去年の暮れに書いた記事の続きを、何事もなかったからのように今さら書く私であった(笑)。
→前編の記事はこちら、呼びかけと趣旨はこちらです。
◆ここでもヘタレの私 orz
さて、最初に見かけた公安私服の車はついてこず、山武署の刑事さんだけを引き連れてひたすら歩きます。実はこのコース、何度か車で送ってもらっただけで、徒歩で行くのはこの日がはじめて。事前に地図は何度も確認しましたし、Google Earth でもよく確認したから大丈夫とは思っていましたが、それでも道を間違えて刑事に指摘されないかとヒヤヒヤでした(無謀)。
このあたりから鈴木加代子さん宅あたりまでは条件派の拠点です。反対派の拠点集落からは遠く離れていますし、こちらが少人数なのをいいことに、空港職員とか変な奴が文句つけてくるかもしれんということも想定していました。一応、事前の「実行委員会」では、そういう変な奴が出てきても、我々はあくまでも毅然としてデモを続ける、殴られようがツバかけられようが、そんな輩は相手にしないという確認をしていました。まさに鈴木加代子さんはそういう中、日常的にあらゆる嫌がらせを受けながらでも一軒で、断固として義を貫いて闘っておられるわけですから、私たちがフラフラとした無原則な一対一対応でご迷惑をかけるわけにはいきません。
でもまあ、実際にはなんつーか、三里塚現地デモはいつもそうなんですが、人通り自体がすごく少ないというかほとんどいなくてね。車もたまにしか来ないし。田園地帯はやはり綺麗で立派だし、素人目にも農業に適した豊かな土地なのは素晴らしいのですが、それをぶち壊すように唐突に現れる工事用道路。これが「空港と共に発展する芝山町」の実態なんですかね。やっぱり空港というのはその性格上、周辺が発展して賑やかになるなんてことにはならないんですね。せいぜいが倉庫か駐車場くらい。むしろ一番太いのは、反対運動潰しのためにもばらまかれる、補助金狙いの空港利権だけ。それは原発や基地と同じことで、一旦出来てしまうと、地元の自律的な発展や未来なんてなくなってしまう。そして逆に原発や空港に寄生する以外に生きる道がなくなってしまう。それを空港や原発の「おかげで」とか、ましてや「共存」なんて言うのは悲しい詭弁です。他に仕事も選択肢もない福島の人々が、不安を抱えつつも除染などの被曝労働に従事しているなどと聞きます。やはりそんなの悲しすぎるし何かが間違っていると思う。
さて、話を戻しますと、一応この日もヤフオクにて3980円で買ったトラメガ(拡声器)を持参していたのですがね、なんか緊張と照れくささでなかなか最初の一声が出てこない。このあたりはデモはおろか、現地調査でもあまりコースにならないくらい、運動的にはこれといって何もないところですし、街中の普通のおっさんが二人だけで、そのあたりにある条件派(?)と思しき普通の民家に「裏切り者めー!」とか押しかけるのも、客観的に見たらちょっと痛いと思うわけで。
でもやはり、卑劣な嫌がらせに負けずに営農を続ける鈴木加代子さんを励まし、条件派や共存派に対して「お前らのすることをちゃんと見ているぞ!」という示威をすることで、微力でも鈴木さん一家を守るというのが当初の目的だったわけです。しかも駅から鈴木さん宅まで30分はかかると思っていたのが、少人数のせいで意外と早く鈴木さん宅に続く農道に差し掛かってしまいました。いかん!もうこれではいかん!いつまでもヘタレていたんじゃダメだと、シュプレヒコールの一つもあげようと、緊張で唾を飲み込んだ時、後ろからクラクションを鳴らす車が一台。ついに条件派の嫌がらせが!と思ったら、鈴木加代子さんと娘さんのお二人の乗った車でした。
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◆加代子さんと道すがら
ごめん。いや、そこで緊張していたのがなんだかもうホッとしてしまいました。後方を見ますと、まだ「デモ」の途中であるにもかかわらず、山武署の刑事が鈴木さんの姿を見るなり踵(きびす)をかえしてスタコラと早足で去っていくのが見えました。そのまんま娘さんの車と伴走しながら、鈴木さんと三人で談笑しながら歩きました。結局トラメガは最後まで使わずじまい。いやはやこれではどっちが守ってもらったり励ましてもらっているのかわかりゃしない。このあたりは次回の課題ですね。まあ、街中の私らにとっては、今回二人だけで条件派の拠点に旗を掲げるのさえ、結構緊張して覚悟がいった情けない状態なわけですが、やはり次回にはちゃんとヘタレず、あらかじめ覚悟を決めてシュプレヒコールだってあげるぞ!あと、デモコースももう少し長くてもいいかな。でもやっぱり最低3人、できれば5人はほしいなあと思う今日この頃です。
