戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
第50話 黄金爆弾(2)
その時傍の籔陰から東峰部落の山下弘が、一メートル余りの蛇を指先に摘まんで現われた。一瞬、投石が止んだ。農民も学生も機動隊もみんな、山下を注目した。山下は子供の頃から蛇をいじるのが大好きで、彼の手にかかると青大将、山かがし、蝮、その他どんな蛇でも自由自在になった。青大将は山下の指先にだらりと垂れ下って、死んだように動かない。だが彼が近づくに従ってよく見れば、蛇は鎌首をもたげては赤い火のような舌をチロチロと動かしていた。
彼は平然と蛇を摘まんだまま、スクスタと居並ぶ機動隊に向かう。機動隊は一斉に彼に注目した。
すると突然、声が上がった。機動隊の前面にいた中年の隊長が、白い指揮棒を高々と振り上げて、それを打ち振りながら悲鳴に近い声を出したのである。
「止めろっ、そんなことをすると軽犯罪にひっかかるぞっ、止めなさーいっ」
彼は必死に叫んだ。山下の動作で彼が何をやろうとしているかが、憶測できたのだろう。見ると山下はそんなことには見向きもせず、スタスタと近づいていく。
とっさに山下は蛇を大きく一振りした――かと見ると機動隊目がけてはっしと投げつけた。青大将は空中に身を躍らせながら、機動隊の真ただ中に突入していった。
機動隊はすかさず青大将を避けて、身をかわした。それでも青大将は一人の機動隊員のヘルメットに衝き当たり、クルクルッとその首元に巻きついた。慌てた機動隊員は持っていた警棒を揮って、青大将を首から払いのけようとして跪いた。――が二重三重に固く巻きついていて、なかなかはずれない。
右往左往して慌てふためくその格好がおかしくて、農民も学生もどっと笑いこけた。
すると矢のように飛ぴ出した機動隊員数人が、ドタドタッと山下を追跡して走った。すかさず山下は身をかわし、傍の土手に駈け登った。そして畑をよぎって、松林の中に姿を消した。山下の飛鳥のような素早さにみんな舌を巻いた。機動隊は追うのを諦めて引返した。彼等は甲冑に身を固めているので、追うにも逃げるにも足はのろかった。逃げ足が遅いので襲撃を恐れてか、深追いはけっしてしなかった。
やっとはずれた青大将はドサリと地上に落ちて、叢の中に姿を消した。すると、山下は再び松林の陰から姿を見せた。
そんな山下一流の蛇戦術で、機動隊が手玉にとられているのを見ている間に、後方からヘルメット姿の老人行動隊長の管沢一利が現われた。彼は七八歳だった。
石油缶を片手に機動隊の面前に進んだ。石油罐を地に置くとポケットから紙片を取り出し、高らかに読み上げた。機動隊に対する抗議文だった。石油罐の中には黄色い糞尿が八分目に充たされていて、中からは柄杓の柄が覗いていた。彼は糞尿作戦の創案者で、常日頃その実現の機を狙っていた。抗議文を読み終わった。
とっさに身を屈め、石油罐から柄杓で、糞を汲み上げた。糞柄杓からは糞が糸を引いて、地上に垂れた。急に臭気が辺りに漲って痛いほど鼻を衝いた。山下の青大将に続いて菅沢隊長の糞で、みんな呆気にとられ唖然として立ち尽した。菅沢隊長は糞柄杓を掲げ悠々と機動隊に一歩二歩と近づいた。
その時、辺田部落婦人行動隊の秋葉としが、菅沢を追って走った。
「まがめのじいちゃん、やるなよ、一人でやったって駄目だよ」
彼女は後から菅沢のズポンのバンドに手をかけ、カいっぱい引っぱった。――が、としはそのままずるずると、曳きずられていった。としが必死になって引っぱるので、菅沢はやっと思い止まって糞柄杓を元に返した。
その時数メートル先で対時していた学生部隊から、一斉に投石が始った。バンババーンバンと、石が盾に突き当たる音が激しく続いた。機動隊は大楯の陰に蹲ったまま身動きできない。が、隊列を整えたかと見ると、サーッと動き出した。
投石が一段と激しさを増した。飛ぴ交う石に交って、黄金爆弾が、機動隊の顔面に命中して炸裂する。激突となった。畑の中で学生三名と菱田部落の浜野ことが逮捕された。浜野ことは警棒を振り翳して学生を追いかけてきた機動隊を避けるために、傍の桑畑に入った。そのひょうしに桑の根っこに、け躓いて転んだ。そこを三人の機動隊員に組敷かれて逮捕された。
三上弁護士と戸田は、捕えられた浜野ことを探して歩いた。浜野ことは群がる機動隊の壁の中にいた。
