昨日は少し仕事が早く終わったのですが、腕が痛くてとうてい文章を書けるような状態ではなかったので、ぶらぶらと他人様のブログや掲示板などネットサーフィン(死語)しておりました。
それで例の潜水艦スパイ容疑の記事など見て回っていましたが、何件か公安調査庁について言及したものがありました。「おー、普通の人でもあの『お役所』に興味がある人がいるのだなあ」と感心して、検索をかけたりしてみましたが、中には「応援する」とか「強化」「予算増額」を主張する方もいました。
そういうのを見て思い出したのが、ここに転載する記事であります。これはカテゴリーが「懐古趣味」ですので、もちろん昔(80年代)の私の青春時代の「想い出」の記録です。それを前提にあまりマジで熱くならずにご覧下さいませ。
結論から申しますと、あそこ(公安調査庁)に外交や北朝鮮関係で「期待」したり「応援」しても、よほどの幸運がない限りは無駄です。あれはまぎれもない法務省外局の「お役所」であり、調査官は公費で飲み歩くことが大好きな「普通のお役人」です。その後は知りませんが、少なくともバブル期までそうでした。予算増額はこと外交関係で見れば、おそらくは税金をドブに捨てるようなもんです。
いやいや、怒る前に以下の記事を読んでみてくださいな。これは「ベテラン調査官」の面々が、いわば素人であるはずの私達(当時20代前半)に手玉にとられ、スパイするはずが逆に長期間に渡ってスパイされたあげく、そのことに全く気もつかず、更には「公務」と称して税金で飲食を繰り返したり、おそらくは経費をちょろまかすために「領収書集め」をしている様子を暴露されてしまったものです。
言っておきますが当時の私達と言えば、組織結成から約10数年、動員力はたった500人で、こういう索敵活動も辞さないカードル層と言えば200人もいませんし、実際に索敵活動をしたのは10人くらい。そんな党派に連続して4人もの公安調査官が次々と摘発されてしまったんです。これで中国や北朝鮮の諜報機関を相手に情報戦の死闘を繰り広げろなんて「死ね」と言うに等しいではありませんか?
何でも沈没した北朝鮮の工作船から引き上げられた携帯電話のメモリーに、日本の暴力団関係者の番号がいっぱい入っていた(ついでに現職公安調査官の電話番号も!)とか言われてますが、それが本当なら、公安調査官や公安警察はちゃんと決死の覚悟で暴力団に潜入操作やスパイ活動してるんすかね?まあ、おそらくは正規ルートでありきたりの捜査しかしてないんだろうな。
聞こえてくるのは市民団体がビラをアパートに入れたのを「住居侵入」で逮捕したとか、アパートの同居人が契約した時と違うから「詐欺」で反戦活動家を逮捕したとか、さらには宅急便の差出人欄が、実際に送った人間と違ったから逮捕したとか、そういう「なめとんか!」ちゅうような「弱い者いじめ」を、まるで駐禁の切符を切るがごとくに繰り返しているだけ。おまいらええ加減にせいよ!他にやることないんかい!
あとね、これだけは言いたい。みなさん少し無防備すぎますよ。ネットでは串を通したりしているあなたも、実生活ではどれだけ気をつけてますか?そんなに神経質になることもないし、個人では限界もあるでしょうが、右派左派問わず、政治的なブログを書いたりしている方は、是非ともこちらに目を通してみることをおすすめします。この内容は政治活動をしている人間にとっては、最低限のとるに足らない当たり前の「防衛レベル」の注意に過ぎません。私はこのブログを書きはじめてから、せめてこれくらいの内容くらいはできるだけ実践するようにしています。みなさんも、せめてざっと読んで頭の隅にとどめておいてください。それだけでも随分違います。
それはさておき記事の本文です。公安調査庁に「期待」されている方にはかなりショックかもしれませんが、すべて書いてある通りの実話です。なお、再録した記事本文に関係するお問い合わせ、返答を要する各種の疑問、批判、質問などには「一切お答えできません」のであらかじめご了承ください。
●この記事を読む視点
1)公安調査官の実際のお仕事がどのようなものなのかを知ることができる
2)納税者として税金の使われ方を考えることができる
3)現在でも行なわれているであろう市民運動への介入予防の資料にできる
4)はした金で「公安協力者」になんてなるもんではないという教訓を得られる
5)つーか、単純に今読むと面白い
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●個人情報の扱いについて
1)一部を伏字にした件について
これらの記事は、OCRソフトを使って原文をそのまま読み込んだものです。なお、ソフトの変換ミス以外に以下の点を修正いたしました。
まず、記事原文には、摘発された公安調査官の氏名はもとより、現住所から電話番号、本籍まで暴露されています。さらには本人だけでなく、その家族構成や家族の氏名、その勤め先まで調べ上げて掲載されています。また、民間の「公安協力者」についても全く同様の措置がとられています。
これらは18年前のものですし、すでに機関紙に掲載されて大量に全国の書店などでも販売され、更にはその総集編が単行本として出版までされており、今でも左翼系の古本屋に行けば普通にそれが並んでいて簡単に入手できる状態です。
ですから、今更私がここで隠してもあんまり意味はないのですが、やはりご家族、それも特にお子様は親の職業を選べないわけですし、その気持ちと人権に配慮してすべて伏字もしくはモザイクとしました。自宅写真についても、マスコミやワイドショーが「犯人の家」として放映する時にかけられている以上に強くモザイクをかけました。
2)調査官本人の情報について
ただし、公安調査官本人とその勤め先については、公務員が公務として税金を使って行なった活動の報告であること、さらにその活動が、「刑事犯でもその容疑者でもない国民」に、自己の所属する団体のスパイ活動という「義務なきこと」をさせようとする権力行為であること、おまけにそれは違法行為であること、前述したようにすでに大量に公開済みの情報であることなどを総合し、記事本文のまま修正しませんでした。ただし必ずしも公務活動とも言いきれない通勤経路などのプライバシーについては伏字とし、顔写真についてはモザイクで目消しをするなどの配慮を行なっています。
3)公安協力者の情報について
民間人であることを考慮して、個人名や個人情報はすべて伏字としました。ただし将来に渡って通常の反戦市民運動など、国民の正当な政治活動への介入がなされる危険を考慮し、調査官が今後もスパイ活動の拠点として使用することが予想される会社名とその大雑把な所在地についてはそのまま修正しませんでした。
///以下、記事本文//////////////////////////
第1弾千葉 公安調査庁のスパイエ作を暴く
●はじめに
全国の同志・友人諸君!労働者・農民・学生・市民の皆さん!
