●第一回投票の結果予測概観
現地時間4月22日夜8時(日本時間23日深夜3時)に締め切られたフランス大統領選挙第一回投票の結果予測によると、上位四人の得票率予測は以下の通りだそうです(毎日新聞記事より)
ニコラ・サルコジ(国民運動連合) 29.6%
セゴレーヌ・ロワイヤル(社会党) 25.1%
フランソワ・バイル(共和国連合) 18.7%
ジャンマリー・ルペン(国民戦線) 11.5%
これにより、第二回投票はサルコジ氏とロワイヤル氏の「左右対決」となり、接戦が予想されているそうです。
投票率は86%強(!)第五共和制下では最高記録だそうです。うらやましい。都知事選でも反石原陣営が醜い争いをせずに統一候補で盛り上がり、投票率がせめて60%を超えていたらなあ…、などと死んだ子の歳を数えるようなことはやめておきましょう。
サルコジ氏は新自由主義者で、内相時代に移民の子孫(=れっきとしたフランス人です)らを中心とする貧困層による暴動が発生した時、事態を収拾するどころか貧困者を「人間のクズ」と発言して火に油を注いだことで世界的にも大変に有名になった人です。要するに石原都知事と同程度のトンデモ候補らしいですが、今や極右のルペン氏のお株を奪っており、今までルペン氏に対して向けられていた反対スローガンまで、全部サルコジ氏が独占しているような状態です。
一方のフランス社会党にしたところで、私には今や日本の民主党レベルの政党にすぎなくなってしまったと思えます。ロワイヤル氏はさらにそんな社会党の中でもどちらかと言えば右派だと聞いています。だからロワイヤル氏を「左派」に分類する方々や、マスコミの記事には違和感を感じます。それは日本なら「小沢一郎は左翼だ」と言うようなレベルじゃないですかね。もちろん詳しく検討した結果ではないのですが、ロワイヤル氏は菅直人くらいの中道派(あるいはもっと右)な人にすぎないのではないかなと思っています。ジョゼ・ボヴェさんは「諦めた左翼の代表」と彼女を評していますが、言いえて妙だと思います。
まあ、今回の有力4候補の中で、「トンデモ」じゃないという程度になら「普通」の候補は、ロワイヤル氏とバイル氏くらい。まっとうな保守なら、大統領選挙は本来この二人で争われるべきものだと考えるはずです。当初はこの二人が支持をわけあって、「ト」な人がサルコジ氏に集中したためにロワイヤル氏は苦戦していました。が、終盤に入って「サルコジ以外!」と考える人がロワイヤル氏に結集したようです。
そう考えますと、日本で同様の選挙がおこなわれ、かつ投票率が80%くらいあれば、やはりほとんど同じような結果が出ると思います。極右派のルペン氏が1割強をとっていますが、ネット上の極右の多さを考えれば、残念ながら日本でもこういう層が数パーセントから1割近くはあると思います。日本の極右派は自民党内にとどまってその主導権をのっとり、穏健右派を離反させない範囲でコツコツとやっていく戦略をとっているので目立たないだけです。と言うか、そのほうがはるかに危険なので、日本でも一刻も早く自民党と民主党に分散している極右派はそれぞれの党を割って、一つの極右政党にまとまってほしいものだと思います。まあ、そういう「損」なことしてまで筋を通す自民党内極右(自称:改革派)はいないでしょうけど。いずれにせよ、もし投票率が50%代だったら、先の都知事選と同じく「サルコジ圧勝」というところだったんでしょうか。
●事態の本質は「左派の絶滅」である
この現状を私のような人間の立場から一言で言えば、国政レベルにおける「左派の絶滅」という事態だと思います。中道右派のロワイヤル氏が「左派代表」とされ、保守候補にすぎないバイル氏が「中道」扱い。トンデモ候補のサルコジ氏がトップですから、一回投票制なら当選が決まっていたわけです。さらに極右のルペン氏が「有力候補」の一人です。4人の「有力候補」の中に左派は一人もいません。つまり政治の中心軸が非常に短期間に、驚くほど右にスライドしてしまって、そこから左派がはじきだされているのです。
