辺野古新基地反対!県民集会に2万1千人
琉球新報号外より
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対の県民意思を示す辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会同実行委員会主催が8日午後2時すぎ、宜野湾海浜公園屋外劇場を主会場に始まった。共同代表の玉城義和県議が開会を宣言。大会の最後には、オバマ米大統領との首脳会談を控えた鳩山由紀夫首相に対等な日米交渉を促し、普天間飛行場の1日も早い閉鎖を求める大会決議を採択する。
県民大会には、地域実行委員会が手配したバスなどで参加者が続々と駆け付け、会場の屋外劇場は一般市民や団体、労働組合など県内各地から集まった人々であふれた。
ステージ上には、県民大会を呼び掛けてきた民主、社民、国民新、共産、無所属の県選出出身国会議員や野党県議、賛同する市町村長らが登壇。同飛行場を抱える地元の伊波洋一宜野湾市長、超党派で参加した翁長雄志那覇市長らが相次いで意見表明を行った。
1996年の日米特別行動委員会SACO 最終報告での普天間飛行場の返還合意から13年がたつが、県内移設が条件となった普天間返還は今も実現せず、県民の望んだ基地負担の軽減は進んでいない。
大会決議では各種世論調査でも、県民の圧倒的多数が新基地建設反対だ。民主党中心の新政権に代わった今、あらためて県民の意思を明確に伝えると訴え、政権交代に伴い県内移設からの政策転換を求める。
(「琉球新報」号外)
沖縄タイムス号外より
米軍普天間飛行場の県内移設反対を日米両政府に示す「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」(主催・同実行委員会)が8日午後、宜野湾海浜公園屋外劇場とその周辺で開かれた。数万人が会場を埋め、共同代表の伊波洋一宜野湾市長や翁長雄志那覇市長、各政党の代表らが普天間飛行場の早期閉鎖・返還や県外・国外移設を求めた。
実行委はオバマ米大統領来日直前の10、11日にも平野博文官房長官、岡田克也外相、北沢俊美防衛相、前原誠司沖縄担当相に要請行動を展開する。
実行委は県議会や労働団体、市民団体などを中心に130以上の団体・個人で構成。伊波市長は「普天間だけでなく、海兵隊全体が沖縄から去るべき時期に来ている。戦後年間も米軍基地の負担を押しつけられてきた。もうこれ以上、基地はいらない」と、移設の早期実現を訴えた。
各登壇者は鳩山政権の閣僚が普天間の県外移設を困難視し、嘉手納基地への統合案などを容認する発言が相次いでいることに抗議し、在沖米軍再編の見直しを求めた。
大会では、決議とスローガンを採択。沖縄国際大学3年の塩川恵里奈さんが「米軍基地の整理・縮小・撤去は県民の願い」とし、「民主党中心の新政権に代わった今、あらためて、県民の新基地建設ノーの意思を明確に伝える」などとする決議文を読み上げる。
大会スローガンは①日米両政府も認めた「世界で最も危険な普天間基地」の即時閉鎖・返還②返還後の跡地利用を促進するため、国の責任で環境浄化、経済対策③返還に伴う、地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行う④日米地位協定の抜本的改定―を政府に求めている。
(「沖縄タイムス」号外)
嘉手納統合に断固反対 普天間移設、町民大会に2500人
沖縄タイムスより
米軍普天間飛行場の機能を米軍嘉手納基地に統合する案に反対する町民大会(同実行委員会主催)が7日、嘉手納町のロータリー広場で開かれた。1996年に開催した大会の2倍以上に当たる2500人(主催者発表)が町内外から集まり、基地の整理縮小と負担軽減を求め、統合案の反対を訴えた。
