全三里塚勢力の対話と団結を求めます

solidarity3.gif●はじめに

これは、元中核派活動家のアッテンボローさんのサイトへの投稿文です。最初は「元反戦高協」さんへのレスとして書いたものです。あらかじめその草稿を何人かの方にお見せして意見をいただいたところ、私の「身の危険」を案じて公表を控えるように忠告していただく方も多かったです。「君がそこまでの危険をおかしても、おそらく相手はその真意を理解して耳を傾けてくれることはないだろう」と。

しかし「活動家性善説」に立つ私は、闘う者同士はその深いところ、いわば原点たる人間愛や正義感の部分は必ず共有していることを信じるし、お互いに自分の頭の中で作り上げた、批判相手の偶像や先入観を取り払うことができれば、必ず有意義な意見の交換ができると確信しています。
このほど、元反戦高協さんに続いて、日本国憲法擁護連合さんも似た趣旨の投稿をされましたので、それを機会に思い切って「火中の栗」を拾う決心をしました。

アッテンボロー:権力・右翼の悲鳴は心地よい
 ↑このエントリについた、元反戦高協さんのコメントへのレスとして書き始めました。
アッテンボロー:党のあり方って何だろう?
 以下、↑このエントリに投稿した文章の転載です。

●三里塚闘争の生命力について

先日、「権力・右翼の悲鳴は心地よい」(2005年12月30日)につけられた、元反戦高協さんの「現実の反対同盟の闘いを無視して、OB会を行うことはいかがなものでしょうか」というコメントを読んで思うところがあり、これに対して不毛で硬直したドグマ的な対立の拡大ではなく、何か生産的な方向の問題提起を書けないものか、それとも左派同士の対立を深めないためには書くべきではないのか、さんざんに悩みぬいた末、やはりスルーしておくべきと思いました。しかしその矢先に「日本国憲法擁護連合」さんからのコメントがあり、やはり一言書いておくのも無駄にはならないだろうと思い直すにいたりました。

私たち三里塚分裂前の活動家にとって、三里塚は単に「最重要の個別戦線」などではありません。それを超えて、まさに「革命の学校」であり「革命の聖地」でした。地元に帰ればどれほど激しく内ゲバ的に争っているような勢力同士でも、三里塚現地に入れば絶対に争わない。そこではすべての革命派はスクラムを組んで権力とのみ闘うことを求められました。意見の違いは権力と闘う実力攻防の中で試され、淘汰され、三里塚農民と全国の闘う人民の審判にかけられた。日共やカクマルの脱落は、その流れの中で当然のことであり、まさしく彼らの方針は「歴史のくずかごに投げ捨てられた」という表現がふさわしいでしょう。

こう言ってはアッテンボローさんに悪いけれども、大学に戻れば中核派が怖くて自分の主張を展開できない弱小勢力でも、三里塚現地ではのびのびと自分の意見を自由に言えました。もしそれに中核派が軍事力をもって恫喝を加えれば、非難されるのは中核派のほうなのですから。しかしながら言いっぱなしが許されるわけではない。「中核とは違う方針」を提起するのであれば、その提起が即、対権力実力闘争の鉄火の中で検証され、全国全人民の審判にさらされる。そしてその審判のみが人民内部の意見の対立に決着をつける、それこそが三里塚闘争の生命力の最大の源泉だったはずです。

●三里塚闘争分裂後の変化

それが分裂以降は一変しました。はっきり言って、当時も現在も、もし私達が「現実の三里塚現地の闘い」にコミットしようとすれば、必ず中核派の軍事力と向き合うことになる。選択肢は多くありません。中核派の軍事力の前に潰されて現地からたたき出されるか、中核派の植民地的なサークルとして存在するか、現地の闘いとは無縁に遠くから応援するだけにとどめるか、まあそんなところでしょう。

SENKI派を批判するために立ち上げられた「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」サイトにも、大党派がヘゲモニーを握る大学での、弱小ノンセクトの悲哀が描かれていますが、ことほどさように私達個人が、自分なりの闘いに立ち上がろうとするとき、最初に立ちはだかる「壁」は権力ではなく、中核派などの大党派なのです。私は大学に2回行っていますが、最初の大学では解放派、次の大学では共産党-民青との対応に追いまくられて、「対権力闘争」どころではありませんでした。「ノンセクト」だって、ある程度大きな規模になってくると、やっていることは党派とかわりがありません。だからこれは「党派の問題」でもない、左翼運動の負の側面と言えるでしょう。まったくもって不毛な限りです。つまりせっかく1億円カンパ闘争で、ばらばらになっていたかつての同士との連絡が復活し、手を取り合えたとしても、「その次」に進むための方策は非常に困難です。

こういう現状を無視して、反戦高協さんが「この現実の反対同盟の闘いを無視して、OB会を行うことはいかがなものでしょうか」などと言うことには、激しい憤りを感じます(正直に書きました。気分を害したら誤ります)。もしそうおっしゃるのであれば、たとえば「中核派には反対だし大嫌いだし消えてしまえとさえ思うけれども、三里塚闘争は心から支持しており、私もできる範囲で闘いたい」というような人でも、現地でのびのびと自由に活動できるような三里塚闘争に戻す努力が先決なのではないのでしょうか?

