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四、課題に応えるための政治的観点
わが同盟がますます厳しく困難な情況性の中に突人していかざるをえないのは、日本階級闘争の政治的質がますます鮮明なものとなっており、中曽根の権力再編の進行につれ、権力弾圧もますますあくどく、執拗なものになっているからである。だがこのことは別の言い方をすれば、人民の勝利の進撃に連動しておこっている事象であり、わが同盟が後退しているからではなく、前進しているからこそもたらされているものである。
われわれが組織力を伸張させ、日帝権力との対峙関係を強めているがゆえの困難、弾圧の激化、担うべき任務の拡大であることをがっちりと確認し、文字通り党と人民の勝利のために己を捨てて闘い抜くことを再確認せねばならない。
そのために革命者としてのわれわれに問われることは、第一に世界史を対象化する主体になることである。
ロシア、中国、キユーバ、ベトナム、ニカラグア、どんな革命史をひもとこうと、それが歴史に対象化されるまでは、常に勝利への道は苦難の連続であった。その苦難の連続のなかで歴史の現実を生き続けること、それが革命者としての生きざまであり、思想性を生きるということの真実の姿である。しかも忘れてならないことは、観念をコネくり回し空想にふけるばかりの小ブルではなく、闘うプロレタリアートは、その激動の中に自己の生活をつくりあげ、革命的楽観主義の精神をもち、たくましく、あっけらかんと、素晴しい人生を切り拓いているのである。その点でわれわれはもっともっと帝国主義を打ち破り勝利した人民、ベトナム人民や中国人民に学ぶ必要がある。
同時に、歴史に対象化された長征の話は波乱万丈であり、感動的であるが、現実の長征は困難の連続であり、生きるか死ぬかの闘いの日々であったということを対象化しきり、現在のわれわれをとりまく困難と比べてみることが必要である。
そうすると見えてくるものは何か。
人間的諸力の全的発現の状態、世界史に刻まれた人民の苦闘とそれをのりこえた力、それらに比せば、まだわれわれは力をフルに使いきっている等というには程遠く、巨大な余力を残している。われわれの力は現在に固定化されるものでは断じて有り得ないのである。それが歴然としてくるのだ。
シベリアに流刑されたり、家族全員が皆殺しにされたり、虎の檻に入れられたり、ありとあらゆる弾圧、抑圧に全世界の闘う人民は耐えぬき、勝利をもぎとってきた。
だからわれわれもそういう腹を固めて、勝利のために断固としてがんばりぬこうではないか。
革命者は歴史と対話する主体である。そのために必要な知識、イデオロギー、物の考え方、それをわれわれは有しているのだ。このことを無駄にしてはならない。それをフルに活用し、世界史を対象化し、人民の勝利のために献身している自覚を高めあげること、これが最も必要な観点である。
第二には経験の蓄積が主体を鍛えるということを、正しく理解しなければならない。それは歴史的対象化にはそれ自体年月が必要であるが、その年月を生き抜き耐え抜く、まさにそこで自己を支えぬくことの連なりが主体的力を生み出す関係を理解せねばならないということである。
もう少しわかりやすくいうと、たとえば肉体の力を増強しようとする場合でも、それが筋力であるならば当然ウエイト・トレーニングをおこなわなければならないわけである。最大筋力の四分の三から三分の二程の負荷を、不断に増量しつつトレーニングを続けると、筋力は細胞分裂をおこして増大する。そしてその断面積の大きさは、筋力と正比例する関係にあるということが解明されている。
人体生理学的にいえば、たとえば骨であったとしても、不断にストレスを与えつづけないと退化し、モロくなり、折れやすくなるといわれている。(これをボルフの法則という=骨の形ができあがると骨の成分はそれに働く力の方向にそって形成されたり除去されたりし、又それに働く力の強さに応じてその量が増減する、というのがその内容である)これと同様のことは、人間の心的諸力・精神力の形成についてもいえるだろう。
われわれが主体形成をいい、普遍的人間への自己の発展をめざすというとき、そのためには応分のストレスが必要であり、そのストレスを受けとめて対応しきるときにのみ心的諸力・精神力は鍛えられ、より強い階級的主体へ、如何なる試練にも耐えぬける革命的共産主義者ヘの発展は克ちとられていくのである。この回路をへずに、ストレスを回避し、自己錬磨のきっかけさえつかめぬような安住の地で何年間の年月を経ようと、それは主体の強化、発展には連ならないのだということを、われわれは知らなければならないのだ。
別の言い方をするならば、だからこそわれわれは決して現在の経験を無駄にせず、それを蓄積し、試練に耐えぬくことによってより強い主体へと生まれかわっていかねばならないのだ。
ふりかえればわが同盟は八三~八五年にわたる中核派の党派戦争宣言下の闘いに耐え抜いた。だからそこにおいて応分のストレスを受けとめ、みずからの役割りをはたした者は、間違いなく強化され、より強い主体へと発展したのである。だがそこでの攻防から逃げだし、牧歌的な過去へのノスタルジーのみで生きようとしたものは、同様の試練がこの先ふりそそいだ時にも、それに耐えぬくことは決してできず、ただ理念としての革命の理想を語るだけの存在にしかなりえていないであろう。
