NETTY’S ROYALTY PAGE様より
ちょっと共有掲示板のほうで三浦さんからやんわりとしたご指摘を受けまして、いくつか考えるところがありました。その一つは思想の違う方々との対話のあり方についてであり、また、別の一つは天皇制についてでありました。今日は天皇制についてです。
と、言うのも、ひょっとして私が新しいカテゴリー分けで「差別・天皇制」というのを作ったのが三浦さんの心にひっかかったのかなと邪推してしまったわけです。私ら左派の人間にとっては「差別」と「貴族制度」というのは表裏一体というか、「貴族あれば賎民あり」という古いスローガンが示すように、血統によって人間に序列をつけるという意味において全く同じものなんで、深く考えずにごくごく自然に同じカテゴリーに分類しました。
それでまあ、一度は天皇制についても思うところを整理しないといけないなあと思っていました。特に私のいた党派は右翼の方々にとって「皇居に火炎弾を打ち込んだ奴ら」ってんで有名になっちゃったとこでもありますし(笑)。
しかしねえ、実は私、党の方針に反してというか、天皇制についてちゃんと勉強したことも考えたこともあんまりなかったんですよ。やってる人は天皇制を肯定するような文献も含めてちゃんと勉強してましたけどねえ。自慢じゃないが私はさっぱりで、党のパンフレットで「とりあえず」の主張だけ頭に詰め込んだだけで乗り切ってたくちです。このブログは三浦さんのような右翼活動家や、右翼青年から左翼に転向して両方の主張をしっている黒目さんとか、「天皇制にはかなりうるさい」人が読んでいるんで、うかつなことは書けんぞと(笑)。
そいでまあ、「うかつ」なことを書くのはやめにして・・・というのは冗談ですが、別にもう活動家でもないんだし、私が何書いて恥をさらしても誰かに迷惑かけることもないわけですから、「理論的」なことは全部すっとばして、思いきり「一般人」の単なる感想として、天皇制というよりは、現在の天皇さんとこのご一家の方々を見ていて思うことを、ワイドショーネタのレベルでエッセイ的に書いてみました。
まず最初に言っておきますが、私は現在の天皇家の面々について、そんじょそこらの軍歌流して走り回っている街宣右翼のおっさんや、日の丸担いで軍服姿で靖国詣でしとるような族あがりの兄ちゃん達より、はるかに親近感や親しみを持っていると思いますし、「皇族」としてではなく、人間として尊敬心も感じています。特にお兄ちゃんの浩宮氏に対してはそうで、彼は私より少し年上だったはずですが、あの一家の中ではなぜか弟さんよりもお兄ちゃんのほうに同世代的な親近感を持ってしまいます。
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「なぜか」ちゅうか、「親近感」の理由はだいたいわかっていて(しかもしょーもないことなんですが)、まず、私と彼の体型がそっくりである。弟のほうが背が高い(私の年代って例外なく弟のほうが頭ひとつ高いんだよね)。女性の好みが似ている。さらに私は中学から20代初頭くらいまで顔が「浩宮さんそっくり」と言われ続けて育った。ただし今は生活にやつれて当時のようにふっくらしていないため、全然似てない(←強調)と自分では思う。あちらさんは相変わらずふっくらされておられる。さすがや。ただ、うちの子供は保育園時代にワイドショーで「皇太子夫妻」の映像を見て「あれえ、この人、パパとママにそっくり」と言ったらしい。ちなみに私は小学校のころは宮脇康之(ケーキ屋ケンちゃん)に似ていると言われていました。まあそれは関係ない話ですね。すみません(笑)。
あとね、なんとなーくですが、彼とは性格的・人間的に同じ臭いを感じるんですよね。これはもう賭けてもいいくらいなんですけど、もし私と彼が同級生とかの身近な存在だったら、絶対に親友かそれに近い関係になってたと思います。弟君のほうとはそれは無理だと思うけど。なんと言いますか、皇族だとか有名人だとかいうことではなく、一緒に飲みに行きたいと思わせる人ですね。なんなら家族ぐるみで居酒屋にでも行きたいなあ。
実はうちの嫁さんも海外生活長かった人なんで、雅子さんともそれなりに話を合わせられるかと。ちなみに私は嫁さんからは「典型的ジャパニーズ」などと侮蔑的ニュアンスで言われることがあって、思わず「ここは日本じゃあ!」とか「日本人が日本人らしくてどこが悪い!」とか右翼みたいなことを思ってしまうんですが(笑)、雅子さんにそのへん説教していただきたいなあと(爆)。あと、浩宮氏には「生まれた時から一生が決まってるって、どーなん?」みたいな話もしてみたい。まあだいたい答えは察せられるというか、「思春期には悩んだこともあったけど、今はそれなりに誇りとやりがいを持って仕事してるよ」みたいな感じでしょう。
