ネットウヨと全共闘(2

●ネットウヨは70年代左翼の正嫡である

bun7.gif昨日のエントリーにもいくつかコメントをいただきました。大変にありがとうございます。
いろいろとヒントや刺激をいただきましたので、それをふまえて昨日のエントリーの続きを書きます。今日で終わりたいけど、さてどうなることやら。

さて、こんなことを言うとネットウヨ反対派からも擁護(?)派からも、怒りの鉄槌を食らわされて孤立しそうなんですが、実はその1のコメント欄の、JSFさんや、通りすがり氏の反論を読んでの素直な感想として、なんというか、微笑ましく思ってしまいました。つまり「気持ちはわかる」という次元において。

私はJSFさんを「ネットウヨ規定」しているわけではありませんが、ネットウヨというのは前々から、ある側面において、かつての私ら「レーニン主義左翼」の正当な後継者なんではないかと思ってきました。それはつまり、思想的なことではもちろんなくて、当時の若者世代の中での「レーニン主義左翼」にあたる部分が、現在の若い世代においてはネットウヨであるという、いわば「世代論」であって、ぶっちゃけ「与太話」の類ではあるわけですが。

何度も繰り返しのべているように、ネットウヨの左翼版というのは、昔からちゃんといたわけです。右派的な考えの民間人に、自分から出かけてからんでいくという。今ならそういうことは個人ではちょっとできないと思いますが、当時は数も多いから。んで、そういう奴の行動パターンが、ネットウヨそっくりだなあという感想というか、仮説をもっているわけです。
ただ、こういう奴というのは、リアル世界の運動では「単ハネ分子」とか呼ばれて後々非常によろしくないことになるわけです。んで、誰かが止めていたわけですね。ところが今のネット上ではそういう歯止めがないと。ところが最近特に感じるのは、こういう「単ハネ分子」ではなくて、左翼運動本体にしてからが、ネットウヨ的な性向を持っていたかもしれんということです。これはまた後で書きます。

次に、JSFさんが何度も例に出しておられる、「2ちゃんでは小林よしのりや西尾幹二が批判されている」という話ですが、私達も日本共産党や社会党をボロクソに批判していたし、ソ連共産党や中国共産党などは「相手にされていない」(つーか打倒の対象である)状態だったわけです。

だから批判自体は当然にあるとしても、「共産主義者」だの「左翼」だのというくくりで、ソ連や日共の実態をもってして自分を批判された日にゃーもう、切れてしまいますよね。「いっしょにするな!」って言うか、ちゃんと個別に見ろっていうかね。でもそれは仕方がない。左翼以外の人(とりわけ反左翼の人)から見たら、そんなの「左翼同士のもめごと(=内ゲバ)」に過ぎないのですから。

さて、時は下って私らの頃は、ソ連・中国に加え、革共同両派(中核・革マル)を中心とする「内ゲバ殺人」やら、連合赤軍の同志殺し、浅間山荘事件、大地の牙による爆弾闘争などをもってして、いっしょくたに反共主義者から攻撃されました(さらに現在ではそれに「北朝鮮」が加わるわけですが)。
いちいち反論するのもウザイくらいでしたが、左翼でない一般の人に対してはこういうことは仕方がない。この場合の説明責任は左翼側にある。左翼業界になれた人なら、連合赤軍と赤軍派と日本赤軍を一緒に批判するのが当たらないことはわかるわけです。でも、普通は「赤軍派」と「連合赤軍」の区別なんてつきません。

「自分たちと同じ方向ならどんなアホなものでもOK」というのは、私ら左派の人たちと比べての感想であります。左翼同士というのは、なんつーか、仲が悪い(笑
だいたい何か大きな闘争があれば、それにどう取り組むべきかという路線論争を仕掛けるというのが左翼の伝統的定石としてあるわけです。それでその闘争なり運動に参加してきた人に、自分らの路線を訴えて囲い込んでいくという。だいたい左翼が他の左翼がしゃべっているのを聞いている時は、「何か批判してやることはないか」と思いながら聞いていると思ってほぼ間違いない(w