旧左翼(私たちが右派扱いしていた人々)は「極左(ゴリサヨ)」や「石頭の化石」となり、従来から「極左」あつかいされていた新左翼系は、それがどんなに穏健な団体であろうとも「テロリスト」扱いのデマをとばされ、100%合法的なその活動が公安の「取締り対象」です。いえ、新左翼系でもなんでもない、当たり前の市民団体までそうです。それが「ごくフツーの疑う余地のない言論弾圧」だということや、このような世の中を許していては政治的な意見の左右に関わらず、すべての人々にとって日本の未来は暗いということにすら誰も気がつかない。
[Sponsor Ads]
●左派統一の失敗ここでも
フランスではこういった現状を打開すべく、今回は左派の統一候補が模索されたようですが、残念ながら日本の都知事選と同じく、足の引っ張り合いばかりで実現しませんでした。しかしそれでも日本よりははるかにマシです。フランスでは日本なら「過激派」あつかいされるような人々(実態は穏健)、環境保護のエコロジー団体や反グローバリゼーションなどの無党派市民、政府と激しく対立する農民たち(日本で言えば三里塚農民)などが、従来なら彼らを激しく非難していた共産党をもまじえて、とにもかくにも一つのテーブルにつくところまではいったのです。日本ではまだそれすら実現していません。
私はこの大統領選ではむしろ分裂したこれらの左派系候補、(トロツキスト系二人、共産党、環境保護政党、反グローバリゼーション系)の合計得票率に注目したいですね。ですが、おそらくたいした得票ではないだろうと予想しています。
なぜなら、極右がルペンに集中できたのに比較して、左派は従来通りに分裂して最初から負け戦が決定し、全く盛り上がらなかったということの他にも、前回選挙で中道と左派の票が分散してしまい、統一した極右(ルペン)が決選投票に残ってしまったと言う忌まわしい記憶が有権者に根強くあります。もしも左派が統一されて勢いのある候補が出てくれば全く違った結果になっていたでしょうが、ここはバラバラに細分化された左派の諸候補に投票するより、「よりまし」なロワイヤル氏に票を集中するという判断も働くでしょう。もし私がフランス人だったら、醜い分裂ばかりしている左派に見切りをつけて絶対にそうしていたと思います。
ですから、当初の劣勢を跳ね返して接戦にもちこんだロワイヤル氏健闘の背景にも、今までならこういう左派系候補に流れていた票が、今回は最初からかなりの部分ロワイヤル氏に流れているのではないかと思うのです。まあ、これは私の予想であって実際にそうかはわからないですよ。しかし、だとしたら、それは内輪もめばかりの左派に対する嫌気でもあるわけで、日本の私たちも肝に銘じるべきことでしょう。決戦投票でもこの左派の票は無視しがたいと思いますし、ミッテラン初当選の時は、この「極左票」がかなり重要な役割を果たしたとも言われているそうです。しかし、ロワイヤル氏は保守のバイル氏の票が欲しさに、さらに右に舵をきるような気がしますね。たとえそうなっても左派はロワイヤル氏に投票するより他に選択肢がないという惨状ですが。
まあ、そんな選択肢でもあるだけマシなわけで、私の周囲でも、今回の地方選では、「どうしても入れる人がいなくて、やむなく無効票を投じた」という声がちらほら出てきているというくらい、この国は深刻な事態にたちいたっています。日本でだって左派がまとまれば、少なくとも極右勢力には絶対に負けないだけの力は今でもあるわけですが、現実には結集軸というか、噴出口というか、みんなが幅広く、かつ安心してのれる入れ物のようなものが出てこない。どこもかしこも「うちがいっちゃん正しい!うちにくればいい」としか言わない。それどころか戦場のただ中にあって、敵の眼前で味方同士がお互いに叩き合うようなことばかりしている。確かに10年前にくらべて事態ははるかに改善されてはいますが、その改善の度合いが時代に追いついていかないのです。これはもう「人民への裏切り行為」と規定してもいいんじゃないでしょうか?
