思うところあって「今こそ排外主義にNO!ACTION―集会とデモ」に参加してきました。主催が差別・排外主義に反対する連絡会、APFS労組、直接行動(DA)の皆さんという、親しくさせていただいている方の多いところというのもあったのですが、この集会のテーマの一つが「反トランプ」というのが大きかったです。
トランプに対しては世界中で抗議が巻き起こっているのに、日本ではみんな他人事みたいな顔。どんなに小さくても自分なりに世界中の人々への連帯の意思を表明したいと思っていたので、ちょうどいい機会だと思って参加することにしました。参加を決めてから後の朝鮮半島情勢の急変で、もう完全に他人事ではなくなりましたし。
デモには「Love Trumps Hate」など3枚のプラカードを持参し、ジグザグ会などの仲間たちとデモしました。排外主義反対だからそれでいいのですが、一方、トランプは中東シリアを空爆、返す刀で今度は私たち極東の地にも空母を派遣し、朝鮮半島での武力行使が危惧されています。「アメリカは世界の警察官をやめる」と宣言したトランプに、これでもうイラク戦争のような愚かな軍事行動はなくなるだろうと、なんとトランプ支持を表明した左派までが結構いた中で、唐突な武断政治への転換にも見えます。これをどう考え、どう対応すればいいのでしょうか?
さて、そこで一旦最初に戻りますが、現在世界中でトランプによる女性や外国人や特定民族に対するヘイトに抗議が巻き起こっています。今日のデモでも、このプラカードを見た旅行あるいは滞在中とおぼしき外国人の方々から、人種国籍にかかわらず多くの好意的な反応をいただきました。プラカードを作った甲斐があったというものです。
欧米系(?)の白人の父娘はプラカードを見て笑顔で私たちに手を振ってくださり、アフリカ系(?)やその他の男性らで歩道からずっとデモと一緒に歩いてくださった方もわりといました。また、アジア系の旅行者らしき方々が興味深そうにスマホでこのプラカードを撮影する姿が多く見受けられました。なんか地理的に近いほど反応が日本人に似てくるんだなあと思いました。
しかし今や問題はヘイトだけでなく、トランプは私たちのすぐそば、頭の上で戦争をはじめるかもしれない危機を招来させています。ネット上では脳内お花畑で平和ボケしたネトウヨの皆様方が乱舞し、来るべき戦争時には在日朝鮮人や左翼を虐殺してまわることが「正義」だなどとほざいている人もいるとか。そのおめでたい反応に対し、私は彼らが自分の頭上で深まる戦争危機への、右翼なりにせよ真面目な対応を考えているとはどうしても感じられません。本当にお花畑の住人ということでしょうか。戦争はゲームでもマンガでもないのです。
今日のデモではとりあえず「人の頭の上で戦争やめろ」というプラカードを持参しました。これは作った直後から、ある種「大衆に媚びた」一国平和主義的な内容で、はたしてこれを見た在日朝鮮・韓国の人々がどう感じるんだろうという思いがありました。自分たちさえ無事ならいいんだねという意味で。ただ、国内でのあまりの緊張感や危機感のなさに、このままでは無事にすまないかもしれないんだよということを訴えたいという狙いで作成したものです。
帰ってからも自分の中でわだかまりがあり、じゃあどういうプラカードを作れば、自分の気持ちがすっきりしたのかと思って作ったのが、右の2枚です。「殺すな」ロゴは市民の意見30の会様のものを使わせていただきました。この言葉にすべての思いを込めました。でも何か違う。自分で納得できないのです。
そもそも私は政治運動が嫌いです。沖縄や原発の問題にしてもなんにしても、政治をやってるつもりはない。ただ人として後悔しないよう行動したいと思うだけです。そして人殺しに反対するのは当たり前のこと。問題はそれが薄っぺらな一般論にとどまらず、人としてどれだけの思いと内容をこの「殺すな」という言葉に込められるかだと思っています。
そのために考えなくてはいけないことは多岐に渡ります。まず唐突に武断政治に転換したかに見えるトランプ政権について、米中露など大国の思惑に翻弄され続ける朝鮮半島と米朝関係について、一方で北朝鮮国内における人権抑圧の問題もさけて通れません。そして日本の侵略の歴史などの部分を含めたその責任や日本人としての関係などです。
最初はこれらについて一つ一つ考えて書くつもりでしたが、ものすごく長くなりそうなので、今日はこのへんにしておきます。
一つ書くとすれば、かつて米国は日本との交戦中に、国内の在米日系人を強制収容しました。その迫害の歴史について、米国はまがりなりにもそれが過ちであったことを公式に認め、謝罪と補償と和解をおこなった。それは今後も同じ過ちを繰り返さないという意味を含むと思います。もし北朝鮮と米国が何らかの交戦状態になったり、安倍政権がトランプに協力して軍事行動をとった場合、私たちは国内の在日朝鮮人に、米国のこういう判断と同じ理性的な行動がとれるでしょうか。そこは大変に危惧するところです。
ともかくも、私たち日本人にとっては「戦争は嫌だ」ではすまされない問題であると思います。考えは徐々にまとりつつはあるのですが、まだ手探り状態であることが多いです。
とりあえず今はただ叫びます「殺すな!」と。
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RT @kousuke431: ブログ更新» トランプの戦争をどう考えどう対応するべきか(1) – 旗旗 https://t.co/UwrbU01Fk2