わが戦旗・共産同は日帝・公安調査庁による革命党破壊・三里塚闘争破壊のためのスパイ活動を摘発し、その反革命活動の実態を掌握することに成功した。
数年前千葉県内の街頭情宣でわが同盟に接近し、「山田」と自称してシンパになりすまそうとした人物をわれわれは長期にわたって監視下に置き、慎重に調査を重ねた結果、ついにこの人物が公安調査官、東海林孝幸(しょうじたかゆき)であることをつきとめた。そしてこの東海林の反革命スパイ活動を逆包囲することを通じて、日帝・公安調査庁のスパイ活動の実態と、驚くべき反革命性が明らかとなったのである。
ここにわれわれはそのスパイ活動の全貌を全人民の前に明らかにする。あわせて日帝・公安調査庁と東林孝幸に対する階級的報復を宣告するものである。
●7・4デッチ上げ弾圧の手引き者、公安スバイ「山田」=東海林を摘発
わが戦旗・共産同は昨年9・14首都圏25ヵ所の強制家宅捜索、印鑑・肉筆文書類の無差別大量押収をテコに開始された日帝権カの「7・4ゲリラ」フレーム・アップ=革命党破壊攻撃に抗し、このデッチ上げ大弾圧の手引きをした公安調査庁のスパイを摘発した。
このかんわが同盟にしかけられてきた7・4フレームアップ弾圧こそは、中曽根戦争国家計画にもとづく安全保障会議-合同情報会議発足による一元的な治安弾圧の強化と、日帝山田の過激派壊滅戦略-88年警察白書路線による革命党破壊攻撃の具体化にほかならなかった。日帝権カは法も人権も無視し、「潜在的違法事犯」摘発などと称して何の証拠もないままにわが党の先進的同志たちを次々と逮捕し、「取調べ」ど称する拷問にひとしい長時問の拡向強要によって武装を内包する革命党の背骨をへしおろうとした。あまつさえ、9・14家宅捜索においては「証拠」なるものをデツチ上げてまで、弾圧の糸□をつくろうとしてきたのである。
わが同盟は、革命的武装闘争の前進に対するこの日帝怖力の階級的恐怖と憎悪を一身にあびながら、それに屈することなく、腹の底から煮えくり返る憤怒をもバネとしつ、これへの階級的反撃と報復を決意し、極秘裡かつ慎重にスパイ摘発の闘いを開始した。そして、ついに、法務省・千葉公安調査事務所成田分室、公安調査官・東海林孝幸の摘発と、その反革命活動の実態を掌握することに成功したのである。
われわれの公安スパイ摘発の闘いは、昨年9・14強制家宅捜索の実態にかんする調査をつうじ開始され、11・5弾圧以降はさらに加速の度を加えていった。
その発端となった9・14家宅捜索は、それまでの家宅捜索とは極めて異なるものであった。捜索対象となった居室内にある個人の印鑑や署名入りの身分証、免許証、登録証と学習ノート類が根こそぎ無差別に押収されたばかりではない。千葉市内の事務所においては、次のような異様な事態が現出したのである。
すなわち、朝7時、事務所を急襲した警視庁公安一課警部補松村徹らのデカ共は、眉をつりあげ目を血走らせながら捜索を開始した。他の事務所で行われたような、学習ノート類の物色が済むや、「おかしい、ないぞ」「どっかに隠してんだろ」などと喚きながらバールやハンマーでカベやタンスを叩き、タタミをあげ、天井をさぐるなどし始めたのである。彼らはそれからおよそ六時問、じつに午後二時まで、狭い室内を破壊まがいの行為で物色した。そしてその存在を想定していたらしい押入れのハリを改造した「隠し戸」を捜し出し、更におよそわれわれのあずかり知らぬ車両の「現在登録事項証明書」数葉が出てくるや、宝物を捜しあてたかのごとく驚喜し、「あったぞ」「やっぱりあった」などと叫びながら押収品目録を書きあげ、さっさとひきあげていったのである。
そのような顛末は全く予期せぬ出来事であった。立会人自身が一体何のことかわからなかった。
そもそも、「おかしい」「ないぞ」「出てくるまでは帰れない」などとわめき、血眼になって六時問以上も捜索を続けること自体異常である。公安共は明らかに「ここに目標とするものがあるのだ」と前提したうえでバールやハンマーを持参し、執擁に、本当に「何か出てくるまでは帰れない」と思いつめた様子で、「ここでもない」「あそこでもない」とさぐり回ったのである。
われわれは当初、こうした異様な事態を必ずしも十分に掌握しきれていなかった。しかし、およそありえない「現在登録証明書」が記載された押収品目録への不審から、ただちに調査は開始された。その結果、家宅捜索のやり方が他の所と比べても異様であること、捜索に当った公安は確信というよりもせっぱつまった悲壮感さえただよわせていたこと、などが次々と明らかになってきたのである。
われわれはこれらの事態から、権力による何らかの組織破壊活動やスパイ活動の家宅捜索以前の存在を推論した。それとともに、千葉地区労共闘の周辺に複数の不審人物が浮かび上がってきた。