●左派はいつまで醜い争いを繰り返すのか?-現状での分裂は裏切り行為である
それにしても、いったんは左派統一候補の最有力とされながら、本人が固辞したために立ち消えとなったジョゼ・ボヴェさんが立候補宣言した時には、「すげぇ!」と一瞬思いました。なにしろ2002年の大統領選の際には「もしボヴェが立候補したら」という世論調査で「当選確実」というデータが出た人ですからね。気の早い人は「決選投票に残ることが当面の目標」とか、「当選の可能性は?」なんて言ってました。
EU憲法批准に反対した反新自由主義左派グループ(フランス共産党-PCF、革命的共産主義者同盟-LCR、緑の党、労働者の闘争-LO、など)は、「5月29日全国コレクティブ」(「5月29日」はEU憲法批准反対派が国民投票で勝利した日)を形成して2007年の大統領選挙を睨んで左派統一候補を擁立する議論を行ってきたがまとまらず、当初から名前が挙がっていたボヴェは早々と議論から降りてしまう。しかし、大統領選の左派の乱立状況に危機感を抱いたグループによって「ジョゼ・ボヴェは左派の解決的候補者になれるし、なるべきだ!」というインターネット上の署名運動が2007年初頭から開始され、半月で40,000の署名が集まった。ボヴェはこの署名の結果を受けて2007年2月1日に、「社会的、連帯的、エコロジー的、反人種差別的、フェミニスト的変革」を掲げて同年5月に投票が行われる大統領選挙への立候補を表明した。(「Wikipedia」より)
しかし事態はすでに統一論議が暗礁に乗り上げて、各派が独自候補を立てる方向が確定した後でした。だからこそ、その惨状を見かねて「左派統一の接着剤になる」という決意を固めたのでしょうけど。このあたりは浅野さんとどこか似たところがある経緯です。
こういう状況の中で、ジョゼ・ボヴェさん自身が「立候補を取り下げた」とか、「その取り下げを取り下げた」とかいう情報が入ってきて、もう何がなにやらわけがわからなくなった。それで私もこのあたりの情報を追いかけることはやめましたので、細かいところで間違いがあるかもしれませんが、ある程度の組織力があって独自候補を擁する左派は、ちょうど浅野さんを攻撃した日本の共産党のようにジョゼ・ボヴェさんを攻撃し、彼を「統一候補」とは認めず、決して自派の候補をおろすこともしなかった。結局はジョゼ・ボヴェさんも「左派統一の切り札」から、「乱立する左派候補の一人」になってしまいました。当初に感じた「すげぇ!」という気持ちも消えうせました。みすみす皆でよってたかって「左派最後の切り札」の輝きを失わせ、潰してしまったような気がします。
だってこういうのはそれぞれに言い分があったとしても、どうしたって醜い争いにしか見えないのですよ。むしろ醒めた目で見ている右派市民よりも、期待をこめて見ている左派系市民から見たほうが、よりいっそう醜いものに思えて本当に嫌になるのです。ところがその渦中にいる当事者は熱くなっちゃっているから、それがわからないのですね。そういうのは「誤解」か「曲解」か、はたまた「敵を利するデマ」だと思っているわけです。物事が客観的に見えなくなって、大局的に考えることができない、ただただ「うちが正しい!あいつが間違っている!」という発想しかできなくなる。本当に愚か極まりないことです。
あんまり愚かすぎるので、簡単に説得できると思った人が彼らのところに出かけていくと、けんもほろろに罵倒されて帰ってくる、それでもう左派の運動には関わりたくないと思う、これってホント~によくあることなんです。そういう人達には手を差し伸べ、門戸を開いておいて、後は頭が冷えるまでそっとしておいてあげるより他にしようがないと思います。へたに説得しようとか思ってかかわると、いつの間にか自分も「醜い争いの一員」になっていたというのも、これまたホント~によくあることなんですね。それもまた大衆運動の歴史における教訓ですが、いったい日本の左派は、いつまで同じ事を繰り返せば気がすむのでしょうか?
●私の立場(要望)
まず、左派は互いの違いを認めあう、複数主義に立つべきです。これは主張の正しさ以前の問題なのです。言っていることが正しいだけでは絶対にダメです。ここが左派が大衆(とりわけ無党派)に嫌われる場合の最大のポイントです。
「わが党の主張(だけ)が唯一(または一番)正しい」そして「それを批判する人達とは手を組めない、喧嘩する」という、多くの左派に共通して見られる態度には心の底から辟易しています。自分の主張もたくさんある主張の中の一つにすぎないのです。左派勢力内部ですら複数主義に立てない人々に、私たちの未来を託すことはできません。唯一主義の左派と、複数主義の保守なら、ほとんど保守を応援したいくらいの気持ちになります。
次に自分を批判する人達とも、大局的な人民の利害のためには喜んで手を組む度量です。
