する必要はないと断言したそうで、それを社会的な女性差別の構造として捉える視点はなかったようです。逆に男性側の一部(とりわけ女性差別意識の強烈なおっさん)のほうが、セックスワークを美化する観点から、彼女らに同情して擁護するという本当におぞましい構造もあったように思う。

 私なりに理解するならば、初期の頃の「婦人運動」は、(1)良識的な言葉で、 (2) 差別している男性(社会)側に対して、 (3) 差別をやめてくれるようにお願いする(その良心に訴える)という構造だったように思う。で、これは女性問題のような大きな差別反対運動では最初に通る典型だろうなと。そしていまどき「差別なんて当然」とかいう主張は通らない中で、権力者や右翼はこの段階のものなら容認する、または運動にこの段階までの後退を要求し、「差別は当然」のかわりに「伝統」などを持ち出して「それは差別ではない」という論法に持ち込みたがる。

 こんな程度のものでも、当時の大人の男性やマスコミは「戦後、女とストッキングは強くなった」とか「主婦(女)の運動はヒステリックで恐い」「最近の旦那は主婦の尻に敷かれてかわいそう」とか差別丸出しなことを普通に言ってたんですよね。私も子供心に「そうなのか」と思ってましたわ(笑)。今では考えられませんね。

自分の権利は自分で守る―ウーマンリブの登場

 さて、こういう「お願いする(良心に訴える)」運動のあり方は、私の子供のころから80年代くらいに至るまで連綿と続くわけですが、一方でもっと若い世代のあいだでは、「お願いしてる場合か!」とばかりに、自分たち自身でその権利を(幅広い意味での)実力で守る。差別を受けたら糾弾する、差別を生み出してそれを当然とするような社会構造や事象を攻撃して破壊しようとする発想があって、それがウーマンリブと呼ばれたという理解です。その攻撃というか再検討の対象は、「すべてを疑え!」とばかりに男女の恋愛関係から家庭・結婚制度にまでおよんだラディカルなものでした(正確には左派の女性解放闘争との混同があるかもしれませんが、ここでの論旨上はいったん無視します)。

 これはアメリカの黒人運動において、公民権運動の中からマルコムXや黒豹党のようなブラックパワー運動が生まれてきたことに似ていると私は思っています。日本的な事情で言えば、若い世代における全共闘運動の自由で多様な雰囲気と、新左翼運動の影響という面がありますが、やはりそれと同時に、前述したように世界的に「大きな物語」つまり党派的な階級闘争主義、すなわちマルクス主義(共産主義)が大衆運動の中で相対化し、ある意味自由になって、階級闘争以外の社会的な問題意識に運動が多様化(分散化)していく過程でもあったわけです。

 私が青年時代に左翼運動にたずさわったころ、実はもうウーマンリブ運動は潮流としては存在していませんでした。しかしその問題意識は左翼運動の中に逆流し、「7・7華青闘告発」ともあいまって、何らかの形で共有されていたように思います。もちろんその受け止めかたは様々で、私が所属していた潮流では、リブのあり方を批判しつつ、その問題意識を再びマルクス主義の中に包摂しなおすということが目指されていたように理解しています。あるいはまた私たちとは別に主に「糾弾闘争」のスタイルを引き継いだ考えもありました。

 一口に「リブのあり方」と言っても、それはやはり多様で一言では言えないようですが(ウーマンリブで検索すると、なんか「中ピ連」ばっかり出てくるが、私の心の中ではあれは半分右翼みたいな存在)、私が運動の先輩から聞いた範囲での理解では、この社会の矛盾を女性問題とその解決を第一に理解していくので、いろんな運動や組織というのが「しょせんは男の運動(組織)」であって、それでは社会を変革できないとして糾弾対象になるとか、なんか男性の活動家は「今だから言えるけど、すぐに激しい言葉で糾弾されるから怖くて物が言えなかった」という声もありました(気持ちはわかるけど、それじゃダメですねw)。

リブの問題意識は必要(必然)であった

 こうしてまるで人づての都市伝説みたいに聞くだけだったのですが、私が思うに、このリブのような段階はやはり絶対に必要だったのかなと。なぜなら、差別というのはほとんどが「伝統」や「常識」として存在しているからです。つまり何の悪気もなく、時には相手を思いやるつもりでさえ人は差別をするのです。その「常識」に対して、それは差別である、私は許せないと声に出すこと、「え?なんで悪いの?」と態度を改めない「善良なる人々」を糾弾することは、差別と闘う中でどうしても必要なことがあると思うからです。

 そしてまた本当の和解と社会的な再統合のためには、被害者が加害者に率直な怒りをぶつけ、それが罪悪であって他者の人権を傷つけたことを確認し認めさせる場は必要です。昔見たアパルトヘイト崩壊後の南アフリカの和解委員会では、最初に虐げられてきた黒人(特に女性)たちが、南アの行政官や軍人に対して、どうしてあんなに私たちを虐げて殺したのかと、涙ながらに声をあらげて糾弾し、軍人らは涙目で頭を抱えていました。和解の前にはどうしても、怒りをちゃんとぶつけ、ぶつけられた方は罪を認めて本心から謝罪する、そういう過程が必要です。日韓関係の「未来志向」の頓挫を見ればわかるように、なんでもかでもいきなり「水に流そう」ではダメなのです。それでは何も変わらない、誰も納得しない、みんなが不幸になるだけです。

フェミニズムに統一(止揚)の夢をみる

The Trans-African

 私が具体的に女性問題に対する知見として、初めて同時代的に触れることになるのは、左翼思想をのぞけば80年代後半以降のフェミニズムが最初ということになります。これは私のなかで、わりとストンと腑に落ちました。このフェミニズムの潮流の中では、それまでの「婦人運動(問題)」という呼び方が否定され、「女性運動(問題)」という呼び方が定着します。男と女、女性と男性という対語がありますが、婦人にはそれがありません。対等ではない特殊なものです。それはリブや左翼運動の中では自明のことでしたが、それから一般のマスコミ、ついで行政の中でも「婦人」はなくなっていきました。これは小さなことのようで、私にとっては大きな目標に向かっての一歩だなと感じられたのです。

 さて、私は左翼運動を離脱して「元サヨ」になってから、働いてお金を貯め、大学に入り直しました。そこでのゼミが民法(家族法)だったので、時期的にも勃興しつつあったフェミニズムの考えに触れることも多く、こういう類推になりました。とりあえず、

婦人運動 → ウーマンリブ → フェミニズム

という、あまり世間一般的とは言い難い(と思う)構図が私の頭の中にあるということです。そこではフェミニズムというのは、歴史的な諸々を統一、または止揚できるのではないかという思いが私にはある。それは直感であって、上に書いた歴史的な経緯が間違っているとか指摘されても、それはさほど私の直感には影響しない。逆に言えば上に書いた流れは単なる「体験談」なのであまり信用しないように。ネットではそういう「体験談」を真理みたいに吹聴している人もいるから注意ね。

 まあフェミニズム自体が多様性の中にあると思いますし、潮流が違えば歴史観も違うでしょう。また現在は女性問題のみならず、性の多様性へと議論はすすんでいます。そして本稿も筆者の頭の中をぶちまけただけで、なかなか「これからの大衆運動の課題は反差別」という話にすすんでいかないわけですが(笑)、まずは私の経歴的なところからくる頭の中を開陳したところで、次回に続くということにします。

(草加耕助‐スガ政権崩壊のニュースを聞きつつ)

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