その一人が、ここに明らかにする「山田」こと公安調査官・東海林孝幸である。
数年前、千葉県内での街頭情宣・署名活動中接近してきた「山田」は、いくつかの不審点があった。そもそも「山田」は、「話をしたい」ど持ちかけながら、署名には応ぜずフルネームもあいまいに口を濁し続けた。自宅の住所や実家は「親は反動的で、意見が合わず対立している」「仕事上オフの時に呼び出されたくないので電話はつけてない」とくり返し、「できればあまりかけて欲しくないが、どうしても用事がある時は職場に電話してくれ」「ただし、営業で出回っているので、いないかもしれないと、「職場」の電話番号以外、何も明らかにしていない。その「職場」は、彼の言うとおりの名前だが、電話しても「山田」は全く出て来ない。また、討論のさい彼はこちらの話をろくすっぽ聞かずにいるかと恐うと、質問事項をノートに書いてきて『戦旗』に書いてあることや三里塚のことなどを質ねる。そして必ず食事などに誘い、カンパもほぼ定期的に行うが、闘争に誘っても「弾圧が恐い」「党派にはちょっとアレルギーがあるが、支持はする」といって参加しない等々。要するに公安調査庁によるスパイ・情報収集活動の常套の手口でわれわれに臨んでいたのである。
だが、これだけではあくまでも情況証拠にすぎない。「山田」にしても偽名との推測が成立する。われわれはこの公調スパイの人物特定と公安調査庁のスパイ活動の実態を暴き出すべく、慎重な索敵活動を開始した。
この闘いは11・5、29-30と打ち続く「7・4ゲリラ」デッチ上げ弾圧のまっ只中で、堅忍不抜の戦闘精神を発揮し、食うか食われるかという苛烈な権力弾圧との死闘戦どしてかちとられた。「山田」との接点は、労共闘の同志が会う時のみであり、そこからの追尾は公調に叩き込まれた「山田」の反革命的警戒心ゆえに困難をきわめた。しかしわれわれは、7・4フレームアップを手引きしたこの極悪反革命スパイ「山田」への腹の底からの怒りと、絶対に反革命を許さない決意のもと、ついに「山田」が公安調査官・東海林孝幸であり、千葉県××市内の新興住宅地に両親と共に住んでいることを探知するとともに、「職場」がスパイ活動の中継拠点でもあることをもつきとめたのである。
9・14以来のわれわれの執念ともいえる反革命スパイ摘発の闘いは完全に勝利した。わが同盟は、全党全軍の同志諸君と全人民の前にこの事実を公表するものである。
●革命党破壊と三里塚弾圧ねらう公安調査官、成田分室勤務、東海林のスパイ活動の全容
われわれの索敵活動の結果判明した公安調査庁のスパイ活動は、「山田」の接近以降の経緯と合わせて明らかにするならば、以下の通りである。
数年前、千葉駅頭で行なわれた街頭情宣で偶然を装って接近して来た「山田」は、「専修大部落研のノンセクトだったことがあり、当時カクマルに追いまわされたので党派にはアレルギーがある。(七〇年代初頭に戦旗派の部落解放運動担当者であった)B氏を知っている」、「自分は生活をかけて闘うことは恐いが、支援だけならしても構わない」などと語って「シンパ」になりすましスパイ活動を開始したのであった。
「山田」自身が語った自己のプロフイールは、1953年生まれ(現在35才)、長野県出身、両親とは対立しており、両親は今も長野に住んでいる。専修大卒業後不動産会社の営業をやった後、「かね三印刷」に就職したというものであった。しかしこれは言うまでもなく、すべてが嘘っぱちであった。
月に1~2度会い、『戦旗』を購読し、月に5千円~1万円を「カンパ」し、会う度に食事に誘うこの「山田」という人物に対し、二年前から担当を引きついだA同志は不審に思い、組織に報告するとともに、調査のため慎重に接触を継続してきたのであるが、9・14弾圧以降の徹底した索敵活動の結果われわれはついにこの「山田」の正体をつかみ、スパイ活動の実態を杷握することに成功したのである。
「山田」の本名は東海林孝幸。1957年1月10日生まれの32才(年令を偽わったのは「B氏を知っている」という嘘とのつじつまを合わせる為である)。出身は東京都豊島区で、中学~大学時代を千葉市幕張町で過ごした後、10年前の79年、大学卒業と同時に××××に隣接する千葉県××市×××××10丁目15-3に家族ぐるみ家を購入して移転、現在も独身で父、××61才、母××57才、弟××24才と同居中である。
東海林は大学を卒業後、法務省に中級国家公務員として入省、直ちに公安調査官として採用される。一般に公安調査官は法務省中級職の中から採用されるが、東海林もまた積極的に自ら進んで反革命スパイの道に入ったのである。そして千葉県公安調査事務所に配属された後、スパイ活動に従事し、その「功績」を買われて、本年4月から成田空港内に在る三里塚闘争弾圧専門プロジェクト=千葉県公安調査事務所成田分室に「抜擢」されている。東海林は毎朝自宅から成田空港内の事務所に出勤し、そこを拠点に職業的反革命として三里塚闘争破壊の悪業を働いていたのである。
