by 原 隆
アフガニスタンの首都カブールが8月15日、イスラム主義武装勢力タリバンに包囲され、あっけなく陥落。ガニ政権は崩壊した。20年に及ぶ米国の対テロ戦争は水泡に帰し、アフガン占領の敗北を象徴する結末になった。私たちはそこに何を見て何を学ぶべきか。
世界を震撼させたアメリカの無残な敗走
米軍は脆弱な政府軍と政権を半ば見捨てるような形で撤退を進めた。政府軍は約30万人だが士気が低く実際にはその6分の1程度しかいなかったとされ、まるで「張り子の虎」だった。米軍の後ろ盾を失った政府軍は敗走を重ね「90日間で政権崩壊」との予測を上回り、わずか10日間ほどで約6~10万人のタリバンになすすべもなく首都を明け渡した。
20年におよぶ歳月と巨額の資金を投じた揚げ句、「撤退」という名の幕切れは、「米国史上最長」と呼ばれた対テロ戦争の事実上の敗北を意味する。どう取り繕おうがアフガン占領は米軍の「敗走」で終わったのである。20年かけてもアフガニスタンでは、数週間持ちこたえるだけの政権すら米国は作れなかったということだ。「アフガン敗戦」は米国の凋落を如実に浮き彫りにした。米メディアは、ベトナム戦争の「サイゴン陥落」(1975年4月)に重ねてカブールの陥落を報道し米軍の「敗走」を印象付けた形だ。
毎日社説(8.17)は「米同時多発テロから20年に及ぶ戦争の無残な終幕と言うべきか」と論じ、東京社説(8.26)も「米中枢同時テロから20年にわたるアフガン戦争で、米国は莫大なコストを払ってきた。米ワトソン国際公共問題研究所によると、米軍の戦死者は約2400人。警備業務などを請け負う民間軍事会社職員の死者はそれより多く3800人以上に及ぶ。…ただし最大の犠牲者はアフガンの民間人である」と指摘。
朝日社説(9.1)は「アフガニスタンからイラクへと戦火を広げ、80万人ともいわれる命を奪い、700兆円を費やした『テロとの戦い』は、どこで道を踏み外したのか。<略>つまずきは20年前に始まっていたとみるべきだ。冷戦後の『唯一の超大国』だった米国はテロ後、アフガン攻撃を始め、タリバン政権を倒した。さらにイラクにも侵攻し、フセイン体制を崩壊させた。いずれも軍事力で『敵』を排除すれば、米国の望む政治体制を据え付けられるという発想が強かった。<略>
この20年間に、戦争の泥沼化の一方、米国自身が金融危機やトランプ現象などを経て、国力も威信も凋落した。<略>アフガニスタン撤退は、対外的に圧倒的な力を行使できた米国パワーの時代が完全に終わったことを象徴している」と述べた。
アフガニスタンとは、アフガン人の国(スタン)という意味だが、アフガンとはペルシャ語でパシュトンのことである(新谷恵司・東海大学客員教授)。パシュトン人は最大民族で約42%を占め、次いでタジク人27%、ハザラ人9%で、以下ウズベク人、トルクメン人などとなっている。
アフガン人には、戦前はイギリス、戦後はソ連といった列強の侵攻をはね返して敗退させたという、独特のナショナリズムがある。アフガン人の多くは、米軍を「解放軍」ではなく「占領軍」と見なした。タリバンはこうした占領軍からアフガンを解放するというナショナリズムを建前にして勢力を拡張してきた。国際政治の世界でアフガニスタンはこれまで「帝国の墓場」と呼ばれてきたが、今回また1つ「帝国」アメリカが敗れた。
対テロ戦争の誤算
2001年の「9.11米同時テロ事件」から20年で明白になったことは、「冷戦」終焉後の世界で「唯一の超大国」となった米国の一極支配の凋落であり終幕だ。アフガニスタンで20年前に倒したはずのタリバンの復権を招いた「対テロ戦争」の敗北―「アフガン敗戦」は、「世界帝国」米国の一極支配の代名詞であった「新世界秩序」の幻想を最終的についえさせたと言える。米国が強大な軍事力を行使しても、世界を思い通りに支配できない現実を改めてさらけ出した。「世界の警察官」をもはや演じられなくなった米バイデン政権は、対中国戦略に軸足を移すことを余儀なくされたのである。
