三里塚(成田)空港建設が閣議決定されたのは1966年。それからちょうど40年後の2006年は暫定滑走路の延伸問題が焦点化していた。同滑走路のせいでジェット機は民家の頭上すれすれに飛ぶようになってしまった。
このドキュメンタリーは、その一番の被害地区である東峰地区の農民である石井紀子さん、石井恒司さん、萩原進さんらのインタビューから、今は条件派や推進派になってしまった人、さらには建設を進める成田空港(NAA)側の人間にもインタビューを試み、問題を立体的に浮き彫りにしようとする。そこから見えてくるのは空港のいきあたりばったりでいい加減な建設、話し合いなど二の次で「とにかく出て行け」という慇懃だが実は暴力的な会社側の姿勢だった。
閣議決定当時、地元には事前の同意はおろか、説明も、一方的な通告すらなかった。地元の農民は「決定」を報じた新聞記事を読んで自分の村が潰されることを初めて知った。そして機動隊がやってきた。話し合いを求める農民を「もう国が決めたことだ」と蹴散らした。戦前の谷中村事件に匹敵する暴挙だった。
それから40年。強引な空港建設のため、空港は未だに半分も完成していない。民衆を虫けら扱いするような奢った政治手法の典型的な失政だった。その失政のしわ寄せを受けるのは不便を強いられる利用客と、そしてなによりも土足で踏みにじられる農民たちなのだ。
農民が求めているのは、こういう全過程を含めた空港問題の総括であり、このような問題を生み出す国家のあり方をこそ問うているのだ。それに応える義務が空港会社と政府にはある。だが政治家も官僚も「謝罪」や「反省」を口にしながらも決して責任をとろうとはしない。「もう決まったことだ」「とにかく出て行け」という態度にも変わりはない。これはこの国に住む私たち一人一人にも突きつけられた問題なのだ。空港問題の「解決」とは、補償がどうのとか「足して2で割る妥協」のような底の浅い問題ではないのである。
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