●公調スパイヘの中継拠点、「かね三印刷」の実態
この東海林が勤務先と称していた「かね三印刷」は公安調査庁のスパイ活動の中継拠点であり、経営者××××63才と、妻・○○63才は公安の意識的協カ者である。
「かね三印刷」とは何なのか。別掲コピーにあるように電話帳には「かね三印刷」及び××××の双方の名義で同じ電話番号(0472-××-××××)が記載されている。住所は千葉市××2-××-106となっているが、これは×××××××××106号室のことで、写真で見る通り2DKの××××である。ここには××××、××夫婦と次女×××(27才)が住んでおり、長女×××(35才)は三鷹にアパートを借りて、六本木のスナック「×××」で働いている。
われわれの調査によれば、「かね三印刷」は会社登記もしていない個人営業の印刷取り次ぎ屋であり、××夫婦と次女××のみが家族で営業しているのであり、社員など一人も雇ってはいないのである。
全く許し難いことに××は東海林が公安調査官であること、そして闘う労働者へのスパイ活動のためのトリックであることを百も承知で、連絡先を引き受け、スパイ活動の中継拠点の役割を自ら積極的に担っているのである。
そのシステムは次の様なものである。つまり、A同志が「かね三印刷」に電話をすると××夫婦のいずれかが電話に出て、「山田は出かけている」と答える。××は「夕方頃もう一度電話をして欲しい」と言った上で、千葉県公安調査事務所の東海林に電話をし、返事を間いた上で、再び電話をしたA同志にそれを伝えるというものである。これが、東海林が千葉市中央港法務局ビル7階にある千葉県公安事務所に配属されていた今年3月までのやり方であつた。
そして今年4月に東海林が成田空港内の分室に配属されてからは、××は千葉公調事務所の後藤に電話をし、後から東海林に連絡が伝わるというシステムがとられるにいたっている(次頁の図を参照せよ)。
●中継の手口はどうなっているか
その1 かね三印刷=××の電話応対
電話で応対するのは、大体は××××だが、××が不在の場合には妻・○○が対応する。たとえば、こんな具合だ。
プルルルル・・・(電話の呼び出し音)
○○ もしもし、××でございます。
A もしもし、「かね三印刷」さんですか。
○○ ハイ、そうです。
A 私、Aと申しますが、山田さんいらっしゃいますか。
○○ (やや声がうわずった様子で)あ、あ、山田さんね。今ちょっと出かけていますが、アノ、連絡とれ次第そちらにお電話させますけど。
A 実は私もいま、出先なもので。山田さんはいつもお昼頃帰っているというふうにうかがっているんですが。
○○ え、えエ、そうなんですけど、今日はちよっと、まだ。伝言はできますけど。
A 実は、○○日頃お会いする予定になっていたんですが、ちょっと私の方で都合が悪くなってしまいまして、XX日か△△日頃ならどうかと思いまして。
○○ (メモ用紙をとるのか、ちょっと途切れる)Xx日と△△日、Aさんですね。お宅の方は何時頃がよろしいんですか。
A 時間はちょっと、その日によって違っちゃうもので、もし、どの日か都合がつけばなんですけど。
○○ じゃあ、あの、またお電話いただけますか。夕方にでも。四時か四時半頃にでも、あまり遠出してなければここに居るようにさせますので。
A そうですか。いろいろ御無理言って申し訳ありません。
○○ じゃ、四時か、四時半頃に。
A ハイ、わかりました。
××が居る場合には、○○は用件も何も聞かずに、直ちに××に電話を代わり、××がやや落ち着いた様子で、ほぼ同様の応対を行う。そして、「山田」=東海林への連絡を行うというわけだ。
それは大体、こんな具合なのである。
その2 ××から千葉公調への連絡
×× もしもし、公安調査事務所ですか。
男 ハイ、そうです。
×× ○○さん、いらっしゃいますか。
男 ちょっとお待ち下さい。
・・・・・・・・・・・
○○ ハイ、○○です。
×× あの、××です。いまね、東海林さんのところへAという人から電話があったんですが。何か、○○日に会う予定だったけど、都合悪くなったんで、X×日か△△日にしてくれと言ってまして。それで東海林さんの都合間きたいから、今日の4時か4時半にもう1度電話が入ることになってるんですが。
○○ 4時か、4時半頃ですか。
×× ハイ。それで、もし来られたら、あの、その時間頃に帰ってくるかもしれませんて返事してしまいましたので。
○○ ああ、そうですか。もしあれでしたら、そうですね。じゃ、あのオ、東海林の方からそちらへ電話させますわ。
×× わかりました。
○○ じゃ、確認しますけど、Aさんからの電話で、××日と△△日にしてくれ、ということですね。