あたしゃ思うんですけど、天皇とか皇族の人生にとって、「俺って何?どうすりゃいいの?」というアイデンティティって、普通の人とは比較にならないくらい重要だと思うんですよね。んで、民主主義に囲まれた中で育った近代的自我にとって、自分が「神様の子孫」だとか「生まれながらに神聖にして侵すべからざる存在」なんてのは、到底アイデンティティたりえないと思います。もしそんなふうに自我を組み立てているとしたら、それこそ逆に痛すぎる人だと思うし。
この点、戦前の昭和天皇や皇族が、「天皇機関説」に飛びついたのはすごく理解できる。明治憲法の神秘主義的な天皇の位置付けやほとんど万能の国家大権については、封建時代に生まれた明治天皇ならともかく、まともな良識を持った近代人なら、もう一度再構成しないことには自分の中におさまらないでしょう。
昭和天皇については、学生時代に帝王学の講義を受けたことがわかっていて、そこでは庶民に教えられていた「正式の日本史」とは異なり、歴代の天皇についても客観的にその誤りや欠点が詳細に分析されていたといいます(討論相手としてか、極秘に選ばれた「ご学友」の証言があります)。若き皇太子がその講義を受けながら「青雲の志」に燃えたことは容易に想像できる。「近代国家日本のリーダー」としての自覚はあったはずです。そして出会った「天皇機関説」。彼の中で自分の役割が、ストンと音をたてて整理されたはずだと思うのです。
彼に「戦争責任」があったかと言えば、そりゃあったに決まっているわけです。名実ともに「日本政府のトップ」なわけであり、「責任者」なんですから。彼が直接に命令したかどうかなんてことは関係ないですよね。そんなこと言い出したら、今回の尼崎の事故でも、JRの首脳は何の責任もとらなくていいし、それどころか運転手の直属の上司でさえ、責任がないことになりかねない。皆さんも、もし企業に重大な損害を与えられて、そこの社長が「わしが社員にあんたをやっつけろと命令したわけじゃないもん」とか言って、一言も謝罪しなかったら、納得できますか?ましてや取り巻きの社員までが「そう!社長は悪くない!」とか合唱してたら「なんちゅう会社や!」と憤りませんか?
どうも私の感覚では(たいして根拠があるわけではありませんが)、昭和天皇は最初は「トップとしての責任」をとる常識的な意識があったんじゃないかと思います。GHQへの近衛元首相の供述を聞いて「近衛は言い逃れをしているようだね」という発言が伝わっていますから、あくまでも「自分は悪くないが責任者だから」というレベルでしょうけど。それが戦犯追及を逃れてだんだんと「自分は悪くなかった」という意識が前面に出て定着していったんじゃないかと思えます。
私には、それは彼にとって不幸なことだったように思えるんです。戦後まもない時期に、彼が自分の力で「ああ、私が悪かった。私のせいで数え切れない人を死においやってしまった」という懺悔の涙を流すことができたなら、彼の心はもっと軽くなっただろうにと。周囲の人間は政治的な思惑もあって、むしろその逆のことばかり言ったりしたりしていたように思います。そんな人は「忠臣」かもしれないが、一人の人間としての彼の「味方」ではありえないのではないでしょうか。彼が「自分は全く悪くない」と思ったまま死んでいったのだとしたら、本当にこれほど残酷なことはないとかえって思うのです。彼が元気なうちに革命をおこして、アジアの戦争被害者などを証人に呼んだ人民裁判にかけ、思いきり糾弾してあげたかった。そして普通の人として平穏のうちに生涯を終えさせてあげたかった。
翻って現在の天皇を見てみますと、自分の天皇としてのアイデンティティを、日本国憲法に求めていることは明白なように思えます。すなわち平和主義で民主主義で人権を尊重する国であるところの日本における、国民統合の象徴。というか、国民そのものの象徴というのが自分に与えられた役割であると。そう考えれば自分が首相や最高裁長官などを「国民の名において任命」することも矛盾なく、しかも使命感を持って理解できます。
戦争責任や歴史認識の問題についてですが、おそらく彼は「村山談話」くらいのレベルでこの問題を認識しているのではないかと思います。私がそう思う根拠は、彼は全斗煥の来日時の言動です。彼は歓迎晩餐会で「過去の一時期に不幸な歴史があったことは遺憾です」という趣旨の「謝罪しているように見えるが実は謝っていない」内容の「おことば」を朗読されています。しかしマスコミの目を離れて全斗煥と会談した機会に「もっと突っ込んだ表現で」謝罪を行ったことが伝わっています。
あの「おことば」をニュース映像などで聞いてもよくわからないかもしれませんが、自分で声を出して読み上げてみますと、実はこれは謝ってないなというのがわかります。昭和天皇の戦争責任と同じく「まあ私は悪くないんだけど」というニュアンスがあります。素直に「頭がいい」と思える現天皇が、しかも全斗煥を目の前に読み上げて、そのことに気がつかないはずがありません。これでは韓国の国民は納得しないと読みながら思ったでしょう。その気持ちが「突っ込んだ表現(おそらく村山談話レベル)」をとらせたと思えるのですが、それは天皇に好意的な見方すぎるでしょうか?
