「大谷さんなら応援したい」あるタレントの発言から~スポーツとオリンピック

過去最多6万人体制も「歓迎されない五輪」で警備に逆風(毎日2021/5/17

by 味岡 修

 オリンピック (パラリンピックも含めて) についてはあれこれの事がさんざん言われてきた。テレビでも新聞でもオリパラに関する論評を見かけない日はなかった。そのどれをとりあげてもいいのだが、まとめていえば、こんなに歓迎されなかったオリンピックは史上はじめてだということだろう。人々の冷ややかな視線の向けられたオリンピックなんてかつてなかったことである。

 巷では大会を前にいろいろの規制がはじまり、何万人の警備体制が敷かれたとのことである。テレビでその報道を聞きながらやはり驚いた。何のためにこんな大げさな警備を必要とするのだろうか。テロ防止だって(?) 誰がテロをするというのか。普通の神経では考えられないことである。

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 いろいろと言われるがオリンピック(パラリンピックも含めて)はスポーツの祭典であり、祝祭であって、多くの人が歓迎はしても妨害などはしない。それが最低限のことである。近年はオリンピックを国威掲揚とやらに利用しようとする面々がいて、不快な気分にさせることが多くなってきているが、それらを織り込んでも、妨害などの意識は簡単には生じないものである。そういう意識が人々に出て来るとしたらよほどのことがある時だ。それはオリンピックが祭典(祝祭)という根本条件を失っているときだ。

東京五輪開会式

 祭典(祝祭)というのは難しく考える必要のないことであり、単純にいえば人のスポーツを楽しもうという気持ちである。そういう刻を持とうという気持ちである。あるテレビ番組で大谷翔平の活躍をみたタレントが、これなら応援をしたい、オリンピックはどうもそうなれないところがあるのだけれど、と言っていた。

 僕はオリンピックに参加する日本のアストリート達を応援したい気持ちを持ってきたが、どうもそうなりきれない戸惑いのようなものがある。これはオリンピックに「祭典」として参加する気分になれないのと同じである。どのような理由からであれ、今のオリンピックは祭典(祝祭)ということを失ったのであり、人々のオリンピックに対する気持ちを変えたのだ。

 政府筋や大会主催者は始まれば人々の気持ちが変わるだろうと言っていたが、のん気なものだというほかない。そりゃ競技がはじまれば何らかの形で選手を応援し、競技をみるということはあるだろうが、それは素朴に人が祭典として歓迎するという事とは違うのである。

 こういう、人々のこころの動きを日本の政治家たちは見ることができない。これはオリンピックにはじまったことでなく、そこでその欠陥が映し出されてというべきかもしれない。僕らはそういう日本の政治の姿をこのドタバタの中で見たといえるのだろう。

 コロナ禍を拡大するだけであるという危惧は危惧にとどまらなかった。こういうオリパラならやめればいいのだ。「原隊に帰れ」ということで中断された軍事行動だってあった。やめるはいつからでもよいのだ。そういう決断のできる政治家は日本にはいないのかもしれないが、である。

味岡修(三上治)

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ラグビー元日本代表・平尾剛氏が怒りの提言「スポーツと五輪を切り離せ」
東スポWebより一部引用

元アスリートの見解は――。 ( …中略… ) かねて五輪開催に異議を唱えていたラグビー元日本代表の平尾剛氏(46=神戸親和女子大教授)は自国開催の祭典をどう見たのか。大会を通じてスポーツの魅力を再確認しながらも、権力者の言動には怒り心頭。もう一度五輪の問題点を〝蒸し返す〟必要性を訴えた。

平尾氏 正直、心底からは楽しめなかった。やっぱり裏側を知ってしまったし、五輪を開催する上で社会が犠牲になっているのが頭にあったのと、コロナの感染者がすでに開幕前から増え始めていた中で( …中略… )楽しもうにも楽しめない。ずっと息苦しさを感じていました。

いい場面も正直あった。 (…中略…) 振り返ると心に残る場面はあって、やっぱりスポーツには魅力がある。つい感動する。それを再確認したと同時に改めて気がついたのは、スポーツと五輪は違うなということです。 (…中略…) 僕の心が動いたのはスポーツであって、五輪ではないんです

(…中略…) もう金まみれからは脱却しようと。商業主義そのものを否定するわけではなく、その過剰さを見直そうということです。 (…中略…) スポンサーのコンボイ(車列)が連なる聖火リレーなんて、明らかに行きすぎでしょう。もっと質素でいいじゃないですか。つまり、スポーツを五輪から切り離すということです。

 ――そのためにやるべきことは

 平尾 スポーツ界が言葉を持つことだと思います。当事者であるアスリート、元アスリートが言葉で意思を示さなければ、何も変わらないのではないでしょうか。これからスポーツをどうしたいのか、どうするべきなのか。五輪はこのままで本当にいいのか。当事者には声を上げる責任があると思う。

 平尾 河村たかし名古屋市長が(…中略…)金メダルをかんだ時点で、その場にいた人は何も言わなかったんでしょうか?  (…中略…) 菅義偉首相も (…中略…) 五輪を利用したイメージづくりを行っていましたが、書かれた原稿を読むだけでは逆効果だった気がします。 (…中略…)トーマス・バッハ会長の一連の言動は、日本や日本のスポーツ界をナメているとしか思えませんでした。これに対しては、きちんと怒らなければいけなかったと思うし、その怒りをこの先も持続させなければなりません

河村たかし名古屋市長が金メダルをかんだ
後藤希友選手の金メダルを突然かんだ河村たかし 名古屋市長

 アフター五輪のキーワードは「蒸し返す」。五輪が終わって約6割の人がやってよかったという結果も出ている。これは「スポーツ」を見て多くの人が感動したっていうことです。実際に見たのは五輪じゃない。大会の仕組みそのものは見えませんから。スポーツと五輪を切り離し、きちんと五輪に関する問題を蒸し返して検証をすることが必要です。

ラグビー元日本代表・平尾剛氏が怒りの提言「スポーツと五輪を切り離せ」「金まみれ問題の検証が必要 (tokyo-sports.co.jp)

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味岡 修(三上 治)souka
文筆家。1941年三重県生まれ。60年中央大学入学、安保闘争に参加。学生時代より吉本隆明氏宅に出入りし思想的影響を受ける。62年、社会主義学生同盟全国委員長。66年中央大学中退、第二次ブントに加わり、叛旗派のリーダーとなる。1975年叛旗派を辞め、執筆活動に転じる。現在は思想批評誌『流砂』の共同責任編集者(栗本慎一郎氏と)を務めながら、『九条改憲阻止の会』、『経産省前テントひろば』などの活動に関わる。