「小説三里塚」第三章 闘争(前半)

投稿者:草加 耕助

戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる

第19話 委員長選

自作の彫刻「闘う大木よね」とともにカメラに収まる戸村一作反対同盟委員長 最後の部落集会が終った翌日の一九六六年六月二五日の午前だった。木の根の木川武治、岩沢辰巳、高橋裕次、古込の石井幸助らと、他に二、三人が連れ立って、三里塚の戸田以策の家を訪ねることになった。目的は彼を反対同盟の委員長に推すためだった。

 まず、委員長候補に挙げられたのは、古込の開拓組合長の神崎道夫、鬼ヶ作の遠山農協理事の栗本正信、それに三里塚の戸田以策の三人だった。彼等はすでに神崎と栗本に当たってみたが、思わしくなく、戸田に頼み込むために行くことになったのだ。委員長選にはいろいろと論議もあり、空港敷地内の者を選ぶべきだという意見もあったが、適任者が見当たらず、そこで敷地外の戸田のところにいくことになった。
 それに戸田は武治が知るように、富里から空港反対運動に参加していたということもあって、「戸田」ということになった。戸田は農民ではなく、元来クリスチャンで、信念があり、変わり者のところもあるが、結局「戸田なら任せられる」というみなの意向だったのだ。

 行ってみると戸田は裏の工場で、酸素溶接の最中である。作っているものはと見れば、機械ともつかない、まるで得体の知れないグロテスクなものだった。彼は今年の九月の、二科展出品の制作中だったのである。バーナーの火を吹く音と、黒眼鏡のためか、人が近づいて一向に気がつかぬらしい。

 ようやく彼は呼ぶ声に気づいたか、吹管のバルブを切って火を消した。そして眼鏡をはずした。
「お忙しいところどうも……。戸田さんこれは一体何ですか。機械じゃねえでしょう」
 武治は、何度も首を捻った。どう見ても解らないらしい。
 戸田が説明しかねていると、岩沢辰巳が気を利かしたようにしていった。「木川さん、これは彫刻ですよ」
「えっ、彫刻?」
 武治はまたも首を捻って、訝しげに眺めたが、どうも不可解でたまらないという表情だった。

「ほら店先や庭にたくさん並んでいる、あの彫刻ですよ。戸田さん、これは今年の出品作ですか」
「そうです」
 戸田は頷いた。すると武治が尋ねた。
「何ていう題名ですか。少し説明して貰わねえと、小人らには何にもわかんねえ」
「いや題名はこれからつけるんです」
「何か魚みたいな格好に……」
「説明しないで卒直な心で見て貰えればそれでいいんですよ」
「何かこう大きな魚が、腹痛でも起こして苦しんで……」
 という武治の言葉に、みんなどっと笑いこけた。武治は何か失礼なことでもいったかのような表情で、戸田の横顔をみつめた。

 戸田は半ば満足そうな顔で、未完の作品を指差していった。
「そうです、木川さん。そのものずばり……。水を奪われた魚がそれをとり返そうと今必死になって苦闘しているところ……」
「……」
 暫く無言のままだった武治は、わが心得たりとしていった。
「……なるほど、百姓が土地奪られたら、水から揚げられた魚も同然、干乾しになっちゃうよ」
「戸田さん、わたしはよ、入ってくるなり、でっかいポンコツが置いてあると見ましたよ。アハ……」
 この大工の高橋裕次の言葉に、再び爆笑が起こった。苦笑した戸田は、それに答えた。
「それもずばり、そのものかな……」
「ところで戸田さん、お忙しいでしょうが、少し時間を貰えませんか」
 武治は改まった態度で戸田にぺこりと頭を下げた。

 戸田の仕事場は工場兼アトリエで、それは彼の祖父丑之助の建てたもので、今から八〇年前のものだった。天井の棟木が太い材木でがっちり組まれて、棟木まで高さが六メートル以上もあった。棟木からは彼の作ったモビール彫刻が下っていて、それが、軽く舞っていた。
 俗にここを「かじゃば」といって、燻って真黒になっていた。「立ち」も高く広いので、相当の大作もそこでできた。だが傍には農機具の修理品などが、雑然とおかれてあって、広い作業場も狭く見えた。

