投稿日:11月 4日(木)08時21分14秒
他人の書き込み、それも特に自分と意見の近い人の書き込みは、鵜呑みにしそうになるのを堪えて、できるだけ批判的な目で読むのは私の勝手なポリシー(というか心構え)です。同じ夢想家仲間として少し違和感を感じた点を申し述べたいと思います。
>「まだ見ぬ第三の勢力」の可能性を考慮に入れる
ここの趣旨は「もともとはそこに存在していなかった第三勢力が勃興することによって歴史は進歩してきた」ということですので、この点について異論のある人はいないと思います。
しかしそれを現在の中東にあてはめた部分で、論理的に「米軍か、テロリストか、それともまだ見ぬ第三勢力を作り出すか」となっている部分については、半分同意、半分疑義があります。そこに行く前に、確認しておくべきことがあると思います。
問題は単純です。改憲派さんみたいなことを言いますが「誰の立場に立つのか選ばねばならない」ということです。改憲派さんとの違いは2択ではなく、「米軍か、テロリストか、民衆か」という3択だということです。
「まだ見ぬ」ではありません。殺され、家を焼かれ、空爆で苦しみ、鉛の玉で体を砕かれて死んでいった人々、洗濯物を乾しただけでイスラエルの狙撃兵に頭を粉々にされた少女、何の罪も補償もなくブルドーザーで家を破壊された何万人ものパレスチナ人、そんな民衆がそこにいるではありませんか。
彼らはただ絶望し、悲しんでいるだけの存在でしょうか。彼らは絶望していません。どんな状況の中でも希望を捜そうとしています。そして何より怒っています。声をあげつづけています。すでに臨界点に達したその怒りを、米軍は力で何とか押さえつけているだけです。米軍はそんなに強大なのでしょうか。私にはただ軍事力という木っ端につかまって、怒りの海の中に浮いているだけのように見えます。
「米軍か、テロリストか」と問われたならば、私たち夢想家の答えはひとつのはずです。「私たちは彼らに虐げられた民衆の側に立つ。立ちきる!」と。
「まだ見ぬ」とか「どちらも選ばない」だけでは、私たち夢想家の思いは言い尽くされていません。夢想家なら夢想家らしく、こう言いましょう「歴史を創る主人公は民衆である」。
次に改憲派さんを「現実主義者」であるかのようにされている点にも疑義があります。改憲派さんは現実主義者ではありません。
現実主義者は達成すべき目標を持っています。そしてその目標のために能動的に動きます。これを達成できたら勝利だという実現可能な明確な目標があり、次に与えられた情勢、彼我の力関係など、それこそ世界的に連動した視野で分析し、2手も3手も先を読んで、設定した目的を達成するために今考えられる最良の1手をうつ。それが現実主義者です。現実主義の反対語は、国語辞典的には知りませんが、論理的に考えれば理想主義ではありません。「空想主義」です。だから「現実主義的左翼」とか「空想主義的保守」というのもありうるわけです。
この点で改憲派さんの論理には「目標」がなく、「能動性」がありません。受動的であり、自分たちは何をするべきかという視点もなく、ただ目の前に差し出されたものから適当に選ぶだけの論理構造になっています。その論理の根拠は「私らが自分で何をしても無駄、無駄」という、選挙を棄権して遊びに行く若者みたいなものです。これでは空想主義者のほうがまだましです。私が改憲派さんを現実主義者ではなく「ニヒリスト」というのはこのためです。
さらに言うなら、改憲派さんの主張は「現実的」なものでしょうか?単に「容易」で「簡単」で「お手軽」なだけではないでしょうか?
なぜならフツーは米軍は大筋で正しいと思うから米軍を支持するのです。なのに改憲派さんは、米軍には問題があり、民衆を抑圧していると、あたかも認めるような発言をしています。これは米軍批判が自分にかえってくることからは免れつつ、米軍を支持するという、手品かサーカスのような無理のある論理です。
考えてもみてください。日本の石油資源供給の生命線たる中東で、ある勢力が民衆を抑圧し、人々から憎まれていると認めつつ、その勢力を支援することが、長期的に見て「現実的」な選択でしょうか?百歩二百歩千歩譲ってイラク戦争に反対しなかったとしても、最低限、自衛隊を出したりせず、フリーハンドを確保しておくような巧みな外交を展開するべきではなかったんでしょうか。
抑圧され、無意味に殺されたりすることは、人間の自然な摂理に反します。およそ常に殺しつづけなくては成立しないような支配であるならば、アメリカにとっても大変な重荷であり、軍事的・局面的に勝利しても道徳的に敗北し、いつかは崩壊してしまいます。その時、日本には「米軍の協力者」という汚名だけが残るのです。
アメリカの支持者はみんな「米軍は抑圧者ではない。イラクの友人だ」と言っています。
ところが「暴力団の主力グループ」である米軍に協力すべし、つまりヤクザの子分になれという改憲派さんの主張は、そんなに「現実的」ですか?短期的にはみんなが恐がっていい気分かもしれませんが、ヤクザの子分がまともな人生をおくれるとは思いませんけどね。街の人がヤクザの暴力に耐えかねて団結し、ヤクザを追い出してしまったら、その子分はどんな顔して街で暮らしていけばいいんです?
>「夢想」が「夢想」で終わるかどうかは、その「夢想」に未来の現実へと通じる
>根拠があるか否かに懸かっていると思います。
確かにその通りです。「力だけ」の支配は人間の自然の摂理に反しているがゆえに、未来の現実につながっていません。また、まっぺんさんには異論があると思いますが、私たち夢想家は、「理想主義者」であっても、決して「空想主義者」であってはならないと思います。この点についてだけは、改憲派さんをはじめとするような人の声に耳を傾けるべきです。
「みなさん、争いはやめて話し合いましょ~」と、耳に聞こえのいい空論を唱え、ギターならして歌いながらおとなしく「パレード」してるだけではいけないと思います。(何もしないより100倍いいが)
まだまだ何もできていない自分への自戒をこめて。。。
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