そういう性が身についていますので、私も他の左翼っぽい人の発言や書き込みには「同意できるところ」よりも「不充分だと思うところ」に先に目がいってしまい、レスもそういう内容になりがちです。一方で「反権力」には燃えても、こちらから右翼に喧嘩を売るのを嫌がる(余計な力を使ってしまうから)。他人(右派)のブログなんかに出張してまで書き込むことは通常しない。他の左翼が民間の右派に攻撃されてても、関わり合いになりたがらない。それに比べてネットウヨは・・・で、おまいらちょっとは見習えよ!つうのが趣旨ですね。

つまり「左翼向けに」呼びかける趣旨であることをご理解ください。確かに「アホな」は引用元の文章に無批判に引きずられた感はあるし、若干主観的だったかもしれません。ただ、今まで「会話が成立した」右派(右翼および保守派)の方(4人)は、概ねネットウヨ批判には同意していただけました(その理由やスタンスは違いますけど)。要するに真面目な保守派の方は「自分はここにあげられているような存在ではない」と言うことで充分であろうと思います。右翼および2ちゃんねらーがすべてネットウヨだと言う気はありません(だいたい私が2ちゃんねらーだし)

まあ右派は存在論的に「民間」を攻撃するときに燃えるから、左派がこの分野で差をつけられんのは仕方ないわけで、コメントスクラムなんかも、内心「凄い」とか舌を巻いたりするわけです。
掲示板なんかを見ていても、右派系はとうとうと理論を述べる者やら、極端な暴論で威嚇する者やら、出だしは「中立」または左翼の味方みたいに書き出しておきながら最後は左翼批判の結論でしめるとか、「一般人」のスタンスでこれらの発言を支持していく者とか、「これ、本当に連携してやってんじゃないよね?」とマジに感心します(決して皮肉ではない)。
攻撃相手をピタリと定めたら、足並みの乱れが大変に小さいのも特筆に価する。左翼同士は「相手をどう批判するか?」でお互いに内ゲバはじめることもしょっちゅうだから。

あと、私が言うのもなんですが、「太陽に集いしもの」さんの「ネトウヨ=ネトゲーマー」論は、ネットウヨの「左翼=人を批判して叩くことが好きな人」論とか、「左翼=何でも人のせいにして喜ぶ人」論に対応するものと思われます(つまり思想性なんか本当はないんだと)。少し議論が噛み合っていないようで気になりました。

「通りすがりの者」さん(できればこういうステハンは避けて下さい)の内容に即して言いますと、私らが活動家時代も、相手が右翼だから、権力だからという理由で攻撃してきたわけではないですね。左翼でも何でもない一般の人に説明可能な理由をもって攻撃していました。
まあ、マルクス主義の教義を宣伝しながら運動していた宗教団体みたいのも、無いことはなかったわけですが、普通は小泉総理を批判する時に「レーニンの『国家と革命』第○章に・・・と述べられているように」とか牧師が聖書読むみたいなことはせんわけです。あくまでも左翼思想とは関係ない大衆の論理で主張を展開する。
では、それは「左翼運動」と言えないかと言えば、ぜんぜんそんなことはないわけで、なぜそういう主張を展開するかと言えば、背後に左翼的な価値観と目的があるからこそ、そうなるわけであってさ。ここではその論理展開ではなく、民間人を攻撃するにあたっての基礎的な価値観を問題にしています。

別の言い方をするならば、特定の個人をネットウヨかどうか判定するなんてことはどうでもいいことであって、私の書き込みにそういう「個別的レッテル貼り」であるかのような反応をする価値観が問題であると思います。前に書いたように、これは層あるいは行為へのレッテルであって、ある瞬間にはネットウヨであっても、次の瞬間にはただの人ってことはありうるというか、むしろそれが普通ではないんですか?

「感情論でものを言う」については、あちこちに繰り返し書いていますが、どんなに理屈が通っていようとも、結果がヘンテコであれば、それは「屁理屈」であるというのが私のスタンスです。
たとえば裁判でも、法律的に見て一番筋が通った論理であろうとも、結果がおかしければ裁判所はそれを採用しません。あーだ、こーだと解釈学のテクニックを駆使して「結果妥当性」を確保しようとします。だからと言って、結論が正しくても途中の論理が滅茶苦茶ならやはり屁理屈ですので、それは法解釈学で許される範囲でということです。