それともう一つ、天皇家という一族の領袖として、「天皇家と日本の伝統」を引き継ぎ、守り伝えていく、この「伝統を守る」と「日本国憲法」が彼のアイデンティティの車の両輪をなしているのではと感じています。そしてお兄ちゃんの浩宮さんの場合は、自分の役割意識としてはお父さんの路線を引き継ぎつつも、その実存としては、お父さんよりも、より「普通の人」に近い自我を持っているという印象です。「伝統を守る」ということについて異論を持っているとも思えませんが、例の雅子さんを巡る発言から見て取れることは、もし、古い因習のある旧家でよく見られるような「伝統」が「個人」を迫害する事態になった時、彼は(実際にはどういう行動をとるか、あるいはとれるかを別にして)内心では伝統よりも個人の幸福や自由を選択したいと思う人なんではないでしょうか。
こうして考察(邪推?)してみますと、一般的に理解されている「右翼の主張」というのは、実はあそこのお家の方々にとって、有り難迷惑の「有り難」さえとって、単なる「迷惑」ではないんかなと思えるんです。例の園遊会における米長教育委員の発言をめぐる天皇とのやりとりを聞いて、特にその思いを強くしました。いずれにしましても、世代を重ねていくうちに、徐々にあそこのお家の方々も、だんだんとその構成員の自我が近代化していくわけですから、何世代も先になれば、天皇とその地位を継ぐ宿命にある人々にとって、それが自己にとっての桎梏物であると明確に自覚するような日がくるんではないかなと思います。これを避けるためには、天皇制そのものを廃止するか、さもなくば風通しをよくして、スキャンダルでも離婚でも何でもありのイギリス王室みたいにしちゃうかのどっちかでしょう。
さて、左翼的にはもちろん「天皇制廃止」であって「改憲阻止」なわけなんですが、制度とは別にあそこのお家の人が人間的に嫌いじゃない、できれば幸福になってほしいというレベルで、ちょっとした与太話の提案をして終わりたいと思います。まあ「与太話」ってことで、左翼の皆さんは(右翼の皆さんも)あまり目くじらたてて「糾弾」しないで下さいね。
1)女性天皇論について。これが実現すれば、愛子ちゃんは一生あの家から出られなくなる。「男女平等」という議論はひとまず置いて言うが、人の一生を勝手に決めるな。宿命を背負う人は一人でも少ないほうがよい。せめて愛子ちゃんがその気になれば、机ひっくり返して「皇籍離脱」を宣言できる歳まで待ってやれ。
2)皇籍離脱を本人の届け出だけで簡単に行えるようにすべし。皇位継承時には本人の意思確認の機会を与え、拒否(辞退)の自由を保証せよ。
3)上記がプレッシャーなく気軽に行えるように、皇位継承順位を法律(皇室典範)に明記するのではなく、別表にしてイギリスのように200位くらいまで個人名で記述せよ。これくらいいれば自分が辞退しても、絶対に誰かが継承するだろうから安心だ。(ちなみにイギリスの200位は工場労働者だと聞いたことがある)
4)どうしても改憲するなら、そして天皇制を残すなら、せめて「退位」の条項を設けよ。憲法に天皇の自由意思の領域を設けるのはまずいから、退位は内閣が発案し、国会で承認された時点で成立するとしておけばよい。天皇の地位は主権者たる国民の総意によるのであるから問題はない。これによっていったん即位しても、まだ普通の人になれるチャンスが生まれる。
ああでも、もし将来私がどっかの左翼組織から「反革命」とかに分類される時には、絶対にこの文章が引用されるんだろうなあ。「皇室や皇太子に『親近感』を持っていると公言してはばからない恥知らずの反革命草加は・・・」てな感じで(笑)。ああヤダヤダ。
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