曲がり角の保守系論壇誌 老舗は停滞、過激に煽る雑誌が台頭

WiLL HANADA

「歴史はくりかえす。一度目は悲劇として。二度目は喜劇として」
(カール・マルクス「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」)

 私はかねがね、新左翼や全共闘などの「運動としての未熟さ」は、そっくりそのまま今のネットウヨが引き継いでいると思っていました。簡単に言えば、左翼の負の歴史の「裏返し」だということです。ネット上だけなら、別にどってことないんでしょうが、論壇までそれに左右されてしまうと……って、別に私が心配することでもないでしょうし、あまり言いますと、他潮流の運動への介入になってしまいかねないので、そこそこに止めておくべきでしょうけれども。

 あ、一応誤解なきように言っておきますが、市民社会内部の右派潮流全般、単に「思想が右の一般人」のことを「ネトウヨ」と言っているのではありませんよ。その中でも、単に「思想が左の一般人」を「反日」と呼んで強烈に敵視したり、他人のブログや掲示板を平気で荒したりするような、特殊なお調子者君たちのことです。自分がそうかどうかは自己判断でどうぞ(笑

「曲がり角の保守系論壇誌 過激にあおる雑誌台頭」

 保守系論壇誌の風景が変わり始めている。90年代後半から「新しい歴史教科書をつくる会」の運動や拉致問題、反日デモなどを追い風に部数を伸ばしてきた「諸君!」(文芸春秋)と「正論」(発行・産経新聞社)は勢いが落ち、新路線を探り始めた。一方で、より過激なナショナリズムをあおる雑誌が台頭している。

…中略…「テーマも起用する論客の幅もかなり狭くなっていた。左右にとらわれず、声をかけたい」。(「諸君!」の)内田編集長はそう説明する。 …中略…(「正論」は)「つくる会」の活動を、97年の発足当初から手厚く紹介してきた。…だが、01年の同時多発テロ後、反米を鮮明にした西部邁氏と小林よしのり氏、親米の西尾幹二氏らが誌上で激しく対立すると、西部、小林氏は会を脱退する。その後も運動方針をめぐって内紛や分裂が続く状況だ。…上島嘉郎編集長は、一般論としてこういう。「自戒しているのは、運動との接点を持ちすぎると、論壇誌が腐る可能性があることです」

… 中略… こうした動きを尻目に急速に存在感を増すのが05年1月創刊の「WiLL(ウィル)」(ワック・マガジンズ)だ。…売りはネット世代の若者にも読みやすいコンパクトな構成と過激さだ。…「主義主張じゃない。僕が面白いと思うことをやる」と花田紀凱編集長。

… 中略… この状況をどう読み解くか。若手保守論客の一人、八木秀次・高崎経済大教授によれば、いまの保守論壇には「何を言っても無駄」というむなしさが漂っているという。従来の保守に飽き足らない層の「期待の星」だった安倍首相は、「自分たちが誕生させたと思っていた」。だが、「拉致も靖国も成果が出ない。逆方向へ行っている」。 ある論壇誌の編集長は、その不満がしにせ2誌に行き詰まり感を生み、一部がネットや「WiLL」に流れている――とみる。

 櫻田淳・東洋学園大准教授は、保守論壇は「堕落」したという。「ファナティックで定型的で、昔、左翼知識人が言っていた『帝国主義打倒』の逆です」。保守と目されてきた自身は、日本の非核武装を説いたら「左傾」と言われ、馬鹿らしくなって論壇から少し距離をおいた。だから「諸君!」の新路線は定型を崩す一歩かもしれないと期待している。

朝日新聞記事全文(キャッシュ)へ

 とにかく、「保守系論壇」は、マジで新左翼運動高揚期の末頃と非常によく似た雰囲気になってますね。一見すると盛り上がっているように見えて、実は大半が付和雷同分子にすぎない。彼らは「よりわかりやすいもの」「より過激なもの」へと流れて先鋭化していきます。左翼の場合も、それは運動の進歩ではなく、実は中身の空洞化だったんです。

 付和雷同分子は何かにつけて敵と味方を一つの物差しで2分したがるし、局地的にせよ攻撃すべき敵がいなくなると、今度はある種の旗頭(思想的派閥)同士で内ゲバをはじめる。誰かが冷静な議論を提起しようとすると「左傾(左翼の場合は『日和見主義』とか言いましたが)」「裏切り者(同じく『反革命』)」あつかいされて議論が深まらずに、定型的な方向にもっていかれてしまう。ところが本人たちは愚かにも「議論を進めて深化させている」つもりでいて、実は受け入れられる幅がどんどん狭くなっていく、等等等…。