ここで声を大にしていいたいことは、現下のわが同盟の中堅カードルは、みなこの試練に耐えぬいてきた者だということだ。そしてこの試練に耐えぬいてきた同志が、今かりに自分の部署を守ることに困難を感じるとしても、そこで耐え、その役割りを担うことに心血を注ぐならば、必ずあと何年かたてば、何の労苦も感じずに現在の役割りをはたせる存在になれるということである。
この観点こそ是非とも全同盟のものにせねばならない。
えたいの知らぬ精神主義を強調しているのでは断じてない。活動をはじめた当初、革命運動の骨格が理解できなくとも、しかるべく努力すれば、革命者としての自覚を持つようになったときには誰でも困難に対処できるようになるという自明の理を、今ここで述べているのである。
ゆえにそれが権力の破防法弾圧であろうと何であろうと、現在の試練に耐えぬこうとする気概、ストレスを回避しようとするのではなくそこで生き抜こうとするパトスさえあるならば、誰もが戦闘的革命者への自己止揚をとげることはでき、その回路を経ることによってのみ不抜の革命家が作り出されていくのだということを確認したいのである。「己をみかぎるな」とはそういうことだ。その観点に立つ精神の連なりが、わが同盟を支え、事実わが同盟は第二次ブントの「ロンリー・ウルフ」の位置から、今日の地歩にまで、みずからの位置を独力で高めあげてきたのである。
われわれ戦旗・共産同は断固として、あくまでも「勝利を持続させる党」をめざし闘い抜く。
全党全軍の同志諸君が、かかる観点において試練に耐え、己を鍛えあげることをゆえに切に要望する。
第三には、さらにその前提をなす命題として、革命運動の外延的発展には常にそれを担う主体の内延的発展がともなっていなければならず、革命運動は人間変革=己が己をこえていく闘いの連なりだということを、断じて忘れてはならないことである。他者との関連を持たぬ自己完結した主体が組織を創造するのではなく、組織創造性とは他者との共有性のうちに、己みずからが共同主観を担いつつ作り上げる主体が持つ特質であることを、忘れさってはならないのである。
革命運動は人間が担い勝利を治める闘いであり、すベてにおいて人の要素が第一をしめる。如何に機構化しようと、システム化しようと、それを支えるのは人の要素であり、政治的資質の問題とは、状況に応じて対処しきる己を作り上げる主体の可塑性=自己変革性以外のことではない。
そして革命者は、どんな存在にもなれるのだということを、勝利した人民はおしえてくれているのである。革命的現実主義の立場にたち、空語性・観念性を排して、如何にして困難に打ち克つのかを思考しつづけ、かつそれを実践する、そうした革命者の創造性・不屈性を本気になってわれわれは自己のものにしなければならない。
その点での曖昧性、わが戦旗・共産同の前進の根拠を主体化しえず、自己に拘泥したり、作りかえられない自分をあくまでも第一にすえようとする傾向は、われわれが主流派になり、人民に対する領導性を発揮しようとすればする程、ますます払拭されるべき傾向である。
要するに、八〇年以降のわが同盟の前進に対して、わが戦旗・共産同の全成員は、徹底それを追体験し、党の前進を己の前進として自己自身の上に刻印することが問われているのである。いつまでもマイナーであり、いつまでもサークル的であり、いくら年をとっても自分だけしか見ていない存在であっては断じてならないのだ。
与えられた部署で全カをつくすのは党是であり、われわれの掟である。組織が組織として勝利するためにはその掟を己のものとすることが必要であり、自分を作り変えようとし順応することは自明の理だ。
戦争を闘う党にあっては、えてして機能主義におち入りがちであり、かつ主体の変革=人間革命の問題は、どこかに吹っとばされてしまう傾向に不断におち込む。だがわれわれがめざしているのは、あくまでも人間の全的解放、普遍的人間への接近、人間として最高の段階に達しようと欲する努力の連なりであることを、だからこそ再度想起しようではないか。
八五年階級攻防においてわが同盟は苦闘のうちに勝利をおさめたが、この点では幾多の不充分性を残した。わけてもそれは、わが同盟の共同主観を学ぶことに必死の若き同志達よりも、アダチ分派以来の古参カードルに顕著に発現し、主流派になることに耐えきれずに「昔は楽でよかった」などと、全く年寄りじみた厭戦思想を語ったり、組織の現状から遊離していく自分を不断に合理化する傾向として発現した。
それらはみな、革命者が自己変革しつづけることを重要な課題とすることを忘却した、サークル的主体の在り方だとしかいえない。
八六年階級攻防の勝利のためには、禁欲主義とか倫理主義などの逃避的形態におち込む形ではなく、今日までわが同盟が対象化してきたことを己のものにするという観点で、ガイスト的にいえば、あくまでも組織に対し、党に対し責任をおうことを己の死生観にすえつけることによって、あらゆる困難に対処し、刻苦奮闘しながら、わが同盟戦旗・共産同の未来に、全成員が己をささげていこうではないか。
殉革の精神を神棚にまつりあげず、己の血肉として、勝利をおさめるのだ。
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