by 中野由紀子
昨日、mixiでサラ・ジェシカ・パーカーとIKKOとなべやかんとマイミクしました。誰でもなれるんですけどね。
サラと私はお誕生日が一日違いでした。(歳は違いますよ。私の方が年下ですからね)
先日、「十牛図(じゅうぎゅうず)」というものをチェ・ソーカが教えてくれた。
十牛図とは、禅の悟りの道を現した絵とでも申しましょうか。
「中学生にもわかる仏教」のページによりますと・・・
一、尋牛(じんぎゅう)
牛を探しにいく。精進、そして自分探しの第一歩である。
二、見跡(けんせき)
牛の足跡を見つける。
これが、自分探しの手がかりをつかむ一歩になる。
三、見牛(けんぎゅう)
牛の姿をほんの少し見る。
自分にそなわっていた仏性を垣間見る。
四、得牛(とくぎゅう)
牛を綱でつかまえるが、牛は逃げようとするので懸命に引きよせる。
本来の自分がまだものになっていない状態である。
五、牧牛(ぼくぎゅう)
牛を飼いならす。
ただ、この後も牛と自分が一体になるわけではない。
まだまだ修業が必要な状態である。
六、騎牛帰家(きぎゅうきか)
牛と一体になる。
自分自身を発見し、あなた自身もそのことを知る。
七、忘牛存人(ぼうぎゅうそんじん)
もはや牛のことすら忘れる。
無我の状態にある。
八、人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう)
悟りをも超越し、「空」の世界の中にいる。
九、返本還源(へんぽんかんげん)
空の世界から、もともと自分がいた世界に戻ってくる。
水の青さ、山の緑をありのままに見る。
十、入廛垂手 (にってんすいしゅ)
日常生活の中に戻り、人々のために尽くせるようになる。
本来の仏性を見出した段階というべきか。
うーむ、なるほど。
牛と一体になってこそ自分自身を発見できるのかー。へー
「七」の段階にいたっては‘牛すら忘れる’無我の境地だ。ほー
牛を探しに行ったが牛を忘れるんだから、
二階に行ったが何を取りに来たんだったかを忘れるみたいな(違うよ!)。
で、なんで急にこんなことを教えてくれるのかとソーカ師匠に訊ねました。
『牛に乗った(私の)姿があまりに悠々としていて似合っていたから』。
昨年の「(故)倉敷チボリ公園」で、牛の乗り物(アトラクション)に乗って園内を巡った際の私の写真を見てそう思ったんですってよ。
これって絶対、褒め言葉じゃないよね…
では、十牛図で悟った人も悟れなかった人もこれを聴いて、三里塚の不当逮捕に抗議の声を!!
詳しくはこちら
http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/
♪見てごらん あの~ダサい服装~♪(権力のみなさんのユニフォームでしょうか)
◆RC SUCCESSSION ブン・ブン・ブン
そんなゆきちゃんに拍手を贈る
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