 だいたい「WiLL」って、あれでしょ、「土井たか子は朝鮮人だ」ってデマ書いて訴えられたとこというイメージしかないなあ。しかし、めちゃくちゃ書くよなあ。いくらなんでも2ちゃん掲示板じゃないんだから。
 でもあれって、ネトウヨさん的には「論壇誌」なんですか?2ちゃんねらー御用達のB級右翼誌だとマジで思ってたんだけど。花田紀凱さんの「主義主張じゃない。面白いと思うことをやる」という言葉にそれがよく表れていますよね。大真面目に読んでいるのは中高生レベルまでで、きっと大人の右派には相手にされないだろうなと思ってたんですが、そのへんどーなの?少なくとも30歳すぎた大人がこれに飛びつくようでは、もう「右翼論壇」も駄目なんだろうなとは思う

 それにしても、「思想運動」としての側面を持つものは、どれもこれも同じ末路をたどるのでしょうか?あるいはどちらも、弱者への慈しみではなく、強者への憎しみや怒りを運動のエネルギーとしているという共通点があるのかもしれません。伝統的な2誌が行き詰まりを感じて新機軸に活路を見出そうとする中で、より「過激路線」の「WiLL」が台頭するという流れは、まさに全共闘運動が終焉してブントが崩壊し、赤軍派が登場していく過程を彷彿とさせるものがありますね。ですが、赤軍派は現実政治の中で試されて崩壊したのに比べ、雑誌の主張は現実に試されることなく、売れる限りは何でも言えていつまでも続きますからね。そのへんは右翼運動の不幸だろうな。

 実はある右翼の方から、現状を評して「右翼バブル」という言葉をお聞きしたんですよね。それは健全な右翼運動が発展して根付く上では、決して良いことではないというニュアンスで。その感覚はよくわかります。そして、新左翼運動が、とにもかくにも一度「終焉」したのは、実はいいことだったように思えてきました。なにしろ現在の左派は、昔のような付和雷同分子がそっくりそぎ落とされてしまいましたからね。現在のほうが、かえって平均的な質は高いようにさえ思います(もちろん例外は多いけど)。そこからもう一度はじめていけばいいと。でも、ここまでバブリーに膨れた右翼運動は、いったん「終焉」し、そこから何かを残してやり直すことが可能でしょうか?他人事ながら気の毒に思います。

 右派にとっては、この右翼バブルの中から、「何を守り、何を発展させ、何を否定するべきか」が問われているのでしょう。でも、きっとそういう議論は、バブルが終焉した後でないと出てこないんでしょうね。今聞こえてくるのはまだ「わが派がいっちゃん正しい」というレベルの議論です。このへんも左翼と同じです。本当に左翼も、この右翼バブルの推移をよく見て自分に照らし、「裏返し」にならないように肝に銘じないといけません。「夢よもう一度」では絶対に駄目なのです。「二度目の喜劇」を演じないように気をつけましょう。

ところで「新左翼バブル」はその残り香も含めて四半世紀続きましたが、さて…。

参考サイト

維新政党新風よ、永遠なれ『スレッドVol.1 』晋遊舎(書評日記パペッティア通信)
犬は吠えても歴史は進む(プロローグ)(アフガン・イラク・北朝鮮と日本)
犬は吠えても歴史は進む(本編)(アフガン・イラク・北朝鮮と日本)

『諸君!』(文芸春秋社)
『正論』(産経新聞社)
『WiLL』(ワック・マガジンズ)
『スレッド』(晋遊舎)

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3件のコメント

『見つかった!南京の記述!、翰林版にも!』

VOA News.com 美國之音中文網 Chinease
(Voice of America)などによると
南京の記述が無い無いと騒いでいた(2007年2月頃)、
翰林版の教科書にも、最後の付録の大時紀(大年表)に
“日軍入城大肆殺戮、是為南京大屠殺”
と書いてあるそうです。

http://www.voafanti.com/gate/big5/www.voanews.com/chinese/archive/2007-02/w2007-02-13-voa42.cfm
 VOA News.com 美國之音中文網 Chinease

 臺教科書淡化南京屠殺國民黨不滿
 2007年 2月 13日     記者:張永泰 | 台北

 台灣新版高中歴史教科書當中,出現了淡化處理南京大
 屠殺事件的情形。在野黨的國民黨對此相當不滿,並提
 出了批評。

 有關1937年的南京大屠殺事件,台灣今年許多不同版本
 的高中歴史課本都出現了淡化處理的情形。以翰林版為
 例,課文沒有提到南京大屠殺,只在最後附録的大事紀
 當中提到“日軍入城大肆殺戮,是為南京大屠殺”15個
 字。

 Voice of America

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