「殺すな!」という言葉は、草加さんの心の中では、トランプだけではなく、化学兵器を使った可能性の極めて高いアサドに対しても、また、核開発をやめず、かつそれこそ北朝鮮民衆を殺している金正恩にも向けられていることは理解します。ただ、これからいうことはお互い基本的な立場が違うので、議論をしようというのではなく一つのコメントとしてのみ書いておきますが(返信も不要です)問題なのは、何らかの力を行使することなくして、アサドや金正恩の行為を止められるのかどうかということにあると思います。トランプの差別主義的言動への批判と、アメリカが一切世界から引いていくことが、果たして平和や民主化に対してプラスと言い切れるかどうかという問題は今もあるのではないでしょうか。
トランプ当選の立役者の一人であるスティーヴ・バノンが事実上政権中枢から外されつつある(と思われる)のは、最も差別主義的なデマゴーグと批判されている彼が、シリア爆撃に反対したというのは、私にはある意味象徴的に思えました。
後、トランプ政権誕生の背景について最も優れたルポをしたのは朝日新聞の記者でした。その本について、拙ブログで触れましたので、もしよろしければお読みください
トランプを支持した人々の声
ルポ トランプ王国 金成隆一著 岩波新書から
http://miura.trycomp.net/?p=4263
上のでもいいのですが、私の意見をはっきり書いているのはこちらなので、ブログではこちらの記事をお読みください。
「アパラチア越え目指す就任式 トランプ氏支持者に同行」(朝日新聞)
この素晴らしい記事を読んでいて、本多勝一の「田中角栄を圧勝させた側の心理と論理」思い出した
http://miura.trycomp.net/?p=4169&cpage=1#comment-154840
そういう意見は当然にあるだろうと思います。釈迦に説法ですが、たとえばアムネスティなども一般には誤解されているようですが「反戦団体」ではなく、人権擁護のためにはアメリカなどの武力介入を要請さえしたこともあったはずです。
トランプの北朝鮮への軍事行動が、北朝鮮の人権状況に対する国際的な圧力の一環として(平和と人権のためと信じて)行われた善意のものであるなら、批判するにしてもそれは軽々にはできないかもしれません。でも私にはそうは思えない。単に金正恩とトランプの「国益」のぶつかりあいで、そこで無辜の人々が大量に殺されていくことは容認できないということです。
日本でのことを言うならば、たとえば沖縄では戦争への現実感が本土以上にあり、そのことも反基地意識につながっています。いざ中国とことを構えれば自分たちが丸焼けになるし、一度は犠牲にされたのにまたかという。それを「中国に味方する奴ら」という理解しかできないところにネトウヨたちの対象分析能力の欠如を感じますが、80年代の欧州を席巻した反核運動も同じ構造にあったわけで、その「おまえらどっちもいい加減にしろ!」という叫びは、ごく自然な感情で正当なものだと思います。三浦さんが記事の中で書いているトランプ支持者への目線に通じるものもあるかしれません。
私はそんな素朴なところから出発して、たとえば北朝鮮の人たちなど世界や全国の人々への思いや理解も加えて、その理解の上でもう一度「殺すな!」とみんなで言えたらいいなと思っています。沖縄の運動にはそれだけの度量と魅力を感じています。
難しく思うのは、日本国内でさほどの危機感が広がっていないということ、それと北朝鮮が到底支持できないような人権抑圧国家であるという点です。ただネット言説を見ると、北朝鮮はほとんどRPGにおける「魔境の森」で、在日朝鮮人はそこから漏れでた「モンスター」のような扱いでゲーム感覚に酔っ払いながら「殺せ!」と叫んでる。だから私は「殺すな!」と叫ぶ。三浦さんが忖度してくれたような深い考えもないんです。
また、トランプの軍事行動を支持する識者の記事などもよく読んで考えてみましたが、ほとんどイラク戦争開戦前のデジャヴを見ているような気分にさせられました。北朝鮮の人々は攻撃されたら喜んで支持する、北朝鮮への軍事行動を助けないと外交上日本は孤立するとか、北朝鮮をイラクに置き換えれば同じことの繰り返しで、またこんなこと言ってるよとしか思えませんでした。当時の米国でも国際的な反戦世論に対して「軍事行動をとればわかる、軍事行動すればみんなうまくいく、イラクの人も大喜びする」と言ってたんだよなあと。
けれどもまたアメリカの民主主義はまだまだ侮れないと私は思っていて、前にも書きましたが(今はどうか知りませんが)911直後にはわずか数日で、イスラム系住民の人権と安全を守るためのボランティア団体が発足し、事務所を構えて登録を受け付け、登録希望の電話が鳴り止まないということが報道されていて、ほんとに驚き、羨ましく感じました。その活動もただイスラム系住民の外出時に主に白人などの米国市民が付き添って歩くだけの穏健で誰でもできるボランティアでしたが、日本でそれに類したボランティア活動を在日朝鮮人などに対して、運動経験のない人々のあいだで広まるだろうかと。やったとしても「裏切り者」とか「売国奴」とか「反日」とかいう的はずれなことをいう輩が大量に湧いて出るんじゃないかと。
そんな時に、私みたいな奴がいてもいいというか、いたほうがいいような気がするのです。幸いにも今は一人暮らしで家族も同居してませんから、何かされても安心です。いよいよの時には、趣旨が違うので一緒にやるということにはならないとは思いますが、三浦さんとも同じ方向でやれることもあるんではないかと思います。
三浦さんの問題意識に沿った返信ができずに申し訳ありません。