で、「結果妥当性」と「法律論理(含む先例)」のバランスで判断が下されるわけですが、どちらがより大切かと言えば、断然に結果妥当性なわけです。「感情論」と言われようがなんだろうが、結果妥当性のない現実主義は屁理屈として拒否いたします。これは哲学ですので、この点について論争しても不毛でしょう。

より問題なのは、では何が「妥当な結論」かという点です。この点ならあなたと噛み合った議論も可能でしょう。「妥当な結論」が一致してはじめて、方法論の問題や「次善の策」などが討論できます。そしてこの根本的な価値観に関する問題については、ソース合戦をする必要はないと思います(私がこのブログでやりたいことがわかっていただけますか?)。

「特定の集団」論については、私が「一人一人は別々だが全体として層を形成する」と言い、あなたが「全体としては集団のようだが一人一人は別々だ」と言っているのですから、どう考えても意見は完全に一致していますね(笑

●シラケ世代の果たした役割

さて、「太陽に集いし者」さんは、かつての左翼運動におけるマルクス主義は、いわば不正への怒りを表現するための便宜的な道具であったのに、それを絶対化した所から誤りが生じたというような意見をお持ちであったと思います。

当時の運動はよく「異議申し立て運動」なんて言われたりします。若者達はあらゆる既成の権威に自分なりの方法で異議を申し立て続けたわけですが、その根本にあったのはやはり純粋素朴な正義感からくる怒りでした。ほとんどの若者は自分をいっぱしの「マルクス主義者」だと勘違いしていたわけですが、実際に何かの「主義」を実現するために闘っていたのは、私達党派活動家の中でも、ほんの一握りだったと言ってよいかもしれません。

そして「主義」を信じて運動を引っ張ってきた人々は、大多数の「正義感」からだけ闘ってきた人々をつなぎとめることができなかった。別の言い方をすれば「主義者」のあり方が、「正義感」という基準から見た時に、支持すべき対象ではなくなっていったということでしょう。

それに遅れる私の世代は、一般に「シラケ世代」とか「3無主義(無気力・無関心・無感動)」とか言われ続けてきました。何でも熱くなって一生懸命やるのは「ダサい」みたいな雰囲気はありました。この風潮は非常に長く続き、前の世代の「異議申し立て」の教訓(肯定的なものも否定的なものも含めて)を根こそぎ台無しにしてしまいました。

前の世代の人は、私達の世代を「反抗する気力もない、牙を抜かれた存在」と見ていました。私はこの世代の中では変り種の「熱く燃える人」でしたから(笑)、その意見に「ほんまにそうやなあ」と思っていましたが、実はちょっと違う気がしてきています。少なくとも、この世代の最初の若者達は、前の世代が「大人達」の社会に積極的な異議申し立てという戦略をとったのに対し、反抗ではなく「無視」という戦略をとったんではないかと。

つまり、「国家動員」なり「愛国心の涵養」なりの上からの「熱く燃え」させようとする動きや主張に対して、これを「関係ないね」「ダサい」と個人の要塞にたてこもり、徹底的に無視する戦略だったと。一方で下からの「運動に結集してデモに出よう」「○○派に入って共に反帝闘争を闘おう」という主張も共に無視した。実はこれは「自分を守る」という手段としては、大変に効果的だったかもしれません。

私の回りで運動している人たちは、みんなこの「シラケ主義」に猛烈な反発を持っていた。要するに「熱く燃えよう!」と訴えてきたわけやね。んで「そういうのは古い」とシラケ世代からは言い返されて、80年代から一貫して「左翼冬の時代」と言われ続ける中で運動していた。そしてソ連崩壊からは「氷河期」となり、今はもうマンモスのごとく絶滅危惧種なわけです。

それはともかく、そういう運動家達は、民衆の無関心が政府を利しているという考えでした。自民党は利益誘導と、都会の税金を支持基盤たる地方へ配分することだけちゃんとやっておけば、後は安保強化も軍事大国化も国民管理も憲法の空洞化もやり放題であると。そこへ中曽根内閣が登場して、こういう運動家の人は、ますますこの考えに確信を持ち、いかにして民衆の無関心を突破するかに腐心しました。

でもちょっと待てよと。戦車や飛行機そろえても、誰がそれに乗って死んでくれるねんと。だいたいが「戦争、戦争」言うたかて、自国民が無関心や世論が分かれている状態で戦争なんかできるかいな?と。だからたとえば中曽根さんが「靖国」とか言うのは、民衆の無関心に乗じて好きなことやってんのではのうて、逆に何とかしてこの「無関心」を上から突破しようとしているのではないんか?と。