米国は士気の低いアフガン政府軍の育成に過去20年間で約9兆円を注ぎ込んだ。しかし政府軍には戦う意思がきわめて脆弱であるという現実を認識していなかった(あるいは認めたくなかった)。米国の「アフガン敗戦」は、こうした「不都合な事実」と20年もの歳月と2兆ドルの資金を浪費した誤算を浮き彫りにした。
米国が始めたアフガニスタンとイラクに対する「テロとの戦い」がもたらした代償はきわめて重いものだった。「対テロ戦争」の死者は、最新の集計では100万人近くに上る。最も多く犠牲となったのは戦闘を行った兵士ではなく、一般の「民間人」・民衆で全体の4割にあたる。米軍の死者は約7千人とされるがPTSDを発症して自殺した元兵士は、その4倍の3万人以上だ。
またアメリカ国内では貧富の格差や人種差別による社会の分断と偏狭なナショナリズムの伸張といった今日に至る歪みが2001年以降の対テロ戦争によって顕在化したと言える。01年には米国の国内総生産(GDP)は世界全体の31%を占めていたが20年には24%まで低下し、この20年間で米国は経済面でも優位性を保てなくなっている。
「テロとの戦い」を名目にアフガニスタンとイラク(イラクに対する戦争の口実とされた大量破壊兵器の保有やアルカイダとの関係はその後、虚偽情報であったことが明らかになった)両国を占領し結局敗走した米国は、莫大な資金を費やし多くの人命を犠牲にしたが欺瞞的な「民主化」をはじめ何も築けなかった。残ったのは占領軍への怒り、反米感情だけだった。
タリバンの勢力拡張の背景には、汚職や腐敗が著しい政府をアフガン民衆が見限ったことがある。多谷千香子・法政大名誉教授は「米軍はアフガン民衆にとって占領軍でしかなかった。…誤爆被害も多かった。アフガン政権も、米軍の供与した兵器を売却して家を買ったり、兵士の給与を懐に入れて支払われなかったり、腐敗は著しかった。アフガン兵の士気は弱く、脱走が絶えなかった」(9.14朝日)と指摘した。
また米紙ワシントン・ポストが2019年に報じた米政府の内部文書「得られた教訓」によれば、「アフガン政府幹部らが開発援助などを着服し、米側もそれを知りながら目を背け続けたことが最大の問題だった。治安部隊の育成、統治機構の整備、民生の向上に使われるべき資金は闇に消えた」(9.2読売)とされる。
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転換する世界情勢をいかに捉えるか
2001年の「米同時テロ」当時、ブッシュ政権の中枢を操っていた新保守主義派(ネオコン)は、「先制攻撃」戦略の信奉者だった。偏狭な愛国心やナショナリズムを煽り、アフガニスタン(01年)とイラク(03年)への「対テロ戦争」に世論を駆り立てた。01年のアフガニスタンへの空爆直後の米ワシントン・ポスト紙の世論調査によると94%が米の軍事行動(侵略戦争)を支持した。
だが対テロ戦争によって、この20年で米国の威信も国力も凋落した。「アフガン敗戦」は、それを如実に浮き彫りにした。東大作・上智大教授は『アフガン政権崩壊』(「世界」10月号)で次のように述べている。
(ブッシュ政権の中枢を占めていた)ネオコンは、冷戦後の世界で米国が唯一の超大国になったという認識のもと、『米国の巨大な軍事力を躊躇なく使用し、やっかいな政府の政権転覆を行うことが米国にとっても、その国の国民にとっても、そして世界にとっても利益になる』というイデオロギーを持っていた。ネオコンの人々にとって9.11事件は、以前から主張していたイラクのフセイン政権への軍事侵攻や、アフガンへの軍事介入を正当化する絶好の機会となった面があった。しかしその後、アフガンやイラクでの米国による国家建設は、いずれも大きく挫折し、ネオコンの主張は幻想であったことが明らかになったといえる。