実行委員長としてあいさつした宮城篤実町長は「結論は沖縄ありきで、解決のための努力の足跡が全くみえない。航空機騒音規制措置は守られず、外来機が爆音を生産し、負担軽減の約束は守られていない。いかなる理由があろうと統合案に一切反対。粉砕しよう」と呼び掛けた。 (「沖縄タイムス」2009年11月8日)
琉球新報より
◆統合案に強い危機感/意思表示急ぎ政府けん制
(「琉球新報」2009年11月8日)
嘉手納町が「米軍普天間飛行場の嘉手納統合案反対町民大会」を開催したのは、統合案が正式な政府方針になることへの危機感と町民の意思を早期に発信し、政府側の動きをけん制する狙いがある。
宮城篤実町長が大会前、「統合案が閣議決定されてしまえば、手が出せなくなる。ゆっくりしている時間が町にはない」と語っていたように、実行委員会が発足したのは、大会開催1週間前の10月30日。町長が担当課に指示を出したのは、そのわずか2日前だ。
町民全体が統合案に反対していることを政府に示すため、実行委員会には、町議会をはじめ、基地対策協議会や軍用地主会など町内24団体が参加し、全町的に網羅した。
嘉手納統合案が初めて示されたのは1996年の日米特別行動委員会(SACO)。普天間移設を検討する際、現行の名護市辺野古のキャンプ・シュワブへの移設案と並列して挙がった。
統合案の再浮上は連日、嘉手納基地の騒音や悪臭に悩まされる町民にとって、悪夢であり、生活環境のさらなる破壊を連想させる。
統合案を推進する岡田外相や下地幹郎衆院議員は統合が実現した場合は、現在の騒音レベルを下げると明言する。しかし、田崎博美町議会議長が「統合案の実施で騒音が減少すると言うなら、なぜ今の騒音を減らさないのか」と指摘するように、基地被害軽減は容易ではない。
本来、嘉手納基地の騒音については、96年の日米合同委員会で合意した騒音規制措置の中で、可能な限り航空機騒音を最小限にすると明記されている。だが年々騒音回数が増加しているのが現状だ。規制措置は事実上形骸(けいがい)化しており、町民が負担軽減を実感することはない。
<決議要旨>
嘉手納基地への「統合案」に言及した岡田克也外相の発言は、町域の約83%を嘉手納基地として接収され、日夜激しい米軍機の爆音禍で生活環境が破壊されている町民に新たな犠牲を強いるものであり、断じて容認できるものではない。基地の実態は、PAC3の強行配備、昼夜を問わず実施される即応訓練、F22Aラプターなど度重なる外来機の飛来による訓練激化に伴う爆音の増大など、米軍再編ロードマップ(行程表)に掲げられた沖縄の基地負担の軽減とは程遠い状況にあり、ますます基地機能は強化されている。
嘉手納統合案は、13年前に町民や基地周辺自治体の猛反発に遭い、選択肢から消えていた案である。今回、再びこの案を持ち出すことは町民の心を踏みにじるもので、新たな基地負担と犠牲を強いるものであり、断じて許されるものではない。われわれは岡田外相の発言に厳しく抗議し、発言の撤回を求めるとともに、自らの生命、安全、財産および平穏な生活を守る立場から米軍普天間飛行場の嘉手納統合案に断固反対する。
2009年11月7日
米軍普天間飛行場の嘉手納統合案に反対する町民大会
ミュージシャンも米軍基地「ノー」 県民大会を後押し
県内外のミュージシャンが、県内の米軍基地に「ノー」を突き付けている。歌手のUA(ウーア)さんは東村高江のヘリパッド建設とともに普天間飛行場の県内移設にも反対を表明。宜野湾市に住む伊丹英子さん(ソウル・フラワー・ユニオン)は米軍機の騒音に憤る。2人は9月の音楽祭で「基地はいらない」と訴えた。音楽の力が県民大会を後押ししている。(「琉球新報」2009年11月5日)
UA(ウーア)さん、森・海の破壊に反発
地球を生命体として、東村の高江の場所は「母へとつながるへそ」と言う。その高江に米軍がヘリパッドを建設することに、歌手のUA(ウーア)さんは「生理的な身震い」を感じて、建設反対の住民らと同調してきた。