こうして3人(+車の一人)で歩いておりますと、やがて後ろからもう一台、ちょうど鈴木さん宅で援農されていた中核派やブント統一委派など、党派関係の皆さん方の乗った軽トラックもやってきました。道をあけましたが、狭い生活道路なので歩行者の安全に気を使って無理に追い越さず、徐行でついてきてくださったのが恐縮でした。途中で菱田小学校の跡地の横を通りました。今はなんか新しい校舎に移転してしまったそうですが、鬱蒼とした木々に囲まれた校庭の真ん中に見事な桜(だったかな)の大木が真っ直ぐにすっくと立っているのがとても印象的な光景で、こんな所で育てたら、きっといい子が育つだろうなぁと思ってしまいました。
鈴木さん宅では久しぶりのワンちゃんや、何匹もの猫ちゃんたちが出迎えてくれました。このワンちゃんは前に来た時にはすごく人懐こくて▽・w・▽、私なんかしっぽを振って飛びつかれたのですが、その後ずいぶんと嫌がらせを受けたのか家人以外の人にはすっかり警戒心が強くなっていて、私もうってかわっていきなり吠えられました。帰るまでには頭を撫でられるくらいには仲良くなりましたが(本来人懐こいおとなしい性格の子なんだよね)、これは余計なことだったか?むしろ常に強い警戒心を持っていたままのほうがよかったかな。
◆みんなでお茶会
そのまま加代子さん母娘に党派の現闘団の方々もまじえ、みんなでしばしお茶しました。とりあえずこの日持参した、みんなからのクリスマスプレゼントを渡しました。まだ鈴木謙太郎さんの喪中ではありますが、せめてこれくらい、「まあクリスマスは洋物だからいいでしょ」と。
中身もそんな大層なもんではなく、実用的なものをということで、使い捨てカイロと軍手をケース単位で量だけはどっちゃりもってきた。だから見た目はなんとなく豪華そう(笑)。援農の皆さんと使ってくださいということで、謙太郎さんの霊前にお供えしてきました。あと、クリスマスっぽい洋菓子の詰め合わせ。農作業の休憩につまめるように、個包装のものを選んできました。娘さんにもせめてちょっとでもクリスマスらしいものをと、子供っぽかったけどサンタの缶に入った可愛い目のお菓子詰め合わせを持って行きました。
後から解放派の方も来られ、休憩をはさみつつも忙しく働いておられるので、役たたずの私はちょっと恐縮。「私たちには私たちしかできないことを」とは当初の趣旨ですが、こういう前々から地道にやってきた活動家の実践を「市民」が高みから何の敬意もなく見下したように意見するのはありがちなわけで、やはりそれは本当によくないと思った。鈴木さんからは「いろいろ個人的なこと」も含めた現地の情勢をお伺いしました。うーん、そのあたりはどこまで書いていいのかわかんないので書かない(笑)。
◆便利な呪文 なんでもかんでも「反対派のせい」(゚o゚;;
一方、相川勝重町長や石毛博道さんら芝山町の共存派は、普通の「発展」は空港では無理(というかむしろ空港が邪魔)と諦めたか、最近では倉庫をいっぱい建てることを考えているらしいとのこと。そこで物流がどーたらこーたらで何とかなるんじゃないかということらしい。いろいろ話を聞いてると、相川町長よりむしろ石毛さんのほうが、とにかく何でもいいから空港の「おかげ」で何かがないと立つ瀬がないのか、もの凄く必死な感じがする。なんでそこまで空港のために必死なのか?闘争をやめたんならやめたなりに、そんな修羅の道に入らずごく普通に暮らせばいいじゃんよとか思うんですけどね。
だいたい空港自体が全然うまくいってないのに、そこからのおこぼれなんてありませんよ。そんで自分がうまくいかないのは俺や空港会社のせいじゃなく「全部反対派がいるからだ」と人のせいにして、一年中反対派の悪口ばかり愚痴みたいに言いふらしているわけでしょ。正直見苦しい。
つーか、よしんば明日反対派がいなくなったって、航空需要自体が急速にしぼんでいるのに空港ばっかり増えて、それで急にうまくいくわけないじゃないですか。それは「反対派のせい」じゃありませんよ、言っときますけど。芝山町の人口も1万人を切って減りつつあるわけで、このまま第三誘導路、24時間空港、30万回飛行と進んで、芝山町の騒音の悪化、騒音区域拡大となったら、「空港のせいで」もっと減りますよ。それでも共存という名の利権派は「毒食らわば皿まで」というわけですね。