 戸田は辺りを見回し、腰かけを一つ持ってきて武治にすすめた。武治はそれに腰を下ろすと、神妙な面持でいい始めた。
「戸田さん、実は……」
 すると、傍からそれをひったくるようにして石井幸助が、例の早口上で切り出した。
「戸田さんも知ってるでしょうが、空港がきたからにゃ、われわれも黙っていられない。早速、同盟を結成して委員長を立てようということで……」
 そごまでいった時、大工の高橋が石井の肩をポンと叩いていった。
「何だよ石井さん、木川さんの言葉をひったくってよ……」
 石井ははにかむにようして、「まあ、そういうわけで……戸田さん」といって、武治の方を向いて黙った。武治がその後を継いで、いった。
「戸田さん、今、石井さんがいった通りで、実は戸田さんにわれわれの委員長を引きうけて頂きたいのですが……」

 戸田は何もいおうとしなかった。すぐにでも制作にとりかかりたそうに、土間に置いた吹管を取り上げたが、思い直したように再び元に置くと、一同を見回してから口を切った。
「それはやはり敷地内の農地を持つ農民の中から、選ぶぺきでしょう」
「いや、土地のあるなしは問題外――やっばり信念の人ですよ、信念の……」
 武治は戸田の言葉を打ち消すようにして、彼の顔をじーっと覗き込んだ。戸田は返答に迷ったという表情だった。

「戸田さんは富里の空港反対からやってたでしょ、その時は俺らまるで川向ごうの火事でも見る気だっぺよ」
「そうだよ、俺らも今となれば富里と一緒になってやってればよかったよ。こんなことにゃならなかったよ」
「いや、俺らだって団結すりゃ、やれるよ。二六年血と汗の結晶の土地だもん。いくら政府だって渡せねえっ」
 黙って考え込んでいる戸田を前にして、彼等の話がひとしきり続いた。暫くすると、戸田がいった。
「それにしても、直接、土地を持つ農民を代表に立てて闘った方が、ねばり強い闘いができるのではないでしょうか」
「ではまた明日返事を貰いにきますから……」と、彼等はぞろぞろと帰っていった。

 戸田はやりかけた作品の前に佇んで、ひとり想いに耽った。彼は富里に関係していたし、突如、三里塚に舞い込んできた空港に、大きな憤りを覚えていた矢先だった。その怒りを九月出品の彫刻作品に託して、懸命に努カしていたのだ。実のところ戸田はそれ以前に開拓地を訪ねて、彼等と今後の対策と方針を相談しようと思っていた。そこへ突然、彼等の訪問をうけたのだ。予期しなかっただけに彼は面食らった。

 そもそも弟の義弘を中心に数名足らずの同志と、富里空港の反対運動に起ち上がった、そのイニシアティーブは何だったかと戸田は考えた。その一切がキリストにあったのではなかったか。ただ、それだけのことだ。国家権カによって今、農地を奪われようとしている農民、その中に入っていくこと――そのことがキリストを生きることだと知ったからである。

 そうした意味で、すぐに農民に応えて起ち上がるべきだ。それが現在の自分の生きる道だと考えたから、戸田は富里にかかわったので、その他の何でもなかった。たとえ、自分が今度、「委員長」になったとしても「指導的役割」とか農民のためにとか、そんなことを詮索する必要は微塵もないのだ。
 だから何も特別に「委員長」という名に、こだわる必要はない。そもそもそうしたことを考えるそのことが、闘いの邪道であり、絶対最後までそうあってはならない。あくまでも自己自身の問題としてこれを捉え、真に闘いを生きる以外に、自己の生さざま死にざまはないのだと、戸田は心に誓った。

 だが、農民から農地を奪わんとする国家権カは、得体の知れない怪物だ。佐藤政府は初め富里を操り、そこに空港を作るように見せかけ、急拠方向を変え、成田市三里塚にこれを決定した。実に老獪にして陰険な策謀だ。三里塚は富里とは違って、深刻を極めるであろう闘いの予感がしてならなかった。
 これとどう対決し、闘いを挑むべきかは、戸田にとってもまだはっきりしたものがなく不安定だ。だがこれに責任をもって、いかに対決していくかが、今後の重大な課題だ。

――考えれば考えるほど、心は重く、責任の大きさを覚えた。とにかく農民の中に入って、ともに生きる以外に道はない。必ずそこには、闘いの展望があるはずだ。
 戸田はかつてない明るい面持ちで、立ち上がった。黒いサングラスをかけると、再びガスバーナーに、火を点けた。アセチレンガスは青い炎を鋭く尖らせ、音をたてて燃え上がった。熔接棒がスバークして、線光花火のように散った。

 その翌日の午後、間違いなく再び、武治に高橋、岩沢、石井らが揃ってやってきた。戸田は「後継ぎができるまで……」ということで、ついに委員長を引きうけることになった。

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