戸村一作:著『小説三里塚』(目次へもどる)
第56話 三里塚の人々
三里塚に空港建設が始まると、予定地の内外には、プレハブで急造の飯場が棟を並べて建った。そこにはお国訛りの労働者が、どこからともなく群をなして集まってきた。若い者、中年の者、雑多だった。飯場に入りきれず、三里塚の旅館から通う者もいた。
戸田の家の真前には、二軒の旅館があったから、毎朝旅館から地下足袋の労働者らが、ぞろぞろと行列をなして現場に出ていくのが見えた。旅館の廃業したものまでが労働者の旅宿となって早変わりした。そのうち「何々建設」と、脇腹に大きく看板のように書かれたマイクロバスが姿を現わし、朝晩労働者の送り迎えをするようになった。
旅館はみんな労働者の宿泊所となり、飲食店はみんな公団や飯場の弁当屋に変った。一家総動員で毎日弁当を作り、それを現場まで届けるごとで大忙しで、今ここで一儲けしなければ、絶好のチャンスを逃がしてしまうとばかりに、みんな血眼だった。
食料品店から雑貨店、文房具店までが各飯場に物品を納める御用商人になった。朝、注文されて、品切れのものは、その日のうちに千葉や東京に仕入れに行って、間に合わせた。いくらかでも儲けようと鵜の目、鷹の目で走り回った。三里塚の町も急に活気を帯びて見えた。
武治は三里塚に出てくるたびに知り合いの人々に、空港の百害あって一利なしをカ説した。ここしばらく農繁期や反対同盟の仕事で姿を見せなかった武治が、久し振りでなじみの東屋にやってきた。店先でコップ酒を呑みながら、滑走路から九〇〇メートルのところで、何の売買ができるかと、盛んに東屋の主人公に騒音公害論をぶっていた。
「そうとは知っても、商人ともなれば弱いもんでさ、木川さん」
「どうして……」
「どうしてって……どうも……」
東屋の主人は禿げ上がって毛の薄くなった頭に手を挙げて撫でた。何かいいにくそうにもじもじしていたが、「……木川さん、早い話がよ、私らはね、公団や飯場になんか納めて食わせてもらってんだからよ……」というのだった。
武治は口元まで運んだコップ酒を、不意に元に返してカウンターの上にコツンと置いた。その拍子になみなみと注がれた二杯目のコツプから酒の飛沫が飛び散って、向かいにいた主人の上衣にかかった。武治は急に手あぐらをかくと、じーっと考え込んだ。武治は酔が回ったか、すでに顔が赤らんできていた。
「そりゃ東屋さんよ、いっときだよ」
「いっときって?」
「もしもよ、飛行機でも飛ばれちゃったら、ごんなところで、さっきいったようにどんな商売ができるって……」
「駄目になるかよくなるか、それはわからないが……」
「わかるもわからないもねえよ。飛行場の傍で発展してる所はねえだからよ」
「なるほど、とにかく、商売してると弱いもんでさあ!」
と、いうと東屋の主人はふと立ち上がった。レジスターのボタンをガチャンと押した。飛び出した引出しの中から、東屋は千円札を一枚つまみ上げて、武治に差出した。
「木川さん、私はなんにもやれねえですまねえ、これは少々だが反対同盟のカンバに……」
彼は武治の手をとって、無理に握らせた。
東屋のいう言葉は、正直だった。空港には反対であるが、商人なるが故に、それを判然と表明することが、できないというのだ。東屋の差し出す千円は、彼にとっては免罪符的なカンパだったかも知れない。その東屋の主人が、武治を通して同盟にカンバしたのは、これで二度目だった。
だが、三里塚の町の多くの人々は、そんなことを念頭に置こうとする者とてなかった。ほとんどが公団に胡麻すりしてでも、いくらかでも儲けさせてもらわねばと、躍気になっていた。町中挙げて、公団と下請会社の飯場の御用商人と早変わりした。彼等は寄ると触ると、どごの誰が大儲けをした損をしたとか、狭い町がそんな話題でもちきりだった。
最近、三里塚に「美里」というスーパーマーケットが開店した。大島建設の下請だという山下建設の飯場に、一手販売で月々多量の食品雑貨類を納品していた。その売り掛けが三〇〇万に上ったが、わずか一二万円とっただけで、飯場に夜逃げされてしまった。天浪の公団事務所を訪ね、石田理事にこれを訴えたが、「いわゆる下請業者は公団と直接な関係はない」といって、木で鼻をくくるような対応だった。
そして「警察へ被害屈を早く出すことですね」と、ただそれだけで取りつく島もなかった。
藤崎にとっても三〇〇万円は大金であり、死活問題だ。藤崎の場合はマーケット新設に当たり、家屋敷を担保にし、成田の銀行から三〇〇〇万を借金した。というのも開港を見込んで借金などいくらしても、出し抜くのは朝飯前だと思ったからだった。
新聞には毎日のように空港公団の豪華版のパンフが、折込みに入ってきた。国際空港の華々しさが、まことしやかに宣伝された。藤崎は知り合いの自民党の県会議員を通じ、公団に空港内店舗の権利獲得まで申入れをするという手回しの良さがあった。その矢先、山下建設の詐欺にひっかかり、彼の夢幻が瞬時にして崩れ去っていった。建設会社の恐ろしさ、公団の無責任さを思うと、踏み倒されたこの大金の責任をどこへもっていったらいいだろうかと、お先まっ暗で、生きる希望さえ失うのだった。このまま泣き寝入りするには、藤崎にとってあまりにも大金だったからだ。まかり間違えば、一家離散も免れない。
新築開店早々、不覚をとった藤崎は、毎日妻とともに思案に明け暮れ、仕事も手が着かず、そのために営業も不振に陥るばかりだった。
藤崎のこともあって公団は関係業者に向けて、被害調査をした。その届け出で明らかにされたものだけでも、成田市内六〇件にも上り、その被害は総額にして八○○○万にも及んだ。藤崎被害のは、まだ軽いうちだった。
空港を巧みに宣伝し、町の業者の協カを煽り立てておきながら、その不始末には何らの責任をとろうとしない公団の鉄面皮に、誰一人怒りを覚えない者はなかった。結局、公団の被害調査も形式的なもので、その責任を償おうとするものではなかった。警察に届け出ても、積極的に下請会社の居所を突きとめて、その責任を追求してくれるものでもなかった。
下請会社は請負った仕事が終れば、風のようにどこかへ消えていくのだ。その張り番はできるものではない。
東屋もまた被害者の一人だった。辛い被害も少なくてすんだが、特に身に染みて思い出されるものは、いつか店先で酒を呑みながら、「農民は、公団に土地い、ふんだくられ、おしまいには尻の毛羽までひんむしられべえよ」という、武治の言葉だった。
「第七章 錯綜」了 目次へもどる
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