そして重要なのは、そういう統一戦線の内部においては、お互いに対する批判も相互に自由であるべきだということです。だいたいが、統一戦線の内部での相互批判を嫌って封殺しようとするのは、その戦線の内部における多数派が少数派を黙らせる場合と相場が決まっています。左派の統一戦線は、もしも将来において左派が政権なり社会の主導権をとった場合の雛形でもあるのです。浅野さんが「どんな選挙をするかでどんな知事になるかが決まってしまう」と言ったのもここだと思います。
物も自由に言えない、ちょっと批判しただけで過敏に反応して潰しにくる、あるいはへそを曲げて分裂したり大喧嘩をはじめてしまう、そんな雰囲気が支配しているところに、民衆は何の魅力も感じないでしょう。世間では少数派の左派勢力内部においても、そのまた少数派と多数派が存在します。そんな少数派が多数派を自由に批判して、平和的にとって代われるようなシステムが反体制派の内部にも確立されていなければダメなのです。
相互の批判さえエネルギーに変えて成長していけなくて何が左派ですか?それが左派なら、私は左派なんてまっぴらです。実際、一度は「もうコリゴリだ」と思ったわけですしね。そうではなくて、左派の魅力はそういう天衣無縫で自由なエネルギーにこそあると思うのです。そういう流れから「レーニン主義批判」をする人もいますが、私はそれはちょっと違うというか、あんまり関係ないと思います。形態を変えても同じことの繰り返しです。もっとイデオロギー的なレベルの話であり、他ならぬレーニン自身が「民主主義以上の何か」と表現した”関係性”だと思います。そしてそういうイデオロギーは、本来なら左派思想の中にこそ豊富にあると思うのです。私が「何が左派ですか?」というのはそういう意味です。
ともかく今は、ロワイヤル氏に票を集中させて、トンデモ大統領の登場を阻止し、政府に民主主義を守らせて、少数派でも生き残っていける余地を作るしかありません。
(転載)フランス大統領選挙最終得票でました 投稿者:まっぺん
投稿日:2007年 4月24日(火)15時55分8秒
※四トロ同窓会二次会掲示板より
※お口直しにより正確な資料に基づいた、第四インターファンクラブのまっぺんさんの論考を転載・保存させていただきます。
http://www.ourcampaigns.com/RaceDetail.html?RaceID=41758 より
ニコラ・サルコジ/国民運動連合(内務省長官) 31.11
セゴレーヌ・ロワイヤル/社会党 25.84
フランソワ・バイル/フランス民主連合 18.55
ジャン・マリ・ルペン/国民戦線(ファシスト) 10.51
オリヴィエ・ブザンスノー/革共同(第四インター) 4.11
フィリップ・エ・ヴィイェール/フランス行動党 2.24
マリー・ジョルジュ・ビュフェ/共産党 1.94
ドミニク・ヴォワイネ/緑の党 1.57
アルレット・ラギエ/労働者の闘争派 1.34
ジョゼ。ボヴェ/独立派(農民闘争の英雄) 1.32
フレデリク・ニハウス/狩猟・釣り・自然・伝統(エコロジー右派)1.15
ジェラード・シヴァルディ/労働党(ランベール派)0.34
●政界主流の右傾化と左派惨敗
開票率100%の各候補得票数です。ブザンスノーは4・11%、149万4000票で第五位でした。LCRが提唱していた「反資本主義左派統一戦線候補」が挫折し、左派がそれぞれ各候補を立てた結果、票が分散し、大方の予想どおりサルコジとロワイヤルの決選投票となったわけですが、反資本主義左派は全体に大きく後退し、ブザンスノーのみが前回とほぼ同水準を維持した他は全て1%台。その各候補の得票を合計しても、LCR+LO+緑+共産党+ボヴェで合計10・28パーセント。ランベール派も入れるとルペンの10・51を辛うじて抜いてようやく第四位になるところでした。ではそれがフランス左翼の実態なのだろうか?
今回、反資本主義左派票の合計は前回の2002年の時よりも後退していますが、これは「左派の後退」を意味するのでしょうか? 確かに第一位のサルコジは、内務省長官の時の暴動青年達に対する態度を見ても、保守派の中でも「最右派」と言っていいようだし、二位のロワイヤルも社会党の中では右派と見られています。そこに登場した中道のバイルーは前回の3倍近くの18%をとって第三位。だから有力候補者の多数、つまり「政界の主流」が右に傾いているのは確かです。ちょうど日本の保守派が石原、安倍を主流として右傾化しているように。
●政界右傾化と決起青年たちの受け皿
ではそれは「フランス市民が右傾化している証拠」となるのでしょうか? もしそうなら一昨年、昨年と続いた全国的闘争は何だったのだろうか? 海外領土出身移民への差別をきっかけとした暴動、そして青年の雇用差別に対する高校性・大学生の全土での決起、さらには欧州憲法否決を見れば、「フランス市民が右傾化した」と単純には言えません。青年たちの行動は、彼らが現在の右傾化しているフランス政治に強い不満をもっている事を示しています。つまり、「フランス市民が右傾化している」のではなく、選挙における選択肢として「右派の選択」しか提示されない状態にある。だから選挙では右派が勝っても、選挙以外の政治的表現では全国的決起が起こるのだといってもいいでしょう。