●左翼が生きるための「生態系」の保護

中核派のしていることは、主観的には「運動内部の誤った方針」を粉砕して、自派の「正しい方針」のもとに、闘う良心的な人を結集させるということなんでしょうが、それはかつて次から次と、三里塚闘争なり左翼運動なりに、新しい世代の「闘う良心的な人」が流入し続けていた時代の発想です。「すでに存在している人々や闘い」のヘゲモニーをとり、自派の方針の下に独占的に結集させるような発想では、短期的には伸びるかもしれませんが、長期的には自殺行為です。なぜなら、それは「左翼運動が生きていくための(多様な)生態系そのものを破壊する行為」だからです。今は、短期的には自派が「損」をしようとも、左翼が生きられるための「生態系」の復活、育成こそが問われているのではないでしょうか?

ことわっておきますが、私はたとえばインターのように、分裂の責任をすべて中核派にかぶせる気持ちはありません。また、中核派の軍事的攻撃がなければ、熱田派系がすべて二期決戦を実力闘争として闘えたとも思いません。それは全然別の問題です。私はむしろ他人への批判よりも、そちらの主体的な方向で反省なり思索なり今後の闘いを考えてきたし、これからも考えていきたいと思います。

しかし反戦高協さんの物の言い方は、あまりにも自己絶対化であり、悪いことは全部他人せいにし、よしんばその批判が当たっている側面があるとしても、一方で自分達の存在には全くの無反省であり、三里塚闘争が縮小してしまったことへの自分達の側からの主体的な切開なり反省をお互いに持ちよるという発想がまるでなく、はっきり言ってスターリン主義的な傾向が強いと思います。

●手を取り合えた私達がなすべきこと

と、言うようなことをそのまま書いても、反戦高協さんには私の真意をわかってもらえないかなあと思って迷っていたわけです。対立を煽るだけなんではないかと・・・。

このアッテンボローさんのブログや「旗旗」などで交流を深めてきた私達はすでに、熱田派の中にも本気で、二期決戦勝利のためなら
自己の命が滅んででも闘う決意を持った人が大勢いたことを知っています。そして中核派の人々もまた、謙虚で静かな闘士を燃やし、自己の人生を人民に奉仕するために捧げようとした最良の人々がいることも知っています。もう互いに自分の頭の中だけで作り上げた「脱落派」だの「内ゲバ主義者」だのを批判しあうだけの不毛な関係ではないと信じています。

もちろん意見の違いはあるでしょう。しかしこうして、まるで奇跡のような偶然の積み重ねの中で、ようやく手を取り合えた私達が、対権力闘争前進のために、三里塚闘争勝利のために、事態を1ミリでも進展させることができないものなんでしょうか?この期におよんで、まだそこまでいがみ合わねばならない理由があるんでしょうか?

中核派への恨みも怒りもすべて捨てます。いつでも手を差し伸べます。しかし批判は忘れません。おかしいと思うことはそう言います。
「赦す。しかし忘れない」そして「共に闘わん」。同じ態度を元反戦高協さんらにも求めます。それでもまだ私は「反革命」でしょうか?

●関連リンク

党のあり方って何だろう?(アッテンボロー)
全三里塚勢力の対話と団結を求めます(旗旗)
元反戦高協さんへのレス(1(旗旗)

年中行事、あるいはアホのひとつ覚え(despera)
「共同声明全記録あとがき」(鹿島拾市)
小林さんの文章を手掛かりに- 戦旗派体験総括への道(1)
「規約」の思い出(三里塚など)
蔵田さんの回答書への読書感想文
つうかあんたらまだコミュニストなの?

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3件のコメント

草加さんこんにちは。ここのホームページはよく見ています。今回アッテンポローさんのブログに私が書き込んだ内容に対し、草加さんがコメントされました。それについての私なりの意見をアッテンポローさんのブログに書こうか、それとも草加さんのこのホームページに書こうか考えました。で、草加さんの書き込みが、アッテンポローさんのブログにトラバっているので、その元に書き込むこととします。

まず
>私の「身の危険」を案じて公表を控えるように忠告していただく方も多かったです。

これってネットウヨの”中核派人殺しキャンペーン”じゃないか、と思います。一体どこにネットで中核派批判をしたら身の危険を感じることがあるのでしょうか。第一アッテンポローさんのブログでも自己紹介していますが、私は現役の活動家ではありません。でもつながりはあり昨年は11・6集会に参加しました。その程度です。。。