×× ハイ。
○○ それで、向こうは電話してくれとか、そういうことは。
×× 出先だと言ってましたけど。
○○ 向こうもね。じや、おりかえし電話させますので、よろしく。
×× よろしくどうぞ。
こんなふうに、東海林が勤務先と称するかね三印刷=××から千葉公安調査事務所(担当者は現在、後藤某と推定される)への連絡がいき、そこから次は東海林に連絡がいくわけである。そしてA同志の電話連絡先が決まっていれば、東海林が直接電話をかけてくる。しかし、東海林はかね三印刷に電話してもいつも不在だど「おかしい」と疑われ自分がスパイであると露顕することを極度に恐れており、しばしば、実際に勤務していることを証明しようともしてきた。他方、××も、自らがカゲにかくれてヤバイ反革命活動を行っていることに小心翼々となり、いつもいつも「いま、ちょっと出てますので」と応対することに不安を感じている。そこで、次のような共同謀議が成立することとなる。
その3 東海林と××の共同謀議
東海林 こんにちわ。
×× ああ、いらつしやい。お待ちしてました。
東海林 いつもお世話ばかりかけて申訳ありません。
×× いや、そんなことないですよ。まだ電話も入ってないし、この時間なら十分ですよ。
東海林 いつも「出先」じゃ、ちょっと郁合悪いですからね。たまには、一応ここに居るってことを示しておかないと。ちょうしいいようでも、あれで彼らもけっこう疑いっぽいですから。
×× そうですよ。やつぱりね。たまには居て、直接電話とってもらったほうがこっちもやりやすいですしね。私もね、もし、向こうが東海林さんの着く前に電話してきたら、もうすぐ帰ってくるから、もう一回電話下さいと言うつもりで待ってたんですわ。
東海林 そこまで考えていただいて、本当に助かります。今日はぜったいうまくいきますよ。
×× ここまでやれば大丈夫ですよ。もうそろそろ来ますかね。
(プルルルル・・・・)
あ、電話です。ちょっと待って下さい。はい。そうです。あ、いま、帰ってますんで、すぐ代わります。ちょっとお待ち下さい。
東海林さん、来ましたよ。
こうして東海林は、××の積極的協カのもとに、「かね三印刷」を自らの職場と欺騙し、公安調査官の身分をかくして、ヌケヌケとスパイ活動を継続してきたのである。
このようなシステムであるが故に、東海林は通常は「かね三印刷」には居る訳はないのであり、このため「女性から職場に電話があるとからかわれるから困る」「周囲から変な目で見られてしまう」とか言って、「できるだけ電話をしないで欲しい」などとA同志に要請していたのであった。
公安調査庁と一体となり、スパイ活動の中継拠点として積極的に協カしてきた××××、妻××の責任は重大である。われわれは東海林とともに、××の反革命活動の責任を徹底的に追及するものである。
●三里塚闘争弾圧のエキスパートとしての抜擢
以上みたごとく身分、身元を偽装した東海林は「山田」になりすまし、シンパとしてオルグされる形を装いつつスパイとして情報収集活動にいそしんできたという訳である。
この反革命スパイ東海林が求めていたのはどんな情報か。A同志が東海林の質問を毎回チェツクしてリスト化したものの中からピックアップしてみよう。
「『戦旗』に半公然というコトバが使われているが、これまでの公然-非公然の重層的展開とはどう違うのか」
「三里塚の次の現地集会は秋までないのか。年二回しか全国集会が開催されないというのはまだ克服すべき問題があるのではないか」
「三里塚で今何か変わったことはないか。闘争前に何かイベントをやるのか。今回の闘争スローガンはどうなるのか」
もとより東海林をマークしていたA同志は『戦旗』紙上と同様の説明にとどめたのであるが、東海林はこれらを「ネタ」に報出呈募作成し、その「功績」をもって三里塚闘争関係のエキスパート面して、三里塚闘争破壊のみを目的に設けられた成田空港分室に今年4月から配属されたという訳である。
成田に配属されてからの東海林は、その反革命的職業意識とホンネを一層剥き出しにして、自分のポイントになる成田関連のことだけに異様な関心を示し、われわれを苦笑させる程であった。
日く、「今回の『戦旗』はリクルートとか消費税とか、普通の新聞と同じようなことが扱われていて、三里塚のことがあまり出ていないから面白くない」
さらに、4月27日には、「空港公団が、『朝日ジャーナル』の意見広告に対し、収用問題については買い受け権は発生しないという見解を発表したが、それに対し法的反撃などしないのか」などと言うありさまである。語るに落ちるとはこのことだ。空港公団見解が新聞に掲載されたのはその翌日の四月二十八日の朝刊であり、東海林が語ったその時点では公団見解はどこにも一般には公表されてはいなかったのである!