あまり一般には認知されていないことですが、中曽根さんが在任中にやったことの一つに、左翼運動の徹底弾圧、警察の公安機能の大幅強化があります。
議会内左翼に対しても論戦を挑むことが多かったし、国鉄分割の過程で国労を眼の敵にして潰し、総評も解体されていきました。三里塚(成田)闘争にも、加藤紘一を使って裏からの解体を試みているし、反対派農民の具体名をあげて「小川源さんは何とかならないのか」などと指示を出している。実際、あらゆる左翼はやられっぱなしで、踏みとどまることさえ相当の困難でした。

ところが、こういう認識を話しても、運動家たちは大変に鈍いというか、非常に反発されました。中曽根さんの国家主義的な政策や発言を、そのまんま暴露して、後は大衆の「無関心」さえ突破できればみんな立ちあがるんだと。その「大衆」が「国家主義」を支持するように中曽根さんは頑張っているんだと言っても駄目で、中曽根さんは大衆の無関心を喜んでいるはずだという認識なんですね。

それで彼らが個人主義の世界でオタク化していく若者達にどういうことを言ってたかというと、「座して平和は守れない」であり、「こうしている間にも世界では紛争で苦しんでいる人がいる」とか、「自分の問題として考えよう」、「今の社会構造ではやっていけない」、「一国平和主義では駄目なんだ」等々。

最初に自衛隊の広報で「座して平和は守れない」みたいなものが使われた時は「あちゃー」と思いましたね。とうとうあちらから切り込んできたと。左翼に反撃する力はもう残っていない。

今となってはどうでしょう。
「こうしている間にも世界では・・・」→「(軍事的)国際貢献」
「今の社会構造では・・・」→「構造改革」
最後に、社共への「一国平和主義批判」まで「平和ボケ」とか言う言葉で「あちら」に持っていかれた!

私達がずっと主張していたことが、ズルッと右にひっくり返されたようなもんです。これは基本的に政府支持の考えにつながるものですが、構成に仕方によっては「反体制の論理」にすらなりうるし、実際、小泉さんや石原さんなどは、そういう衣をまとっている面があります。

もちろん、こういう主張をなしている人や勢力の中にもいろいろいるわけですが、ではネットウヨは、かつて左翼がしていた主張の中で、どの部分に照応するかと言えば、やはりレーニン主義左翼かなあと思います。レーニン主義左翼は、最後はすごい内ゲバ、相互批判の応酬となっていくわけですが、さて、今回はどうなるでしょうか。

ああ、皆さんのコメントに反応してたら,もうこんな時間だ(笑
申し訳無いけれど、明日は皆さんのコメントを読まずに、まずは最後まで書き上げてしまいます。
もうなんか頭が働かなくて、駄文ばかり読ませて申し訳無いです。

ここまで読んでいただいてありがとうございます!

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23件のコメント

どうやら草加さんとはネトウヨの分類範囲がちがうようですね。

僕がネトウヨと判断している連中は意外と少数です。ちなみにこのブログランク上位にはいってるブログのほとんどがいわゆる右よりのものばかりですが、僕にとってネトウヨ予備軍と規定できるものは一割もありません。

どれがそうだとかはあえていいません。自分が政治コンパスで極右に属することを自慢げに語ってたりしています。
(裏返せば政治も企業も経済的に左でまとまっている日本では極度のストレスをかかえるか、社会から隔絶されている存在であることを自白してるようなもの→正論に対する強烈な憎悪を持っています)
※そのサイトは毒性の強いクッキー食べさせられるリスクがありますので、誰だかわからないネットカフェなんかからのアクセスをおすすめします。IT技術に精通してます。

それが掲示板になると多重アクセスで大増殖しますし、一般の保守的な問題意識の持ち主と混在しますから、左から見たらすべてがネトウヨに見えてしまうかもしれません。左の誤爆→非ネトウヨ層への憎悪拡大→さらなる誤爆という悪循環が炎上現象の実像なんだと思います。

