私は子どもの頃、辺田部落に住んでいました。木の根プールができたのは小学生の頃でした。一生懸命自転車をこいで木の根にきて、楽しませてもらいました。その後、現地を出て進学・就職して正直忘れていました。
二、三年前にたまたま見た雑誌に「滅びていく風景」として載っていたのが、木の根の写真でした。衝撃を受けて実際に見に行こうと、現地に向かった。ところが、何回通っても木の根への道がない。ようやく、ここかなと「この先立ち入り禁止」の看板のところでハンドルをひねったら、公安も着いてきて、そこがペンションだった。使えなくなったプールの様子を見て、ショックを受けると同時に、あんなお世話になった木の根をほったらかしていたんだなと責任を感じた。
その後、プールの清掃作業を始めました。水抜き作業から始め、水を抜いて泥をかいた。汚泥が膝くらいまであったが、水かさがだんだん減っていた。反対同盟の柳川さんたちにも話をして、夏にはプール開きと、4人で作業を進めてきた。2010年夏は雨がほとんど降らず、泥が乾燥して回収しやすくなったので、ある程度回収できた。
プールの状況を80年代に造るのに携わった人に見てもらったら、元々は要塞を作る予定で鉄骨を入れてあるので、丈夫さは折り紙つきで修理すれば十分使える。再開には地面を整地したり、除草するなどきちんとする必要がある。
木の根ペンションとプールは空港施設に囲まれていて、昔、水は小川源さんのところから引っ張ってきていました。水の確保については井戸をもっと掘り下げるか、天水を利用する方法を検討中です。
僕は開港跡の木の根しか知らない。開港前にいかに激戦地だったか、いかに開墾で苦労したのか、歴史としてしか知らない。開けば開くほど、ここは大事な場所だ。
プールを再開しても、ずっと維持していく必要がある。朽ち果ててしまったら、人が来なくなる。いろんな人に来てもらう必要がある。人が足を運びたくなるためには、ペンションがあって、プールまである。空港に三六〇度囲まれているこんな場所は日本中探してもない。イベントを打つにはいい場所だ。昔の写真や資料もある。人が来る条件はそろっている。
プールの再開は新しい「木の根物語」を創っていくための第一歩です。 改修・塗装などには、見積もりで約65万円かかる。皆さんに協力をお願いしたい。2011年7月のプール開きをめざして作業を進めていきます。7月のプール開きにはプールつくりに携わった人たちみんな呼びかけたい。
皆さん、ぜひ作業への協力、カンパをお願いします。
注)承認を得ていない方の個人名の部分は音を消してあります
■木の根プール再開作業にカンパを
大森武徳(「続」木の根物語プロジェクト)
【カンパの送り先】ゆうちょ銀行 店名 058 普通預金
【口座番号】6227312
【口座名】ゾク・キノネモノガタリプロジェクト
-2- 柳川秀夫さん(反対同盟代表世話人)の挨拶
-3- 加瀬勉さん(反対同盟大地共有委員会2)の発言
-4- 清井礼司さん(弁護士)からの裁判報告
-5- 「続」木の根物語プロジェクトからの報告
-6- 高見圭司さん(元社会党青年部長・運転労働者)
-7- 小山広明さん(大阪府泉南市議)の発言
-8- 横堀鉄塔の現地調査
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ブログ記事:参加報告(前編)
ブログ記事:参加報告(後編)
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