問題は、これらの決起を選挙闘争においても受けとめられるような「受け皿」として左翼が伸びていく事です。LCRが「反資本主義左翼統一戦線候補」擁立を目指したのも、この受け皿を作る事が目的であった事はまちがいありません。今回の大統領選挙に向けて、そのための協議機関として、欧州連合憲章否決の闘争の時に全国的に発生したコレクティブ(自主的評議会組織みたいなもん?)が活躍したのですが、共産党がセクト主義的に自派系のコレクティブをたくさん作って多数派工作を行ったとか。
http://www.jrcl.net/web/frame07049f.html
●左派統一戦線候補擁立の失敗
統一戦線候補擁立の努力が失敗した原因は、そうした共産党のセクト主義もあるでしょうが、統一戦線会議に向けて結集した共産・緑・ボヴェ・LOの各派が、結局「自派の候補を統一戦線候補にする」事を第一の要求とし、「反資本主義左翼」として社会党との連立を拒否する事の重要性を曖昧にしたからであるようです。左派の各派は、共産党にしてもボヴェにしても、社会党との共闘(入閣)の可能性を拒否しなかったわけで、もしこのまま統一戦線が成立していたとしたら、結局、社共緑にボヴェが加わっただけの「左派連立政権」が誕生する事になっていたかもしれません。
「右派を打倒するためにはそれでもいいじゃないか!LCRはセクト主義である」と言うべきだろうか?「保守派の浅野氏を擁立する左翼が、社会党を拒否するのはおかしい」と言うべきだろうか? 日本とフランスの違いがそこにあるようです。フランスでは長期にわたって社会党連立政権が政治を担当してきました。ところがその社会党支配下のフランスで福祉は削られ、貧困や失業の問題は深刻化してきたのです。つまり多くのフランスの貧困者にとって社会党は「資本主義の害悪を押しつける加害者」として理解されており、それを乗り越える勢力が登場しなければ「右でも左でも同じじゃないか」…という事であると思われます。フランス社会党は弱者の立場に立って福祉を重視することを掲げた浅野氏よりも「右」なのです。
●2002年と今回の投票動向の分析
フランスの左派市民もまた社会党を「右」と理解していました。それを示すのが、前回2002年の大統領選挙の結果でした。第一回投票では、政権党は右派も左派も得票を激減させました。そのためにルペンが第二位に浮上し、社会党ジョスパンが僅差で破れたために、右派シラクと極右ルペンとの決選投票となったわけです。この時、「政権党が得票を減らし、極右と極左が増大した」事実は、市民が左右両方の政権党に失望したからです。左派市民は「より左」の、右派市民は「より右」の「根本的解決」を求めていたからに他なりません。これが極右と極左の拡大の理由です。またフランス市民が右傾化しているわけではない事は、第一回投票の直後から「極右ルペン打倒」の自然発生的なデモが各地で始まり、それが巨大な全国的デモとなった事に端的に顕れています。
社会党右派のロワイヤルが大量に得票した理由は、左派フランス市民が右傾化してきたからではなく、前回は極右ルペンを「決選投票に進ませてしまった」という悪夢によるものです。また、同じその悪夢が、投票率を85%という高率にさせた原因と思われます。したがって、社会党右派ロワイヤルが高得票となったのは、それより左の勢力を支持する市民も「ルペンを落選させるためにしかたなく」ロワイヤルに投票したからであって、フランス市民の右傾化を意味するものではないと考えられます。ちょうど都知事選で多くの共産党系吉田氏の支持者が「石原を落選させるために」浅野氏へ投票したのと同じです。
●今回の結果は左派の主体的責任である
前回2002年の反資本主義左派の得票率は、トロツキスト三派合計で10・44%、共産党が約3・37%、緑の党が5・25%。これらを合計すると19・06%となり、社会党ジョスパン(16・18%)やルペン(16・86%)を超えて二位となります。もしも今回、それらの勢力にボヴェも加わった統一戦線が登場できたら、ルペン打倒のためにしかたなく右派社会党ロワイヤルに投票した左派市民票は、この統一戦線に希望を見出し、投票が集中したでしょう。もしも反資本主義統一戦線候補社会党ロワイヤルをやぶって決選投票に残れば、先進資本主義世界最初の「反資本主義大統領」の誕生も夢ではありませんでした。日本の政界と市民の意識の遅れを思うと、これは驚くべき事です。