少数の悪意に満ちた情報操作で、大衆が結果的に不毛ないじめ=圧殺に駆り立てられていく。そもそも主体的決起の連合体とそれに結集する形で爆発した全共闘運動とは本質が違うと思います。拉致被害者家族会は戦後はじめての名実ともにした大衆ナショナリズム運動だと思いますが、それへのバッシングの誘導の過程で、自然発生的なナショナリズムの高揚にまぎれて見えなかった彼らネトウヨの実像が浮かび上がったと思います。

左がその辺の構造を見抜けないのは、“民族主義アレルギー”に冒され、“自然な感情の発露としてのナショナリズムの根源的意義”を全否定してしまい、“国家権力とかネトウヨの世論操作”というくくりでまとめて片付けてしまっているからではないでしょうか?

一般的に旧来の左翼は「愛国心」ばかりか「郷土愛」という
ものすら軽視していった。特に朝日新聞のそれは売国的というか
読者に対する裏切り行為でさえあったというのが私の印象です。

つまり、社会党、共産党員で左翼として力を持っていた人は
スターリン主義と言う名のファシズムに陥って行き大衆の
不支持を招いていってしまったと言うのが実情では無いで
しょうか。「よりましな悪」を選ぶのも大衆でありますから。

日本を敵視し、日本人をも敵視したモノの言い方では当然
日本列島住民の猛反発を招くのは至極当然の話でありましょう。
現に在日朝鮮、韓国人の方々でさえ反日主義に対して猛批判
をしているのが実情であります。

少なくとも週刊金曜日に所属するような「左翼カルト集団」が
大衆を動かす事なんぞ絶対に有り得ませんね。左翼を自認する
人は、こやつらを何とかしろと言いたいですね。反日主義が
マスコミの中で、はびこっている限り大衆が左翼を支持する
事は絶対に有り得ませんので。

最後に

文を読んでリベラリストはどうあるべきかと言う主張が感じら
れました。反日主義者がメディアの半分を独占している反動で
今の所、左翼=リベラリストに随分と分が悪く、右翼、保守の
台頭を許してしまっている訳ですが、長期的に見る場合、左翼
が理論武装を怠らない限り限りなく、保守VSリベラルの構造に
近づいて行くのでは無いでしょうか?民主主義制度の下では
大衆の利益を考慮しない考え方が栄える筈がありませんからね。

先に書いておこう。
小倉弁護士は遊んでないで、さっさと帰って自分の為すべき事をしてください。

あの~、、、草加さん、自分でも書いてますけど、文章がおかしい、、ってより、なんか見失ってますよ?
ネットからしばらく離れてみましょう。
仕事本当に忙しいんじゃないですか?
ウヨとか右翼とかそんなことより、純粋に物事を見つめることと、根源的な情熱と、人間性の高さから来る言論性と方法論が左翼と右翼との違いだと思うので、、、。

せいぜい、日本だとかなんとかいったって「郷土愛」くらいか、、、日本人もだいぶ心が病んできてるなー、、、。

シラケ世代ってのは虚しいですよね、、、「無視」というより、メディア漬けで育ってるから、もう怒りを感じようにもシステムが感じ無くさせてきたんですよ。システムというか、時代時代の空気というか、モラルというかね、、、中曽根さんの時は消費文化でしたからね、、あの『バンドブーム』ですよ、バカロック全盛の。
はっきり言って本当の左翼なんか存在しないと思います、いまの日本には。みんなが右向け右(全員が右だから右がなんなのかさえわからなくなってるいま)ほど虚しいことはない。

草加さん、このごろ、「朝生」状態になってますよ。

>草加さん
ネットウヨと嘗てのレーニン主義左翼との類似考察が興味深いと思いました。

何れにせよ、Blogを炎上させることに心血を注いでいる人たち(ある意味炎上させられているBlog主も含む)がもう少し議論をしようとしてくれれば良いのに、と思います。

まぁ、荒しの類によって不毛な結末に移行してしまう状況は、古代ギリシャの衆愚政やらとの類似性も感じます。

>JSFさん
刃は振るうべき時のみ振るえば良いかと思われます。

熱湯浴ノススメ
ブログやHPを長くやっていると優しい見知らぬ人が面白いコメントをくれたり、ユーモア溢れる常連さんが出来たりでとても嬉しかったりする。しかし長くやっているとどうし…

どんな「気持ち」がわかるだろうか
草加耕助さんの「ネットウヨと全共闘(2)」というエントリーを読んで、また頭の中に浮かんでくることがいくつかあった。

この中で草加さんは、「気持ちはわかる」…

何度も言わせないで下さい
JSFさんはネットウヨなどでは有りません
ただの「ブヨ」です
電波系と言い換えても差し支え有りません

草加耕助様

興味深く本エントリ拝見させて頂きました。
ただ左翼と右翼の定義が良く分からないのですが…?