●絶対許せぬ七・四デッチ上げ弾圧への関与
このような東海林の悪業の中でも最悪のものが9・14フレームアップ弾圧への関与である。われわれは東海林がこのフレームアツプに実体的に関与していた動かぬ証拠を把んだ。絶対にこのことをアイマイにはしない。
昨年九・一四不当な家宅捜索をもってフレームアップ弾圧は開始されたのであるが、その時東海林はA同志に対してこう言ったのだ。
「仕事で面自くないことがあり、一生懸命仕事をしてもそれが何だと思ってしまう。実は二、三日前に社内的には重要な出来事があったのだが、それを知らないと仕事上不都合であるにもかかわらず、自分がそれを知ったのは昨日であり、それも又聞きのような形で知らされた。普段、自分はそれなりに仕事をこなし会社(公調)に貢献していると思っていたのに、こういう時に自分だけ知らされないのが、情けない」
ここで東海林が言ってることは、次のような意昧である。
そもそも9・14家宅捜索以前にその予備材料となるものを提供してきたのは自分である。だが実際のガサが行なわれた際には、それが9・14にやられるということを自分には知らされなかった。「知ったのは昨日」つまりA同士に会う直前であり、「それを知らないと仕事(スパイ活動)上不都合」なのは明白なのにというわけだ。それがおもしろくないと東海林はボヤいイいるのである。それが夫婦と娘で営業している「かね三印刷」内の出来事でないことは全く明白だ。
さらに11・5弾圧に関する言い草は怒りなしには聞けない。
「集中的に弾圧されているが、かなり大変なことなのか。自分に弾圧が及ぶことはないか」
「逮捕された人は地区キャップクラスと新聞にあったが本当か、大変じゃないですか」
「M君が釈放されてよかったですね。元気ですか。彼はあなたと一緒に活動しているんですか」
自らスパイ行為を重ね、11・5フレームアツプ弾圧に積極的に関与しつつ、ヌケヌケとこんなコトバを口にした東海林よ。われわれはお前を絶対に許さない。反革命スパイの末路がどんなものであるかわれわれは必ず思い知らせてやる。
●スバイを職業とし出世もくろむ東海林の根っからの反人民性
すでに明らかにした如く、東海林は革命党と三里塚闘争に対するスパイ活動を職業とし、そこで「ポイント」を挙げることにより出世をもくろむ根っからの反革命であり、それだけで万死に値する。
われわれはこの東海林を逆包囲し、調査する過程で公安調査官どもの驚くべき反人民的な実態を把んだ。それは東海林ら公安調査官どもは年問19億円規模の活動費の大半を自らの私腹を肥やすために流用しているという現実である。
例えぱこんな具合だ。
東海林は毎回A同志を食事に誘ったのであるが、その際「今日は○○が食べたい」と言って、必ず東海林の食べたい所に連れて行き、常にA同志より高いものを注文し、「自分は営業なので経費で落とせる」と言って、必ず領収証を受け取る。何のことはない。東海林が公調の経費で食いたいものを食い、飲みたいものを飲んでいるのである。
だがさらに決定的なことは「自分は営業なので経費で落とせるから使えそうなレシートがあったらくれないか」などとA同志に持ちかけてきたのである。「経費のおとし方、チェックに社長はきびしい」とか言いながらせっせと領収証のたぐいをためこもうとしているのだ。
東海林はここ何年か毎年夏になると海外旅行に出かけ昨年夏はアメリカに行ったが、この時は次のように話している。
「自分は以前は海外旅行など少しも行きたいと思わなかったが何年か前、ふと思いついてタバコをやめ、競輸、競馬もやめたがそれだけで一年で海外旅行に行けるだけの金がたまる」と。
そうだ。確かに貯まる筈である。自分の食事や遊興費さえ経費で落とし、周囲から「使えそうなレシート」を集めて、それも経費として公金横領をなし、しかも領収証がある訳でもない毎月の「カンパ」と称した反革命調査費から抜きとれば、それくらいの金は充分に貯まるというものだ。
『わが罪はつねにわが前にあり』(松橋忠光著)などにおいて警備公安警察が捜査費を喰いものにし、二重帳簿を作って私腹を肥やしている実態が内部告発されているが、まさにそれと同じことが公安調査庁でもまかり通っているのである。そのようにして貯めた金で東海林はオランダ・ヨーロツパ・アメリカど遊びまわっているのだ。
権力をカサに着て、私腹を肥やすのが権力者どもの常であり、リクルート疑獄などはその典型である訳だが、その番犬どもである警備公安警察も公安調査庁も全くもって同じ穴のムジナなのである。まさに日帝支配階級は上から下までマネーの亡者になり切っているのだ。
ところでこの東海林どいう男は実に尊大で自信過剰であり、同時に実に小心翼々たる人物である。
自分がスパイと疑われているかもしれないと思うとすぐ顔色を変えてしまい、われわれの側が調査継統のために何度もなだめなければならない程であった。そのくせ普段は尊大で極めてじょう舌でもある。
「自分は仕事はできる方だと思っている」などとA同志の前でウヌボレてみせ、「自分は女性にもてない。女性と話をする機会はAさんと会っている時以外ない。あなたの結婚観はどうか」などと言いつつ、ディズニーランドや「ららぽーと」にしつこく誘ったりした。
毎日どんなに遅くなっても親元に帰宅しており、32才にもなって親離れできないのが現実であるにもかかわらず、「長野に両親が住んでおり父親が反動的で中学位からけんかばかりで最近はたまに帰っても口もきかない。父親とはもう何年も話したことがない。田舎に帰っても近所の友人の家に泊まったりして実家には一晩くらいしか泊まらない」などと、さも父親と階級的に対立し、問題を抱えているかの如く装ってみせる。
しかもこの男は自信過剰に陥った時には現実を織りまぜてA同志に得々と語るのが常であつた。