残念ながら、その反資本主義統一戦線候補擁立が失敗したのは、各派がそれぞれの思惑により「自分が統一戦線候補となりたい」と言うセクト主義的思惑を優先し、それ以外の最も重要な項目である「反資本主義」原則の貫徹=社会党にも妥協しない、という部分について曖昧であったためだと思われます。その原則を非妥協的に貫いたLCRは、結局独自候補ブザンスノーを立てて闘いましたが、統一戦線対象であった共闘相手のすべての党派が大きく得票を減じて1%台へと後退したのに比して、ブザンスノーのみが唯一前回とほぼ同程度に踏みとどまった(得票数では前回の121万票から149万票へ増大した)事実は、左派市民の間におけるLCRの信頼は失われていない事を意味するのだと、僕は理解しています。
(参考)ジョゼ・ボヴェの大統領選立候補宣言
フランスはかつてこれほど不平等だったことはありません。
大会社の社長はSMIC(1)受給者の300倍も稼いでいます。道路に10万人の人が寝ているとき、もっとも裕福な人たちは、税務上の義務を放棄しています。ストック・オプションは株式市場への投資の落ち込みの肩代わりをしているのです。
サラリーマンの大多数を雇用不安定と社会的不安へと押しやるようなひとつの制度を今や、終わりにすべきときです。今や経済自由主義に対して、投票による蜂起を宣言すべきときです。
数万人の人々が、私に大統領選に出馬するよう要請しました。私は、投票用紙で、私の名が、右翼と極右翼を打ち負かし、左派によるひとつのオルタナティヴへの希望を再度与えることを具現することを引き受けることにしました。私は社会的、連帯的、エコロジー的、反人種差別的、フェミニスト的変革の左派のすべての力を結集させる闘いが継続するために、受け入れることにしました。私たちは、これらの力の現在の分散によって、あきらめることはできません。私たちは、暮らしがほんとうに変わることを願うすべての女性と男性たちの架け橋になりたいとのです。
私は、ある政党の候補ではありません。私は政治のプロではありません。私の立候補は、この左派の統一を願う社会運動、組合運動、政治潮流、移民のNPOなどからなる市民的な力の結集による立候補なのです。この立候補は、無数の声によって支えられた集団的な立候補です。
私は、今日、共産党、エコロジスト、反自由主義的な社会党の議員の皆さんに呼び掛けます。皆さんの推薦(2)によって、私たちが、公式のキャンペーンに参加できるようにお願いします。
私たちは、社会的不安定と差別せいで苦しんでいる数百万人の声なき声を代弁する声になりたいのです。私たちは、棄権やル・ペンへの投票が、ニコラ・サルコジへの当選へまっしぐらに行くことになるのだと、彼らに伝えたいのです。
サルコジ氏は、私たちの国にとって危険な人物です。複数の公約のもと、彼のプロジェクト(政策)は、弱者により不利益を与え、強いものをますます強くする経済的ロジックで、どんどん進もうとするものです。彼はMEDEF(3)の候補者で、彼は不安定雇用を一般化した契約制度を行ない、労働法と公共サーヴィスを少しずつ解体し、大資産家への課税を取りやめ、庶民街に住む若者を侮辱し、公共サーヴィスの職員を軽蔑している候補です。この福祉国家の廃止を望み、国家を警察・刑罰国家に変えようとしている男です。ブレアとブッシュのこの友人は、私たちに、共同体的でNATO政策支持(大西洋主義)の国家を準備しているのです。
私たちも、暮らしがほんとうに変わることを望む人たちすべてのための解決法とひとつのプロジェクト(政策)を擁護したいと思います。伝統的な左派をこれ以上信じることができず、庶民街で反抗し、CPEを拒否しつつ、大挙して欧州憲法条約にノンを突きつけた女性、男性たちに、オルタナティヴは可能なのだということを申し上げたいのです。
ロワイヤル女史は、断念した左派を象徴しています。2002年に左派を、選挙の惨憺たる敗北に追い込んだ社会自由主義を前にして、自由主義経済の論理から決別することを拒否して自閉症になった社会党のプロジェクト(政策)を前にして、私たちは、社会的、民主主義的変革の左派、反人種差別的、フェミニスト的、エコロジー的左派を対抗させたいと思います。本当の左派です。
私たちのプロジェクト(政策)は活動家と社会変革のアクターたちによって行なわれた省察と経験のたま物です。これは、反自由主義左派のあらゆる構成者たちが集まった例のない集団的な仕事の帰結なのです。それは、昨年、9月10日と10月15日に採択されたテキストをもとにしています。これは、利益に関する厳しい法と少しの正しい規律を混ぜ合わせにした官僚的なアプローチの結果ではありません。私たちは、すべての市民が、社会変革をおこない、監視するように招かれるべきだと思います。私たちの政策提言は、権力を司ることを再度、自分のものとするするために、すべての選挙民に提供されたひとつの道具なのです。
第一に、私たちは、社会的緊急対策を深化させたいと思います。