もしよろしければお手数ですが、
文章中で使われている左翼、右翼の
定義を教えて頂いてもよろしいでしょうか?

私としては自由を重視するべき立場が
どちらかと云えば右側、
平等を重視するべき立場がどちらかと
云えば左側なのかと思いますが、
文を拝見するににこの定義とは違うのかなと…。

例えば私は徴兵制は反対ですが、
非武装中立なんていう空想的代物が現状の
世界情勢では不可能な以上、
自衛隊の存在は日本に必須であるし、
憲法九条との絡みで彼等(自衛隊)
の権利が不当に侵害されているようであれば、
それはきちんと回復せねばならないと
思いますが、自衛隊(軍備)の存在を
世界情勢のなかで日本が生きてゆく上で
必須と認めているというだけで、右翼にされて
しまうと、大変心外だなといつも思ってしまうのですが…。

あと、基本的に経済を最も重点として
考えていますので、軍備が経済を圧迫
するようなことには反対です。

結局のところ戦争とは文官達の失敗で
起こるものだと思っていますし、文官達に
余裕(失敗してもそれを吸収できる柔軟性)
を与えるのは国家の経済的なゆとりだと
考えておりますので。

帝国主義(侵略主義)が潰れた現代において
最も有益な選択はEU圏を見ればわかるように
金持ち国家(基本は)戦争せずだと思いますので。

アメリカ・中国の2カ国だけはいまだ
帝国的侵略主義で例外的存在ですが…。

 ネットウヨクの特性についてですが、例えば2ch(中でもニュース速報+) などはネットウヨクの巣窟というのが一部では常識とされておりますが、
>反体制には何でも反対のお子様ネットウヨ  (前エントリより)
などはむしろ、件の悪魔の巣窟においてすら少数派であるように見えるのです。どうでしょうか。特に今は憲法改正案や人権擁護法案(人権侵害救済法)が物凄い勢いで反発を受けている最中ですので比較的分かりやすい時期ではないかと思います。さらに2chで最も嫌われている団体の一つである公明党(創価学会)からしても体制側ですし。まあ公明党(創価学会)を持ち出すのは卑怯かもしれませんけれど。

 ネットウヨクと全共闘を共通点で語るとすれば、前者をマスコミに対する反発、後者を政府に対する反発、と捉えれば幾らかの共通点はあるかもしれません。しかしその共通点に有意な意味があるのかどうかは分かりません。個人的利害とはほぼ無縁の動機で社会的な問題において、(少なくとも運動の開始点では)非主流派として何かに反発する人というだけでも共通点はかなり出てしまうようにも思います。また「シラケ」に対する反発も、形は違いますがある程度は共通しているでしょう。ただこれも、何かに問題意識を持っている人ならば当然の共通点かなと思います。シラケていてはそんな意識は表出しにくいですから。

 内ゲバについては、それこそ2chなどの匿名掲示板経由の人は書込み回数が多ければ多いほど、たびたび他人と意見が割れる経験をしているはずで、仰るとおり(ですよね?)ある程度の意見の相違には慣れている人も多いかと思います。ただ旧(?)左翼陣営と違い、組織化されたグループのそれぞれにトップや幹部がいるわけではないので、露骨な人間関係を含めたドロドロとした内部抗争にはシステム上発展しにくいだけではないかと思います。

 なお自分も先のエントリで紹介されておりましたテストをやってみたところ、
   Economic Left/Right: -3.88
   Social Libertarian/Authoritarian: -3.85
でした。結構偏っているようです。関連エントリなどもとても面白く読ませていただきました。

 しばらく見ないうちに反映していますね。私が愛読している週刊オブイェクトのJSFさんもいるようで。小倉弁護士が素人に論破された、場所は旗旗さんのところと聞いていたので、よもやと思って覗いてみたものです。