なんでもね、倉庫の業者さんとか誘致するのに必死になってて、いろいろ下見とかに連れてくるんですけど、その業者さんの断り文句に、決まって反対派が使われるんですと。つか自分らが毎日「反対派が反対派が」ってばかり言っているから、その便利な口実が他人にまでに使われるんですよ。最初っからこんな山と田園に囲まれた、大型トラックがすれ違えもしない細い道しかない、しかも空港ゲートからも遠い芝山側に、なんで好き好んで物流基地作る業者がいるのよ。そりゃもう山も緑も田畑も全部つぶして道路整備してくれた上に格安とか、よっぽどの好条件がなきゃ来ませんって。でもそうやって地域を破壊し、住民を追い出して「発展」しても、共存派の論理で言えば本末転倒でしょうが。だいたい私が業者でも成田側に作りますよ。
◆冬瓜を手土産にいただきました(*゚▽゚*)
などというよなことも話ーの、ご家族の近況なども伺いーのしました。特に今回は、娘さんと初めてお話できたのがよかったです。そろそろ「お年頃」なので、加代子さんはお相手のことをいろいろ考えて心配しておられましたが、当の娘さんはお若いので、今はまだまだ彼氏がどうのとか旦那がどうのとか、そんな気は全然ないとのこと。このあたりは20代の娘さんがいる家庭なら、どこでもありがちな微笑ましい会話ですね。特にお父様が早くに亡くなられたわけですから、加代子さんの気持ちはよくわかりますよ。
さて、そろそろ鈴木さん宅をお暇する時間になりました。いったんここでこの日の行動はすべて終了です。おみやげに野菜をもらいました(申し訳ない)。さらに納屋に案内していただくと、そこには山のような巨大冬瓜(とうがん)が!「もう出荷できないから好きなだけもっていけ。なんならトラックで全部持って行っても怒らないからw」と笑っておられます。ありがたいけど、こんな大きなもの、一個持つだけでも大変だよー。
◆帰り道に横堀の山崎さんを訪問
その後、私は個人的に、昨年11・28の強制執行で自宅でもある横堀団結小屋を破壊され、追い出された横堀地区住民の山崎さんをご訪問するつもりでした。山崎さんは反対同盟旧熱田派の支援ですから、同じく北原派の農民である鈴木さん宅との同一行動では、お二人共に迷惑をかけたり不快に思われるのではと、あくまでも私一人の帰り道での個人的な訪問のつもりでした。結局はまあ二人共で行くかということになり、鈴木さんも「よろしく言っといてね」くらいの感じで特に問題ありませんでした。条件派に囲まれた鈴木さんにとって、山崎さんは「一番近くに住む反対派」なわけですし、ご近所さんとして普通に道で会ったりするわけですからね。それは反対派の拠点である東峰地区の皆さんもそうですが、運動の場面では非妥協的でも、農家や住人としての近所付き合いは普通にあったりするわけです。
その山崎さんは30年近く住んでいた横堀団結小屋を暴力で破壊され、住居を追われたわけですが、現在は横堀大鉄塔の下にある案山子(かかし)亭に移住し、生活を再建しておられます。つまり家を追い出されてなお、以前よりもより深く空港内部に食い込んで生活しておられるわけで、その不屈の魂には本当に頭が下がる思いです。おそらく今現地で暮らしている支援の中では、一番苦しい場所と環境で最も空港に肉薄して闘っておられるわけですから、反対派ならそのことに誰も文句は言えないでしょう。山崎さんにも勝手連のみんなからということで、沖縄ハムと黒焼酎の差し入れをお渡ししてきました。
なお、今回、山崎さんにはあくまでも個人的な訪問ということで、三里塚勝手連の名前は伝えず、鈴木さん宅へのデモの帰りに個人としてお伺いする旨だけを事前にお伝えしていました。そのため、山崎さんは事前には「北原派の支援が訪問してくる」と理解されておられたようです。それでも快く親切に迎えてくださいましたが、加瀬勉さんとも相談の上で、やはり無原則というか、なし崩しはよくないので、建物や鉄塔の中には入らないという条件でお話を伺うことができました。それはいいのですが、山崎さんは椅子やテーブルや飲食物まで外に用意していただきまして、終始私たちに気を使っていただき、かえってこちらのほうが恐縮いたしました。山崎さんには勝手連の趣旨は理解していただいていますので(と思う)、「もし勝手連の訪問だとわかっていたら、中に入ってもらったのに」と言っていただきました。
山崎さんには今回の横堀団結小屋破壊の経緯や、ご自身の学生時代からの三里塚へのかかわりなど、いろいろと有意義なお話を伺うことができました。また、現地や運動の現状とか今後の考え方など、貴重で考えさせられるお話が多かったです。ですがここでも、どこまで書いていいのかお伺いするのを忘れてしまいましたので、ちょっと詳しく書くのがはばかられてしまします。また、横堀団結小屋の歴史などは書いても問題ないと思うのですが、上に書いたような経緯で外での雑談っぽくなってしまいましたので、これは逆にここで断片的にうろ覚えな内容を書くのがもったいないです。ここはちゃんとあらためてお話を伺い、しっかりメモもしてからあらためて書きたいです。ただ一つ、山崎さんとその闘いを、心から応援したいと思うようになりました。
