by ときわ列車
さる1月12日に「すべての原発いますぐなくそう!全国会議」(略称=な全=NAZEN 【http://nazen.info/】)のいわき支部が結成され、僕、ときわ列車は【実名】でもって呼びかけ人となりました。
その日の結成集会では基調提起を行いました。それは僕の決意表明の場となりましたが、ここではそこでは語りきれなかった決意や、当日のNAZEN事務局長との話などについて書かせていただきます。
そもそもいわきでNAZENを立ち上げようという話は一昨年の時点ですでに挙がっていましたが、なかなか立ち上げへの具体的な動きは出ませんでした。しかし昨年末、動労水戸の皆さんが来月2日には「ふくしま共同診療所」の報告会を、同23日には集会とデモを行うことになったことで事態が動きました。「いわき合同ユニオン」でもそれに向けての話し合いに参加し、2日の診療所報告会に先立って結成集会を行うつもりでいました。ところがある組合員から「まず形だけでもつくり、運動を通して中身を煮詰めていく方が良いのではないか」という意見があり、急遽1月中の結成へ舵を切りました。
僕は当初NAZENいわきの「一賛同人」で終わるつもりでいましたが、曲がりなりにも「いわき合同ユニオン」の副執行委員長になり、毎週の「いわき駅前アクション」での参加を重ねるにつれ、もう「公然登場」を躊躇う理由は少なくなってきました。とはいえ【実名】を明かしての活動となるとやはり大きなリスクが伴うことは容易に想像がつきます。それでも、僕が「原発をなくして社会を変える」という方針に確信を持ち、より本気で真剣に取り組むにはそれだけの覚悟を持たねばならないとの決意の方が勝りました。
なによりも、なんだかんだでNAZENは「中央派」系の組織であるのですが、その【日本の新左翼】的なあり方を変えるには、こうした大衆的なテーマで運動する組織に自ら身を置いて僕が変えてやるという、生意気なことまで考えています。
こうして自ら退路を断ち、自分が前面に出なければいわき市民の皆さんも、自分と関わるみなさんにも伝えたいことが伝わらなくなると思い至り、実名での呼びかけ人参加を決めたわけです。
結成集会当日は残念ながら「ノンセクトのいわき市民」の参加者は全出席者18名のうち僕を含め6名しかいませんでした。そればかりか途中まではNAZENに興味を持ったものの、その中の「身内主義」を感じ取った方が参加辞退を僕に伝えるということまでありました。はっきり言って非常に厳しい船出となりました。それでも迷いはありません。NAZENを本当に「大衆組織」にできるかどうかはこれからの活動の実態にかかっているわけですから、焦らずにどっしり構えていこうと思います。
また、この日はNAZEN事務局長がいわきに来訪しました。実はその方とは8年前の教育基本法改悪反対運動においてよく話す仲となった方でバリバリの「中央派」の人間でもあります。その方と都知事選NAZEN独自候補に関する率直な話などをしました。
彼は僕が思っている以上に「宇都宮さんでできれば…」という考えに理解は示しました。ただ、彼の「反原発は争点だがそれだけでは勝てない。【労働者】の立場に立てるかどうかだ」という言葉を聞き、それはそれで僕にも合点がいくところはありました。ただ話したことで僕の中でこの点についてはますます悩ましくなってしまったのは事実です。とはいえ少なくとも8年前だったら言いにくかったことを言えたことだけでも「成果」は得られたと思います。
彼とは交流会でも話をしました。やはりここでも思い切って「セクト主義・身内主義批判」の話をしましたが、これもこちらが拍子抜けするくらい反発らしい反発は無かったと思います(少なくとも見た感じでは)。いや、そうした話をすることを僕がタブーにし過ぎていたのだと思います。NAZENの呼びかけ人となった以上、運動の実践を重ねながらその「タブー」にもっと踏み込んでいければと思います。
さしあたっては来月2日にいわき駅前の「ラトブ」で開かれるふくしま診療所報告会を全力で呼びかけたいと思います。市民はもちろん、この日記を読んでいる方に是非ともお越しいただきたいと思います。
あきらめず、原発事故を忘れず、忘れさせない。これをモットーに活動していきます。
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