 始めに一つ、字が薄くて見難い。

 話題は「ネット右翼」論のようだ。どこかのブログで見たことがあるが、所謂「ネット右翼」なるものは、現実世界を離れて世間体を気にしないようになった多数の国民が常識で物を言い出したものであると。
 それに、考えてみれば「ネット右翼」が問題であるというのは、単に是まで権威として君臨した革新勢力(我が定義:共産主義者とその手先)がインターネットに勃興した保守派勢力の量に驚嘆しているだけである。
 また、大挙してブログに押し寄せてアラシの限りを尽くすというのも単なる言い訳に過ぎない。単なるアラシならば管理人側に味方するものが居るはずであり、居ないというのは管理人が電波を飛ばしていて、救済の余地が無いだけではないのか。現にここはあれてないではないか。
 ここで指摘しているようだが、現象論でいえば、今まで守勢に回っていた保守派が攻勢に回っただけである。その理由は、革新派の十八番、雰囲気の支配がインターネットの匿名性に及ばなかったことだ。

ひとつ教えてください。
「単ハネ分子」ってなんですか?

Google先生でもここしか引っかからなかった・・・。

秋津巌@擧の會さんに先を越されてしまいましたが(W、
実はこのテーマって、山本七平の「空気の研究」なんじゃないの?と。
もちろん山本七平なのでこれはブサヨ批判の文章として書かれているわけですが、
どなたか知らない人の紹介の文章→
http://www5a.biglobe.ne.jp/~NKSUCKS/kuuki.html

昔陸軍、今総評という言い方がありましたが、時代が下って、今ネットウヨという塩梅でしょうか。
で、これって面白いのは、論理ではなく、「空気」がその決定権を持つという社会的な現象を、帝国海軍に失敗の例、どう考えても論理的には成功しないとわかっている方針が、「その場の空気」によって通ってしまうという現象を例に挙げられている。で、その「空気醸成法」の問題として、サヨクを批判という展開なわけですが、ここでネットウヨ(用語的問題が議論されていますが、決着が付くまで便宜上、この用語を使わせて戴きます)が行使している力、これはまさに「空気醸成法」というべき力なのではないか?
んでまあ、アホな奴はウヨサヨ問わずにいるわけでして(W、無茶苦茶な内容のコピペを無茶苦茶に貼り付けるアホな自称左翼もいるわけですが、で、「なにをアホな事してんねや」と思っていたら、恐ろしい事にこのコピペを真に受ける奴がちょいちょい出てきたりするんですね。

秋津巌@擧の會さんの言い方では「雰囲気の支配」、社会学方面では「同調圧力」、俺らなんかの言い方では付和雷同、そおゆうもんが論調を作っていってしまっているという状況。

で、そおゆうんを乗り越える作法として、「自立した個人」という主体が構想されてきました。運動的文脈で言うと「市民」という奴ですな。ところが、ネットの匿名性の中で、この「自立した個人」というもんが溺れてしまっている、という。
そおゆう話なんじゃないかな、と。

本題に戻しときますと、確かに全共闘世代の行動原理は、付和雷同です(w

秋津様>
ここでは、はじめまして!
まだサイト開設前の昨年は、いろいろと秋津様のところでお世話になりました。勉学も一段落ついて、これから本格的に活動の由。三浦小太郎さんもそうですが、右派側に会話の成立する手強い方々が多数登場してくるのは、恐ろしくもあり、嬉しくもあります。無政府主義者を自称する方もよく見かけるようになりましたし、わりとワクワクしている所もあります。
あと、私は「ネットウヨ」を右翼とは認めていないので、現在では「ネット右翼」という表記は使っていません。言葉本来の意味での単なる「ネット上の右翼」とは違います。
 
さて、このエントリーのシリーズ自体が「ネットウヨ」関連でいろいろいただくコメントやメールなどに何か反応しようという動機で書き始めたものですが、書いているうちにモチベーション下がってきて、自分でも何が言いたいのかよくわからんという、なんとも痛々しい文章になってしまいました(涙
 
もう一つエントリー書いてなんとかまとめ、その後はここいらの話題からしばらく離れたいと思っております。それにあたって皆様のコメントを読んで反応しようとすると、この(2)のように、いつまでも終わらない文章になりかねませんので、今はまだ失礼ながら腰をすえて読んでいないことをおことわり申し上げます(当然あとでまとめてちゃんと読みますが)
 