失業と雇用不安の大きな削減は優先課題であり、それは、役に立つ活動の開発であり、雇用の創造的開発であり、解雇に対する厳密な規制の適用、そして生涯全体にわたって職業的な保証ができる制度を設置することです。最小限の社会福祉と低賃金の再評価は、収入の並外れた不平等に限界を設けるために、高給に向かってはっきりと漸進的に課税されるような財務制度が伴わなければなりません。これは私たちが掲げたい労働における新しい関係、新しい社会的諸権利の要求です。財政的なスペキュレーションと株投資に対して闘う必然性があるからです。
第二に、私たちは、開発の新しいモデルを確立したいと思います。
これは取り組まねばならない成長と生産、交換と消費の形態を再定義することです。多国籍企業と財政市場の全パワーに挑まねばなりません。というのも、彼らの利潤に対する欲望と人間性に対する蔑視は、私たちの惑星を破滅させるからです。GMO問題とならんで、核問題は、行なわれるべき市民的な議論の場に引き出され、すべての透明性のもとに、民主的に決議さるべきでしょう。
第三に、私たちは、その出身や宗教がなんであろうが、郊外のシテや庶民街に住む数百万の住民たちが、自分たちの国であるこの国で、市民以
下の存在であるとこれ以上みなされることがないようになってほしいのです。
彼らは、公正と平等と尊厳への権利を持っています。彼らの、健康や、教育や、雇用や住居にたいする基本的な諸権利が狭められていることは受け入れがたいことです。こうしたことに対する唯一の解決法が、警察による保安上の弾圧であり、それがしばしば、まったく罰せられることもなく、酷い暴力となり、死までもたらしていることを、受け入れることはできません。
第四に、私たちは、すべての人間、つまり、ひとりの人間はその人間性において認知されねばならないことを再確認します。
一人の人間から、その尊厳を奪い取り、証明書を取り上げ続けることを拒否します。
第五に、私たちは、民主主義的、社会的な変革は、第五共和制制度を終わりにすることを要求しています。
活性化されねばならないのは、民主主義全体です。私たちは、今あるありのままの社会に開かれた、世界に開かれた非宗教の新しい共和制、社会的諸権利から始まる基本的諸権利を拡大する政治的、社会的、市民的民主主義を求めます。
第六に、私たちは、2007年になるや、2005年5月29日に出したノンの意思の整合性において、フランスがヨーロッパ建設の再構築を民主的、社会的基礎の上に提案することを要求します。
現存している諸条約を破棄し、私たちは、ヨーロッパ創設のための新しい文章を提案します。私たちは、私たち人民によって選択されるだろう新しい政策がヨーロッパの決定によって禁止されることは、受け入れられません。EUのフランスの議長役が2008年の二学期目にやってきますが、このような変更をより広く要求する機会となるでしょう。
第七に、私たちは、地方と海外県を公正に扱い、彼らの自主決定の選択に委ねることを約束します。
第八に、私たちは、苦しんでいるあらゆる人民とともに、経済戦争を促進させ、競争を過剰にし、民営化と規制緩和を有利にする自由化の政策と闘い、それを後退させたいのです。
南側の国とともに、不平等を拡大し、戦争の元になる苦しみを起こす公的機関(世界銀行、国際通貨基金、世界貿易機関)の弊害を起こす能力をストップさせたい。私たちは、食糧主権と、水など人類の共有財産である資源への、すべての人々のアクセスする権利を擁護したいのです。
結局、女性たちは、仕事場で、家庭で、子供たちを前にして、依存している近親者たちへ、数多くの責任を果たしており、失業者、不安定の立場の人たち、低賃金の人たちのなかでも彼女たちこそが多数者なので、多くの公共サーヴィスの改良の最初の恩恵を被る人たち、また幼児を対象にした公共サーヴィスや失業、雇用不安定にたいする処置の優先権を得る最初の人たちであってほしいのです。女性と男性の平等の目標は、私たちたちの諸決定に続くものであるべきです。それらを新しい現実とすべき大事なときなのです。
私たちが期待するものは可能です。いま、ここで、自由主義的経済のドグマを終わりにするなら。
私たちが期待するものは可能です。いま、ここで、真実の社会変革を私たちが責任持って果たすなら。
私たちが期待するものは可能です。いま、ここで、私たちが、オルタナティヴであり、エコロジストであり、反人種差別的でフェミニストであり、そして連帯的な左派を、統一的なものとして結集できるなら。
註:
(1):最低賃金法で、現在時給8,27ユーロ
(2):大統領選に出馬するためには、代議員の推薦が500点必要。ボヴェは現在200点あまり獲得した。
(3):MEDEF=フランスの経団連
参考リンク
◇2007年フランス大統領選第一回投票速報(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
◇極右以下のサルコジ内相(及川健二のパリ修行日記)
◇フランスはなぜ燃えているのか(RUR55)
◇フランス大統領候補者のポスターを眺めながら,のんびり開票結果待ち(エゴイストモン・ヴォトル)