高江との出合いは「昼はセミの大合唱、夜は信じられないほどの蛍が飛ぶ」大地の姿だった。うっそうと茂る緑の森に、命の源泉を感じた。その安寧を打ち破るかのように、県内で次々浮上する森、そして海の破壊行為。「何てことするの。ひどいという感覚。理屈じゃないんです」。不自然に対する嫌悪感が反発の源流をなす。
自然とはほぼ無縁の大阪の街で生まれ、育ったという。東京都心を5年前に離れ、神奈川の山間の街に現在住む。沖縄は「自分にとって治癒される場所。特別な場所で切り離せない。掛け替えのない場所」という。
自然、文化が県内と近似性がある奄美大島が母の出身地だ。「母から受け継いだ血、DNA、遠い記憶なのか」。「血がさわぐ、こんな場所があったんだ。ショックを受けたのが沖縄」なのだという。
知り合いのバンドが本島北部で野外ライブをした際の感想「森は黄金やった」との言葉が耳に残り、取材に訪れたライターの紹介もあって、2年前の夏に高江を訪ねた。「ジャングルの中。子どもたちは川で裸で遊んでいた。ハブなんか怖がっていないんです」。そんな光景にUAさんは、自らの原風景を感じたようだ。自然とそこに暮らす住民の姿に触発され「衝撃を受けた」という。そのコントラストとして、親友の一人で高江に住み、自給自足的な生活を営む女性に聞かされたのが米軍ヘリパッドの建設事業だったという。
「えーっ。何でここに」。あまりの落差に絶句した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設についても「もう絶対反対です」と言う。人の営みと無縁な「人工的な不自然さが埋め尽くすこと」への嫌悪感。それに「戦争という古めかしい」軍事装置への恐怖心が、生への不安を駆り立てた。
破壊の現場に出くわすたびに考える。「人間なんか、と思うこともあるけど、やっぱり生まれたばかりの娘を見ていると単純に、こう涙が出るというか。この感覚があるからみんな続いているんだと思う。理屈じゃないんです」。自らの「へそ」の大地・高江を通して、純な生への破壊に「ノー」の声を上げる。
伊丹英子さん、沖縄の怒り 国中へ 大会で「平和の芽」期待
「この不条理を許していいのか」。2歳の娘が頭上を飛び交う米軍機の爆音に耳をふさぎ、泣き叫ぶ。2004年、宜野湾市に移り住んだロックバンド、ソウル・フラワー・ユニオンの伊丹英子さん=大阪府出身=が「安いから」と借りた家は普天間飛行場のすぐ近く。日常的に危険にさらされ続ける恐怖に憤った。
しかし娘が通う保育園の親の中には基地と関連する職に就く人も多く、話題にすることに遠慮を感じた。「心の中に『基地はいらない』という思いがあるのに政治的にタブーにされ対立させられている」と思った。
「ソウル―」は三線を手に阪神大震災直後の仮設住宅を回り、音楽を届けた。東ティモールやパレスチナなど民族紛争を抱える地域でも演奏した。9月に「戦争はいらない、もっと音楽を!」をテーマに宜野湾市で音楽祭「ピース・ミュージック・フェスタ!」を開いた。伊丹さんは実行委委員会の共同代表として奔走。趣旨に賛同した加藤登紀子さん、新良幸人さんら県内外のミュージシャンが出演し、音楽を通じて平和を訴えた。
フェスタでは県内各地で反基地運動を続ける人たちがブースを設け、現状を説明した。娘の保育園の保育士や親も参加し、声を上げて盛り上げてくれた。音楽を通じて聴く人の心に平和について考える“種”をまくことができたと手応えを感じている。 自身も参加予定の県民大会ではその種が芽を出すことを期待する。「『沖縄は怒っている』ということを国中に示すチャンス。フェスタで何かを感じた人は来てほしい」と力を込めた。
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