さて本題ですが、草加さんが三里塚に対する思い入れ、左翼に対する思い入れなどを否定する気はありません。それは草加さんの感性であり、草加さんの思想であり、草加さんの人生だと思うからです。また”左翼の生態系の保護(この言い方が客観的で気になるが)”との問題意識も私なりの理解で賛同できます。ちなみに82年ごろまで戦旗派とは党派政治と、それとは別の個人的な人間関係でチャンネルがありました。。。

問題は私の発言の趣旨などですが(以下引用は草加さんの文章の中での順になりませんが、ご容赦のほど御願いします)

>「現実の反対同盟の闘いを無視して、OB会を行うことはいかがなものでしょうか」

と私が言いますのは、今現在も反対同盟は闘っており、その闘いと無縁な”会”の存在に異議を感じました。その反対同盟は3・8分裂と言うある意味で敵の攻撃を乗り越え、今日まで営々と闘いを継続しています。草加さんが今回のカンパ運動それ自体反対同盟と関係ない(んな訳がないのだが)、と言ってしまえばそれまででしょうが。なお3・8分裂の問題はここでは割愛します。

>中核派の軍事力の前に潰されて現地からたたき出されるか、中核派の植民地的なサークルとして存在するか、現地の闘いとは無縁に遠くから応援するだけにとどめるか、まあそんなところでしょう。

何を根拠にこの発言はあるのかな。三里塚現地には今も多様な運動が存在しています。残念なことですが脱落派・条件派の運動もあり、こういうような運動が”中核派の軍事力の前に潰されて現地からたたき出されて”おりません。また現地での運動体は”中核派の植民地的なサークルとして存在するか”とはどこの運動体を指しておられるのか、これも疑問です。中核派の現地行動隊もいれば、他党派の運動体、ノンセクト・市民団体と多様です。

草加さんがこのように書かれると、三里塚現地は中核派の恐怖政治があるがごとく、と理解できますが以上述べましたようにこれは現実的ではないのです。

>つまりせっかく1億円カンパ闘争で、ばらばらになっていたかつての同士との連絡が復活し、手を取り合えたとしても、「その次」に進むための方策は非常に困難です。

だから何故「その次」の進めないのか、それは現実の反対同盟を中心とする三里塚の運動に向き合っていないからだと思うのです。私も草加さんのホームページ、私の友人のホームページ(12・24壇上に立った者です)などで最初は1億円無理かな~と思っていましたが、10月ぐらいからあれよ、あれよと見るばかり実現できたことは、三里塚闘争に対する歴史的な重さを改めて感じました。

「その次」を考えるとき、もしもこの運動が現実存在する反対同盟と、その運動に結びつけばと言う思いもありました。国家権力の支配の理不尽さは今も昔も同じ、と言うより今の時代の方がより狡猾で露骨なものと思います。この国家権力との闘いの芽を潰さず、闘う人民の意志を持ち続けたいと言う思いです。

横レスです。

元反戦高協さんの
>これってネットウヨの”中核派人殺しキャンペーン”じゃないか、と思います。一体どこにネットで中核派批判をしたら身の危険を感じることがあるのでしょうか。

とのコメントについて。

そういう「身の危険」を感じざるをえなくなるような所業に少なくとも私は手を染めてしまいました。
もっとも最近知り合いの息子さんがいわゆるネットウヨみたいな考えにハマってしまい、彼から杉並で中核派をからかった経験を聞くという貴重な機会を得て、「ああ、わが派(笑)もここまでなめられるようになったか」と感じたものでしたが。
私自身の経験から、たとえいまだに中核派がそうした「身の危険」を感じさせてしまうことについて今は根拠がないんだとしても、その責任は「戦争責任」を総括できない中核派にあげてあるのだと言い切りたいと思います。「戦争犯罪者」の一人として。

80年代後半から90年までの過程で私(たち)が行ったことは、とりかえしのつかない(豊かな発展の可能性のあった)運動の破壊でした。

私が少し関わった「ロフトプラスワン襲撃を許さない共同声明」が引き合いに出されているので、ちょっとだけ意見を述べます。

「全三里塚勢力の対話と団結」がそれほど重大な課題とは、私には思えません。三里塚闘争はかつては「革命の学校」であり「革命の聖地」だったのかもしれませんが、現在は単なる消化試合です。中核派に対話を求めるのも意味があるとは思えません。中核派に求めるべきなのは、数々の暴力についての謝罪、被害者への補償、党派の解体でしょう。従軍慰安婦問題や拉致問題と同じです。

元活動家や現役活動家に顔を向けて(内向きに)議論するのではなく、彼らに背を向けて(外向きに)議論するべきなのでは? まだ過去の想い出だけで生きる年齢ではないはず。

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