◇極右台頭で揺れるフランス・ヨーロッパ政治の今とは?フランス大統領選と極右の台頭(よくわかる政治)
◇ジョゼ・ボヴェの本(amazon)
◇ジョゼ・ボヴェを知っていますか?(環境goo)
コリンコバヤシ氏がamlに大統領選についてのメールを寄せていらっしゃいます。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2007-April/013051.html
この状況下でロワイヤルが2位であることは重要だと思います。
あと、フランスについていえば欧州憲章問題があります。
アメリカの推し進める新自由主義的世界再編に抗うためには欧州は欧州でものをいえるだけの体制を作んなきゃいけないのではないのか?しかし、それでは欧州の新自由主義的再編ってことになって経由地は違っても行き先はおんなじじゃないか?じゃあ、どうすんだよ?一国で何とかなんのかよ?みたいな、極めて乱暴ですがこういう論点。
いずれにしろ、「共和国」フランスは余りに先を行き過ぎていて‐というよりも別の何かでありすぎていて、奴隷制宗教共同体国家には参考にならない、とまでいうと悲観的に過ぎるけど、18歳までに哲学が必修の教育体制を持つ国と隷属への道を叩き込む(「徳育」)日本とでは前提が違いすぎると思えてならないです。
う~ん、私にはロワイヤル氏が浅野氏に、ボヴェ氏が共産党に重なってみるのですが・・・
まあ、あおざかなさんのおっしゃる通り、あまりに前提が違いすぎて比較することに無理があるというのが、冷静な意見なんでしょう。
だいたいこの文章は、村野瀬玲奈さんの記事に対するコメントとして書き始めたものなんです。ですがあんまり非左翼の方のブログへのコメントとしてはふさわしくないですし、途中から都知事選のことなんかも思い出されて、どんどん長くなったので、開き直って自分のブログの記事にしてしまったという、非常に行き当たりばったりな文章であります。ジョゼ・ボヴェのことも途中で思い出してつけたしたくらいですから。
都知事選とのアナロジー話で言うなら、確かに後から全体を見てみると、中道のロワイヤル氏が浅野さんの位置にいるように見えますね。ですが「左派候補の統一」という視点で、左派だけに注目して見ると、ジョゼ・ボヴェさんが浅野さんの位置にいる(はずだった)ことがわかります。統一論議がまとまらず、分裂が必至となってから、それに失望した左派市民によるネットを駆使した熱い呼びかけで、ようやく3ヶ月前に出馬を決意したところまで似ています。
左派が独自候補を立てるか、ロワイヤル氏のような人物をも支持して「反ファシズム統一戦線」に加わるかは、それこそケースバイケースです。たとえばルペンが現職大統領で、選挙が一回投票制だったような場合(まさしく都知事選がこのケースでした)、ルペンを落選させるために票を割ることなく、最初からロワイヤル氏と組むべきだと思います。ですが、今回の場合は左派は独自候補を立て、ロワイヤル氏でもサルコジでもない、第3の道を示すのが正解だったのではないかと。その「第3の道」の希望は、ルペンでもバイルでもない、左派の中にあるのだと訴え、左派の統一したプレゼンスを復活させることも可能だったのではないかと思います。物事が最大にうまく運べば、すくなくともルペンに勝つことは可能だったのではないかと思えます。でも、ジョゼ・ボヴェさんを統一候補に押し立てるなら、2002年でしたよね。決戦に残ったのは、ルペンではなくジョゼ・ボヴェだったかもしれない。今回では遅すぎるし、それすらできなかった。
しかしジョゼ・ボヴェさんに対する評価は全く別にして、この出馬宣言はいい文章ですね。ジョゼ・ボヴェさん自身も何回か逮捕されている人で、今回も「獄中立候補」になる可能性もあった。日本では過激派扱いで終わりかもしれませんが、その「過激派」が当面の目標としていったい何を考えているのか、平易な言葉で誰にもわかるようにそれを開陳した名文だと思います。もちろんこの文章のような考えに反対するのは全く結構です。だってみんなが同意してるんなら、とうの昔にこの世界は変革されているはずですからね(笑)。ですが、過激派だのテロリストだの、ありもしない虚像やデマを押し付けられることは断固拒否します。
まあ、この出馬宣言は、とうてい「共産主義者」の文章ではないことだけは確かなんですが(苦笑
現代のフランス政治についてあんまりよく分かってなかったのですが、
ロワイヤルさんが民主党の小沢氏のような存在とお聞きして、
ベタですが「がーん」としてしまいました(苦笑)
フランス大統領選挙についてエッセイを書かせて頂きましたけれど、
根本から間違っていて「ヤバい、どう修正しよう?(汗)」と自分の無知さ
を痛感してるところです(汗)草加さんには豊富な知識教養と深い哲学思想で
勉強させて頂いていてタダでいいのだろうかと思ってしまうほど
お世話になっています、改めてありがとうございますm(__)m感謝です