今やネオコンは破綻し米国を凋落させた元凶となった。「冷戦」終焉後の世界情勢は大きく転換し変容を続けている。「冷戦」後の「唯一の超大国」であった米国も今回の「アフガン敗戦」でその一極支配(パクス・アメリカーナ)の凋落と終幕が白日の下にさらけ出された。9.11後の対テロ戦争を日本をはじめ世界各国は支持した。日本はインド洋で米艦への給油を行い、イラクでは「戦後復興」への協力を名分に自衛隊を出して、「米国の戦争に日本が協力する」という参戦国化を既成事実にした。各国の強権的な政府もこの対テロ戦争を反政府弾圧の口実に使った。
対テロ戦争を支持する国家主義(ナショナリズム)や移民排斥を掲げる人種差別主義の風潮が広まる中、制度的政治や議会制民主主義の危機は深まった。こうした対テロ戦争やナショナリズムに抗い、真の民主主義を求めて大きなうねりを起こしたのが、2011年の「アラブの春」や欧州の「怒れる者たち」、米国の「ウォールストリート占拠」であり昨年の「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」運動に象徴された草の根からの反乱―「蜂起する民主主義」だった。今やそれは世界を根本から変えうる新たな潮流になった。昨今「自国第一主義」を掲げた米国のトランプ現象などのナショナリズムの高まりも、こうした世界の潮流に対するバックラッシュといえる。
アフガンやイラクを侵略した対テロ戦争は、第1次―第2次世界大戦のような総力戦ではなくなった。また今日の米中対立など緊張はあるが軍事的対立を前提とした「冷戦」とは言えない。グローバリズムが席巻し多国籍企業展開による経済的相互依存関係が深まっている今日、帝国主義間戦争の総力戦モデルを適用して世界情勢を考えたり、一世紀も前のロシア革命の戦略(戦争を内乱へ)をアナロジーしていては変化する情勢や時代に取り残され時代錯誤(アナクロニズム)に陥る。
『失敗の本質』から学ぶ
『失敗の本質』(中公文庫)は、戦前の旧日本軍の過ちや欠陥を分析した研究書だ。それによると日露戦争に勝った軍部は、大国ロシアを打ち破った成功体験に以後囚われて「時代遅れ」になった戦術(例えば大艦巨砲)に固執。時代や情勢の変化への対応力を失っていった。時代の変化を見誤った結果が惨禍を招いた様子を分析している。つまり旧日本軍の「失敗の本質」とは、状況の変化に応じて「自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかった」ことだと指摘。要は、「自己刷新力を欠いた」「学ばない組織」だったということだ。
「根拠なき楽観」や「敵の軽視」といった驕り、自己過信に陥り、自らの誤りを認めず失敗から教訓を学べなくなっていった。独善と傲慢がはびこり、決められたルールや方法論、行動様式に固執し、杓子定規で前例踏襲を繰り返すステレオタイプの典型といえる。
やがて柔軟性を失って時代や情勢の変化から取り残され旧弊から抜け出せなくなった。失敗や誤りなど「不都合な事実」を隠蔽したり嘘でごまかす自己欺瞞が体質となり公正さが蔑ろにされていった。「学ばない組織」とは「自己刷新(変革)」―パラダイムシフト―できない組織だということである。そういう組織は淀んで腐る。
「失敗から学ぶ」という思想や政治文化を育めなければ、失敗が許されない(という歪な)政治文化が染みつく。失敗を糧に教訓を導き出して戦略を磨き直すというしたたかさよりも、失敗を避けようとばかりするために、無難にその場をしのげればいいという受け身のネガティブな姿勢やバイアス(思い込み、先入観)に囚われたナイーブさが際立つようになる。その結果、自らの「立ち遅れ」に鈍感になり前例踏襲や横並び意識といった「変えたがらない」ことを是とする政治文化が形成され思考停止に陥る。
これは左右を問わず言えることだ。特に日本ではこの傾向が強いとされる。「難しいのは新しい考え方自体ではなく、古い考え方から脱することだ」―これは経済学者ケインズの言葉だ。「ここは自分の感性を磨ける、学べる」という運動―組織こそが現状を変革できるにちがいない。
(原 隆)
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