黒目様>
自分でも何が言いたかったのかわからん文章に、ある種の視点を提供いただき感謝にたえません。やっぱりちゃんと幅広い本読んで考えてる人にはかなわんなー。
 
ウィル様>
「単ハネ分子」は当時の左翼用語でして、「単独で跳ね上がる輩」つー意味です。類語で「単ゲバ主義」というのがあります。検索するなら”単ゲバ”でしてみてください。
 
たとえば、機動隊に挑発されても殴られても、引くべきときには引き、我慢すべき時は我慢しなくてはならん局面もあるわけで、そして力をためて反撃は組織的・効果的におこなうべきであると。
ところがもうこういう「統制」を拒否して、許せんもんは許せん!と、その場限りの怒りで、自分一人でも突っ込んでいこうとする人もいるわけです。こういう人は、私としては大好きなのですが(爆)、場合によっては運動全体に打撃を与えてしまうこともあります。
 
ただ単ゲバは「困ったやつだけど、正義感の強い、見ててある種痛快な愛すべき奴」というニュアンスがありますが「単ハネ」はもう本当に困った奴というニュアンスでして、こういう人はちょっとでも右翼的な人やものにはからんでいき、あっちこっちで「戦線」を開いてしまう。ここで言うネットサヨのリアルバージョン的存在かと。(今ふと「単ハネ」は私の周辺だけの方言かもしれなかったと思う)
 
あと、「単ゲバ」の反対語で「ゴリ」つーのもあった。「ゴリゴリの活動家」という意味で「中核派のゴリ」というふうに使っていました。
ゴリは機関紙やマルクスに書いてあることを教科書通りに展開するのが特徴です。自分ではそれに心酔しているので、他の人もそうなると信じています。ノンセクトなどが一生懸命に一般学生向けの大衆運動を作ろうとしているときに、ゴリが一人入ってくるとすべてをぶち壊して去っていくという(笑

若くして死んだ知人が、桜田門に単ゲバを挑み、中核派を除名された(「桜田門の変」と呼ばれた)。組織には向かなかったけど、いい奴でした。

草加さま

おもしろい回答ありがとうございます。
ために(?)なりました。

しかし、なんつーか、その「単はね」ってのと「ゴリ」(ガレッジセールか?)ってのはベクトルが違うとかかれてますが、読んでる分には性格的にあんまかかわんない人のような気もしますね。

IT業界の裏側を衝撃の告発
すっかり見落としていたのだが、何と要氏(霧島夏樹氏)が既に阿修羅でIT業界の裏側について衝撃の告発を行っていたようだ。以下その告発の重要部分を編集し、ここに掲載…

ネットウヨがどういう人たちかを指すかについては、各人で定義が違うと思いますが、私的には、「場違いな場所で政治アジを始める。それに賛同しないものには、左翼・在日等のレッテルを張る。」というものです。

例えば趣味の話しをするための掲示板で、いきんなり中国がどうの、韓国がどうの、反日がどうのとぶちまける。
「ここはそういう場でないよ」と諭すと、左翼工作員だの、在日だのとレッテルを貼ってくる。
あげくの果てには「反論出来ないんだな!俺の勝利だ!」とのたまう。
今話題の「愛国無罪」と同じ思考形態ですね。
そもそも、そういう話しをするところだとわかってないわけです。

このコメント欄にある
>小倉弁護士が素人に論破された
にもそれと同じ傾向が感じ取れました。
そもそも他人のブログのコメント欄で、小倉さんにケンカをふっかけること自体がおかしなことだと気づいていないわけです。

>ぼくとさん
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一ヶ月も前の記事にコメントご苦労様です。
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>そもそも他人のブログのコメント欄で、小倉さんにケンカをふっかけること自体がおかしなことだと気づいていないわけです。
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小倉氏が自分の所を放り出して他所様の所で言い訳を繰り返しているからですよ。「言い訳は自分の所でしろ」と言うだけの話です。

第一回ネットウヨ優秀コメント大賞を発表します
うわー、すごい怖かったです。
1日でコメントが35個、Tバックが9個にアクセスが約1000回以上です。
その前の日はレフェティーのアクセス1のみだったから、…

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