編笠に野良着姿で太い腰縄をかけられ、その先を一人の若い機動隊員が、両手でガッチリ握っていた。まるで何か極悪犯人でも捕えたかのように……。抗議すると機動隊長が、「女だてらに学生に交って投石した」といって、放さない、浜野はそこからジープに乗せられ、千葉中央署まで連行された。不屈な浜野は取調べの警官の前に胸を張って、「俺が悪いことやったと思うなら、おめえら俺を何年でもぶっ込んでおけ」とたんかを切った。警察も歯が立なかった。
狙いは恫喝による反対同盟からの離脱であったが、捕えてみれば、どっこいそうはいかなかったのである。
浜野ことは四〇がらみのごくありふれた農家の主婦であるが、常日頃は婦人行動隊の中心的人物だった。機動隊の狙い打ちも当てがはずれ、その夕方、釈放しなければならなかった。
その日、千葉県警はヘリコプターまで出動させた、空には各新聞社と警察のヘリコプターが低空で飛び回って、話し声も聞こえなかった。常に低空で旋回し反対同盟の動きをキャッチしながら、地上の機動部隊に情報を提供していた。その凄じい爆音とともに、草木は旋風で女の髪の毛のように縺れ合って揺れた。
木の根の相川忠次の家の裏には、柵の中に豚が二〇頭放牧されていた。その頭上を低空でヘリコプターが飛び回ったから、豚は爆音に驚いて夢中で柵の中を駈け巡った。一匹が柵を乗り越えると、それに続いて後の豚が一斉に畑に飛ぴ出してしまった。飛び出した豚はフルスピードで、自分の家の畑から隣りの畑の作物まで掻き立てながら暴走した。
実りの秋を迎えた里芋畑、落花生畑は、みるみるうちに掻き散らされていく。それを見て戸田は、新約聖書の一節を思い出した。それは悪霊に憑かれた豚の大群が突如、狂い出し、駈け巡った揚句の果て、断崖から海に墜ちて死んだという話である。
誰もがただ呆然として、豚の狂奔状態を傍観する以外になかった。
そこへ家の中から忠次の息子で高校生の卓次が、竹竿を持って出てきた。青竹の竹竿で何とか豚どもを収拾し、柵の中に追い集めようとした。ちょうど卓次が竹竿を振り騒しながら、居並ぶ機動隊のところまで近づいた時だった。
卓次は不意に機動隊に包囲され、竹竿を持ったまま写真を撮られた。そして竹竿を奪われると逮捕され、有無をいわせず連行された。
それを見た父親の忠次と母親のみねが慌てた。二人の私服刑事に抱えられて、連行される卓次の後を追って一心に走った。息子を取り返そうとして……。
一人の刑事が後をかえりみて、「兇器準備集合罪と公務執行妨害です」といった。
「うちの息子は豚を追ったんですよ」
母親は必死になって叫んだ。そして、卓次を奪い返そうとして、後から息子の襟首を掴んで引っぱった。難なくその手は払いのけられたが、「何が凶器準備だーっ」と、忠次が怒りをこめて刑事の耳元へ怒鳴り返した。
「いいか悪いかは、裁判で決まるんだよ」
「何っ、裁判だと……」
二人の刑事は平然として、まるで豚か何かを屠所に曳き摺るように、卓次を曳いていく。取りつく島もなく、ただ呆然として忠次夫婦は、曳かれていく息子の後姿を見守るばかりだった。野良犬に雛鳥を奪われた、雌鳥の心境だった。この怒りをどこに叩きつけたらいいのか――。忠次は息子が自動車に押し込まれるのを見て、身を震わした。
そんなことにはお構いなく息子を凌った警察自動車は、他に手錠をかけた何人かの学生もつめ込んでどこかへ走り去っていった。相川忠次の家は反対同盟というよりも、むしろ条件派に近い農民だった。
この日、自分の畑の中や農道に立っていても、機動隊に触れただけで、「道交法違反」、「公務執行妨害」だといって、不当にも逮捕された学生、労働者、農民が二〇数名もいた。
一日目は岩山、天神峯、二日目は十余三、東峰、三日目が木の根、横堀だった。どこも木の根に負けず劣らずの激しい闘いだった。三日間で逮捕者五九名、うち五名が不当にも起訴された。だがどこの地区でも公団の狙う反対同盟の宅地・農地には、一歩たりとも測量隊の侵入を許さなかった。
この闘いを農民は誇らしげに、「三日戦争」と呼んだ。三日戦争はたしかに三里塚闘争の礎を作った。日共はこの中で、いよいよ戦線から脱落していった。たしかに三日戦争の意義は、深かった。そして、来たるべき強制代執行の闘いに備えて、確固たる跳躍台を築き上げたといってよいだろう。
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