昨年暮、ちようど東海林の成田への配属問題が検討されていたであろう時期には、「実はある人から成田にある外資系の新会社に来ないかど誘われている。営業だから得意分野ではあるが全く経験のない仕事なので迷っている。四月から来てくれと言われているのでそうなるかも知れない」などと語っていたのである。
このような東海林の二面性は、実は自らのスパイ活動の反人民性を自覚し、その発覚を恐れるどころから来ている。A同志と別れた後などは異常に周囲を警戒し、だれかに尾行されていないか気づかう。少しでも監視されていると思えば次にA同志と会った際に「自分は警察に尾行されている」などと語り、そのことをもって自分がスパイではない証しにしようとさえするのであるが、自宅周辺や「かね三印刷」に来る時などは全く無警戒そのものであり、どんなに接近して監視されていようと全く気付きもしない。
例えぱ東海林は毎朝6時50分頃徒歩で家を出る。×××駅までだいたいは徒歩でウォークマンを聞きながら歩き、時にバスを利用することもある。7時8分の急行成田空港行に乗り、空港駅まで行った後、徒歩で成田空港分室まで行くというのが毎日のパターンである。長期にわたってこのパターンが監視されているにもかかわらず東海林は自宅が割れる筈がないと信じ込んでいるのである。
自ら反革命スパイに職業的に従事しながら、思想性を生きている訳でもなく、従って階級戦争を担っている意識性もない。それでも反人民的行為であることの自覚はあるから一応の警戒はするのだが、それも単なる小役人の自己保身としての警戒に過ぎないのだ。そして自己の出世と私腹を肥やすことにのみ関心があるというのがこの東海林という男の現実なのである。
●公調のスパイ・謀略活動に全階級戦線で鉄鎚下せ
東海林孝幸の所属する公安調査庁とは、言うまでもなく「破壊活動防止法」(破防法)のために設置されている弾圧組織、スパイ組織である。
破防法は1952年、朝鮮戦争の激化の中で反革命治安立法として強行されたものであり、戦前の治安維持法と同様に結社禁止をメルクマールとする治安弾圧法である。すなわち団体の活動として刑法の内乱、外患、騒擾、放火、激発物破裂から始まり、公務執行妨害にいたるまでの行為をなすこと、及びその「教唆」「せん動」や文書放送等による主張をなすことに対し、「団体の解散」「機関紙誌の発行禁止」「役員の追放」などの弾圧を加えられるとしているのである。
つまり破防法においては憲法においてすら保障された「結社の自由」「言論の自由」が規制の対象とされ、また「せん動」罪、「教唆」罪として集会での演説や機関紙誌、ビラの主張に対して個人適用できるというとんでもない悪法なのである。
この破防法の運用のために設置された機関である公安調査庁は、「日共」「朝鮮総連」「全学連」「共産同」「中核派」「革労協」など十六団体を「破壊的団体」として指定し日常的な調査の対象としているのである。この十六団体のうちには「愛国党」「護国団」などの右翼民間反革命も含まれでいるが、それはこの破防法の本質が反共法であることを覆いかくすためのイチジクの葉であるにすぎない。
そしてこの破防法攻撃に対して日共は屈服し実カ闘争、暴カ革命路線を放棄してしまっており、1960年代以降適用されたのは革命的左翼の街頭実力闘争に対してのみである。即ち69年4・28沖縄闘争に対して第二次ブントおよび中核派指導部の演説への適用、69年赤軍派塩見氏への適用、71年秋の中核派沖縄闘争への適用がなされており、78年3・26三里塚管制塔占拠闘争の爆発に対しては、日帝は反対同盟戸村一作委員長の演説への適用を検討したことが明らかとなっている。
このように公安調査庁はその主要な弾圧対象を「日共」から「革命的左翼」にシフトしてきたのであるが、中曽根の戦争国家計画の中に、より有機的に組み込まれ再編されて今日に到っている。
即ち八五年に中曽根はその「行革」の中で公安調査庁定員を200人削減し、43府県に設置されていた地方公安調査局を、各府県公安調査事務所に「格下げ」したのである。この結果1987年度では公安調査庁の定員は1849人、うち公安 調査官は1639人となり、予算は総額で132億円、うち公安調査官の活動費は19億4000万円となった。
このような中曽根による公安調査庁の再編・縮小は弾圧体制の緩和を意昧しているのでは全くない。むしろ少数精鋭化すると同時に警備公安警察との有機的結合を促進し、反革命情報機関としての一元的運用を目指したのである。
元来公安調査庁は、破防法29条「公安調査庁と警察庁及び都道府県警察とは、相互に、この法律の実施に関し、情報又は資料を交換しなければならない」という規定に基づき「有機的」に運用されてきたのであるが、中曽根は86年7月1日に実施した内閣機構の改編において「安全保障会議」の創設とともにJCIAたる「合同情報会議」を創設し、首相の下での一元的運用を開始したのである。この合同情報会議を構成するのが内閣情報調査室、警察庁警備局、公安調査庁、外務省情報調査局、防衛庁防衛局であり、日帝権カ機関内の情報組織すべてを統合した体制として発足したということである。
ところでこの86年という年は中曽根の戦争国家計画に対し人民の実力決起が爆発した年であった。天皇在位60年式典や東京サミットに対しわが同盟の3・25対皇居・アメリカ大使館ロケツト弾戦闘をはじめ、数波にわたるゲリラ・パルチザン戦闘が日帝を震櫨せしめ、警察庁長官山田が「五・七宣言」をもって「向こう一年間でゲリラの根絶を」と叫ばざるを得ない情況が創り出された。この情況下において発足した安全保障会議と合同情報会議は当初より革命的左翼を主要なターゲットとしたものであり、戦争国家計画のコアをなす一機構として、改めて公安調査庁が位置付けられたことを意昧している。
それではこの公安調査庁による「調査活動」とは一体どのようなものであるのか。