◆最後に僭越ながら一言
最後に二つほどご注意。まず、三里塚の各地にある闘争拠点なのですが、現在、反対同盟の北原派が管理している場所、旧熱田派が管理している場所があります。旧熱田派支援は人数が少なく、なかなか手が回らないということもあるのですけど、旧熱田派の人々は北原派の皆さんが管理しているものには無断で立ち入らないのに対し、北原派の方は旧熱田派の管理物件にまで、現地調査などの際に無断かつ大人数で立ち入っています。その中には横堀大鉄塔(案山子亭)のように、現在も人が起居している場所があったり、さらにかつて旧熱田派の第四インターを内ゲバ襲撃した中核派の皆さんが、ほかならぬその第四インターの団結小屋や鉄塔(現在は居住者がいない)に無断で立ち入り、自分たちのシンパに「闘争拠点」として紹介するかのようなことまで行われているようです。
立ち入っている方にしてみれば、元々これらは三里塚の共有財産だし、どうせ誰もいないんだからと、軽い気持ちでさほどの悪意はないのだと思います。旧熱田派の人たちも長年それを善意で黙認してきました。しかしはっきり言って不快なことではあるわけで、北原派系の支援に対する不信感のもとにもなっています。とりわけ横堀大鉄塔(案山子亭)は、今は旧熱田派支援の現地連絡事務所であり、山崎さん個人の自宅でもあります。なので今後、少なくとも横堀大鉄塔について、こういう無断立入りはお断りするとのことになったそうです。ここは個人の家でもあるのですから、それももっともな話だと思います。たとえ悪意はなくてもお互いに注意するよう呼びかけます。
次に、三里塚勝手連のことなのですが、これは「いわゆる三里塚闘争を過去の歴史も含めて支持・応援する」ということだけを唯一の一致点とする個人共闘です。活動内容は「現地集会で勝手連の旗を立てて個人でも参加しやすいようにする」また「現地集会以外でも三里塚闘争の存在と健在を知ってもらう」ということ、つまり「旗」だけの集団です。
よってその内部には様々な考えの人がいます。私のブログだけ読んでいると、北原派と旧熱田派の両方に顔出して応援している人たちと思われるかもしれません。ですが、実はそういう人はほんの数人しかいないのです。ほとんどの方は、今でも北原派と旧熱田派の、どちらかの集会にしか参加していません。両方の集会に「勝手連」の旗が立っていますが、旗は同じでもその下にいる人は違う人だということです。もちろん私のように、その意義や内容次第で、また、三里塚に関する幅広い状況を知らない方に正しく理解してもらいたいという思いから、あまりこだわらずに参加している者もいます。
要するに(「勝手連」なんだから当たり前のことですが)私や私の考えが、勝手連を代表しているのでもなんでもないということです。そのあたりをよくご理解の上で、個々の参加者や勝手連そのものに対し、いわれのない偏見やレッテル貼りをしないようお願いします。
<参考>鈴木加代子さん(農家便り(ブログ版)「背水の陣」より抜粋)
国と空港会社は、住民の生活無視で、芝山町住民の8割がなんらかの騒音にさらされるにも係わらず、「離着陸制限の弾力的運用」に関する町民説明会を開くという。
同じ騒音問題を抱える下総地区は地区を上げてこれ以上の時間緩和に反対の声を上げている。深夜2時から早朝5時に拡大だという。「やむを得ない」場合と注があるが、格安航空などの企業を向いての事で利益ありきになる。地元の安全、住民の健康、睡眠などは二の次。全てに被害を受ける我が家は、参加して反対を声を大にしてくるべきだろうが、あまり乗り気になれない、どうせ発言させてくれないだろうし、裏で攻撃が娘達に向けられるのがつらい。
仲良く付き合う間は古村は最高だと思うが意見が食い違う関係になるとこれ以上ない程生活しずらい。ここで生まれ育った父さんは仲間も多く浮く事は余りなかったが、他所からきた嫁が残り、暮らすにはきつい。きついがここで生きると決めたからトラクターを買ったりしてるが。原発阻止、TPP反対、沖縄、福島、と共に生きる。出来る事に制限が多いがここで農家として暮らしていきます。説明会は2月18日から3月3日までに7回開かれるそうですが、住民側を見ている下総地区に比べ、芝山町「相川勝重町長」は相変わらず国と企業を見ているのが情けない。
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