戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
第42話 侵入者
静寂な午後の一時――連打するドラム罐の音が、岩山部落に鳴り響いた。急に部落の中がざわめき立った。――見ると手に手に何かを持った部落の者が、家から飛び出して道端に現われた。
庭先で上半身素裸で薯床の手入れをしていた岩沢藤助も、慌てて道端に飛ぴ出してきた。すぐ前の斎藤文雄の娘が立っていたので、叫んだ。
「何だい、どこだい」
「隠居だどよ。じいちゃん」
「何? 隠居」
「うん隠居の家さ、公団がへえっただとよ」
藤助は道端に落ちていた手ごろな棒を見ると、歩きながらそれを手早く拾った。藤助は真冬でも上半身裸のことが多かった。藤助は六〇を越していたが大巨漢で、いつもかかさず焼酎をチビチビ飲んで、半ばアル中になっていた。藤助は足がふらついて、一、二度膝をついて転倒した。
村人が走って行く。
「隠居」の庭に着くとすでに村中の者が、黒々と人だかりして庭いっぱいだった。田んぼから上がってきたか泥だらけの者や、手に鎌を握っている者さえあった。
「公団はどこだい、この野郎」と、藤助は棒を片手に、大声で怒鳴り散らしながら、前面に躍り出た。
「公団を出せっ」
隠居の家は木村信二といって、当初からの条件派だった。家の中は深閑と静まり返って人気がない。
入口のガラス戸は、固く閉じたままだった。
すると、釜場の戸がガラガラと開いて、信二の嫁が戸口に現われた。群がる村人の前に立って何かいおうとしている。嫁の両足の膝が、ガクガクと震えていた。その声も震えていたが、はっきりした口調で叫んだ。
「みなさん、屋敷の中には入らないで下さい。測量は家の方で頼んだのですから……」
彼女の声は、怒号に掻き消された。若い嫁にしては、なかなかの度胸だった。
「何っ、このあまーっ。頼んだって……」
嫁の眼を睨んで、藤助は大声で叫んだ。それに続いて、村人も口々に叫んだ。
「公団の野郎を出せっ」
「測量をやった野郎はどれだ。ふん掴めえろっ」
「早く出せっ!」
雪崩れを打って村人たちは、隠居の家に迫った。すると、嫁に伴われた五人の空港公団職員と測量土が物陰からおずおずと現われた。彼らはすぐに取り囲まれてしまい、屠所に曳かれる羊のように庭の真中に曳きずり出されてきた。
「よくもこの野郎らこの岩山へへえってきたな。生きてはけえさねえど……」
と、麻生禎和が憎々しげに叫ぶと、彼はいきなり測量士の胸ぐらを両手で鷲掘みにした。そして、力いっぱい手前にぐいと曳くと、初老の測量士はひょろひょろとよろめいて、麻生の前につんのめった。麻生はぐいとそれを引き起ごすと、いきなり横面めがけて、ハッシとばかりに撲りつけた。
バシーッという激しい音がした。農民の節くれたった拳がまともに当たったからたまらない。測量士は横なぐりによろけて、尻餅をついて転がった。
周囲でどーっと笑った。それでも測量士は大急ぎで立ち上がり、土を払いのけ、姿勢を保った。
「この野郎、蛙の面にしょんべんひっかけたような顔して……」
と、今度は藤助が棒を高々と振り上げると、測量士は素早く頭を両手で抱えて土下座した。すると、何を思ったか藤助は測量士から、急に鉾先を公団職員に向けていった。
今まで黙っておどおどしながら測量士の仕打ちを見ていた公団職員四人は、いずれも土下座して、許しを乞うような格好をした。
その時、藤助の振りかざした棒が、蹲(うずくま)った一人の背中に振り降ろされた。
すると、憎しみが一斉に昂じたか、周りで眺めていた村人が、どーっとつめ寄って四人の公団職員を襤褸布のように、揉み苦茶にし踏んづけ撲るの減多打ちにした。
中には「おいおい」と、手放しで泣いている者もいた。上衣は引き裂かれ、片袖はもぎとられ、唇は裂けて血が流れ、頭には大きなたん瘤が二つも三つも脹れ上がった。まるで四ツ谷怪談の「お岩さん」のような顔になった者もいた。
彼等は死地に飛び込んだようなもので、火の中の夏の虫を見るようだった。一人の若い男が突然、泣きながら、隙を見て脱兎のようにサーツと駈け出した。
「この野郎ーっ、逃げる気かっ」
手に鎌を持つ誰かが、追いかけた。逃げた男はすぐに掴まって、後から襟首を掴んであお向けに畑の中に引きずり倒された。男は頭を両手で庇い、海老のように丸まった。足蹴にされたまま、動かなかった。
岩山部落は四〇〇〇メーター滑走路直下で二一〇ホーンの騒音下におかれるというので、村人のほとんどが反対同盟に入った。空港公団への憎しみとその怒りは、他部落に比してはるかに強かった。そんな岩山に入ってきた彼等だから、たまったものでなかった。
「身分証明書を出せっ」
蹲ったまま死んだようになった男が、やおら立ち上がって、内ポケットから身分証明書を出した。四人ともたしかにれっきとした公団職員だ。測量士は多古町の鈴木明といった。今日は公団から頼まれて木村信二の宅地、山林、田畑の測量に来たといった。信二は村人の手前もあって、納戸の部屋にもぐったきりだった。彼は二町歩余りを熱心に妻と一緒に耕し続けてきたが、わけがあって親ゆずりの全財産を公団に売り渡してしまった。すでに千葉市の郊外に代替地を求め、飲食店を経営することになっていた。
「一体、何しに岩山に入ってきたんだ。こらっ」
彼等は立ちつくしたまま、黙って下を向いていた。
「何とかいえよっ」と、若い麻生晴一が、瘤で脹れ上がった男の頭を二、三度こづいた。男は痛さ余って、身を縮めた。
「おいっ、この野郎っ、何とかいえ……。口がねえのかよっ」
「……」
彼等は再び土下座した。
「こらっ」と叫んだかとみると、今度は藤助の右足が片端にいる男の肩先にかかった。蹴り上げられて彼は仰向けにのけぞって後に倒れた。両足を空に向けて、バタバタあがいた。
誰かが後の方でゲラゲラ笑った。
「生きてけえりたかったら、二度と岩山にはへえらねえって一札書けっ」
さっき身分証明証を見せた責任者と思われる中年男が立ち上がった。渋々とポケットから紙片を取り出して認めると、麻生禎和に差し出した。
誓訳書
今度皆様に御迷惑をおかけし申し訳ございませ
ん。以後御地岩山部落には二度と入らない事を、
ここにお誓い致します。
二月十四日 空港公団用地係
山田 保
「なんだ判こがねえじゃねえか、ちゃんと押せ。」
「生憎、今日は判を持っていませんので……」
「何っ、人の家の財産を買収に来て、この野郎、てめえの判こを持っていねえのか」
山田という男は麻生の前に、平身低頭して謝った。誰かがどこからか印肉を持ってきて、拇印を押させた。
その時、私服と機動隊の車が部落の入口に入ったという情報が伝った。村人は蜘蛛子を散らすように、さっと散った。後は何事もないかのような静けさにかえっていった。
測量士か公団かの乗ってきた乗用車が、隠居の家の豚舎の傍に置かれてあった。見るとフロントガラスは一かけらも残らず、まだ新車に近い車のボデーはベコベコに凹んでまるでポンコツ車に変わっていた。
誓約書を書いた男が呆然と立ちつくしていた。見る陰もないポンコツ車を見つめて……。
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