破防法二七条「公安調査官は、この法律による規制に関し・・・必要な調査をすることができる」と規定されているが、公安調査官には逮捕、捜索、押収などの強制捜査権は与えられていない。このため第二八条「・・・調査のため必要があるときは、検察官又は司法警察員に対して当該規制に関係のある事件に関する書類及び証拠物の閲覧を求めることができる」とか、第30条「・・・司法警察官が暴カ主義的破壊活動からなる罪に関して行なう押収・捜索及び検証に立ち会うことができる」、第31条「公安調査官は、関係人又は参考人が任意に提出した物件を領置することができる」とされているのみである。
そうであるが故に公安調査庁のもっとも普遍的な手口は身分を偽わっての情報収集スパイ活動や買収・酒食のもてなしによるスパイエ作であり、そのことが公安調査庁をして「スパイ機関」と言わしめる根拠なのである。
だがしかしこのようなスパイ活動、スパイエ作は希代の悪法たる破防法そのものの規定に照らしてさえ全く違法、不当なものであることは言うまでもない。第34条「公安調査官は、職務を行なうに当って、関係人から求められたときは、その身分を示す証票を呈示しなければならない」。第45条「公安調査官がその職権を濫用し、人をして義務のないことを行なわせ、又行うべき権利を妨害したときは三年以下の懲役又は禁箇に処する」とある如く、そもそも身分を偽わって職務を遂行することそれ自体が違法なのである。
だがしかし、問題の核心は合法かどうかにあるのではなく、公安調査庁との攻防それ自体が階級戦争として在るということであり、そうであるが故にわれわれは公安調査庁と東海林本人に対し、あらゆる手段を発動する権利を断固として確認するものである。
東海林孝幸よ、お前の罪は深い。お前は闘う労働者をあざむき、身元を為り、「シンパ」になりすまし、革命党と三里塚闘争に対する許し難いスパイ行為を永年にわたって継続してきたのだ。そして、そこでの「功績」によって成田担当へと「抜擢」され、そのことに喜びを見い出してきたのではなかったか。そればかりではない。人民の闘いを喰いものにし、公調活動費を私物化することに精を出していたのが他ならぬお前なのである。
この事実が満天下に暴かれた今、東海林孝幸よ、お前はかつてない窮地に立たされているのだ。
言うまでもなくわれわれの報復はこれで終わりではなくここから始まったのである。スパイという最も卑劣な反革命行為に対しては最も容赦ない報復がふさわしいというものである。世界の革命運動においてスパイや、裏切り者に寛容であった組織が勝利したためしはないのだ。
われわれはお前がその一端を間違いなく担っている7・4フレームアツプ弾圧を一身に受けてきた。そしてこの弾圧を「第三の試練」として据えきることによって自らをより強烈な革命主体へと創り変えてきたのである。そうであるが故にわれわれは決してこのことをアイマイにしない。
すべての同志諸君!
水沢同志、花丼君をはじめこのフレームアツプ弾圧を一身に受けて闘う獄中同志に応え、その怒りを内在化することによってわれわれはここまで東海林を追い詰めてきた。そして必ずや最後まで貫徹するであろう。それが第三の試練を越えてきたわれわれのとるべき道である。
最後に東海林に忠告しておく。スパイ活動を自己批判し直ちに公安調査官を辞職せよ。
われわれ戦旗・共産同はあらゆる犠牲をいとわず、この闘いを最後まで貫徹することを宣言するものである。
(1989年『戦旗』634号より)
長くなったので<公安調査庁のスパイエ作(下)>に続きます
で、ではどうすれば機能する公安警察が作れるのでしょう。
どう改革すればいいのでしょう。
今機能していないからって、それが必要ないというわけではないです。
金正日体制のような社会をつくれば、機能するのではないでしょうか。
なにがなんのために「必要」なのか、さっぱりわかりませんが。
北朝鮮のような社会も、その弾圧するべき対象の存在がああいった社会をつくらせたのではなく、弾圧する権力の行使者が権力を持つために異常な弾圧体制を作っていった、と考えれば、あの異常さが「理解しうる」かもしれませんね。
公安警察って、権力が権力を維持するための組織ですよね。
自民党やその互換政党にとっては必要でしょうけど、国民にとっては必要な組織でしょうか?
ビラ配りをする人に数十人もくっついて逮捕してるような組織は、無駄以外の何者でもないと思いますけどね。
まず警察内部の、公安偏重、刑事軽視の体質を改善してもらいたい。
警察トップを公安出身者ばかりが占める(というか、出世の約束されるキャリアは必ず警備課・外事課等の公安部門に配属される)、その結果として予算や人員が公安部門に偏重されているのを改めなければ。
ビラ配りしたり、アパートに二人で住んだり、住民票を移してなかった人を尾行して逮捕する余裕があるのなら、
それを盗難車の捜査など、今まったくできていない所に転換して配備してもらいたい。
体制を守る警察から、国民を守る警察への変貌を、切に希望します。
小泉首相の「聖域なき構造改革」に期待したいところです。
知られざる公安の内幕 公安検察と公安調査庁
主催: [月刊『創』]:http://www.tsukuru.co.jp/ 編集部のロフトプラスワン、トークライブに逝ってきた。 ゲストは以下のメンバー。 『…
RT @rirnrin9999: 「公務」と称して税金で飲食を繰り返す 公安調査庁に「おいコラ!在日!」と言われた時http://t.co/q6svsah6ow 誰のおかげてそんな大名生活ができるのかよ~く考えてみたまえ。在日様がいらっしゃるからである。取り締まるふりをして裏で…
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