by 中野由紀子
※メットの種類は勉強になりますなー。カラフル、カラフル♪
木下優樹菜ちゃんが意外に好きな私は、いつものように「クイズ・ヘキサゴン」を見ていた。
終わってチャンネルをチェンジ、すると、な、な、なんと、
安田講堂の闘い(ほとんど知らない)の映像があぁぁぁぁ。
番組表を見たらば、『東大落城 安田講堂36時間の攻防戦・・・40年の真相SP』だってよ。
もう1時間も終わってるやん!
途中からだとものすごく悔しいじゃん!
知らせろよ、日テレ。
画面には(ヘルメットのお色が)赤い皆さん、白い皆さん、青い皆さん、黒い皆さんがたくさん映っておいでだよ。
ゲバ字や旗もいっぱいで、私はもうどんどん興奮してきちゃいましたよー。
餃子を焼いているのも忘れてね。(注・蒸し焼きの段階)
浅間山荘のとき(私は記憶にほぼない)にも指揮してた佐々淳行(さっさ あつゆき @以下、サッサ)の役を
陣内孝則が演じてました。あさまのときは役所広司がやってたね。どしてもかっこいいイメージにしたいらしい。チッ (“ ̄д ̄)
学生さんたちは本当に一生懸命で、放水や催涙弾でボロボロになりながら闘ってる。
放水って圧が強いから皮膚が水ぶくれになるんですって。ヤケドみたいだ。(こんなもんまで使う必要があるのかねー。ひどいなー)
でも、東大の周りを別の学生さんたちが応援のデモを始めたり、まったく別の場所の交番を攻撃したり、どこまでも誠実につながっていく学生さんたちがかっこいいよ。
講堂の上で一人の学生さんが負傷した。学生側は機動隊に停戦を願い、負傷者の救助を求めたんだ。
あーそれーなのに、それなのにー、機動隊の連中は「なに言ってるんだ?ふざけるな!」と言うの。
周りにいた記者の皆さんが、それを非難したため、学生さんはタンカで運んでもらえた。
記者の皆さんの(人間としての当然の)非難がなかったらどこまでやられていたか。
バスで指示を出していたサッサたちは、「だいぶ隊員も荒れてきているな。これでは隊員側も学生側にも死人が出る」とあわてだした。
現・衆議院議員の阿部知子さんは、当時、闘争に参加していたが危険すぎて?帰宅していた。
インタビューでは、「途中で帰ってきてしまったうしろめたさと、みんな逮捕されちゃうだろうな、ケガ人は出るだろうな」とか複雑な思いでテレビの中継に見入っていたそうだ。
そんな闘いの中、遠巻きに見物してる人ごみの中にいた一人の年配男性が、
「天皇を利用して戦争をしてきたのはほとんどがこの東大のエリートたちじゃないか!闘ってる学生たちはそんな管理されたものを壊そうと頑張ってるんだ!立派じゃあないか。頑張れー!!」(だいぶ、省略簡略……)と機動隊に向かって絶叫するのであった。
じいさん、かっこいい!長生きしろよ?(あ、もう亡くなってるか)
一方、時計台のてっぺんで精一杯マイクで訴える女子学生の声も、ヘリコプターの轟音に掻き消されるのでした。
うわわーーん!
で、とうとう追い詰められるんだけど、第一機動隊がヒキョウなタテでもって迫ってくる中、残った学生さんたちは傷だらけで、でもみんなで「インターナショナル」を歌ってる。
うえーーーん!感動したー。一緒に泣いてもーたー。
学生運動っていいね。学生に戻りてー。(違うか)
全共闘 安田講堂攻防戦 – 1969
餃子は見事に焦げたけど、なんか胸に熱いものが残りました。
あのころ闘ってた皆さんは今いずこ?若い皆さんともっと交流してほしいね。
その間の世代の皆さんも。みんなでなんかできたらいいっすね、楽しそう。
だって、こんな世の中じゃだめだよ。
余談ですが、私の見たことないメットが出てきたのよ、奥さん!
赤地にセンターが白線なの。師匠に聞いたらMLだって。ほー
サッサがさ、後輩に、「危険だからメットかぶってくださいよ」って言われて、
「俺は頭がデカイから合う大きさがないんだよっ!」って言ってましたよ。
ぶ、ぶわっはっは~
見られなかった皆さんは私とともに再放送を待ちましょう。
誰か私専用のメットを作ってください。かわいいのがいいです。
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